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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第八話「アバター訓練(前編)」
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アバター訓練(前編)・4

「桃井華チームの五名は、可及的速やかにアバター訓練室に集合せよ」

 華と愛梨紗が海辺のデートをした翌週、華たちがそれぞれ専門の訓練を受けているときに、突如その命令が下った。「緊急出場」の文字がネビュラの画面に浮かんでいるが、いつもの「(訓練)」が抜けている。


 五人とも別々の教室にいた。華は宇宙空間を舞台にしたシミュレーターを使って難しい多重事故の指揮を学び、妙子は大事故の現場における救急救命、愛梨紗はロボットアームによる宇宙船の解体、しのぶは最新のプラズマエンジンの構造、そしてユズは多国間での救助活動の情報伝達という高度な授業を受けていた。


 こんな時間に抜き打ちで呼び出されるというのは異例なことだ。何より一番の驚きは、それぞれの教官たちが何も知らされていなかったことだった。

「申し訳ありません、教官」

 と、いちいち断って訓練を抜け出すのは、華には初めてのことだった。


 アバター訓練室には華が一番乗りで辿り着き、すぐに他のメンバーもやって来た。みんな、いつもとは何かが違うことを感じ取っていた。

 抜き打ち訓練を担当する前田六郎教官が、落ち着かない様子で部屋を行ったり来たりしている。アバターの装置を扱うスタッフたちも急に呼び出された様子で、白衣を着ている者と私服の者が半々だ。


 カーテンの向こうの更衣室に飛び込んだ華たちに、前田教官が声をかけた。

「お前たち、慌てなくていいぞ。怪我しないようにゆっくり着替えなさい」

 黒いボディスーツを両手に持ったしのぶが、何かを思い出したらしく、くすっと笑った。

 華たち五人は水色のツナギの訓練服を脱いだ。お互いに顔を見合わせて首を傾げながら、言われた通りゆっくりもたもたと着替えた。いつもなら着替えの時間も点数に入る。本当にこれで減点されたりしないのだろうかと華は内心不安だった。


 桃井華チームが全員黒いボディスーツに着替え終わってからも、前田教官はあてどもなく部屋をうろうろしていた。角ばった白髪頭が落ち着かなげに行ったり来たりしている。スタッフたちはそれぞれの担当の装置の横に立ち尽くして指示を待っている。華たち五人は整列して、教官が何か言い出すのをじっと待った。


 華は振り返ってチームのみんなを見渡した。髪をぎゅっとアップにした妙子は、愛梨紗の二つに分かれた三つ編みを一つに縛ってあげている。しのぶは頭をぽりぽり掻きながら足首をストレッチし、ユズは少し怯えた様子できょろきょろしている。誰も状況を飲み込めていないようだ。余計な発言や仕草はいつもなら減点対象だが、今日は様子が違う。華は恐る恐る訊いた。

「教官、私たちはどうすれば……?」

「しばらく待て」


 その言葉が最後まで聞こえる前に、華たちのネビュラに直接、ブザー音が鳴り響いた。それは授業では習うが、訓練では絶対に鳴らすことのない、本物の現場での緊急連絡のブザー音だった。

 アバターの装置のスタッフたちに緊張が走った。

 前田教官は立ち止まり、空中の一点を見つめて声を張り上げた。

「桃井華チームの五名は集合完了、待機中、そちらの指示をどうぞ」


 すると、前田教官が見つめている方向――アバター訓練室の真ん中の空中――に大きなスクリーンが現われた。そこに映ったのは、オレンジ色の防護服を着た本物の現場の宇宙消防士だ。ベテランらしき深い皺を頬に刻んだ威厳のある風貌の男性が、大きな丸い透明のヘルメットを小脇に抱え、敬礼した。

「私は第十七小隊隊長小山(こやま)三郎さぶろうです」


 それを聞いた瞬間、華は思わず喉の奥で悲鳴を上げた。心臓が胸の内側を蹴るように激しく暴れた。本当に、あの第十七小隊?

