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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第八話「アバター訓練(前編)」
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アバター訓練(前編)・3

「いやーん、もう、なによう」

 ユズがべそをかいて妙子の後ろに逃げていった。パジャマ姿の妙子が寝ぼけながらも、ユズをタオルで拭いてやる。


 テーブルの横で咳き込んでいる華に、しのぶは好奇心丸出しの顔で向き合った。

「そんなに龍之介に興味があるなら、今から連絡を取ってあげようか?」

「なっ!」

 華は顔面が沸騰したように赤くなって、興奮のあまり髪を掻きむしった。じっとしていられなくなって椅子から飛び降り、速足で行ったり来たりしている。


「違うの、別に、そういうことじゃないの」

 そう言って華はうろうろしながら、両の手の平をぶんぶん左右に振って否定した。動揺した顔を見られないようにうつむけて、部屋の奥を右に左に横切っている。

「遠慮することないって」と、しのぶ。

「遠慮とか、そういうことでもないから」


 出来上がった目玉焼きとソーセージのお皿を運んできた愛梨紗が、歩き回っている華とぶつかりそうになった。

「華、なんばうろうろしよーとね」

「ごめん、愛梨紗」

「ちゃんと座って、ご飯ば食べんしゃい」

 ピンクのエプロンを着けた子供みたいな愛梨紗が、母親のようにぴしゃりと言った。


 サンドイッチを台無しにされたユズも、服を着替えてテーブルに戻ってきた。いつの間にか長い髪をまっすぐに直した妙子が、化粧もしていないのにとびきりの美人になって現われた。

 華は気を取り直して椅子に座った。


 しのぶはまだキラキラした笑顔で、じろじろとこっちを見ている。華は言った。

「そういうことじゃないの、ただの寝言だよ」

「だって、『龍之介さん、大好き』って……」

「だからぁ!」

 華は打ち消すように大声を出した。「夢だから、他のこととごっちゃになっただけだよ」


「本当に?」

「本当だよ! 私、龍之介さんのことなんか、なんとも思ってないから!」

 なんとも思っていない人間が絶対出しそうもない大声で否定するので、他の四人は華のことを温かい眼差しで見つめた(ユズでさえも)。



 ようやく土曜日がやって来た。これほど週末を待ち望んだことは、華の人生においてかつてなかったことだった。

 週末になれば、チームのみんなはどこかへ出掛けてしまう。妙子は夫のオットー・ハイネマンに会いにドイツの人工島へ行き、ユズはどこだかわからないがフラフラ遊びに行ったし、しのぶもずっと楽しみにしていた宇宙船の展示会を観に行ったし、愛梨紗は朝早くから姿を見せなくなった。


 待ちに待った独りぼっちになって、華はベッドに飛び込み、深々と枕に顔を埋めた。寝巻のままだらだら過ごしても、今日なら誰にも咎められたりはしないはずだ。

 華はちょっと顔を上げた。周囲を空になった四つのベッドが取り囲んでいる。狭い宿舎の寝室でこんなに密集して寝ていたら、おちおち寝言も言っていられない。


「龍之介さん、ごめんなさい」

 華は枕に顔を埋めて叫んだ。「私、みんなに嘘を言っちゃった。龍之介さんのこと、こんなに大好きなのに……」


「なんばごにょごにょ言いよーと?」

 突然、背後から話しかけられて、華はお尻をびくんと突き上げた体勢で固まった。また聞かれてしまった! もうこれ以上、嘘に嘘を重ねたくはないのに……。

 愛梨紗はため息をついて、言った。

「お休みやけんて、遅くまで寝とったらいかんよ。暇なら私に付き合わんね」



 ガラパゴス日本区人工島のショッピング・センターには、必要なものが何もかも揃っている。週末は大勢の家族連れでいっぱいだ。

 華は白いブラウスにデニムのショートパンツ、愛梨紗は赤いボーダーシャツにピンクのオーバーオールという格好で、大きなショッピング・カートを押して歩いている。


 宇宙消防士は自分たちの食べるものはすべて自分たちで調達して料理しなければならない。それは消防学校で学ぶ訓練生でも同じことだ。

 食に関して強いこだわりを持つ愛梨紗が、いつの間にかチームのみんなの食事を管理するようになっていた。買い出しは交代制で、愛梨紗が厳格にリストアップしたお使いメモを元に行う。もちろん、愛梨紗自身がお店を見て歩くのも大きな楽しみだ。


