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黄金の林檎・4b

「神は六日をかけて世界をお創りになり、七日目に休息を取られました」

 義父のペーターいわくドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーに似た四角い顔の司会者は、深い思索を顔全体ににじませながら静かなトーンで口上を読み上げた。「今まさに、新しい世界が作られ、われわれは七日目の休息のときにいます。激しい変化の後の、しばしの静けさの中にいます。新しい世界のわれわれは、かつてのわれわれの世界に別れを告げ、未知なる領域へと進んでいかなければなりません。誰も、その先に何が待ち受けているのかを知る者はいません。しかし、進まなければならない。混乱の時代には必ず導き手となる人物が求められます。古くはモーゼ、ソロモン王がおり、その後カエサルやナポレオンが法と秩序をもたらし、さらに時代が下ってルーズベルト、チャーチル、そしてケネディなどが世界を危機から救ってきました。今こそ新しい導き手が必要です。導き手がいなければ、人々は迷い、間違った道を選択し、無用な争いや混乱を招くこととなるでしょう」


 そこで司会者の声のトーンがわずかに上がった。

「われわれにはすでに親しい友人がいます。その、誰もが知る友人クリスチャン・バラードと、そのご子息であるアレクサンダー・バラードこそ、われわれの導き手としてもっともふさわしいと、ここではっきりと宣言させていただきたい。この場にお集まりの皆さんには賛否両論あるでしょうが、この機会を利用して、ぜひお互いに意見を戦わせ、思いのすべてを彼にぶつけていただきたい。彼は逃げも隠れもいたしません」


 司会者は舞台の中心から、カーテンで隠された上手(かみて)の舞台袖に身体を向けた。声のトーンは最高潮に達した。

「それではご登場いただきましょう。ソラリ・スペースラインを率いる二十七歳の若き社長、アレクサンダー・バラード!」


 空を切り裂く上昇音があちこちから同時に起こり、次の瞬間、空全体を花火が完全に覆い尽くした。光のシャワーが大型客船に降り注ぐ。その音と光で人々の心が鷲づかみにされたところに、堂々たる足取りで今夜の主役が登場した。

 アレクサンダーと握手を交わした司会者は、王との謁見を済ませた騎士のように、後ずさりして舞台袖に退場した。


 観衆は息をのんで舞台を見つめている。誰も声を発する者はいない。舞台に立つ茶色い髪とあどけない顔のアレクサンダーは、だぶだぶのスーツに身を包んだコメディアンのようでありながら、それでいて、不思議な威厳を見る者に与えていた。その瞳は透き通った青で、おびただしく取り囲んでいる照明の明かりをそのまま周囲に跳ね返している。


「ちょっと顔は幼いけど、未来の夫にするには不足はないかな」

 幸子は素直に論評するが、それに反応したのは苦笑いした妙子だけだった。周りが静まり返っているので、姉の声はむやみに響いた。


 舞台に立つアレクサンダーは、上手の袖に向かって手招きした。呼ばれるままに恐る恐る現れたのは、キラキラと光るラメ糸を網の目状に縫い込んだ黒いドレスの女性だった。彼女は豊かな赤毛の髪を背中に垂らし、高い鼻をツンと逸らして、まっすぐにアレクサンダーを見つめている。その両足は高いヒールの上でガタガタと震えていた。

「エリザベス、そんなに緊張しないで。ゆっくりとこちらへおいで」


 エリザベス・エリジェンダは胸の前で小さな木箱を捧げ持った。舞台を横切ってアレクサンダーのそばまで歩くことは、彼女にとって永遠にも思える長い時間だった。緊張のあまり雲の上にいるような、何を踏んでいるのかわからないような、自分の感覚がまるであてにならない、夢の中のような時間だった。不安でいっぱいのエリザベスは、こちらを見つめて待ってくれているアレクサンダーの透き通った青い目を心の支えにした。


「ありがとう、エリザベス」

 アレクサンダーは木箱を受け取ると、手際よく蓋を開けて中身をつかみ出し、空き箱をエリザベスに返した。エリザベスはその場で棒立ちになった。抜けてしまった魂が戻ってくるまで、しばらく時間がかかりそうだった。


 手に取った黄金の林檎を、アレクサンダーは観衆に向けて高々と差し上げた。

「みなさん、これがお待ちかねの新商品です。見てわかる通り、派手な色をした林檎の形をしていますね」

 大仰な紹介で登場したわりに、彼の話し方は親しい友人たちの前にいるような砕けた調子だった。

「この林檎の中には、みなさんご承知の機械細胞(マシン・セル)素子(エレメント)がめいっぱい詰め込まれています。まあ、これは見本ですが、これがいわゆる、生命の種子となるわけです。これで私たちが何をしようと考えているのか、それをこれからお話ししましょう」


 アレクサンダーが観衆に背中を向けると、舞台の背景に大きなスクリーンが現れた。そこに映し出されたのは自転する火星だ。カメラは衛星のように火星の周囲を回り、赤茶けた大地を映し出していく。

