アバター訓練(後編)・3
探査スコープがプロメテウス号の通路を突き進んでいく。暗闇をライトが照らし、センサーが働いて、人の気配、漂う物質、振動や温度の変化などを観察していく。貨物船は航行の間、船の情報を逐一管制に送信しているので、通信が途絶える直前までの積み荷の種類と重量などの詳細をリストで確認することができた。そうやって壁の向こうの船室の様子までもを細かく調べられる。船体には背骨のように中央通路が通っていて、そこからすべての貨物室に探査スコープを走らせることができた。特にプロメテウス号のような大きな貨物船の場合、緊急時の捜索や救助に支障が出ないように、設計の段階から厳しく規格が定められている。背骨のような中央通路や、シンプルな船室の配置なども規格の通りだ。
不思議なことに、積み荷にはほとんど新しい変化は見られなかった。船に侵入してくるものに対してはあれほど激しい分解反応を示すにも関わらず、積み荷に対するダメージはまるで確認されない。船の中に存在する謎の物質が、攻撃する相手を的確に選り分けているように思えた。まるで体内に侵入した病原菌を攻撃する人間の免疫反応にも似ていた。
ユズのネビュラには船の図面が映し出されており、捜索の済んだ区画を青で表示している。未探査の部分は黄色で表され、それが青で塗り替えられていく。それが三割ほどに達したところで、しのぶがあることに気づいた。
「不自然な空間が何個かあるみたいだよ」
「どんな風に不自然なんだ?」龍之介がすぐに訊いてきた。
「大体の部屋は図面とリストの通り、積み荷の種類と重量は変わらないんだけど、これまで調べたうちの四つの部屋だけ、少し違うみたい」
「人間がいそうな感じか?」
「いや……、それほど大きな違いじゃないんだ」しのぶは言葉を濁した。
龍之介はすぐに、アルファ・チームの宇宙船技師の菊池源吾にも訊いてみた。
「西郷さん(あだ名)、何かわかるか?」
「人間ほど大きくないんだが、それぞれの部屋に十キロから二十キロくらいのリストにない物体が確認できる。それも一か所でなく、部屋中に散らばっている感じだな」
それを聞いて、華は仲間たちと顔を見合わせた。龍之介は誰かが何かを言い出す前に、きっぱりと言った。
「とりあえず捜索を続行するんだ。すべての部屋を調べてから、次の行動を決める」
捜索を続けている間に、アルファ・チームの通信士の犬養守は、最寄りの消防衛星と通信を行った。先の捜索で遭難船から採取したサンプルのデータを送って、分析を依頼していたのだ。その返事がようやく返ってきた。
ところが、消防衛星の指令室からの答えは実に奇妙なものだった。
「送られてきたデータは特殊事案ゆえにガラパゴス日本区航空宇宙消防本部に問い合わせを行っているところです。分析結果をお知らせできるのは、その確認次第となります」
「特殊事案とは、どういうことですか?」守は尋ねた。
「それはちょっと……、こちらではお答えしかねる事案でして」
「人命にかかわる緊急事態ですよ」
「もうしばらくお待ちください。最優先で対応いたしますので」
捜索は淡々と進んだ。リストに記載されていない、謎の物体が散らばっている部屋はその後も次々と見つかった。その物体の重量の合計は全体でおよそ五百キログラム強といったところで、成人男性七人分の体重の合計とほぼ一致した。
「生命反応は確認できるか?」
捜索が始まってからずっとデータに目を走らせていた妙子は、首を横に振った。
「まったく確認できません」
「そうか」
貨物室の捜索が終わると、今度は船首のコントロール室へと移った。コントロール室と貨物室の間は厚い防火隔壁で仕切られていた。この隔壁は緊急時にのみ閉じられることになっているはずなので、誰かが操作して、ここを閉めたらしいことがわかる。この壁の向こうなら、もしかしたら生存者がいるかもしれない。そんな希望をみんなは抱いたが、それが否定されるのを恐れて、誰も口には出さなかった。しばらくみんなは黙った。
龍之介の声が沈黙を破った。
「しのぶ、隔壁を開けられるか?」
「手動なら開けられるけど、誰かが中に入る必要があるよ」
防火隔壁は船の機能が失われても手動で開け閉めできるようになっている。
「桃井、中に入る人間を二人選べ」
「はい!」華は仲間たちの顔を見渡した。
「それから佐藤」
「はーい」愛梨紗の声が答えた。
「要救助者用に、与圧服と簡易エアロックの準備をしておいてくれ」
「了解!」
あくまでも希望は捨てない。龍之介のその気持ちに、華もしっかり応える決意をした。恋のライバルとかなんとかはこの際関係ない。
