私、ずーっとずーっと前から……・3b
頭の中の音楽が止まった。プロメテウス号は物音ひとつ立てず、クロノ・シティのガラスのドームにへばりつくように停泊した。都市と見比べてみると、その巨大さに圧倒される。細長く黒い船体が色とりどりの街の明かりに照らされることで、異様さがさらに際立つ。
ガラスのドームの外周にはたくさんの桟橋が放射状に突き出している。そこには何時間も前からたくさんの避難民が殺到しており、消防宇宙船がひっきりなしに行き来してもとても全員は乗せきれない。そこにプロメテウス号が来航したものだから、人々はもはやこれまでと、諦めに似た気持ちで呆然と宙を見上げていた。
その様子はアンカーたちによって地球や他の惑星にも伝えられた。
静岡で避難シェルターに隠れている桃井翼は、同級生の白石智香と一緒に、ネビュラに映る中継に見入っていた。そばには翼のおじいちゃんやおばあちゃんたちもいて、ボーイフレンドの上田麟太郎もいた。麟太郎は健気に翼を守るつもりでそばに寄り添っているのだった。
シェルターの天井は立ち上がると頭がぶつかるほど低いので、みんなは這いつくばるようにして動き回ったり、寝転んだりしている。何百畳という畳が敷き詰められていて、果てが見えないほど広大で、間接照明で薄暗くて、そこに老若男女(七割が年寄りだが)が息を潜めている様は、なんだか秘密基地みたいでワクワクするねと、麟太郎は無邪気に言った。
「麟くん、お姉ちゃんが今どこにいるか探してよ」
翼は無茶なことを言う。
クロノ・シティには縦横無尽にドローン・カメラが飛び回っており、避難を急ぐ大群衆の顔を次々と映し出しては、世界中で心配している親類や友人たちをやきもきさせていた。
オレンジ色の防護服を着た宇宙消防士たちは何百人といて、整然と現場を駆け回っては人々を混乱と暴動から守っている。彼らは目立つ色の服装だからひときわ目についた。
妹の翼が一生懸命姉の姿を探している頃、当の姉は大群衆を避けてガラスのドームの底の部分にいた。そこに航空宇宙自衛隊の輸送艦が待機していて、プロメテウス号の乗組員たちを乗せる手はずが整っていた。
ここは新鮮な空気が満たされているので、ヘルメットを脱いでいられる。
ベッドに固定されたままの乗組員たちが、自衛官たちの手で運び出されていく。それには妙子が最後まで付き添って、それぞれの病状や治療法についてのデータを自衛隊の衛生員に引き継いでいった。
救助された十人の乗組員たちはこれから、航空宇宙自衛隊に護衛されて地球へと帰還する。他の避難民に混じるとどんなトラブルが起きるかわからないので、この輸送は極秘だった。
白衣を着た黒人のトリー・ランスは、妙子との別れを惜しんだ。
「ありがとう妙子さん、あなたのような優しい人に出会えて、私は救われた」
他の乗組員たちの気持ちも同じだった。妙子の細やかな気遣いは、彼らの恐れや不安を包み込み、平穏を与えてくれたのだ。その優しさは、このような異常時には特にありがたいものだった。
「私たちだってお世話してあげたじゃない」
と、ユズは不満顔だ。
「あんたには、妙子の聖母のような包容力の欠片もないもんね」と、しのぶはからかう。
ユズはますます顔をしかめる。
華はなんだか可笑しくて、ユズのそんなふくれっ面もかわいく思えた。
笑っている華の手を、愛梨紗の小さな手がぐいっと引っ張った。
「なあに? 愛梨紗」と、華は微笑む。
「これからどうすっと?」
「そうだね、龍之介さんたちが船長たちを無事に降ろすまで、とりあえず様子をみようか」
しのぶがそれにつけ加えた。
「イ‐6800も無事に地球に送り届けなきゃいけないしね」
そうだった、すっかり忘れていた。華たちの新造の消防宇宙船には、まだ高価な骨董品のスペースプレーンがドッキングしたままになっていたのだ。あのデブリの嵐の中で無事でいられたのは奇跡のようなものだが、なんだかあれで運を使い果たしたようで不安でもある。
はるか上空のプロメテウス号から、ようやくガーンズバック船長と森田和夫が現れるのが見えた。龍之介と源吾がそれに付き添っている。彼らは桟橋に立って、名残惜しそうに船を振り返り、何かを語り合っていた。
このときまでは、すべてが平和だった。何も大きなことは起こらないと、人々が信じそうになっていた、そのとき、世界は一変した。




