黄金の林檎・2b
エリザベス・エリジェンダの隣りに、上下を白で統一した、背の高いスカートスーツの女性が座った。その女性は濃い色の髪をひっつめて、後ろで丸くまとめている。どんなファンデーションを使っているのか、毛穴ひとつ見えない真っ白でガラスのような肌をしている。大人っぽい面長で、隙のない整った顔立ちだ。背筋もまっすぐと伸び、その所作からは体幹と意志の強さを感じさせる。
エリザベスは彼女が近づいてきたときから、それが自分を待たせていた人物だと直感した。立ち居振る舞いにまったく無駄がなかったからだ。メイクを頼むわけでもなく、衣装を直すわけでもなく、迷いなくエリザベスの横へやって来て、椅子に座るなり、その女性は言った。
「私はミスティ。会長の秘書です」
その声もガラスのように透き通っていた。「前を向いたまま、私の話を聞いてください」
エリザベスは、鏡越しにミスティの顔を見た。秘書はまったく感情を見せず、最低限の動作で、白いハンドバッグから小さな木箱を取り出した。それは手の平にちょうど乗る大きさで、一辺が四インチほどの立方体だった。
「これをあなたにお渡しします。本番まで、大切に保管しておいてください」
ミスティに渡された木箱を、エリザベスはひっくり返してみた。中で重いものがごとりと動くのがわかった。特に格調高いわけでもない、どこかの雑貨屋で売られているような素朴な木箱だ。蓋には滑らかな筆記体で「女神へ」と書かれている。
「見ても?」
と訊くエリザベスに、ミスティは「どうぞ」と答えた。
はめ込まれている蓋を外すと、柔らかな紙で包まれた丸いものが入っている。エリザベスは箱をさかさまにし、包んである紙ごと中身を手の上に出した。それは金属の重さと硬さを感じさせた。包み紙をめくると、中から黄金に輝く林檎が現れた。
エリザベスは興奮していた。指紋をつけないように紙に包んだまま、震える手で林檎を持ち、膝の上にそっと乗せた。
「開けてみてもいい?」
と訊くエリザベスに、ミスティは迷わず「どうぞ」と答えた。
最初はどうすればよいかわからずにまごついた。艶やかな林檎の表面には手掛かりになるようなものがまったくなかった。黄金の林檎には、目を見開いて不細工に映っている自分の顔しか見えない。それでもなんとか、あちこち触っているうちに真ん中の部分に細い溝を見つけた。さっきまで何も見えなかったところが大きくぱっくりと割れて、林檎は上下に口を開けた。中には大粒のダイヤモンドの指輪が入っていた。確かに事前に聞いていた通りの、最高級の指輪だった。
指輪に添えられているカードには、英語でメッセージが書かれていた。
“世界で一番美しい女神よ、私と結婚してください”
「もちろん」
と、エリザベスは小さく、力強く答えた。その顔には、誇らしさと幸福感が溢れている。エリザベスは、黄金の林檎を木箱に戻し、自分の黒いハンドバッグにそそくさと仕舞い込んだ。
ミスティは事務的に言葉を発した。
「会長からのお話がございます」
エリザベスのネビュラに、ソラリ・スペースライン・グループの会長、クリスチャン・バラードの柔和な顔が映し出された。白髪の老紳士は黒いパーティースーツに蝶ネクタイを締め、優しいまなざしで微笑みかけている。
「やあ、エリザベス、今日も君は美しいね」
「ありがとうございます」
と、思わず答えてしまったエリザベスに、ミスティはすかさず「大きな声をお出しにならないで」と割り込んだ。エリザベスは慌てて口を閉じた。
クリスチャンは微笑み、こう言った。
「大切なことだから、しつこいようだけれども、本番の段取りをもう一度おさらいさせてもらうよ」
エリザベスはうなずいた。クリスチャンは続ける。
「これから客船のパーティ会場で新商品発表のセレモニーが行われる。私の息子、アレクサンダーが新商品発表の舞台に立つのは、午後八時からの予定だ。ひときわ盛大な花火を打ち上げてから、いよいよ息子の登場となる。彼が発表する新商品とは、君が今持っている黄金の林檎だ。そいつには機械細胞の素子がめいっぱい詰め込まれることになっている。今はまだ見本だがね。
エリザベス、合図があったら、君はこの黄金の林檎を持って舞台に登場する。君は息子に林檎を手渡し、そのまま舞台に残る。
ここで息子は大々的な計画をぶち上げる。火星の惑星改造計画だ。黄金の林檎は、不毛な火星の大地にばらまかれる生命の種子となる。林檎から生命が芽生え、やがて火星を機械細胞で覆い尽くす。火星は第二の地球となるわけだ。
ひと通り発表を終えた後、息子のアレクサンダーは、実はもうひとつ発表しなければならないことがあるのです、と発言する。ここからが今回の山場だ。
エリザベス、君は息子からその林檎を渡される。渡されたら林檎を開け、中からカードを取り出し、メッセージを読み上げたまえ。今度は息子が、その言葉を繰り返す。君が『イエス』と答えたら、息子が君に指輪をはめる。
そうしたら、私が舞台に登場し、君と息子を祝福する。正式な後継者として息子を指名し、君と息子に未来を託す。そこで、このセレモニーは終わる。そういう流れだ。覚えられたかね?」
エリザベスは頭の中で何度も反芻したことを、小声で繰り返した。
「はい、私が舞台に上がったら、林檎をアレックスに渡す。私は残る。アレックスが私に林檎を渡す。私は林檎を開けてメッセージを読む。彼が私に指輪をはめる……」
クリスチャンは微笑んで、軽く片手を上げた。
「エリザベス、そんなに固くならないで、リラックスして本番に臨んでくれ。それでは、後でまた会おう」
通信が終わり、クリスチャンの映像が消えた。
秘書のミスティは事務的にこう言った。
「それでは、乗船いたしましょう。私がそばでお仕えいたしますので、何かありましたら、ご遠慮なくお申し付けください」
「よろしくお願いします」
立ち上がったエリザベス・エリジェンダは、思っていた以上に緊張して、自分の膝ががくがく震えていることに気づいた。




