黄金の林檎・3b
それから少し時間を遡った頃、後にアレクサンダー・バラードの目に留まることとなる、当の女神たちはこんなことをやっていた。
「あの車に乗っている人たち、絶対VIPだよ。真ん中の高そうな車に偉い人が乗っていて、周りのでっかい車の人たちはきっとボディガードだよ」
天野幸子は駐車場の遠くの端に黒い車の一団を見つけた。夜空に浮かぶイルミネーションが、車列の屋根に映し出され、「共存」の文字を反転させている。
ハイネマン一家は乗船のためにタラップの行列に並んでいたのだが、その中から一人、落ち着きのない女が列から離れて飛び出していった。
「私、ちょっと行ってみる」
などと言い残し、キトンドレスの裾を持ち上げた幸子がみるみる遠ざかっていく。
「待ってよ、さっちゃん、怖いよ」
妙子は怖がりながらも、幸子を止めるために追いかけざるを得なかった。あの困り者の双子の姉は、目を離すと何をしでかすかわからない。
「この機会に、顔だけでも覚えてもらわなくっちゃ」
そんなことを言いながら、幸子はぐんぐん走っていく。それにしても、さすがはプロのヘアメイクに仕上げてもらっただけあって、どんなに全力で走っても髪は乱れないし、ティアラもしっかり頭の上で安定している。
「おい、こら、バカなことするんじゃない」
義父のペーターが遠くで叫んでいる。
「おーい、妙子、そのバカを止めろ」
と、夫のオットーも叫んでいる。
宇宙消防士の訓練生として厳しい訓練を積んできた天野妙子は、それなりに脚力も鍛えられていたので、なんとか姉の俊足に追いつくことができた。姉のドレスの襟首をつかまえて、それ以上走れなくしてやった。
「もう、さっちゃん、落ち着いてよ」
「いやーん、もうちょっと行かせて」
妙子は、もがく姉の片腕を後ろに引っ張ってねじり上げた。痛さに悶える幸子はその場に崩れ落ちる。妙子はさらに姉の背中に覆いかぶさって動けなくし、ねじった腕をさらに強く固めた。
「十九時五十二分、現行犯逮捕」と妙子。
「いたたたたたた、ごめんごめん、わかったわかった。もうやめるから離して」
「本当にやめる?」
「やめるやめる」
「嘘だ、絶対逃げるでしょ」
「逃げないよ、試しに離してみて。逃げないから」
「さっちゃん、このパターンで逃げなかったためしがないもん」
地面にひざまずいてぜいぜい言っている幸子は、ついに観念した。
「妙子、強くなったね。マジで降参」
そこに、応援のために走ってきた義母のヘレナが加わった。彼女は妙子よりもはるかに体格がいい。筋肉量がまるで違う。
「こっちの腕は私が持つから、妙子はそっちを持ちなさい」
こうして、VIPとの接触を企てた天野幸子は、あえなく囚われの身となったのだった。
「幸子、あなた、これ以上向こうへ近づいていたら、射殺されるところだったかもよ」
義母・ヘレナは真顔で言った。
「まさか」と幸子。さーっと血の気が引いている。
「周りを見てみなさい。警護のスナイパーがあちこちにいるから」
「暗くてよく見えないけど」
そのとき、ボーンという大きな音と共に、巨大な花火が打ち上がった。さっきから戯れに打ち上げられていたものとはまるで比べ物にならないほどの超大物だった。その光が港全体を包み、駐車場の隅から隅までを明るく照らし出した。そこで幸子ははっきりと見た。いるわいるわ周辺の建物の屋根や物見やぐらの上、そして車の陰からこちらを狙う、ライフルを構えた大勢のスナイパーたちを。
「幸子、慌てて動いちゃダメですからね。ゆっくり立ち上がって、両手を上げなさい」
ヘレナと妙子は手を離してくれたが、その隙に走り出すほど幸子は肝が据わっていなかった。沸き立っていた気持ちはすっかりしおれて、おとなしく言うことを聞いた。
ヘレナ、幸子、妙子は並んで、黒い車の一団と対峙した。車の中からどんな人たちがどんな顔をしてこちらを見ているのか、まったくうかがい知れない。スナイパーたちがどれほど本気でこちらを狙っているのかも、まったくうかがい知れない。とにかく三人は、にっこりと微笑み、こちらはまるで悪気はありませんよ、ということを仕草と顔面で表現して、精いっぱいアピールした。ほんの出来心で来てしまっただけなんです。この子(幸子を指さし)は何も知らなかったんです。どうかその銃口を下ろしてはいただけないでしょうか? そうしていただけたら、すぐに退散いたしますから。
そのとき、さっきよりもさらに大きな花火が、何発も同時に打ち上がった。滝のように降り注ぐ光を浴びながら、三人の女神たちは笑顔を作り、懸命に手を振った。月桂樹のティアラがきらめき、ベールが風ではためいた。幸子のドレスはピンクで、妙子のドレスは青、そしてヘレナのドレスは純白だ。大きな客船を背景に、女神たちは目を見張るような美しさだった。
もう一度、大きな花火が打ち上がった。その明かりで、スナイパーたちの銃口が下を向いたのがわかったので、ヘレナは妙子と幸子に小声で言った。
「三、二、一でゆっくり振り返って、そっと逃げましょう」
それからの十数秒間は、三人にとって生きた心地のしない、とてつもなく長い十数秒だった。それを遠くで見守っていたペーターとオットーにとっても同様だった。
「ごめんね、みんな」
行列に戻ったとき、幸子は泣いていた。臆病なんだか大胆なんだかわかりゃしない。ハイネマン家のみんなは呆れつつも、この困り者のことを憎めなく思い、むしろ愛しいとさえ思った。




