地獄の門・4a
たくさんのドラゴンたちが街の上空を飛んでいた。人工重力発生装置が停止した聖都は、空に向かって大きく開いたバケツと同じだった。六十度にもなる急斜面を這い上がっている住人たちを、ドラゴンたちが丁寧に拾い上げている。水位は見る間に上昇してきて、逃げ遅れそうな人たちの足元まで迫っている。
「見て見て、でっかい籠」
ユズがしきりに上を指さすので、みんなもつられてその方向を見上げた。
鉄パイプで組まれた巨大な籠が空に浮かんでいた。十メートル四方はあるだろうか、本当に大きな籠だった。それを四頭のひときわ強そうなドラゴンたちが、上から鋭いかぎ爪で支えていた。
籠の側面には四つすべてに出入り口があって、そこに向かって救い出された住人たちがどんどん運び込まれていた。先に中に入っていた人たちが、新しく連れてこられた人たちを中へ引っ張り込んでいる。みんなは騒ぐことなく整然と座り、お互いに励まし合っていた。
そういう情景を見せられると、宇宙消防士としての血が騒いでくる。私たちが本来なすべきなのはああいう仕事ではないかと、使命感が胸の奥から突き上げてきて、夏海は、自分にも何かできないかと必死で頭を働かせた。
まるで、そんな夏海の心を読んだかのように、すぐ横を飛んでいたヴェナトリアは、こう語りかけた。
「わたくしたちは自分たちの命を自分たちで守れるよう訓練を受けています。あなたがた宇宙消防士のみなさんには、わたくしたちの大切な王を守るために働いていただきたいのです。訓練を受けていない幼い子供や、ごく普通の人たちのために、力をお貸しいただきたい」
「それはもちろんです」
夏海は自分の胸を叩いた。「私たちは、そのためにここにいるんだもの。こちらこそお願いしたいくらいです。どうか、私たちを思う存分働かせてくださいな。遠慮なんかこれっぽっちもいらないんですから」
「そうおっしゃっていただくと、大変心強いです」
ヴェナトリアは眩しいほどの笑顔を見せた。そこには善良で力強い生存――自己と他者の区別なく――への意志の他に、邪なものは何一つなかった。
ドラゴンの両手の上に乗せられている夏海、ユズ、妙子の三人は、ネビュラを通すこともなく、ただ視線を交わし合うだけでお互いの気持ちを通じさせた。それは、たとえ上からの命令がどんなものであれ、これから先の人生で後悔することのないよう、恥ずかしい行動だけはすまいという約束だった。
それは、ポリュペーモスの胴体の骨組みの中で肩車している、しのぶと愛梨紗にも同様に伝えられた。しのぶは夏海たちの視線を感じると、すぐに内容を理解して、親指を立てて答えた。肩の上に乗っている愛梨紗も、大きくうなずいてみせた。
そんなやり取りをしている間に、一行は目的地に辿り着いた。ずいぶん長い時間がかかったような気がした。直線距離で二百メートル足らずしか離れていないのに、とてつもない雨風にさらされているせいで、安定して飛ぶのも一苦労だった。
三国樹雨は二階の窓から手を振っていた。夏海がそれに答えて手を振り返すと、樹雨はすぐに窓を閉めた。雨がもろに真上から叩きつけているせいで、窓をずっと開けていると家の中が水でいっぱいになりそうだった。
「樹雨ちゃん、元気してるみたいじゃんか」
夏海はウキウキした表情で、仲間たちのほうを振り返った。「しばらく見ない間に精悍な顔になってたよ」
この中で樹雨と面識があるのは、夏海の他にはしのぶだけだった。しのぶはときどき樹雨とも個人的に連絡を取り合っていたが、去年のあの大崩壊(龍之介と華が結ばれた事件を彼女はそう呼んでいる)があってからは、なんとなく気まずくて顔を合わせられずにいた。
しのぶは急に気後れして、愛梨紗の脚をぎゅっとつかんだままもじもじし始めた。それを見逃したのではリーダーとして務まらないとばかりに、夏海はすかさず声を掛けた。
