私、ずーっとずーっと前から……・4a
華はプロメテウス号を見上げ、桟橋にいる龍之介たちの動きを追っていた。
妙子は、救助した乗組員たちが航空宇宙自衛隊の輸送艦に乗せられていくのを見送っている。しのぶはユズと一緒に、めったに見られないクロノ・シティの裏側を珍し気に眺めている。そして華は、愛梨紗と手を繋いで上を見ていた。
華たちはクロノ・シティのガラスのドームの底の部分にいる。ガラスのドームは上下から潰した球のように楕円形をしていて、それがクロノ・シティ全体をすっぽりと覆っている。その底面は、人々がごったがえす華やかな上面の都市部とは対照的に無骨な作りになっていて、主に貨物船が出入りしたり、今回のように軍の関係の船が停泊したりするのに利用されている。
プロメテウス号はドームの側面から突き出る桟橋に横付けしているので、華は斜め上を見る形になる。華たちの新造の消防宇宙船はドームのガラスの内側にいて、プロメテウス号はガラスの外側にいる。
分厚いガラスが隔てているはずなのに、プロメテウス号から何かが落ちてきて、それが華の手の甲に当たった。それは手袋ごしにも感じることができた。ぽつっ、と軽い、雨のしずくのような感触に気づいて、華は手の甲を何気なく見た。
それはラメのような光沢のある粒を含んだ液体だった。華は化粧をまったくしないので詳しいことはよくわからないが、これに似たようなものを目の周りに塗ったりしている広告を見たことがある。手袋をはめた手の甲をひらひらさせると、角度によって金になったり銀になったり、青くなったり赤くなったり、不思議に色が変化する。
何気なく隣りの愛梨紗の顔を見ると、彼女の頬にも同じキラキラする液体がぽつぽつと付いていた。
「愛梨紗、それ、なんだろう?」
愛梨紗は何も気づかず、ほえーっという顔をしている。
華は、愛梨紗の頬から液体をぬぐった。指先に付いたそれは、何か微妙に「動いて」いた。
全身の毛が逆立つような、野性的な本能が華を突き動かした。すかさずプロメテウス号を見上げると、それは変わらずそこに巨大な黒い船体を横たえていたが、何か微妙に「歪んで」見えた。どう歪んでいるのかわからないが、さっきとは何かが違う。
「愛梨紗、みんな、妙ちゃんも、急いで船に戻って!」
華は叫びながら、愛梨紗の顔の液体を袖でごしごしと拭った。拭ったが間に合わなかった。それはどんどん上から降ってきて、今や全身あらゆる部分に降り注いでいた。
宇宙都市に雨が降るはずがない。その場にいる全員が即座に異常に気付き、身を隠せる場所に走った。しかし、ドームの分厚いガラスを突き抜けるような物体に対しては、どこに逃げ隠れしようと意味のある行動とは言えない。
もう間に合わないかもしれないと思ったが、それでも華はヘルメットをかぶった。みんなにも急いでヘルメットをかぶるように手振りで示した。そうして消防宇宙船のハッチに駆け込んだ。五人全員が狭いエアロックを抜けて船内に転がり込んだとき、すでにあらゆるものが光沢のある液体で濡れていた。触るとそれはぬるぬると伸びて広がった。消防宇宙船の頑丈な装甲を突き抜けて、液体は船内に入り込んできた。それにもかかわらず、どこにも穴は開いていないし、損傷があるようにも思えなかった。
龍之介さん!
とっさに華の頭に浮かんだのは、龍之介が無事でいるかどうかということだった。あのプロメテウス号の一番近くにいる龍之介が、この液体を一番もろに浴びているだろう。
「愛梨紗、動かせる?」
エンジンを始動させると、頼りない挙動を示しながらも、なんとか推進力を得ることができた。
「ユズ、離陸許可をもらって。急いでドームの外に出なくっちゃ」
「了解!」
威勢よく返事したものの、ユズと管制とのやり取りはなかなかスムーズにいかなかった。現場の混乱のせいか、機器の故障のせいか、要因はいろいろ考えられる。通信が途切れ途切れで、いつまで経っても返事がもらえない。
許可を待っていても埒が明かないが、だからといってガラスのドームを突き破って外に出るわけにもいかない。ガラスに体当たりしたところで、おそらく消防宇宙船のほうが大破して終わるだろう。
「龍之介さん!」
華の叫びが、桟橋の上にいる龍之介のネビュラに届いた。
桟橋はチューブ状のガラスに覆われていて、桟橋の先端がプロメテウス号の側面とドッキングしている。龍之介は仲間の源吾と一緒に、ガーンズバック船長と森田和夫を米軍に引き渡している最中だった。大勢の宇宙軍の軍人たちがそばに立っていた。一般人はもちろん、そこに入ることはできない。
アルファ・チームの消防宇宙船と、小山隊長とシェリー・デスティニーが乗る司令船は、桟橋にはドッキングせず、ドームの外側に並んで待機していた。
それらすべてを飲み込んで、液状化したプロメテウス号は一気に何倍にも膨張した。輝く金属の粒を含んだ液体は、太陽や都市の明かりを照り返し、宇宙を明るく覆っていく。ガーンズバック船長が船を降りるのを待ち構えて、今まさにそのときがやって来たとパンドラは考えたのだろうか。
地球と、遠く離れた星や宇宙ステーションにいる人々が、同時にその光景を見ていた。光の速さのタイムラグはあるものの、およそ百億の人間が同じ瞬間を体験した。
「しのぶさん、なんとかならないかな?」
華はすがるような思いでしのぶに訊いた。何か外に出る手立てがこの船に備えられているのではないかと期待したのだ。しのぶのほうだって、思いは一緒だった。だから必死で考えた。
そこであるアイデアがしのぶの頭に浮かんだ。
「船は通れないけど、人間くらいのサイズなら緊急エアロックを通ってドームの外に出られるかもしれない」
「でも、外に出て、どうやって桟橋まで行くの?」と華。
「ポリーを使うのさ」
アシスタントロボのポリュペーモスは、この船の船底に格納されている。華はその存在を今の今まで完全に忘れていた。彼はアルミ合金のパイプを直方体に組んだだけのシンプルな構造のロボットだ。その骨組みの中に人間が入り、彼の推進力を使えば、龍之介たちがいる桟橋まで辿り着けるかもしれない。
「私が行く」
華はすかさず言った。
「私も行くよ」
しのぶも言葉をかぶせるように言った。「救助は二人一組が基本だからね」
華はこのとき、しのぶのことを恋のライバルではなく、唯一無二の仲間だと強く感じた。それはもしかしたら、恋愛感情よりも強い結びつきだったかもしれない。それが華の心を励まし、元気づけたのだった。
「行こう、しのぶさん」
それから華は他のみんなにも言った。「愛梨紗、緊急エアロックへ向かって飛んで。ユズは私たちが出ていった後、他に出口がないか調べて。妙ちゃんはこの変な液体の身体への影響を確かめて」
それぞれが自分の持ち場につき、この新しい任務に取り掛かった。自分たちがやろうとしていることがどんな意味をなすかは誰にもわからない。それでもやってみるだけやってみなければ、自分がここにいる理由がないではないかと、ただそれだけの思いで、五人は動いていた。




