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アバター訓練(後編)・2

 プロメテウス号の船首部分には、すでに一度大きな穴を開けて塞いだ跡があった。コントロール室の外壁をドア一枚分ほど長方形に切り取って、それを再び閉じて溶接してある。ついさっき、アルファ・チームが捜索を行ったためだ。溶接痕があちこちはみ出したり太さがまちまちだったりしている様は、いかに龍之介たちが大急ぎで壁を塞いだかを物語っている。


 日の光が当たる側は作業が困難なほど高温なので、華たちの消防宇宙船は日陰の側に回り込んだ。黒く塗装されたプロメテウス号は、消防宇宙船からのライトで照らされた部分を残して、全体が暗闇の中に溶け込んでいる。これほど近くにいるとその全貌が把握できない。

「こんなにでっかい船を見るのは初めてだよ」

 しのぶの声が興奮で震えている。


 華のネビュラに龍之介の声が響いた。

「さっき俺たちが開けた穴の辺りは、危ないから触るんじゃないぞ」

 長方形の溶接痕を指でなぞろうとしていた華は、慌てて手を引っ込めた。

「ここから先は簡単には入れない。生身の人間は特に。そのためにお前たちを呼んだことを忘れるな」

「はい」華は答えた。

 不思議なことに、ここちよい緊張を華は感じていた。これまでたくさんの訓練を積み重ねてきたおかげで、まったく勝手がわからない現場にも関わらず、華の頭はすっきりとして、目の前のことに集中することができた。


 華、妙子、しのぶ、ユズの四人は、分厚いダウンジャケットのような防護服を上下にぴっちりと身にまとっている。色はいつもと同じオレンジだが、普段の防護服よりも何倍も分厚い。まるで羽毛布団を身にまとっているようだ。密度を極限まで下げたエアロゲル繊維でできたそいつは驚くほど軽く、どんなに細かい作業でも邪魔に感じることがない。これは訓練でもまだ使ったことがないものだ。

 四人の身体には白い命綱が結ばれており、それらは消防宇宙船の船腹の穴を通って、それぞれ別の巻き取りドラムに繋がっている。この命綱は、華たちのアバターを動かすための信号を伝えるケーブルにもなっている。


「いちいち説明している時間がないから、作業しながら教えるぞ。心配するな。お前たちが知るべきことはしっかり教えてやる」

 龍之介がそう言うと、華たちのネビュラが勝手に動き始めた。龍之介が操作しているのだ。視界の端のほうで、宇宙消防士用プログラムの窓がめまぐるしく展開したり閉じたりしている。やがて一つの画面で止まった。そこには人間の簡略化された全身像が描かれている。

「これから、シグラム・ジェル(高濃度有毒ガス及び放射性物質遮蔽ジェル)を使う。全身にまんべんなく広がったかどうか、お互いにチェックし合うんだ」


 ネビュラに描かれた華たちそれぞれの全身像がピンク色に点滅した。その数秒後に、華たちの防護服から、汗が噴き出すようにピンク色の透明のジェルが湧き出してきて、たちまち全身に広がっていった。

「隙間はできていないか?」龍之介が訊いた。

 華たち四人は、腕を上げたり股を広げたりくるくる回ったりして(派手に動いているのはもちろんユズだ)、隙間がないかどうかを入念に調べ合った。

「大丈夫です!」華が答える。


「宇宙船の佐藤、アシスタントロボの準備は済んだか?」

 愛梨紗は消防宇宙船の操縦席に一人で残っている。

「いつでも行けます」と愛梨紗の高い声。

「ようし、それじゃあ、射出してくれ」

「了解!」という愛梨紗の声が聞こえて、何秒かの間が空いてから、すぐそばに浮かぶ消防宇宙船の船底が観音開きに開いた。扉の下から、黄色と黒のストライプに塗られた四角い巨大な構造物が現れた。


 その構造物は、窒素を上下左右から細かく吹き出しながら方向を変えると、こちらへ向かって近づいてきた。

 アルミニウム合金の骨組みを直方体に組んだだけの無骨な作りのそいつの全長は二メートルはあり、上部に真ん丸な赤い目玉を一つだけ持ち、タカアシガニのような長いアームを六本備えている。直方体の骨だけの胴体はコンテナを兼ねていて、今回の作業に必要な物資がめいっぱい詰め込まれており、どこから手を突っ込んでも取れるようになっている。それらの道具や資材は、宇宙船に残っている愛梨紗が指示通りに大急ぎでかき集めたものだった。ロボットが窒素を逆噴射しながら四人のすぐ近くで静止すると、龍之介が彼を紹介した。


