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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十五話「地獄の門」
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地獄の門・2a

 雲はますます濃く、黒くなり、その高度を下げてきて、樹海の屋根すれすれまで深い霧に包まれた。

 華が乗り移っている機械仕掛けのクロアゲハの羽は、たくさんの水滴を飛ばし、稲妻と遠くのプラズマの輝きに照らされて、七色に変化する光の玉のように見えた。


 悪魔たちの百鬼夜行――あるいはヴァルプルギスの夜のパレード――は、その嵐の中にあっても、徐々にその規模を拡大していった。

 あらゆる方向から新たな行進が加わってきた。最初は西から始まったそれは、やがて北から、南から、さらには東からまでも合流してきて、空を覆い尽くさんばかりに数を増やしていった。


 それらを懸命になってコントロールしているのは、たくさんの賢そうなドラゴンたちだ。行列の先頭や脇やしんがりを飛び回りながら、列からはみ出しそうになっている悪魔たちを集団の中へ押し戻し、きちんと並び直させている。それはまるで牧羊犬がチームを組んで、羊たちの群れを牧草地から羊小屋へと誘導しているようにも見えるが、当の群れたちはそんなかわいらしいものではけっしてなかった。


 最初は生き物らしい姿を持った者たちも多くいたが、数を増していくにつれて、そのおぞましさも格段に激化していった。もはや皮膚もなく、剥き出しになった内臓をぶら下げ、血を滴らせながら飛んでいる肉塊の一団のようなものが多数を占めるようになってきた。その赤い肉には、白い骨があちこちから飛び出し、折れたり、変な形で癒着したりしながら、そこに裏返しになったような毛皮を付着させ、垂れ下がった目玉や舌を振り回し、牙を噛み鳴らしながら、しきりに唸り声を発している。そうして、前を見ているのか後ろを見ているのかわからないままに、呼吸するごとに膨らんだりしぼんだりしながら、原理のわからない力によって飛行を続けていた。そして、それらはことごとく腐敗しており、ひどい悪臭を放つ汁を後ろに続く者たちに浴びせかけているのだ。


「ここまで来ると、生きているのか死んでいるのかさえわからないな」

 ポール・マルテル総督はクロアゲハの視覚を借りて、これらのおぞましい光景を夢中になって観察していた。

「これはいったい、なんなんでしょうか?」

 華はそう質問しながらも、この悪魔のパレードが何ゆえにこれほどに大きくなっているのかについて、すでに理由がわかっているような気がしていた。


 生命のエネルギーの強さに、肉体の生成が追いついていないのだ。機械細胞(マシン・セル)は地球の生き物たちを下敷きにして作られたがゆえに、その身体はタンパク質でできている。本来、タンパク質で出来た生き物の体内で核融合反応が起こることなど、生命の進化の歴史の中では想定されていないはずだ。DNAの中に何十億年もの生命の知恵が蓄積されているとしても、現在のこの瞬間において、過去と未来を断絶させている深い溝がある。

 その断絶を飛び越えて、新しい形に変化しようとしている過程が、このグロテスクな百鬼夜行の形で表に現れているのだ。やがてその肉体はタンパク質の限界を超える何かに変貌を遂げていくだろう。


 マルテル総督は張りつめた声で言った。

「華、あのドラゴンに見つからないように、なるべく距離を置いてくれたまえ。きっと、ドラゴンたちに命令を出しているのはモリアーティの連中なんだろう。ドラゴンは悪魔たちをまとめてどこかに連れて行き、彼らをもう一段階上の存在へと進化させようとしているのかもしれない。それがどのようなものか、実に興味深いね」


「あの悪魔たちが今すぐ人間を襲おうとしている可能性はありませんか?」

 華のその問いに、総督はきっぱりと答えた。

「その可能性はないだろうね。あいつらの顔を見たまえ。知性の欠片もない。たとえ強い本能を持ち、あり得ないほどの戦闘力を発揮できたとしても、その欲求に対して、彼らの身体は脆すぎる。ドラゴンたちがああしてまとめているからこそ、一見して統率できているが、ひとたび混乱に襲われればたちまち瓦解するに違いない。あんなものに襲われたからとて、恐れる必要などまったくないと思うよ」


 やけに自信満々に総督が言い切るので、華はかえって不安になってきた。

「もしも、彼らがもう一段階進化したら、そのときには本当の脅威になるかもしれませんよ。今のうちに、止めておいたほうがいいのではないでしょうか?」

「無論、私もそう考えている……」

 総督は、話をしながらも他の作業をしているような、変な間を置いてから、こう言った。「今、火星の軌道上を飛ぶ連合国部隊に攻撃要請を出した。まもなく空からレーザーが降り注ぎ、この悪魔たちを一掃するだろう。君の心配には及ばない。火星を飛んでいるクロアゲハはこの一頭だけではないんだ。私の元には、多くの情報が集まってきている。まさにこうしている間にも、ヴァルプルギスの夜のパレードの全貌が判明しつつあるところなんだよ」


 総督は、モリアーティの本丸とも呼べる聖都(イエリポリ)にその身体を置いていながら、ずいぶんと大胆な行動に乗り出していた。華はそれについても心配になってきた。もしも、モリアーティの誰かが総督のことを怪しんだら、今すぐに拘束されて、通信手段も何もかも奪われてしまうかもしれない。

「総督、周囲への警戒を怠らないでくださいよ」


 総督は小さな声で笑った。

「大丈夫だ。私がもしいなくなっても、第二、第三の頭脳が控えている。権限の委譲さえスムーズにいけば、頭がすげかえられても我々が敗北することはない」

 その言葉には、総督の覚悟が込められていた。それがあまりに当たり前のように彼の口に上ったのは、彼が死を恐れていないからだ。


 華は、総督の中に、龍之介がいつも漂わせている危うさと同じものを感じていた。龍之介もまた、任務のためには自分の命のことなど二の次に考える癖があった。それは華の目から見れば度が過ぎており、生まれてくる子供の父親としては、もうちょっと控えてもらいたいやり方だった。


 そのとき、消防衛星の中の、華の現実の机の上に、明るいランプが灯った。華は一瞬、空からレーザーが放たれたのかと錯覚したが、それは一時間おきに龍之介たちアルファ・チームから発せられているライト・バレットの着信の合図だった。

 しかし、最後の着信から、まだ一時間も経っていないのだ。一時間に足りないのは、せいぜい七分程度だが、その間隔の微妙な短さに、華の心臓は不安で激しく鼓動した。


 今度の通信は、「心配は無用」といういつもの文言ではなく、もうちょっと長かった。

「地獄の門を発見。南緯十三・八度、西経五十八・八度。マリネリス峡谷の中央付近」

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