「そこの上の棚の大麦ば取ってくれん?」

「これ?」

 華が指差したうんと高い棚に、五キロずつ袋詰めされた大麦がぎっしり並んでいる。いろんな種類があるが、愛梨紗の指示に迷いはない。

「胚芽大麦っていう……、食物繊維強化のやつ。そう、それ」

 ちっちゃい愛梨紗にはとても手が届かない場所に、その商品はあった。


「愛梨紗がいつもご飯に混ぜている麦はこいつなんだね」

「そうだよー」

 二人で力を合わせて、どっこいしょ、と大麦の袋をカートのカゴに乗せた。

「あと二つ取って、そしたら、次はお米のところに行くけんね」

「人使いが荒いなあ……」

「あはは」

 今日の愛梨紗は華をたっぷり活用するつもりらしい。



 人工島の海辺に立つと、ときどきほんのり暖かな風が吹いてくる。

 赤道直下にあるガラパゴスの人工島は、島中の地面やあちこちにある背の高い空調パイプから噴き出す涼しい風によって、快適な温度が保たれている。海と陸の境目では、空調の空気と自然の空気とが混ざって、頻繁に温度が変化する独特の渦巻きが生まれる。


 二人は高い堤防の縁に立ち、群青色の濃い海を見渡した。

「見て、愛梨紗、海がすっごく青いよ」

「あーねー」

 大量に買った食料を宅配ロボットに預けて身軽になった二人は、久しぶりにこうやって海を見ている。

 縦横に駆け巡る無数の高速浮揚艇と、巨象のようにゆったりと進む大型貨物船が交差する。空にはくさび形のドローンの群れがひっきりなしに行き来している。


「あっという間の二か月だったね」

「ねー」

「最初はうまくいくか心配だったけどさ、みんな私が見込んだだけあって優秀だから、本当に私は何もしなくていいくらいだよ」

「ねー」


 二つに分けて緩い三つ編みにまとめた愛梨紗の髪が、渦巻く風に揺られてぐるぐる回転している。茶色に少しピンクが混ざったような不思議な色の髪だ。そんな愛梨紗の後ろ頭を見つめて、華は愛おしく思うと同時に、なぜか胸をズキズキと刺される感じを味わっていた。

「ねえ、愛梨紗」

「なあに?」

「さっきから、ねーとかあーねーとかしか言わないけど、もしかしてお腹空いてるの?」


 愛梨紗は一瞬ごまかすように目をきょろきょろさせたが、急に弾けるように笑った。

「なんか、ここにこうやって立っとーと、不思議な感じっちゃねーって思いよおったと」

「海の風と陸の風が混ざって、暑かったり涼しかったりするもんね」

「なんかあれみたいっちゃない?」

「なに?」

「鴨せいろ!」

 というわけで、二人は近くのうどん屋に行くことにした。



「私ね、蕎麦よりうどんのほうが好きとよ」

「私もだよ」華は笑った。

 華と愛梨紗は窓の近くのテーブルに向き合って座った。尻が沈むような柔らかなソファーのおかげで、買い物の疲れが癒される。


 華はネビュラの視界に浮かんでいるパネルを操作し、鴨せいろうどんを二つと天ぷらの盛り合わせを注文した。注文が決まると同時に、宙に浮かんだ小さな店員が「ご注文ありがとうございます」とお辞儀し、華のネビュラから自動的にお金が引き落とされた。今日は華のおごりだ。さんざこき使われたのになぜおごるのかと人は不思議に思うかもしれないが、今日はどうしてもおごりたい気分だった。


 お店の広い窓から海が見下ろせる。ガラパゴス人工群島の海には見渡す限りに人工島や巨大な建造物が突き出している。それらは無機質な金属やコンクリート仕立てであったり、自然を模した緑の多い岩だったりする。どれもが体積のおよそ九割を海中に沈めていて、側面から噴き出す水でバランスをとりながら安定して浮かんでいる。深海の冷たい水を汲み上げることで島内に涼しい風を供給し、代わりに排熱を深海に送り込むことで魚の養殖に役立てている。周囲の生態系を崩さぬよう厳しく管理されながら、島の周りの深い海では豊富な魚介類が育てられているのだ。