「こいつの名前はポリュペーモスっていうんだ。正式だと長いんで、ポリーと呼んでやってくれ」

「よろしくポリーちゃん」

 と、ユズが両手を振ると、ポリーの赤い目玉の周囲を小さな光が一回転して、ユズを真似するように六本の腕を大きく振り返した。そして、いかにも機械らしい高めの男性の声で「こちらこそよろしく」と答えた。

 ユズは自分から仕掛けたくせに、ちょっと怯えた様子で肩を縮ませた。


 龍之介が指示を出す。

「これから船体に小さな穴を開けて、そこから探査スコープを差し込む。そいつでまず、できる限り調べる。人が入るかどうかはそれから決める」

「わかりました」華は答えた。


 ポリーは長い腕を器用に使って、船体に穴を開けるためのドリルと、空気漏れを防ぐ弁のついたゲート・リングを取り出した。それらを華と妙子が受け取った。ゲート・リングは手の平にすっぽり収まるサイズの金属の輪で、輪の内側にゴムのようなスポンジのような、ぶよぶよした不思議な樹脂がはめ込まれている。

「そいつをまず壁に貼り付けるんだ。さっき俺たちが開けた壁のところでいい」


 龍之介が「この辺り」と決めたところに黄色い光の点が表示されたので、華はすぐその場所に飛びつくことができた。雑に溶接された長方形のそばに華は浮かんだ。光はその長方形の真ん中で輝いている。

「ここですね」と華。

「気をつけろ、桃井。壁にはなるべく触れるな。天野は変わった様子がないかどうか注意してくれ」

「はい」と妙子はかすれた声で返事した。

 妙子がかなり緊張していることを察した華は、わざとおどけるように両肩をぐるぐる回した。そして、手袋に包まれた大きな拳を振り上げると、張り切って言った。

「妙ちゃん、がんばろうね! いつもの調子だよ!」

 妙子は一瞬驚いたように、その大きな目を見開き、次に糸のように目を細めて、精いっぱいの笑顔になった。

「うん!」

 二人は拳をぶつけ合った。


 普通の穴開け作業ならば、船体の壁に両足を固定して踏ん張れるのだが、今回はなるべく壁に触れずにそれを行わなければならない。そこで、ドリルを持った華の身体を妙子が後ろで支えて、二人同時に窒素を噴射することで、ドリルの回転に対抗するエネルギーを生み出すことになった。横ブレを防ぐために、しのぶとユズも加わって、二人を支えた。遮蔽ジェルがぬるぬる滑って、支え合うのを邪魔した。


 華はゲート・リングの中心にドリルの先端を押し当てて、スイッチを入れた。プロメテウス号は恐ろしく頑丈に作られていた。いつもの訓練の穴開けよりも何倍もの力と時間が必要だった。それでもなんとかドリルの先端が壁の向こうに突き抜けたのだが、その勢いが強すぎて、華の身体が壁に向かって引っ張り込まれる形になった。

「逆噴射だ! 壁に触れるな!」

 急いで四人は窒素を逆噴射した。妙子としのぶとユズとで華の身体を引っ張るが、それでも間に合わないので、華はとっさにドリルを持っていないほうの手で壁を押しやった。熱が伝わらないはずの分厚いエアロゲル繊維を通して、チクリとする痛みが華の手を襲った。


 四人は壁から離れた。

 華の手袋から白いガスの雲が丸く膨らんで、どんどん広がっていった。ピンク色の遮蔽ジェルが沸騰して泡立っていた。すぐに龍之介が操作して、追加のジェルが手の平いっぱいに盛り上がると、ようやくガスの発生が止まった。

 壁が熱を持っているわけではない。それはみんなが各々のネビュラで確認していた。日陰になっているこちら側の船体は、むしろ冷え切って凍りついている。


「天野、桃井の手に異常はないか?」

 龍之介が張り詰めた声を出した。妙子は華の左手を取ると、ネビュラを通して手袋の中を観察した。アバターの機械の手は樹脂製の皮膚で覆われていて、人間のそれとはもちろん違うが、様子の違いを見分ける講義は履修済みだ。

