黄金の林檎・1b
ガラパゴスの海に太陽が沈んでいく。真っ赤に染まった人工島が連なる海を、ボートに変形したリムジンは軽快に進んでいった。目指すはアメリカの人工島だ。
すでにお祭り騒ぎは始まっている。空には色とりどりの「共存」の文字が浮かび、さっきからしきりに花火が打ち上がっている。楽隊の勇ましい演奏に乗せて、「リパブリック賛歌」が歌われている。アメリカの南北戦争の時代に作られた、奴隷制度反対に命を捧げたジョン・ブラウンをきっかけとして生まれた曲だ。
「あらまあ、華やかね」
母・ヘレナは向かいの窓から見える景色に見とれている。母の両隣に座る妙子と幸子も、額のティアラが波の揺れで落ちないように両手で抑えながら、同じく外を眺めている。
「いい気なもんだ」
父・ペーターは苦々しく言った。
その隣りに座るオットーも苦々しい顔をしている。リムジンは車体の左右に長い座席を備えていて、そこに男女が分かれて向き合っているのだが、その表情はまったく対照的だった。
「まだ文句を言っているのね、お父さん」
ヘレナは音楽に合わせて身体を揺らしている。頭のベールもひらひら揺れている。
外を見る気にもならないペーターは、炭酸水の瓶を口に付けて、もごもご言っている。
「英国人が経営するアメリカの一企業のくせに、自分たちこそが世界を支えているんだと言わんばかりだな」
「せっかく招待を受けているんですから、文句を言いなさんな」
「奴らの皮肉だよ。俺は最初から文句しか言っていないのに、それをわざわざ招待するんだからな」
父・ペーターは医学者として、地元ドイツの新聞にソラリ・スペースライン・グループを批判する長大な論文をたびたび寄稿していた。宇宙開発が及ぼす人体への影響について、彼らはそれを軽視するよう世論を操っているという内容だ。
ヘレナはぴしゃりと言った。「会場で、もしそんな話題を出したら、ひっぱたきますからね」
たちまちしゅんとなる父の横で、オットーは難しい顔をしている。
「あの世界を巻き込んだ投票からたった二日で、こんなパーティを開けるなんて、用意周到というか、計画通りというか、なにもかも連中の都合で動いているとしか思えないけどな」
「まあ、いいじゃないの、オットー。多数決で決まったんですから」とヘレナ。
オットーは言った。
「多数決で決めるところまで、ずいぶんと都合よく進んだじゃないか。あの国連事務総長の演説だって、共存の方向へ持っていきたいのが見え見えだったしね。これで反対のほうに決まったら二度と機械細胞の開発は許さないなんて言われたら、少しは可能性を残したいと思うのが人間の心理というものさ。反対の側にいた人間が少しでも賛成に転べば、結果は大きく違ってくる。そして、実際にそうなっただろ?」
返事に困って、母は肩をすくめた。
そこに父が口を挟む。
「あの投票だって、本当に公正だったかどうだかわかりゃしない。いくらでもインチキできそうなもんだ」
「あなたは黙ってらっしゃい」と母は手厳しい。
やがてリムジン・ボートはアメリカの人工島に到着した。パーティ会場は港に停泊する大型客船で、招待客が全員乗り込むのを待ってから出航する手はずになっている。桟橋には大勢の着飾った人々がいて、すでに飲み物を手にしながら、乗船の案内が始まるのを待っている。「ソラリ・スペースライン・グループ新商品発表パーティ」の横断幕が空に大きく広がって、はためいている。
運転手が先に降り、後ろのドアを開いた。義母を先頭に、女性たちがまず外に出る。
「あなたたちを見たら、みなさん、さぞびっくりするでしょうね」
義母・ヘレナは息子の嫁姉妹の身支度に余念がない。キトンドレスの襞を整え、少し離れて左右のバランスを見る。
「私はここで未来の夫を見つけるんだ」
天野幸子はウキウキしながら言った。「せっかく最高のおしゃれをしたんだから、最高の男を捕まえなきゃ」
「幸子はもう少し、――いやたくさん、性格を直さなきゃいかんな。そんなによだれを垂らして獲物を狙っていたんじゃ、男どもはみんな逃げ出すぞ」
父・ペーターは嫁の姉をからかった。幸子は顔をしかめ、舌を突き出してそれに答えた。
「幸子、そんな顔しちゃいけません」とヘレナが叱る。
横でそれを眺めている妙子は、終始クスクス笑いが止まらない。笑うたびに額のティアラがずり落ちそうになる。
今のヘレナにとって、このティアラの収まりの悪さが一番の困りごとだ。姉妹でおそろいのこの月桂樹のティアラこそ、彼女たちを女神のように見せる最高の演出なのに。
オットー・ハイネマンは、人混みの中でパーティの案内係を見つけ出して、ヘアメイクができる場所を聞き出していた。戻ってきたオットーは言った。
「あっちのテントで化粧直ししてもらえるってさ」
「なら急がなくっちゃ」
義母・ヘレナに手を引かれ、姉妹の女神は仮設テントへと駆けていった。高いヒールではなく、かかとのないサンダルだったのが幸いだった。
それを見送る父・ペーターと息子のオットーは、並んで複雑な顔をしている。彼らは彼らで別の困りごとに向き合っていた。
「さて、今や世界を動かす一人勝ちの帝王、クリスチャン・バラードのお手並み拝見といこうか」
父は口髭を歪ませてつぶやいた。




