グレート・リバース・4a
常磐井道子に向かって「今すぐ助けに向かいます」と言い切った華は、その場にじっとしていることができなかった。
自分は身体が自由なのだから、これから火星に向けて高速で宇宙船を飛ばせば、きっと間に合うはずだ……
そう考えてはみたものの、妊娠六か月の身重では、今すぐ着られる宇宙服もなければ、すぐに動かせる宇宙船を誰にも見咎められることなく用意することもできない。
それでもなんとか行動しなければと、華が立ち上がろうとしたとき、指令台のディスプレイに芹口加奈子主任が現れた。彼女はドクターであり、第十七小隊の隊員たちの健康管理責任者でもある。
「桃井さん、いけませんよ」
彼女の単刀直入な物言いから察するに、すでにすべてを把握しているようだ。
「でも、放っておけません」
華は強く言い返したが、芹口主任もまた穏やかでありながら揺るがない強さで言い返してきた。
「今はみんなが意志を一つにして行動しなければならないときなんです。助けるべき人たちと、戦うべき人たちの区別をごっちゃにしてはいけません。あなたが今から現場に飛び込んだって、無駄な混乱を招くだけです」
「でも、約束しちゃったんです」
「しょうがないですねえ……」
芹口主任は眉をハの字にして、なんとか一生懸命考えてくれている様子だ。
窓の外の火星には、青いレーザーがオーロラのように降り注いでいる。あのレーザーが最高出力に達したとき、火星の大地は三千℃まで加熱される。その熱は地下三百メートルまで届き、あらゆる岩石、ほとんどの金属を沸騰させる。地球の地下を流れるマグマの温度が千℃前後であるのに比べるなら、三千℃という温度はあまりにも過剰だ。火星に生きる者たちをすべて焼き尽くそうという、残酷な意志がそこにはあった。
元から火星に住んでいた人たちには、今このときにも救済の手が差し伸べられている。アメリカ、ロシア、中国を中心とした連合軍が輸送船を飛ばして、火星全土に散らばっている開拓民の街から、人々を救い出していた。もちろん、そこではモリアーティの軍勢との激しい戦闘も行なわれていた。
華の目の前のディスプレイにも、そうした戦闘の進捗が刻々と伝えられている。
はやる気持ちでジタバタしている華の前に、小山三郎隊長の姿も現れた。ディスプレイの中で芹口主任と並んでいる彼もまた、困った顔をしていた。
「桃井、さっきの話は全部聞かせてもらったぞ」
「すいません」
華はとりあえず、謝ることしかできなかった。過去を掘り返されて宇宙消防士をクビになってもしょうがないと思った。龍之介さんから愛想をつかされて、子供を取り上げられたうえに路頭に迷ってもしょうがないとさえ思った。もう、前をまともに見ることもできない。
すっかりしょげている華を見て、小山隊長は「ふふふ」と穏やかに笑った。
「そんなに心配するな、桃井。君がモリアーティの構成員となんらかの関係があったことは、すでに調べがついていたんだ」
「え?」
と、華は顔を上げた。
小山隊長は言った。
「君が高等教育学校にいたとき、学校に刑事が来ただろう? あのときすでに、君たちが何をしていたのか、すべて把握されていたんだよ」
「はあ……」
華は頭が混乱した。隊長はすべてを知っていたうえで、あえて黙っていたのだ。でも、なぜそのことが採用のときに問題にならなかったのだろうか?
「桃井はあのとき、モリアーティの前身組織だったヘラクレスの手伝いをしたんだったね?」
「はい」
もう、嘘を言っても仕方ないので、華はひたすら正直に答えた。
「その点について、警察はすべて調べがついている。その詳細を知らせる報告書も私のところに届いているよ。あのとき、君が捕まらなかったのは、君の行動に法に触れる部分がなかったからなんだ。いろいろ解釈の違いはあるかもしれないが、君を法の下に裁けるほどの決定的な証拠はなかった。だから、君はあのとき、無罪放免で許されたのだよ」
大人たちはすべて知っていた。それでいて、まだ子供だった華の罪を問うことをしなかった。それは華にとって、見逃してもらえたというよりも、大人に対して大きな借りを作ってしまったような、新たな罪の意識が、この瞬間に生まれるきっかけになった。
「隊長、なんだか私、恥ずかしいです……」
「恥ずかしがっている暇はないぞ、桃井。君が今、やるべきことはなんだ?」
華は、おこがましいとは思いながらも、なんとか気持ちを保って、こう答えた。
「小隊の一員として、要救助者の命を救うことです」
「今、俺たちが救うべき要救助者は、誰だね?」
「スター・チャイルドの二人と、それをお世話している四人の人たちです」
「そうだ」
小山隊長は、力強く言った。「桃井、目標を見誤るな。君はその目標のために、全力を尽くす義務がある」
でも、道子さんたちを助けに行くって約束しちゃったんだよなあ……
華の頭の中を、打ち消しがたいその考えがぐるぐる回っていた。
華はそうやって苦しんでいるが、小山隊長には目算があった。
「クリスチャン・バラードさんから要請を受けて、俺たち第十七小隊はスター・チャイルドの二人を救い出した後、地獄の門へと運ぶことになった。極めて例外的だが、こちらには断る権限がないものでね。でも、都合が良い面もあるんだ。火星に双子がいる限り、あのレーザーの出力が上げられることはない。つまり、双子たちの出発を遅らせれば、その間に道子さんとサトル君を救出することが可能だというわけだ。どうだね、桃井、それなら問題ないだろう?」
【予告】「4c」がいっぱいあります。




