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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二話「ヘラクレスとヒドラ(前編)」
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ヘラクレスとヒドラ(前編)・4

「大丈夫、何もしないよ」

 サトルは丁寧にアルミのシートを広げて、隙間がないように華の顔を覆った。

「ちょっと待って!」

 華がされるままでいるわけもなく、がばっと起き上ってサトルを押し退けようとした。ところが顔をシートで覆われていて何も見えない。むしり取ろうとしても、どこをつかんで剥がしたらいいのかわからない。息もだんだん苦しくなってきた。


 どこからともなくサトルの声が聞こえる。

「桃井さん、もう一度、今何時か見てくれる?」

「だから、時計なんて見えないんだって」

「本当に? ネビュラは操作できる?」

「できない。固まっちゃった」

「よし」

「何がよし、なのよ」


「今、僕らはネビュラから自由になっているんだ。アルミのシートが電波を遮断してくれているからさ」

「それで、どうしようっていうのよ」

 華はべそをかきそうになった。シートを剥がそうとしても、表面を虚しくひっかくばかりだ。

 サトルの声が聞こえる。

「僕も今、顔にシートを巻いている。だから僕らの話を、誰も聞くことができない。実は、ずっと前から、こういう機会を窺っていたんだ」


「どういうこと?」

「君は、グラス・リングの事故の生存者なんだよね」

 まったく思いもよらなかった言葉が現われて、華は一気に過去の記憶に引き戻された。その記憶は、龍之介の甘い思い出と一緒に大事に閉じ込めてある。温かなものが胸に広がって、華は穏やかに答えた。

「そうだよ」


「君はどう思う? グラス・リングのオーナーのクリスチャン・バラードは逮捕されることもなかった。ソラリ・スペースラインも潰れていない。あれだけ大きな事故だったのに、短い捜査で個人的な手抜き工事と断定されて、下請けの業者が何人か捕まっただけだ。おかしいとは思わないか?」

「私は別に……」

 確かに疑問が多い事故ではあったけれど、生き残った今は、誰も責める気にはなれない。自分にとってもあまりに大きな出来事すぎて、まだ整理できていないのだ。


「なぜバラードは逮捕されないのだと思う?」

「知らないよ。サトル君は、何か事故と関係しているの?」

「僕は何も……。ただ、海外にいる友達の家族が、何人か犠牲になっている」

「それで、君はどうしたいの?」

「僕は、こんな世の中は間違っていると思う。その間違いの根本を正したいんだ」


 なんだかサトルに自分と共通するようなものを感じて、華は少し安心してしまった。目的のために後先考えずがむしゃらになってしまうところが、自分に似ている気がする。もっと話を聞いてみたい気もする。

「あの……、サトル君、わかったから、このシートを取ってもいいかな? 息が苦しいし、ちゃんと顔を見てお話ししたいの」

「ごめん」


 サトルは華の顔からアルミのシートを剥がした。途端にネビュラが一斉に起動する、あの数字と記号のビッグバンが起きた。

「うう……、気持ち悪い」

 華は急いでアルミのシートを大きく広げ、体操マットの上に寝そべると、身体を小さくたたんでシートの中に潜り込んだ。またネビュラの電波が遮断されて、何も表示されなくなった。


 華はシートの中から呼びかけた。

「まだ余裕があるから、君も入りなよ。ついでに懐中電灯を持ってきて、顔を見てお話しよう」

 サトルは恐る恐る入ってきた。懐中電灯でお互いの顔を見合う。華はちょっと恥ずかしくなって、スカートの裾をしっかり脚に巻き付けた。

 サトルは赤い顔でマットに寝そべり、華と向き合った。懐中電灯はその間に置いた。シートに包まれた狭い空間で、顔が近くてドキドキした。


「それで、どうやって間違いを正すの?」

 華に訊かれて、サトルは真顔になった。

「桃井さんは、高等教育学校がどうして無償で運営できるのか、その仕組みを知ってる?」

「確か、国連がお金を出しているんだよね」

「その通り。では、国連にはどこがお金を出しているのか知ってる?」

「お金持ちの国でしょう?」

「そう、お金持ちの国がお金を出して、世界中の貧しい国の人たちも平等に高等教育が受けられるようになったんだ」

「良いことじゃない。何が問題なの?」


「それじゃあ、そのお金持ちの国をお金持ちにしているのは、誰だと思う?」

「企業でしょう?」

「そう、企業が利益を出すことで、国は豊かになる」

「それで?」

「企業は何で利益を出していると思う?」

 華にもなんとなくわかってきた。


「……宇宙?」

「そう、宇宙の資源さ。月や小惑星の採掘権は、先進国の大企業が独占している。国連に高い分担金を払うことで、世界中の人たちの不満を抑えている。やがて貧しい国からもちゃんとした教育を受けた優れた人材が現われれば、今の大企業の独占状態を解消できるだろう、という理屈さ」