「御覧の通り、火星には生命が暮らしていくために必要な大気や水がほとんどありません。地表は赤い酸化鉄が覆い、太陽の放射線に対して剥き出しで、とても過酷な環境です」


 アレクサンダーは手に持った黄金の林檎に視線を向け、次に観衆をその青い目で見つめた。

「たとえ機械細胞(マシン・セル)をもってしても、この環境のままで生命を繁殖させることは難しい。そこで私たちはいくつかの方法を同時に試すことにしました。それは五つの段階を踏みます。まず一つ目は――」


 スクリーンに映し出された火星の周囲に、無数の人工衛星が打ち上げられた。そこから網の目状に光が広がっていき、火星全体をすっぽりと包み込んだ。

「まずは火星全体を人工の磁場で囲みます。こうすることで太陽から降り注ぐ放射線を弾き、大気と水の蒸発を防ぐのです。そして二つ目は――」


 火星の静止軌道から、宇宙エレベーターの細い帯が地上へと垂らされていく。同時に生宙に向けても帯が伸びていき、静止軌道を中心として長さ五万キロほどの宇宙エレベーターが作られる。アレクサンダーは説明する。

「火星の静止軌道は上空一万七千キロメートルにあり、その軌道上に宇宙都市を建設します。地球におけるクロノ・シティと同じ位置づけです。火星の重力は地球の四割弱しかありませんので、とても低いコストでこれらを作ることができます。では三つ目――」


 火星の宇宙エレベーターを中心として、標高の高い地表に、四角くて透明な構造物をブロックのように組み合わせたものが放射状に広がっていく。

「このブロック状のものは、縦・横・高さがおよそ十キロメートルほどあります。これを高い柱で支え、火星の大地を石畳のように覆っていきます。このブロック一つ一つを『セル』と呼びますが、このセルはいくらでも拡張が可能です。このセルにも機械細胞(マシン・セル)が応用され、自己修復できるのです。まずはセルの中に地球と似た環境を作っていきます。やがて火星全体を生命で満たす前の準備段階というわけです。それでは四つ目――」


 今度は火星の標高の低い部分に、さっきのセルと似た形の、今度は青い色で表現された構造物が、谷間を埋め尽くすように広がっていく。

「今度のセルは、水を貯えるために、こういった低い地形の中に建てていきます。ここに注がれる水は、火星から掘り出される量だけでは調達が難しいので、他の場所から運んでこなければなりません。そこで登場するのが、この星です」


 アレクサンダーの背後に映る火星が急激に小さくなり、その横に現れたのは、火星の二十倍もの直径を持つ巨大な木星だった。茶色い帯状の雲が赤道と平行に流れ、その半ばに赤い目玉のような大赤斑が浮かんでいる。

「木星には百個近くの衛星がありますが、その中で四番目に大きな衛星エウロパこそが、宇宙における大水源となるわけです。エウロパは私たちに液体の水をもたらしてくれます。私たちソラリ・スペースライン・グループが巨費を投じて行った調査の結果、この星には生命の兆候はまったく存在せず、ただ大量の水だけが貯えられていることが判明しました。よって、いくらでも水を汲みだすことが可能というわけです。さて、最後の五つ目は――」


 いよいよ火星の大地に黄金の林檎が投入された。それは火星のセルの中に大量にばら撒かれ、そこから芽が出て、草木が広がり、動物たちが生成されていく。

「ここで黄金の林檎の出番となります。こいつはランダムに生命を作り出します。何が起こるのかわかりません。私たちは火星の大地に地球と似た環境を作り出し、そこに種を撒いて、後は見守るだけなのです。そうすることで、人間の作為の及ばない、真に自由な生命を育てることができます。それらと共存できるかどうかは、私たちの次なる課題となるでしょう。しかし、それは可能なはずです。人類はこれまで、頭の中で想像したことはすべて実現してきましたから、これからもそうなるだろうというのが、その根拠です」


 スクリーンに大写しになった火星が青い海と緑の大地に変わり、そこにたくさんの都市が生まれ、人々が移住していく様が描き出された。アレクサンダーは観衆と向き合った。

「さあ、これで今日の僕のプレゼンは終わりです」

 彼の声のトーンは急に低くなった。舞台袖に立つエリザベス・エリジェンダにちらりと視線を向け、手に持った黄金の林檎を持て余すように揺らした。「もう一つ、個人的な発表があるので、それをみなさんに聞いていただきたいと思います」


