たんなる異性の限界内の友情(前編)・1a
第二部「ブラック・スワン編」
「私はなぜかおばあちゃんになっていて、龍之介に抱き着けってあんたに命令したんだ。そしたら、あんたは大喜びで抱き着きにいったよ」
千堂しのぶは軽い調子でそう言った。さっき見た夢の話をしている。
それを聞かされている桃井華は、今にもしのぶに絞め殺されるのではないかという恐怖で震えあがっていた。なんでもないことを話すような、しのぶの明るい口調が、かえって華の心の中に家宅捜索の捜査官のように、容赦なく踏み込んでくる。
消防宇宙船はゆっくりと地球に降りていった。一見するとゆっくりに見えるが、実は時速三万キロメートルで落ちている。地球の重力に引っ張られて、それ以上遅くできないのだ。
「大気圏に突入するけん、シートベルトばしんしゃいよ」
佐藤愛梨紗が前を向いたままみんなに呼び掛けたので、華としのぶは「うん」と答えた。華は後ろの席の天野妙子と夏木ユズをつついて起こし、ベルトを締めさせた。ユズが半目でぼんやりしているので、妙子が代わりにやってあげた。
前に向き直って自分のベルトを締めている華に、しのぶは夢の続きを話した。
「龍之介はあんたに、俺も君のことを愛してるんだ、愛おしくてたまらない、って言ってたっけ」
もう、ごまかしようがない。華と龍之介が機械細胞に取り込まれて同じ夢を見ていたとき、しのぶもまた一緒に溶け合って、同じ時間を共有していたのだ。
華は観念した。顔に血がのぼるような、逆に血の気が引くような、どっちだかわからないような気分で、返事を絞り出した。
「はい、その通りでございます」
ふふふ、としのぶは笑った。
「華、あんたと龍之介はお似合いだよ。不器用で変わってて一生懸命で。見ていて飽きないところがそっくり」
「そうかなあ?」
しのぶの本音は定かではないが、そう言われて悪い気はしない。ちょっと安心したので、華は悪気がないことを示そうと、しのぶに笑顔を見せようと思い、恐る恐る横を向いた。
しのぶはちっとも笑っていなかった。彼女は潤んだ真剣な目でこっちを見つめていて、今この瞬間、その目から一筋の涙が頬を伝った。
華は見てはいけないものを見てしまったと思い、急いで顔をそむけた。
しのぶは手の平で頬の涙を拭った。拭ったそばから次々と涙が溢れた。
「私はただの片思いだから、華は私に遠慮することないよ」
断熱シールドが大きく開く音で、会話がかき消された。逆向きのパラシュートのような薄いシートが消防宇宙船の底全体を包み、大気の圧縮熱で赤く燃え上がった。ごうごうという音が鳴り響き、耳がおかしくなりそうだ。
断熱シールドは何層にも重なっていて、それが一枚ずつ燃え尽きて剥がれていくことで、船を高熱から守ってくれる。やがて、完全にシールドが燃え尽きたところで、目の前の景色が大きな海に変わった。真っ青な海に向かって、船が高速で突っ込んでいく。
「旋回するけん、つかまっててね」
消防宇宙船は逆噴射の炎を吐き出しながら、海の上を斜めに旋回した。すべてが海だった景色の半分が、今度は空になった。
ほんの束の間、宇宙に行っていただけだったが、何年も離れていた故郷に戻ってきたかのように、地球は懐かしく感じられた。
しかし、華の心にはずっしりと重いものがのしかかっていた。龍之介のことと、しのぶのことと、どっちも同じくらい、華には大切なことだった。
消防学校の宿舎にようやく帰り着いたときも、まるで何年ぶりかに戻ってきたかのような懐かしさで胸がいっぱいになった。みんなで一緒に暮らしていたリビングの甘い匂いが、五人を優しく迎え入れた。
「ユズちゃん、出ていく前に片付けといてって言っておいたお菓子が、テーブルに出しっぱなしじゃない」
さっそく妙子が小言を言った。「虫が来ちゃうでしょ」
「ごめんごめん」
ユズが広げっぱなしになっていたビスケットやらチョコやらを紙の袋にざらざらと片付けていった。甘い匂いの正体はそれだった。
リビングを中心に、五つの個室が放射状に配置されている。リビングの一角にキッチンがあり、その対角線上にトイレと浴室がある。
妙子と愛梨紗はエプロンを着けて、すぐさまキッチンに向かい、食事の支度を始めた。今はまだ午前中なのだが、ろくに寝ていないし、アバター訓練前に昼食を取って以来、ゆっくり食事できていなかったので、がっつり腹に溜まるものを作るつもりでいた。
華は自分の部屋に荷物を放り込むなり、部屋着に着替えるのも面倒で、黒いボディスーツのままソファにひっくり返った。
「あらあら、お行儀が悪いですよ、華さん」
などとユズも言いながら、同じような格好でソファに身を沈めた。
「ご飯まで少し寝てたら」
妙子が優しく声を掛ける。
そんな会話を尻目に、しのぶは一言も喋らず、自分の部屋に直行して、扉を閉めた。
それから丸一日、しのぶは部屋から出てこなかった。