 小山隊長はハキハキと早口で言った。

「すまないが、諸君に詳しい説明をしている暇がない。これから桃井君たち五人には、アバターを使って救助活動を行ってもらう。訓練生の力を借りるのは異例中の異例だが、生身の隊員には手が出せない現場なんだ。指示は我々第十七小隊アルファ・チームのリーダーが出す。彼の言うことに従ってくれ」


 アルファ・チームのリーダーって、まさか……。華はしのぶの顔をちらりと見た。彼女は何事もないようにスクリーンを見つめているが、頬が赤く染まっている。

 小山隊長は前田教官に向かって言った。

「それでは急な話で申し訳ありませんが、五人をお借りします。そちらの生徒さんと、高価な機材は大事に使わせていただきます」

「せっかくの機会ですから、しっかり鍛えてやってください」

 前田教官はかすかに微笑むと、華のほうを向いた。「では、桃井、頼まれてくれるか?」


 教官は華の答えを待っている。アバターを出す最終的な決断は華に任せられているらしい。

 なにがなんだかわからない。華は全身に鳥肌を立てながら訊いた。

「教官、これって……」

「ああ、もうわかっているだろうが、訓練じゃない」

 華の身体にアドレナリンが流れ、髪の毛が逆立った。突然やって来た初めての出場だ。第十七小隊の名前を聞いたときめきよりも、今はとにかく本物の現場に出る緊張のほうが大きかった。華はチームの四人の顔を見た。みんながうなずきを返したので、華は声を張り上げた。

「いつもの通り、息を合わせていこう!」

「おう!」とみんなは答えた。



 華の意識がアバターに移ったとき、見えた景色はいつもと違っていた。

 いつもであれば消防学校が所有する消防衛星の中で、アバターを拘束しているベルトを外してから、防護服を着こみ、消防宇宙船に乗り込む。ところが今回は、目覚めると同時に、すでに消防宇宙船の座席に腰かけて、防護服も、生命維持装置および様々な道具を備えたパックも装着し終っていた。

 ぼんやりとした視界に映っているのは、どこか暗い部屋の天井のようだ。はっきりしたものは何も見えない。


「どうだ? 訓練生。意識ははっきりしているか? 俺の声が聞こえるか?」

 もう何度か同じ質問が繰り返されていたらしく、その男性の声にはいくらか苛立ちが混じっていた。華は急いで返事しようとするが、精神とアバターの機能の同期がうまくいかない。いつもより上がってしまっているのかもしれない。

「あ、あ、聞こえます、すみません」

 ようやく声が出た。アバターの頭部は人間の頭に似せた透明なガラスの球体でできていて、その内側に華の顔が立体で映し出されている。


 華が首を動かすと、ヘルメットを脱いだオレンジの防護服姿の男性が目に飛び込んできた。彼は真剣な顔でこちらを見つめていた。その鋭く切れ込んだ強い眼差しと引き締まった口元を見て、華は息を飲んだ。

「俺は第十七小隊アルファ・チームリーダーの三国(みくに)龍之介りゅうのすけだ」

「はい!」

 その一言にどれだけの想いが詰まっているか、華自身にも把握しきれなかった。言いたいことはたくさんある。訊きたいこともたくさんある。だけど、それを言うのは、今やるべきことを片付けてしまってからだ。


「君の名は?」

「桃井華です」

 龍之介の表情にはなんの変化もなかったが、今の華にはそれで十分だった。約束通り、ここに来ましたよ! 私のこと、覚えていますよね?


「君がリーダーか?」

「そうです」

「ここがどこだかわかるか?」

 華はくりくりした両目を大きく開けて、精いっぱい周囲の情報を集めた。龍之介が華の肩と腰に手を当てて持ち上げてくれたので、楽に見回すことができた。

「消防宇宙船ですか?」

「そうだ」


 それは華たちが訓練で使う消防宇宙船よりも一回り大きく、そして使い込まれてあちこちが汚れた、よく言えば味のある船内だった。正面いっぱいに広がる大きな風防ガラスの向こうには、墨を満たしたような漆黒の宇宙が広がっていて、そのまん真ん中に小さな地球が輝いている。さまざまな情報がガラスの上に直接投射されていて、表示された座標を読み取ることで宇宙のどこに今いるのかがわかった。龍之介は普段、ここで働いているんだな、と華は大急ぎでその感慨を味わった。華のチームのみんなや、他の十七小隊の隊員たちが見当たらないことには、その後で気づいた。ここには華と龍之介の二人だけがいる。


「今、俺たちがいるのは、太陽航路の地球寄りだ。ちょうど太陽を背にして、地球に向かって飛んでいる。地球と月との距離の半分より少し遠いくらいの位置だ」

 およそ二十万キロも地球から離れているから、さっきアバターの同期がうまくいかなかったのだ。別に自分が興奮しすぎていたり上がったりしていたせいではないのだとわかって、華はホッとする反面、なんだかちょっとがっかりした。龍之介への想いが機械を狂わせたなんていう話のほうが趣があるのに……。


