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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二話「ヘラクレスとヒドラ(前編)」
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ヘラクレスとヒドラ(前編)・2

 華が通うことになる静岡県第一高等教育学校は、静岡駅を降りてすぐ、静岡県庁の真裏に広がる駿府城公園の隣りに建っている。広大な敷地に背の低い校舎がゆったりと配置され、緑の多い、開放感のある作りになっている。

 慣れない都会でまごついた華は、学校の手前でようやく明美たちいつもの三人に追いついた。みんなは公園を囲むお堀端で待っていた。お堀の桜は満開だ。


「あやうく初日から遅刻は免れたな」

 そう言って、明美は華の荷物を持ってやった。ぜいぜい喘ぐ華は、走ってあちこち引っかけて汚してしまったスカートをはたいた。

「ごめんごめん、ネビュラの調子が悪くて」

「どんなに道具が便利でも、使う人間の問題か」

「華も結局スカートにしたんだ。あれだけ怖がってたのに」と沙織。

「時間がなくてとっさにつかんだのがこれだったの」華は喘ぎながら言った。

 しかし、その偶然が幸いして、四人は同じスカートの制服で統一できた。


「なんだかんだ言って、やっぱりこっちのほうがかわいいじゃん」

 と、沙織はほどいた髪をふわりと揺らしながら一回転した。チェックのスカートが大きく広がる。ボリュームのある臙脂の縞のネクタイが胸を飾って、新入生らしい初々しさを放っている。

 華は髪がちょっと伸びていた。高校入学を機に、もっとおしゃれしようと考えている。スカートを初めて穿いてみたのも、その挑戦の一環だ。


 お堀の桜を眺めながら歩き、校門まで来ると、他の新入生たちも大勢来ていて、広いはずの入口がごった返している。制服を着ている生徒たちの中に、私服の生徒もいた。私服とは言ってもそれなりに学校の規律に合わせたものだ。本当は私服も制服も自由なのだが、毎日着るものを考えなくてよく経済的な制服のほうを選ぶ生徒が最近は多い傾向にある。

 高等教育学校には入学式がない。世界共通でシステムが組まれていて、生徒の自主性を重んじるようになっている。保護者が同伴するのは義務教育の中学校までで、ここから先はすべて生徒自身が決めていく。


 広い受付にいくつもの行列ができていた。天井は高く、明り取りの窓から朝日が気持ちよく差し込んでいる。端から端まで百メートルくらいあろうかと思われるカウンターには、数十人の職員がずらりと並んで生徒たちをさばいていた。

 どこに行ったらわからなくておろおろしている華の腕に、美保が巻きつくようにしがみついた。

「私たちは、あっちの教室に行こうよ」

 生徒は自分たちで行きたい教室を選べるようになっている。華たち四人は、とりあえず手近な列に並んだ。手際のよい職員が次々と生徒に指示を与えて教室へ送り出していくので、思ったよりも順番が回ってくるのが早かった。


「志望する進路は決まっていますか?」

 職員からの質問の一発目がいきなりそれだったので、華は驚いた。しかし、もちろん華は、周りに聞かれることを気にもせず、堂々と答えた。

「志望する進路は、宇宙消防士です」

 その若い男性職員は表情一つ変えず、手元のパネルをいくつか操作してから、こう答えた。

「それでは、このカリキュラムを履修してください」

 そう言われた直後、華の視野に、履修科目のリストが上から下へスクロール表示された。現代文や英語や世界史や物理といった、よく知るものから、材料工学や流体力学や機械構造設計といった、見たこともないようなものまであった。フランス語と中国語も必修になっている。それと、体育の必要単位が異常に多い。それがずらずらずらずらと滝のように流れた。流れ終わるまで十秒以上かかった。ざっと百前後はあるように思える。宇宙消防士になるのは大変だとは聞いていたが、これほどたくさん勉強しなければならないとは思わなかった。


 職員は言った。

「授業のスケジュールは自由に決めていただいて結構です。ただし一週間前までに申し込みをお願いします。今週分はすでに組まれていますので、それを受けてください」

「あの……」

 華は恐る恐る訊いた。「これを全部、五年間で習うんですか?」

 男性職員は表情一つ変えず言った。

「正確には四年間です。五年目はインターン実習に当てられますから」

「はあ……」

「これが、授業で使うタブレットです」

 白くて飾り気のない長方形のタブレットを渡され、華は慌てて受け取った。裏に赤で番号が振ってある。


「教室はあちらになります」

 職員がさっと手を上げて促した方向に、教室を示す赤い矢印が立体的に浮かんだ。それについて行けば辿り着けるようになっているようだ。

 華はずっしりとのしかかる緊張で気分が悪くなった。宇宙消防士と言えば、もっとも危険でもっとも鍛錬を必要とされる職業だ。龍之介の手伝いをしたときのような手軽さでなれるような職業ではない。それはわかっていたつもりだったが、いざそれになるために必要な科目のリストを見せられると、突きつけられた現実に、胃の奥から込み上げてくるものを感じるのだった。