「しのぶちゃん、堂々としていな。逆に考えるんだ。私が龍之介をフッてやったんだと考えるんだよ」
「うるさい! バカ! 人の気も知らないで!」しのぶは叫んだ。
さらにユズも加勢する。
「おかげでロジャーさんっていう、とっても素敵な人と縁が出来たんだから、結果オーライじゃんか、しのぶさん」
「ふざけんな、コラ! お前だけには言われたくないんだよ」しのぶは拳を振り上げてさらに大声で叫んだ。
おとなしい妙子はこういうときには何も言えず、ただただ両手を擦り合わせて、どうか心をお鎮め下さいとしのぶに向かって祈ることしかできなかった。
そうされると、しのぶもかえっていたたまれない。なんだか腹が立つやら恥ずかしいやらで、一瞬自分が何をするためにここにいるのかすらわからなくなってしまった。
そんなしのぶの頭を、上で肩車されている愛梨紗が手を伸ばして、まるで母のような優しい手つきで撫でてきた。
「しのぶ、みんなもあげんしてあんたのことば心配してくれとーとよ。心の傷はいつか治るて信じんしゃい。龍之介がなんね、あげな男はどげんなったってよか、ち思える日が必ずやってくるっちゃけん、いつまでもくよくよしとったらいけんよ。あんたは気づいとらんかもしれんばってん、誰が見たっちゃばりよか女子(※すごくいい女)やけんね、くよくよしとったらもったいなか」
愛梨紗までもがそんな長いセリフで励ましてくれたとなると、さすがのしのぶも泣いたり怒ったりしていられない。
それを横で見ていた女性騎士のクラヴァータは、自分からも何か声を掛けたいと思いつつも、まだ知り合ってから日が浅いし……という遠慮によって、ただ微笑みながら見つめることしかできなかった。
そんなことをやっている間に、ポリュペーモスは斜めに傾いている宮廷の壁に着地した。
それは宮廷とは呼ばれているものの、元の二階建てのレンガ作りの宿舎のままだった。みんなのネビュラには、昔のままの「赤川食品株式会社火星出張所」の文字が表示されている。ただし、中央のその建物を、背の高い砦が取り囲んでいて、敵の襲来に備えていた。その砦を外から見ると、確かに宮廷と呼んでもよさそうな迫力があった。砦の屋上の見張り台には、全身を鎧で固めた近衛兵たちが今もなお踏みとどまっていた。彼らは激しい雨風にさらされても、微動だにせず立ち続けている。彼らは救いを求めることもなく、王たちと運命を共にする覚悟を決めているように見えた。
「さあ、スター・チャイルドと樹雨ちゃんたちを助け出さなくちゃ」
夏海はグラナトスの手から飛び降り、宿舎の壁に着地した。閉じている窓はスライド式で、下から上へ開くようになっている。雨に打たれているガラスの下で、樹雨が嬉しそうに待ち構えているのが見えた。
ブラボー・チームの他のメンバーも、次々と宮廷に飛び移った。ポリーから降りてきたしのぶと愛梨紗に、夏海はこう言った。
「スター・チャイルドのお二人には、ポリーちゃんのお腹に入っていただこうかね」
「そうだね、そのほうが小回りが利きそうだ」しのぶはうなずいた。
作戦遂行上、それが一番都合がよさそうに思えた。これが普通の要救助者だったとしても、同じ選択をしただろう。
「ポリーちゃん、頼んだよ」
夏海はポリーの胴体を力強く撫でた。ポリーは返事するように赤い目を点滅させた。いざとなったらネビュラの秘密回線で強制的に動かすこともできるが、せっかく出来た信頼関係を壊すのはしのびないと、夏海は考えていた。
突然、窓が開き、樹雨が下から顔を出した。
「早くしてよ、夏海さん。家が沈んじゃうよ」
待ちくたびれた樹雨が、とうとう催促してきた。
「ごめんごめん、すぐ始めるから」
それは同時に、最後の作戦が始まることも意味していた。




