油を注がれた者(前編)・4a
「門に向かって高度を下げますので、みなさん、座席に着いてください。龍之介さんたちも早く上に戻ってきてください」
スピーカーの向こうから、遠隔操作で船を操縦している華がそう呼び掛けた。
「わかった、すぐ戻るよ」
龍之介は上を見上げ、スピーカーに向かって優しく答えた。それから、もう一度双子のほうを振り返り、名残惜しそうに二人の頭を撫でまわした。いつの間にか懐いてしまったアカネとカエデはされるがままになった。
龍之介が梯子を上り、その後に健太郎が続き、そして源吾が梯子に手を掛けようとした。
すると、その巨体に興味を持ったのか、カエデが憧れの眼差しで食い入るように自分を見つめていることに、源吾は気づいた。
「どうした? そんなにいかつい男が珍しいのか?」
源吾の地響きのような低音ボイスに、カエデは目をキラキラさせてうなずいた。
調子に乗った源吾は、両腕で力こぶを作るダブルバイセップスのポーズをとった。カエデはきゃっきゃと拍手しながら喜んだ。しかし、アカネのほうは興味なさそうにしらーっとしている。姉はハンサムな男にしか関心がないのだ。
「西郷さん、せっかくだから、抱いてあげてくださいな」
と、樹雨がカエデを差し出してきたので、源吾は照れながら彼を両手で受け取った。源吾くらいの体格になると、三歳児相当のカエデでもまだまだ赤ちゃんのように見える。
それを見たユズが、人差し指を咥えるようにして、夢見心地に突然こんなことを言った。
「ねえ、守さん、私たちも早く赤ちゃん作りましょうよ」
まだろくに彼女の手も握ったことのない守ではあったが、この場で変な答えを返すわけにもいかないので、ただ無難にやり過ごそうと、
「うん、そうだね……」
と、答えた。
しかし、兄のコウジはそれを聞き逃さなかった。
「おい、コラ、守、今なんつった?」
「いや、別に深い意味は……」
「なんだと? 適当に言ったのか?」
「いやいや、そういうわけじゃなくて……」
「ちょっと待ってよ、お兄ちゃん、急に絡まないで」
「ユズ、お前、守とそういう関係なのか?」
ここでユズが、「まだそこまで進んではいないけど、これから先のことは真剣に相談し合って決めるつもりだよ」とでも答えれば、兄は、「そうか、困ったことがあったら俺になんでも相談するんだぞ」とでも言ってこの場を治めるつもりだった。
しかし、ユズはよせばいいのにこんなことを言ってしまった。
「そうだよ、できたら家族みんなで野球チームが作れるくらい、たくさん赤ちゃん産みたいねーって……、ねえ、守さん?」
コウジはショックのあまり、急に眉毛が繋がって劇画調になり、さらにはその顔を両手で引きむしりそうになった。
「それじゃあ『一発貫太くん』じゃないか。いったい、いつの時代の話だ……」
そう言ってコウジが問い詰めたのは、妹のユズではなく、何の罪もない守のほうだった。「お前、どれだけうちの妹に無理させるつもりなんだ?」
「待ってよ、僕はそんなこと言ってないってば」
「なんだと、てめえ、しらばっくれるつもりか」
「やめてよ、お兄ちゃん、私たちの真剣な交際に変な口出ししないで」
「お前、こんなすっとぼけた男のことを信用してるのか? こいつは何も知らないって言い逃れしてるんだぞ。お前は騙されてるんだよ、ユズ」
「違うよ、バカ、お兄ちゃんのいけず」
「なんだと?」
ユズのストレートな罵倒に、コウジは胸を深々とえぐられた。後ずさる兄を、妹はずんずん追い込んでいく。
「どうしてお兄ちゃんはいつも私と守さんのことを邪魔しようとするの? そんな意地悪なお兄ちゃんなんか嫌い。お兄ちゃんなんか、今すぐタイムスリップして幕末にでも飛んで行っちゃえばいいんだ。そこで成り行きで現代医学を駆使する羽目になって、本当は死ななきゃいけなかった歴史上の人物を生き延びさせちゃったりなんかして、歴史をめちゃくちゃにした責任を取るために、怖い侍たちや外国の船にでも追い回されたりすればいいんだ」
コウジは、脳天に雷が落ちたかのような衝撃を受け、その場に膝から倒れ込んだ。
「ユズよ、そんなひどいこと言わないでおくれ……」
「これに懲りたら、もう守さんのことを責めたりしないって約束して」
「それは時と場合による」
「だったら、仲直りなんかしない」
「あのさあ、お取込み中のところ、大変申し訳ないんだけど……」
と、割って入ったのは、この茶番を散々見せられていいかげんうんざりしていた夏海だった。「私たち、これから大事な用のために船を出さなきゃいけないんだよね。兄妹げんかだったら、この用事が終わってからそちらだけでゆっくりやっておくれよ」
「これは失礼つかまつった」
すっかり幕末にタイムスリップした気になっていたコウジは深く謝罪した。
「さあ、どうでもいい話は置いといて、みなさん急いで着席してください」
スピーカーからそう言い放つ華の言い方もなかなか辛辣だった。
アルファ・チームの五人は大急ぎで梯子を上り、狭苦しいスペース・ガーディアン一号の胴体へと戻っていった。ブラボー・チームの五人と樹雨やおじさんたち、浅倉主任に二人のスター・チャイルドは、元いた席にしっかりと納まって、肩から腰からしっかりとベルトを回して身体を固定した。
華から機長を交代した山田健太郎が、軽快な言い回しでスピーカーの向こうからこう呼びかけた。
「それではこれより、当機は地獄の門へ向けて降下いたします。激しい振動や横揺れなどが予想されますが、みなさん落ち着いて、けっして席から離れず、到着までしばらくのご辛抱をお願いいたします」
「能書きはいいから、さっさと行け」
しのぶがぼそりと言い返した。
健太郎の操縦は愛梨紗のように乱暴ではない。船はゆっくりと優雅な軌道を描いて降下を始めた。そうして、窓には再び血糊と臓物がぶちまけられた。