 エリザベスは胸の中で心臓が暴れるのを感じていた。いよいよそのときがやって来たのだ。イエス、イエス、イエス……、彼女は心の中で魔法の呪文を何度も唱えた。

 アレクサンダーは咳ばらいを一つして、舞台上から見えるすべてのものに青い視線を走らせた。

「ここのどこかに、クリスチャン・バラードがいるはずですが、僕は彼にどうしても言っておきたいことがあるんです」

 アレクサンダーは黄金の林檎を強く握りしめた。「僕はあなたの道具として利用されるのはこりごりだと、それを言いたい。もう操り人形になるのは金輪際やめにしたいのです」


 観衆がどよめいた。エリザベスは我が耳を疑った。打ち合わせと違う。アレックスは突然何を言い出したのだ。彼女の中の、期待に満ちた胸の高鳴りが、すべてを失う恐怖から来る動悸へと変わっていった。


 アレクサンダー・バラードは舞台から飛び降りた。そして、混乱する観衆の中へ分け入り、人々をかき分けて突き進んだ。

「まあ、なんということでしょう」

 義母のヘレナが思わず声を上げた。アレクサンダーがずんずんこちらへ歩いてくる。手を繋いでプレゼンに聞き入っていたハイネマン家の人々は、ここで手を離して散り散りになった。

「妙子、幸子、こっちへおいで」

 オットーは手を伸ばして、妻とその姉を捕まえた。混乱した群衆の中で、なんとかはぐれないように身体をくっつけ合った。

 二つに割れた観衆の向こう側で、ヘレナと抱き合う義父のペーターが大きく手を振っている。

「オットー、危ないから、なるべく離れるんだ」


 観衆の中を突き進むアレクサンダー・バラードのそばには誰も近寄らなかった。屈強なSPたちが彼に付き従っていたからだ。遠くからはスナイパーも狙っている。アレクサンダーが望むと望むまいと、彼を守るための暴力装置は常に間近で活動することになっている。それを誰もが知っていた。

 アレクサンダーは立ち止まった。彼はその青い目を周囲に向けて、誰かを探しているようだった。


 幸子が、抱き寄せているオットーの腕の中で身じろぎした。

「もしかしたら、彼、私たちのことを探してるのかな?」

「はあ?」と呆れるオットー。

「だって、自慢じゃないけど、私たちって、このパーティの中ではバツグンに目立つじゃない」

 それには妹の妙子も反論しない。

「そうかも知れないが、ここで奴の前に飛び出そうなんていう愚行は、さすがに遠慮していただきたいね」

「そうしたくても、できそうにないから心配いらないよ、オットー。いたたたたたた」

 幸子は、後ろ手を妙子によって無言でねじり上げられていた。


 出エジプト記のモーゼのように、割れた群衆の中で一人立つアレクサンダー・バラードは、必死でその青い目を走らせている。やがて、ついに探し求めていたものを見つけ出したのか、人々の只中へと再び分け入っていった。それは幸子たちとは反対側の人の群れだった。

「なんだよ、残念」

 幸子は本気で残念がっている。


 向こうの群衆の中から女性の悲鳴が聞こえ、続けて男性の怒鳴るような声が聞こえてきた。その怒鳴り声に耳を澄ますと、なんとそれは義父のペーターが発していたのだった。アレクサンダーは、それを懸命になだめていた。

「落ち着いてください。僕はどうしても彼女に伝えたいことがあるんです」

「もう貴様らの横暴には我慢ならん。自分の欲望を満たすためなら、何をやっても許されると思ってる。いつまでもそんなことが通用すると思ったら、大間違いだ」

 ペーターに抱かれたヘレナは、たくましい肩をすぼめ、しおらしくうつむいている。頬をほのかに赤らめ、それをベールで隠している。


「あいつ、母さんに何をする気だ」

 今度はオットーが飛び出そうとする番だった。

「いけないよ、オットー」と妙子は手を伸ばすが間に合わなかった。

「母さんと父さんを守らなきゃ」

 オットーは反対側の群衆に向けて走り出していった。妙子と幸子はその後を追った。幸子は心の中で秘かに「今こそチャンス!」と叫んでいた。


 ペーターは妻を守るために、世界を支配する帝王の後継者に食ってかかっていた。それを周りの人々はすんでのところで制止していた。アレクサンダーは黄金の林檎を片手に握ったまま、純白のキトンドレスを着た夫人の前で立ちすくんだ。そこに新たに、二人の女神を引き連れた金髪の青年が走ってきた。


 アレクサンダーの青い目がきらりと輝いた。彼はたちまちヘレナに背を向けて、女神たちのほうへ向き直った。幸子は一瞬、彼の目が自分を見つめてきたと思った。それで、すべてを受け入れるつもりで両手を高々と上げて待ち構えていたのだが、彼の行動は予想とは違っていた。


 アレクサンダー・バラードは、青いキトンドレスを着た天野妙子の姿を見つけると、うやうやしくその前でひざまずき、黄金の林檎を二つに割って、大粒のダイヤモンドの指輪を見せつけたのだった。そして、誰の耳にもはっきり聞こえるように、大きく声を張り上げた。

「さっきあなたを見つけてから、僕の心はずっとあなたの虜でした。世界で一番美しい女神よ、結婚してください」

 アレクサンダーは、すでに人の妻である妙子に求婚したのだ。

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