「ジェルが分解されて変質していますが、アバターそのものに被害はないようです。華ちゃん、痛みは感じる?」

 華は首を横に振った。「もう何も感じない」


 しのぶも顔を近づけて華の手を見つめた。

「龍之介、この船の中にはいったい、何があるんだい?」

 しのぶの声は張りつめていた。

「わからない」龍之介は慎重に言葉を選んだ。「ただ、俺たちもまだ経験したことがないような、ひどく危険なものがあることだけは確かだ。触れただけであらゆる物質を分解するような、何かだ。だから、生身の人間はけっして近づけない。俺たちは入り口から先へ進めなくて、すぐに断念したんだ」


 そのとき、みんなが心に一番強く思っていることを、ユズが代表して口にした。

「それじゃあ、中の人たちはもう……」

「それを確かめるのが、俺たちの仕事だ」

 龍之介はぴしゃりと言った。「時間がない。作業を続けるぞ」

「はい!」疑念を振り払うように、四人は声を張り上げた。


 アシスタントロボのポリーが、自分の腹から青くて細いケーブルを取り出し、その丸い先端をユズに向かって差し出した。アルミニウム合金の無骨な腕が自分の前に迫ってきたので、ユズは震えあがったが、なんとかおそるおそるそれを受け取った。それもまた湧き出してくる遮蔽ジェルに覆われていて、ぬるぬるしていた。

「それが探査スコープだ、ユズ」と龍之介。

「はい……」

「そいつをゲート・リングに差し込んで、船の中を調べる。船の図面と照らし合わせて、見落としのないように捜索するんだ。そのチェックがお前の仕事だ」

「わかりました」


 ユズは探査スコープの先端をゲート・リングの中心のぶよぶよした部分に差し込んだ。さっきドリルで開けた穴を通って、それはするすると何の抵抗もなく中に入っていった。

 龍之介は惜しげもなく遮蔽ジェルを追加した。青いケーブルの表面はぷるぷる震えるジェルでたっぷり覆われた。


 スコープの先端のライトが点くと、初めて船の中をその目で見ることができるようになった。埃一つない船内は掃除が行き届いているように思える。動くものの気配はまったくない。ライトの明かりが当たる部分以外は、真の闇だ。スコープは人の目の高さを維持して、ほとんど真っ暗な船内を照らしながら進んでいった。


「機械類のランプは一切点灯していないね」

 宇宙船技師のしのぶが所見を列挙していった。「空気もほとんどない。室温はおよそ氷点下百三十℃。積み荷リストに載っている有毒ガスや放射性物質は今のところ確認できず。だけど……」

 その異常にはみんなが気づいていた。しのぶの呟きが急に大きくなった。

「船の中はほとんど真空で何もないのに、遮蔽ジェルの分解が異様な速さで進んでる。部屋中がジェルから発生したガスでいっぱいになりそうだよ。こいつはいったい、なんなんだ? 龍之介、ジェルの残量は大丈夫なの?」


 龍之介は落ち着いて答えた。

「近くの消防衛星から、あるだけかき集めてきたから大丈夫なはずだ。ポリーの腹にはたっぷりあるし、船にもまだタンクが積んである。一応、念のために佐藤に追加を頼んでおこう」

「おい、聞こえるか?」と龍之介が呼びかけると、二、三秒の間があって、愛梨紗の澄んだ、しかし気の抜けた声がみんなの耳に届いた。

「はーい」

「佐藤、遮蔽ジェルのタンクを船のハッチまで出しておいてくれ。いつでもポリーが受け取れるように」

「はーい」

「中身を他のやつと間違えないようにな」

「はーい」


 どうもこれは怪しいぞ、と思った華が、くすくす笑いをこらえながら、こう言った。

「愛梨紗、暇だからって、居眠りしちゃダメだよ」

 愛梨紗は弾けるように答えた。

「しとらんよ、もう、人聞きの悪いこと言わんとーて」

 四人は笑い、龍之介も吹き出した。張りつめていたものが、この瞬間だけ急に溶けてなくなるように感じられた。

 このときまではまだ、この任務がどれほど長く苦しいものになるか、誰も知りようがなかった。この一時の笑いが、後からどれだけ貴重なものに思えるか、誰一人として想像することができなかった。

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