「しのぶさん、私と一緒に中に入ろう」
「わかった」
アシスタントロボのポリーが、自分の胴体から必要な機材を取り出した。
華としのぶは、シグラム・ジェルのタンクを背負った。そのタンクは分厚い板のような形をしている。その表面は薄くてやや硬質の泡で何層も覆われていて、遭難船の中の分解作用に対抗できる。
アバターであって、生身ではないとはいえ、この不気味な宇宙船に入っていくのはさすがに勇気がいる。ブラボー・チームの面々はすっかり忘れているのだが、今でも地上のアバター訓練室では前田六郎教官とスタッフたちが、五人の様子を片時も目を離さず見つめていた。前田教官はコーヒーを差し出されても、それを手に持ったまま一度も口をつけることがなかった。すっかり冷めたコーヒーを持ったまま、意識は五人の訓練生と接続されたネビュラに集中していた。
そのアバター訓練室に、突如として予期せぬ人物が現れた。その人物は、部屋に入るなりまっすぐに教官目指して歩いてきた。現役消防官らしいきびきびした足取りだ。
「前田教官、少し話をさせてほしいのだが」
「なんでしょうか?」
前田教官は斜め上のモニターとネビュラを交互に見ることに集中していて、背後にやって来たその人物を振り返りもしなかった。モニターには、今まさに遭難船に乗り込もうとしている華の視点が映し出されている。
「前田六郎消防司令!」
その人物は厳しい声で、教官を階級で呼んだ。思わず前田教官も慌てて振り返った。そこにいたのは、ガラパゴス日本区航空宇宙消防本部のトップ、大島守克消防本部長その人だった。まだ現場で働いていたときのままの引き締まった身体を維持している。
「はっ、大変失礼いたしました! ――本部長、いかがなさいました?」
消防学校に隣接しているとはいえ、わざわざ消防本部から本部長本人が出向いてくるというのは、ただ事ではない。教官が本部長室に呼び出されて、こちらから出向くというのが本来の形だ。
「緊急の話がある。少し二人だけで話ができないか?」
拒否できるはずがない。
「わかりました」
それから教官はスタッフに向かって言った。「何かあったらすぐに呼びに来るんだぞ」
アバター訓練室の隣りの狭い休憩室に、急いで応接間が作られた。一番上等な椅子が、数人がかりで消防本部長のために運ばれてきた。それをじりじりしながら待っていた大島本部長は、椅子に座るなり、こう切り出した。
「今すぐアバター訓練を中止したまえ」
「は? これは訓練ではありませんよ」
「消防総監から私に直接命令が来た。日本政府の決定だ」
「しかし、これから生存者を救助しようという段階です。ほんの数分のことです」
そこは大島本部長も消防官の端くれらしく、まったく耳を貸さないこともなかった。
「生存者がいる見込みはあるのか?」
「それは……、まだこれから隔壁を開けてみないことにはわかりません」
「あまり時間がかかるようなら、中止を命じざるを得なくなる。現場に直接訊いてみてくれ。あと三分くらいなら待てる」
前田教官は休憩室を飛び出して、転がるようにアバター訓練室に駆け込んだ。
「捜索はどこまで進んだ?」
「簡易エアロックを設置して、隔壁を開けたところです」スタッフの一人が答えた。
「生存者はいたか?」
「これから調べるところです」
前田教官は、龍之介のネビュラに語りかけた。
「こちらアバター訓練室の前田です。三国君、どんな塩梅ですか?」
「今、コントロール室の捜索に入ったところです。どうかしましたか? もしかして、アバターを船に入らせたことがまずかったとか?」
「いや、それは問題ありません」
「それならよかった」龍之介の声は心底安堵していた。
前田教官は単刀直入に言った。
「ですが、生存者の発見の見込みが立たないようでしたら、捜索を中止させなければならない事情が出来ました」
「事情ですか?」
「政府の決定だそうです」
プロメテウス号遭難に関して、様々な国や組織が関与していることは、あらかじめ龍之介も把握していた。そこから横やりが入ることは予想できていたことだ。
龍之介は華のネビュラに意識を戻した。少しだけ目を離した隙に、事態は急転していた。龍之介の目に、そして、もちろん華の目にも飛び込んできたのは、一人の生存者の姿だった。すかさず乗員リストと照らし合わせたユズの声が、現場と、アバター訓練室にいる全員、そして、大島消防本部長の耳にも届いた。
「グレゴリー・ガーンズバック船長です! 意識ははっきりしています! これから船長を連れて、船の外へ向かいます!」