「悪くはない気がするけど」

「問題は、資源に限りがあるのに、人間の欲望には際限がないということだよ。世界中で優れた人材が育つ前に、資源が取り尽くされてしまったら、その人たちには何も残らない。先進国の大企業は我先にと資源を取り合って、そのまま逃げを打つ腹なのさ」


「それで、私たちに何ができるの?」

 そこでつい「私たち」という言葉を使ってしまったことに、華はハッと気づいて、口ごもった。いつの間にか、サトルの話に強く引き込まれてしまっている。

「僕らはある概念で、彼らのことを呼んでいる」

「何と呼んでいるの?」

「ヒドラ、さ」

「ヒドラ?」

「そう、ギリシャ神話に出てくるヒドラは、頭を切り落としても、すぐに新しい頭が生えてくる。悪い奴らが捕まっても、すぐに悪い奴らが取って代わって、結局何の解決にもならないことと同じさ。よくあるだろう? 悪い政権をクーデターで倒しても、その次の政権が権力を握ったらまた同じ悪いことをするような、そういう不毛な繰り返しだよ」


「どうやって倒せばいいの?」

「頭を切り落としてもダメだ。本体に切り込まなきゃいけない。悪い奴らの本体を叩くんだ」

「本体って?」

「それはとても複雑で、ここで簡単に説明できるようなことじゃない」

「何よそれ」

「哲学の問題さ」

「哲学なら、私の……」

 妹の翼の名前を出しそうになって、華はすんでのところで引っ込めた。このことに妹を巻き込むのは危険だと、本能的に感じたからだった。


「それで僕らは、海外の仲間たちと一緒に秘密結社を作ったんだ。秘密結社の名は、ヘラクレス。ヒドラを倒した伝説の英雄だよ。僕らはギリシャ語をアレンジした暗号で情報をやり取りしている。数論幾何を応用しているから、まず誰にも解読されないという自負はあるよ」

「それって、つまりテロリストなの?」

「そんなわけあるかい。あくまで合法的なやり方で戦うんだ」


 そこまで話したところで、二人は無言になった。その先を、どう切り出したらいいかわからない。華も、サトルも、言うことはわかっているのに、それを口に出すことが怖かった。でも、華はそういうあやふやなものを一番嫌う性格だ。迷いを振り切って、華は言った。

「それで、私にどうしてほしいの?」

「僕らの仲間になってほしい」

「もし、それが彼らに知れたら? その……ヒドラに」

「ただでは済まないだろうね」


 私の将来はどうなる? 宇宙消防士になる夢は? 龍之介との約束は? 家族は? 今、必死になってやっている勉強も、運動も、何もかも台無しになる未来が待っているかもしれない。家族も友達も、好きな人も失うかもしれない。でも、なぜか、華ははっきりと断る踏ん切りがつかないでいる。ヒドラが何かは知らないが、世の中の間違いを正すという考えに、すごく興奮させられるものを感じるのだ。そこには本当の正しい未来があるような気がする。今の自分が従っている世の中のシステムとは別の、正しいシステムがあるように思えるのだ。


 華は言った。

「わかったよ。でも、答えるのは今じゃなくてもいい?」

「いいよ。明日の朝、またここで話せる?」

「明日の朝、答えられるように、今夜しっかり考えてみる。私は真面目に考えるからね」

「頼んだよ」

「うん」

 その返事を合図に、二人はアルミのシートを跳ね除けた。華の視界に、すぐに情報のビッグバンが襲ってきたが、そんなものにかまっている暇はない。制服の埃を払い、鞄をひっつかんで、華は駆け出した。

「じゃあね、芦高君!」

 手を振っているサトルの姿が、みるみる遠ざかっていく。



 ということで、今夜の華は難しい選択に迫られているのだった。頭をめいっぱい回転させて、自分の将来のことと、世の中のことと、家族と、そして龍之介のことを考えた。ベッドの中で一晩中、唸り続けた。

「華、具合でも悪いの?」

 と、母が心配して声をかけるほどだった。

次回、第三話「ヘラクレスとヒドラ(後編)」

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