「ほら、道を塞がない」

 後ろから明美にせっつかれて、華はようやく重い足を前に動かした。そして、気持ちを新たにした。そうだ、私は、こんなことでくじけるほど弱い人間じゃないんだ。現実が私を押しつぶそうとするなら、私は逆にそいつをむしゃむしゃ食べてやっつけてやるんだ。そう思うと急に気分が良くなって、軽やかに前に進むことができた。



 それは教室と呼ぶにはあまりにも奇妙な景色だった。小さな個室が一人一人に割り当てられていて、ドアを開けると机と椅子があり、その横に荷物を置く棚と貴重品を入れるロッカーがあり、それだけで部屋はいっぱいだった。壁とドアは防音で、鍵がかけられるようになっている。机に座ると、真正面は白い壁だ。

 華はさっき受付でもらったタブレットを机に置いた。それ一枚で教科書とノートを兼ねている。画面を叩いて操作を覚えようかと思ったところで、いきなり目の前の壁に教師の顔が現われた。


 眼鏡をかけた、ちょっと年配の女性の教師の顔のアップが映って、華はぎょっとした。

「もうだいぶそろったようですが、まだいらっしゃらない方もおられるようですので、とりあえずあなた方のお顔を拝見させていただきます」

 そう言うなり、教師の顔の周りを囲っていた枠が拡大し、華を飲み込んだ。華は思わず画面に食べられるのではないかとびっくりして、もう少しで椅子からひっくり返るところだった。


 華は突然、小さな個室から大きな教室に移っていた。実際はネビュラを通してそう見えているだけで、華はまだ個室にいるのだった。横や後ろを見ると、明美と沙織と美保が自分の周りに席を確保していた。

「よう、華」

 と沙織が手を上げたので、華も手を上げて答えた。これもまた、あまりにも奇妙な景色だった。手を伸ばせば届きそうなほど近くに友達がいるのに、実際に手を伸ばすと見えない壁にぶつかってそれ以上近づけない。


「あの先生、じろじろこっちを見てるよ」

 美保が言うので正面を見てみると、眼鏡をかけた年配の女性教師がじっとこちらを観察している。紺色のスーツ姿で、糊のきいたシャツを着て、糸くず一つない几帳面ないでたちだ。後ろの黒板には、白い文字で「安藤和子」と書かれていて、「あんどうかずこ」とルビが振ってある。

「あの人が担任なんだ。なんか性格きつそうだなあ……」

 明美が心配そうに呟いた。そして、ネビュラで聞かれているのではないかと警戒したのか、すぐに口をつぐんだ。


 やがて教室が生徒でいっぱいになったので、安藤先生は教卓に両手をついてみんなを見渡した。ざわざわしていた生徒たちが静かになった。

「みなさん、入学おめでとう。このホームルームであなたたちを担当する安藤和子です。今日、あなたたちはたまたまここをお選びになりましたが、私に不満があれば他の先生のところに行かれても構いません。選択はあなたたちの自由です。高等教育学校は何も強制せず、あなたたちの自主性に任せています。あなたたちは将来なりたい目標を見据えて、自主的に努力を重ね、成長していってください」

 そうだ、ここは小学校や中学校とは違うんだ。中学生みたいなノリで先生の文句を言う場所じゃないんだ。見るもの出会うものすべてが新鮮で、華は気持ちを整理するのが大変だった。


 安藤先生は話を続ける。

「ホームルームではあなたたちの学校生活をサポートします。一日の最初と最後に、ここで連絡事項をお伝えし、何かあなたたちの中に心配事や相談などがありましたら、なんなりと受け付けます。みんなで話題を共有したいと思えば、ここで話していただいて結構ですし、個人的に話をしたいと思えば、個々に話を伺いたいと思います」

 安藤先生は最初のイメージとは違う柔和な表情で、生徒たちをあらためて見渡した。

「私はみなさんに大きな期待を抱いています。どうかこの場所で、将来のために大きく力をつけてくれますよう、大いに祈っています。それでは、それぞれの勉強を始めてください。朝のホームルームは以上です」


 安藤先生はわざわざ教室のドアから外に出ていった。そこで誰かに会釈した。入れ替わりに、難しい顔をした中年の男性教師が入ってきた。ちょっと肉付きがよくて、目がぎょろっとしている。

 一時間目は「現代文」。宇宙消防士になるためのカリキュラムのリストの一番上に出ていた必修科目だ。全員に共通して必修なので、明美たちとも一緒に受けられる。授業の内容は思ったよりも普通で、中学校の延長みたいなものだったので、華はなんだかホッとした。いきなり航空宇宙工学がどうとか言われたらどうしようかと思っていた。

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