 天ぷらの盛り合わせを安く食べられるのも、そのシステムのおかげだ。

「にゃーん、このエビ美味しい!」

 愛梨紗が目を糸のようにして夢中になって食べる様を、華はまるでおばあちゃんにでもなったような気分で見つめた。

 そのとき、華の胸に、またさっきのずきりとくる痛みが走った。


 鴨せいろが運ばれてきた。冷たいうどんを、鴨とネギの入った熱いツユで食べる。愛梨紗の小さい手では持て余すのか、うどんが箸の先からずるずると落ちてツユが跳ねた。今にも赤いボーダーシャツに染みがつくのではないかと華はハラハラした。

「愛梨紗、ナプキンを首に着けたほうがいいんじゃない?」

「いらないいらない」


 言っているそばからぴしゃりと跳ねて、とうとう愛梨紗の胸に染みができた。

「ほら、もう」

 と華は立ち上がって、愛梨紗の胸を拭いてやった。同い年なのに世話が焼ける。なんて愛おしいんだろう。だけど、なぜかまた強烈な罪の意識が込み上げてきて、ふいに華は呟いた。

「ごめんね、愛梨紗」

「はい?」

「ううん、なんでもない……」

 華は慌てて首を振り、自分の席へ戻った。


 さっきから繰り返し襲ってくる、この感覚は何なんだろう?

 それから何事もなく食事を続けようとするが、なぜか箸が止まってしまう。そんな華を見て、愛梨紗は怪訝な顔をしている。

 だめだ、なんだか急に食欲がなくなってきた。箸に取ったうどんをツユの中でぐるぐる泳がせながら、華はいたたまれなくなって窓の外ばかり見つめた。自分にはここにいる資格がないような気がしていた。こんなに素晴らしい、こんなに愛おしい仲間に囲まれながら、私はみんなに言えない秘密を抱えている。それが、この胸の苦しさの原因なんだ。龍之介さんのこと? 違うんだ。そうだとずっと思っていたけれど、そうじゃないんだとやっとわかった。あの抜き打ち訓練の後でしのぶさんに寝言のことを言われたときには、もうわかっていたんだ。それを今日まで自分にも隠していたんだ。


 私は、みんなにやきもちを焼いている……。私より、みんなのほうがずっとずっと豊富な知識と能力を持っている。私は単にみんなの力を借りているだけ。偉そうに指揮を取っているけれど、本当は私は、このチームにいてもいなくてもいい存在なんだ。私なんかがいなくても、みんなは立派にやっていけるんだ……。


「華、そっちに行ってもよかね?」

 ふいに愛梨紗が声をかけたので、考えに沈んでいた華は息が止まるかと思った。

「もう、うどんはいいの?」

「とっくにごちそうさまよ」

 愛梨紗は華の左側に、身をすり寄せるようにして座った。ここまで近いとお互いの体温を感じる。

「なによ、急に……」

「華は食べよっていいとよ。私がこうしたいだけ」


 愛梨紗は、その小さい頭を華の肩に乗せようとしたが、背が低いので二の腕に頭突きする形になった。ちょっと痛いけど、かわいいので華は許した。

 そして、愛梨紗は囁くように言った。その声は小鳥のさえずりのようだった。

「ありがとうね、華」

「え? なにが?」

 お礼を言われる覚えがまったくなくて、華は照れることも慌てることもできなかった。ただ違和感が、妙な温かさと一緒になって、華の心に染みてきた。


「初めて会ったときから、ずうっと言いたかったとよ。私を仲間に選んでくれてありがとう」

「それは、愛梨紗が優秀だからだよ」

 突き放して言うつもりだったが、「優秀」あたりから舌がもつれてしまった。それをごまかすために、ツユの冷めたうどんをかき込んだ。


 愛梨紗は突然、華の左手を両手で柔らかく握った。華の胸がどきりとした。

「私ね、ずっと一人やったと。飛ぶときはいつも一人やったとよ。飛ぶのが好きやけん、そがんしてきたと。生きるか死ぬかの勝負は面白かけんね。ばってん、今は仲間がおるけん、もっと楽しか。こげん楽しかとは思わんかった。華のおかげたい」

「そんなの、誰がリーダーだって同じだよ。別に私じゃなくたって……」

「ううん、華は自分じゃわからんかもしれんけど、みんな華ば慕っとーとよ。華はいつも一生懸命やもん。やけん、みんなもがんばれるとよ」


 もうダメだ。食べている場合じゃない。華は残りのうどんを挟んだ箸をどんぶりに放り込むと、自由になった両手で愛梨紗を思い切り抱きしめた。いつの間にか流れていた涙を頬に感じながら、華は素直な気持ちで言った。

「私こそ、ありがとうね」

 やきもちなんか、どうでもよくなった。

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