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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十八話「油を注がれた者(前編)」
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油を注がれた者(前編)・3b

 船室の天井から、ノックするようなコンコンという音が聞こえてきた。

 夏海はそれを見上げると、みんなに音のした場所の真下から離れるように言った。ソファーに座っていたおじさんたちがベルトを外して立ち上がった。目と耳をふさいでいたしのぶには、ユズが近づくと返り討ちに遭うので、反射神経には定評のある愛梨紗が近づいて、そっとその肩を叩いた。そうして、全員が席を離れたところで、天井に光の線が走り、一メートル角ほどの正方形が描かれた。


 重々しい音がして、切り取られた正方形が上に持ち上げられ、その向こうから、こちらを見下ろしている龍之介と健太郎の顔が見えた。夏海は天井を見上げて元気に言った。


「出たな、龍ちゃん、さっさと下りてきなさいよ」

「姉ちゃん、そこにいると梯子が下ろせないから、もう少し下がってくれ」

 夏海が後ずさりすると、金属のパイプで出来た梯子がするすると下りてきた。その先端が、テーブルから三十センチほど上で止まった。

 最初に下りてきたのは龍之介だった。その後に健太郎、菊池(きくち)源吾げんご犬養(いぬかい)まもる夏木(なつき)コウジが続いた。ここに、第十七小隊アルファ・チームの五人全員が、オレンジのジャケットをしっかりと着込んでそろって登場した。


「あんたまで下りてきちゃったりして、船の操縦はどうするんだよ」

 しのぶは、パイロットの健太郎の胸を小突いた。健太郎はすかさずその手を捕まえると、しのぶの身体をぐいと引き寄せ、その耳元にささやいた。

「しのぶ君は、俺に会えて嬉しくないのかい?」

「バカか、そういう問題じゃねーよ」

 しのぶは両手を捕えられているので、赤くなった顔を隠すことができない。


 龍之介が、代わりにその疑問に答えた。

「今は、華が操縦桿を握っているんだ」

「なんだい、華ちゃんもこっちに来ればいいのに……」

 と言いかけた夏海は、華が今は消防衛星にいて、肉体がこっちにはいないことを思い出した。さっきまで声でやり取りしていたから、てっきり一緒にいるのだと早合点していた。


 樹雨は、兄が下りてきたらすぐにでも問い詰めようと身構えていたので、その決意の通り、彼の胸ぐらをつかむような勢いで近づいた。

「兄貴、ちゃんと説明してよ。今からやろうとしている儀式って、なんなの?」

 樹雨の両腕には、さっきまでと同じく二人のスター・チャイルドが抱えられたままになっていた。アカネとカエデは、初めて会う龍之介を大きな目で食い入るように見つめている。


 問い詰めてくる妹のプレッシャーと、見つめてくる双子の愛嬌とが、龍之介の中で処理しきれない情報としてぶつかり合った。もう、あと数か月で自分にも子供が生まれようとしている身ということもあって、こういう無垢な視線が一番効果的に胸を揺さぶってくる。

 龍之介はあらためて、この二人がこれから先、太陽系を統べる王になるのだとしみじみ思った。アカネの茶色い瞳と、カエデの青い瞳とが一緒になってこちらを見ている。二人に遺伝子を与えたクリスチャン・バラードと天野(あまの)幸子さちこの面影もしっかりと受け継いでいる。それに加えて、エウロパ人の計り知れない生命力が二人の中から溢れんばかりに放たれていることも感じた。双子の両方ともが、思わずこの場にひざまずいて、忠誠を誓いたくなるような神々しい魅力を持っている。樹雨が彼らに入れ揚げるのも無理はないと、龍之介は思った。衝動的に、彼はこんなことを申し入れた。


「僭越ながら、ご両人と握手させていただいてもよろしいでしょうか?」

 警戒心からムッとした顔になった樹雨は、兄がけっして打算からそのセリフを口にしたのではないことに気づくと、なぜだか急に胸が温かくなった。それはまるで自分自身による自分自身への裏切りのように樹雨は感じた。私はまだ兄の言うことを素直に信じられるほど彼に気を許してはいないのに、身体が先に兄を歓迎しようとしているような感じがした。


「ほら、この人が握手してほしいってさ」

 樹雨が双子を龍之介のそばに近寄せると、好奇心いっぱいの二人は初めて見る男性に向かって、その小さい手をぱっと開いて伸ばした。龍之介はその二つの手をまとめて両手で包み込むように握り、クソ真面目なほどの真顔でこう言った。

「わたくし、三国龍之介という者にございます。お二方とお近づきになれて身に余る光栄、恐悦至極に存じます。以後、お見知りおきを」

 カエデは、ようやく大人からの赤ちゃん扱いしない正当な挨拶がなされたことに満足して、鼻から大きく息を吐き出した。一方、アカネのほうはと言えば、すぐ間近で若い男性の引き締まった顔とたくましい手の感触に触れて、腰が砕けんばかりにうっとりとした表情を浮かべている。


 それを見た浅倉主任が、

「おい、俺の女に馴れ馴れしくするな」

 と詰め寄ろうとするが、すかさず夏海のラリアットを喉元に受け、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。


 堅苦しい挨拶の後に、龍之介は一転、とろけるような笑顔になって、双子の頭を撫でた。すでに上機嫌になっていたカエデは、素直にそれを受け入れた。アカネは恥ずかしそうに両手で顔を覆って、緊張に身体をこわばらせた。

 樹雨は、今こそチャンスだと思った。

「兄貴、わかるだろ? こんな良い子たちをひどい目に遭わせるようなことはしないって、今すぐここで約束してくれよ」


 しかし、龍之介はすぐ真顔に戻り、

「それは、俺が決められることじゃない」

 と言った。

「それじゃ、誰が決められるのさ?」

「この子たち自身が決めることだよ」

「そんなの、こんな小さい子たちにわかるわけないじゃんか!」


 樹雨が声を荒げたのを聞いて、カエデはすぐにムッとした顔になった。それは聞き捨てならじといった表情だ。龍之介はそれを見逃さなかった。

「見ろ、樹雨、彼にだって考えがあるんだ」

 樹雨はカエデを見て、次にアカネを見ると、たちまち困惑に襲われた。双子の二人ともが、自分たちがこれから何をすべきかを自覚しているかのような、人の心を射抜くような目でこちらを見つめていたからだ。


「あんたたち、ちゃんとわかってるの?」

 ここで二人が力強くうなずきでもすれば、これで話は大体片付いたと言ってもよかった。しかし、二人の返事はそこまで単純ではなかった。二人ともが、その大きな目に涙を浮かべて、それでありながら、泣くのを必死にこらえるように、口を真一文字に結んでいた。


 二人を尊重するならば、ここでおいそれと抱きしめたりすることはできない。樹雨は胸を引き裂かれる気持ちをこらえながら、兄の顔を見つめ返した。

「やっぱり、私が最後まで一緒について行くよ。そのくらいならいいでしょ?」

 今すぐここから引き返すと言い出すのではないかと予想していた龍之介は、妹のいくらか前向きな言葉に驚いた。


「いいのか? 途中からじゃ後戻りできないかもしれないぞ」

「いざとなったら、私が力づくでもこの子たちを連れて逃げるよ」

 こうして話は決まった。

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