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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十八話「油を注がれた者(前編)」
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油を注がれた者(前編)・1a

第四部「カリギュラ編」

 ロケットの振動は激しさを増していた。穂村(ほむら)夏海なつみが辺りを見回してみると、円形のソファーにベルトで固定されている仲間たちもみんな激しく揺さぶられて、はっきりと顔を見ることもできなかった。


 ちょっと肉付きのよい八海(はっかい)さんなどは、身体全体の肉がぶるぶると震えて、まるでゼリーで作られた人形みたいになっている。つるつる頭の黄明(こうめい)和尚おしょうはタコのように赤くなり、普段から頬がこけて顔色がよくない五条(ごじょう)さんはますます灰色になり、頬肉が豊かな丸顔の三国(みくに)樹雨(きさめ)は新鮮な桃のようにピンクになっている。浅倉主任はいつものように軽薄な前髪を揺らし、軽薄な垂目で斜に構えているように見えるが、実は打ち上げが始まった時点でびっくりして気絶してしまっていた。


「浅倉さんが白目を剝いちゃってるよ」

 と、樹雨が気づいたが、

「放っておけ、そのほうが静かでいい」

 と、黄明和尚は相手にしなかった。


 第十七小隊ブラボー・チームのみんなは、このくらいの振動とGなら何度か訓練で体験したことがある。だから、本来ならば平然とした顔をしていなければならないはずだ。しかし、打ち上げ前にちょいとばかし食べ物を腹に詰め込み過ぎたせいで、それらが今にも喉元から溢れそうになっていた。パイロットの愛梨紗を除く四人の隊員たちは、みんな吐き気と戦って顔を真っ白にしている。


 夏海も妙子(たえこ)もしのぶもユズも、苦しみをこらえるあまり、まるで蝋人形のように固まっていた。船の振動と食に関しては自他ともに認めるプロである愛梨紗だけが、普段と何も変わらない笑顔を保っていた。彼女には「危なかて思ったら、こん袋ば使わなんよ」と、みんなに気を使う余裕さえあった。


 そして、この場の主役であるスター・チャイルドの二人は、これまで体験したことのないようなド派手なアトラクションに、大きな両目をキラキラさせて興奮していた。

 アカネとカエデは、長い袖と裾を持つ、王族のローブのようなものを身にまとっている。黒髪で青い目のカエデにはロイヤルブルーの衣が着せられ、茶色い髪と茶色い目を持つアカネには、ワインレッドの衣が着せられている。今はその立派なローブも、無造作にぐるぐると巻きつけられて、まるで赤ちゃんのおくるみのように二人を包んでいた。


 座席にしっかりと固定されている双子は、打ち上げの衝撃の中で大人たちが悶絶している間も、好奇心を満たしたくて、どうかベルトを緩めてくれないかと、横にいる樹雨や、気絶している浅倉主任に向かってせがんだ。

「窓の外が見たいの? でも、ダメよ。もうしばらく我慢しなさい」

 樹雨はがくがくと揺れる中で、なんとかそのセリフを絞り出したが、双子に通じたかどうかはわからなかった。(実際には、「まどどどどのそそとととがががみみたいののの?」と言っている)。


 そうやっている間にも、ロケットはいつの間にか火星の上空に飛び出していた。つい数秒前までは地下の奥深くから高圧のガスと高温の炎に包まれた状態で、今にも蒸し焼きになるのではないかと思うほどに船内が熱せられていた。それが、空に向けて解き放たれた瞬間に、一気に何十度も気温が下がったような感じがした。ふいに振動が弱まり、周りの音も静かになった。


 急にお互いの顔が鮮明に見えるようになって、みんなはおのおの向かいの席に座っている仲間の無事を確かめた。

 夏海は真正面に座っている黄明和尚と目を合わせた。二人とも、なぜだか微笑みをこらえることができなかった。ついにやったのだ。ポリュペーモスを犠牲にすることもなく、火星開発統治機関の思惑に利用されることもなく、モリアーティの革命に巻き込まれることもなく、もっとも最良の形で危機を脱することに成功したと、夏海と和尚は信じて疑わなかった。


 その成功を導いたのは、夏海と和尚の言葉を用いない信頼関係だった。もし、夏海に夫がいなかったら、この人に結婚を申し込んでいたかもしれないと思うくらいに、目の前にいるつるつる頭のおじさん(ほぼおじいさん)が頼もしく見えた。

 黄明和尚は親指を立て、無言で勝利を祝った。夏海も同じく親指を立てて、それに応えた。それ以上の言葉は必要なかった。


 窓の外には火星の夜の景色が広がっていた。それはおぞましい光景だった。ヴァルプルギスの夜の宴に集まっている悪魔たちの行列が、星空を隠す黒いヴェールのように空を埋め尽くしている。夏海や和尚たちは、この景色を見るのが初めてだったので、思わず息を呑んで、窓のほうへ身を乗り出していた。

 そのとき、船室のどこかに仕掛けられているスピーカーから、若い女性の声が突然聞こえた。


「みなさん、ご無事ですか?」

 それは、第十七小隊ブラボー・チームのリーダーで、今は妊娠中のために現場を離れている桃井(ももい)はなの声だった。「勝利を祝うのは、まだちょっと早いですよ。このまま飛び続けると宇宙に出てしまいますので、この辺りでみなさんにはロケットを脱出していただきます。この脱出ロケットの中には小型の脱出ロケットが備えられておりますので、みなさんがお席に着いたままの状態で地上へ向けて発射いたします。みなさん、しっかりベルトを締めてください」


「ちょっと待て、華、いきなり地上ったって、あの化け物たちの中に飛び込んでいくのかい?」

 しのぶが慌てて声を上げたが、華は容赦しなかった。

「大丈夫だよ、しのぶさん、私たちが下で待ってるから」

「そういう問題じゃないっつーの」

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