「桃井、聞こえているか?」

「はい! もちろんです!」

 つい考え事に浸ってしまった。

「距離のせいで感覚が鈍くなっているのか?」

「そんなことありません! ご心配なく!」

「だんだん地球に近づいているから、今よりはましになるはずだ」

「そうですね!」

 華はアバターの口の端を力いっぱい引き上げて愛想笑いした。しかし、龍之介は風防ガラスに投射された映像のほうを向いていた。

「だが、そうやって地球に近づいているのが問題なんだ。桃井、この映像に拡大されて映っているのが、これから救助に向かう遭難船だ」


 そこに大きく映し出されたのは、廃棄物運搬用の大型貨物船だった。消防宇宙船から真横に見て、一キロ離れた位置を飛んでいる。それはとても細長い、葉巻型と呼ばれる型の宇宙船で、珍しいことに全体を黒く塗装されている(一般的な宇宙船はほとんどが白い)。その長い船体は、その上半分が太陽の光を受けて目がくらむほど白く見え、一方で下半分は完全な黒となって宇宙に溶け込んでいる。だから極端に細い一本の白い棒のように見える。船の九割を占める中央部分は貨物室で、その内部は一定の間隔を空けて節となる壁で隔てられており、それぞれの区画に固体から液体まで様々な貨物を積み込めるようになっている。長い長い尻尾の先に推進力となる核融合エンジンが備えられていて、それを制御するのは四百メートルも離れた船首部分のコントロール室だ。乗組員は十二人で、四人ずつの三交代で勤務する。


 龍之介は映像を指さして言った。

「この貨物船は三つに分割できるように作られている。船首のコントロール室と、大部分の貨物室と、後部の核融合エンジンだ。この船は廃棄物運搬用だから、貨物室部分を丸ごと切り離して、太陽に投棄できるようになっている。その後でコントロール室とエンジンが一つになって地球に帰還してくる仕組みだ」


 華はすぐに問題の本質を読み取った。

「貨物室が残っているのに、地球に戻ってきているんですね」

「そうだ。なぜ戻ってきているのか原因はわからない。しかも外からはコントロール不能で、乗組員の安否も不明だ。このまま同じ軌道を進むと、地球に衝突する。放射性廃棄物やら、処理に費用が掛かるから投棄されることになっていた有毒物質やらを満載した貨物が地球の上空にぶちまけられるわけだ。エンジンがこのままの速度を保つなら、あと五時間で地球に達する計算になる」


「誰かが乗り移ってコントロールすることはできないんですか?」

「それはやってみた。そうしたら、生身では無理だとわかった」

「どういうことですか?」

「あの船の中では人間は生きられないんだ。宇宙服も生命維持装置も何らかの作用でぼろぼろに分解されてしまう。積み荷に原因があるようなんだが、それを詳しく分析するためには中にもう一度誰かが入って調べなきゃならない。しかし、俺たちだけではどうすることもできない。そこで消防学校で使うアバターに目をつけたわけさ。うちの隊長のアイデアだ。一か八かやってみる価値がある。それでも無理な場合に備えて、大型船を何隻か手配して遭難船を捕獲する準備を並行して進めているんだが、そっちは間に合うかどうか怪しい。もしもそれも無理となったら、乗組員を犠牲にするので極力避けるべきだが、最後の手段として撃墜するしかなくなる」


「とにかくできる方法から試すわけですね」

「そうだ」

「やらせてください。そのために宇宙消防士になったんです。まだ見習いですけど……、いつだって、私は人のために働く覚悟をしています」

 華はアバターを通してまっすぐに龍之介を見つめた。あの、龍之介と初めて出会って、宇宙消防士になる約束をしたあのときの気持ちを、華はありありと思い出していた。


 龍之介は力強くうなずいた。

「よし、俺について来い。他の連中はすでにそれぞれの持ち場についている。これから先は俺が声で指示を出すから、それに従ってチームのメンバーを君が動かせ。君たち五人は今から第十七小隊ブラボー・チームだ」

「はい!」


 龍之介はヘルメットを装着すると、無重力の船内をエアロックに向かって飛び立った。華はそれを追って懸命に宙をかいて進んだ。

 風防ガラスの向こうに、巨大な葉巻型の貨物船が不気味に浮かんでいる。その半身に太陽を妖しく浴びた、細長い真っ黒な宇宙の染みとなって。

次回、第九話「アバター訓練(後編)」

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