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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十九話「油を注がれた者(後編)」
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油を注がれた者(後編)・3b

 小型ロケットの側面に長方形の切れ目が走った。切れ目に沿ってハッチが開き、三人の人物が一つのカプセルを抱えて現れた。三人ともが全身オレンジの与圧服を着ている。顔の形に合わせて小さくデザインされたヘルメットの中には、未知なるものに向き合う緊張で強ばった顔があった。


 樹雨も出てくるまでは少しだけ自信が残っていたが、いざ青い半球の上に一歩目を踏み出してみると、途端に恐ろしさで身が縮んだ。半球の表面はつるつるに磨かれた石の床のようだった。それでいて奇妙な粘りがあった。接触している靴の裏が溶けて地面に張り付いているような錯覚を覚えた。それでもなんとかゆっくりと歩くことができた。


 身体は重い。青い球体の上半分を満たしているのは気体のようであり液体のようでもある不思議な物体だった。樹雨たちはゼリーの中をもがきながら進んでいる気分だった。手と足を動かして辺りをかき回すと、ゼリー状のものはさらに固く性質を変えた。手足を速く動かせば物体は固くなり、ゆっくり動かせば柔らかくなった。さきほどロケットが何度も何度も周りを旋回しなければならなかったわけが、これでよくわかった。高速でぶつかればぶつかるほど、この球体を満たしている物体は固くなって進入するものを拒むのだ。


 樹雨と、兄の龍之介、そして相棒に志願した菊池源吾は、スター・チャイルドの二人が入っている透明なカプセルを協力して下に降ろした。青い半球のつるつるした表面に置かれたカプセルは、四つの車輪を回してゆっくりと自走した。その操作はネビュラで行うことができた。


「この辺りはすべて剪断増粘性(ダイタラント)流体でできているみたいだ」

 宇宙船技師の源吾は、この不思議な青い球体に含まれている物質を小さな容器に採取した。「どんな元素で出来ているかはまるで不明だが、エウロパ人のテクノロジーを知るには貴重な資料になるだろうな」


 樹雨は双子のカプセルの横にぴったりとくっついて、双子たちが不安にならないように明るい表情を作ってみせた。そうすることでかえって自分の不安が双子たちに伝わってしまうのではないかと樹雨は心配になったが、アカネとカエデはいっちょまえにこちらに向かって親指を立てたりして、「大丈夫」だとアピールしていた。むしろ、樹雨のほうがそれで勇気づけられた。


 双子のカプセルをネビュラを使って操作している龍之介は、これから対面する今日の主役のほうを見やった。その人物をまともに見ることは失礼にあたるのではないかと、心を圧倒されるような気分だったが、そんなことで負けているようではいけないと、強く心を奮い立たせた。


 その人物は、近づけば近づくほどさらに神のような迫力を増していった。その人物自体が眩い光を発しているので、ネビュラで視覚を調整して受け取る光量を絞らなければならなかった。もしもヘルメットを被らずに肉眼で相手を見てしまったら、たちまち網膜が焼かれてしまっていただろう。


 その人物は、ようやくまともに話ができる距離にまで地球人が近づいてきたことに安堵したようだった。これまでは相手が逃げ出すか、武力を用いて攻撃を仕掛けてくるかの二つしか選択肢がなかったようなものだった。


 その人物のふわふわと波打つ金髪が揺れると、そこから起きた波が半透明の青い物質を伝わって樹雨たちのそばまで流れてきた。

 そこにはそよ風が頬を撫でるような心地よさがあった。よく響く弦楽器のような和音が、三人の大人たちと二人の子供の耳に届いた。


「ようやく来ていただけましたね。ご挨拶させてください。みなさん、こんにちは」

 その人物がぺこりと頭を下げたので、三人は慌ててお辞儀を返した。作法としてこれが正しいのかどうか彼らにはわからない。自分たちの一挙手一投足が思わぬ形で失礼にあたっているのではないかと、三人ともがびくびくした。龍之介などは、さっきは「身に余る光栄」だの「恐悦至極」だのといった気の利いた言葉がスラスラ出てきていたのに、今はすっかり頭の中が白紙になって、この場にふさわしい言葉が何も出てこなかった。


「どうもはじめまして」

 樹雨はおどおどしながら、なんとか返事を返した。「私たち、地球人を代表して……って、言っていいのかな、あのう、私は三国樹雨と申します。それと、これが……」

 と、樹雨は兄の龍之介に無理やりパスを回した。

「僕は三国龍之介です」

 そして、龍之介は源吾の尻をバンバン叩いた。

「僕は菊池源吾です」

 二人はそれぞれ、声を上ずらせながら似合わぬ自己紹介をした。


「あなたがたのことは、よく存じ上げております」

 その人物は、にっこりと微笑んだ。生きた形でアルカイック・スマイルを見られたのは、三人とも初めてだった。それはまさしく生きたモナリザ、生きた如来像、生きたマリア様だった。

「私も名を名乗らなければならないのでしょうけれど、私たちの間で交わされる言葉はみなさん地球人にはよく聞き取ることのできない言葉ですので、ここでは恐れながら通称を名乗らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「なんだってかまいません」樹雨は慌てて答えた。


「私のことは、トリニティとお呼びになってください。あなたがたにとっては三位一体という意味になるのでしょうが、それが一番私のことをよく言い表せている言葉だと思いますので」

 三位一体(さんみいったい)とは、神とキリストと聖霊は一つのものだとする、キリスト教における難解な概念のことだ。それを英語で読むと「トリニティ」となる。


「やっぱりあの方は神様じゃねえか」

 と、呻くように言ったのは、ロケットの中からこの様子を見ていた黄明和尚だった。彼は持っていた数珠をありったけ懐から取り出して、その中糸が千切れんばかりの勢いで激しく揉みながら念仏を唱えた。


 トリニティは両手を差し出して、双子が入っているカプセルを迎え入れようとした。もう、このときを待ちわびて待ちわびて、どうにも我慢できないという感情が溢れていた。

 カプセルの中のアカネとカエデは、恐怖と好奇心とを同時に瞳の上に浮かべながら、自分たちに差し伸べられた両手に向かって、その小さな手を伸ばした。


「さあ、アカネとカエデ、私はあなたにとって父であり母でもある存在です。これからあなたたちが、私の跡を継ぐものとしてふさわしい人間に変わるための、大切な儀式を執り行います。何も恐れる必要はありませんが、少しばかり大変であることは正直に申し上げておきます。覚悟が出来たならば、その蓋を開けて、こちらへいらっしゃい」


 トリニティのその一声で、透明なカプセルの蓋が音もなく開いた。

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