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地獄の門・1a

 クロアゲハになった桃井(ももい)はなは、火星の樹海の中をあてもなく飛んでいた。


 高さ二千メートルの大木が柱となって、森の大屋根を支えている。大屋根を構成している葉の一枚一枚は、人間の顔よりも大きい。それらが隙間なく密集している部分と、大きく天窓のように空間を開けて光を取り込んでいる部分とが斑のように混じり合っている。空から降り注ぐ光線が、湿度の高い森の中の霧に反射して、細い滝のように見える。


 クロアゲハの羽は、一見すると真っ黒のようだが、角度によって七色に変化する鱗粉に覆われている。その鱗粉が、森の中の湿気を弾いて、羽が重くなるのを防いでくれていた。


 華は、自分が羽ばたくたびに細かい水滴が辺りに飛び散るのを眺めていた。蝶の目は小さな目玉が一万五千個ほども集まってできた複眼で、周囲三百六十度を見渡すことができ、人間では見ることができない赤外線や紫外線までもを感知することができる。


 赤外線を見ることができれば、人間の体温を知覚することで、龍之介たちの姿や、彼らが触れた痕跡などを探すことができるかもしれない。しかし、霧が濃すぎると、水の粒子が赤外線を吸収してしまうので、せっかくの能力を活かすことができない。


 三百六十度の視界があるとはいえ、どこをどう見渡しても同じような森しか見えない。二千メートルの屋根の下には、高さ三十メートルほどの濃い森が広がっている。まだ新しい火星の森には、動物たちの気配がほとんどない。鳥の声も聞こえず、虫も飛んでおらず、ましてや大型の獣の姿などどこにも見当たらない。


 ただただ大きな葉と、とぐろを巻いているつる草と、異様に太い枝とが絡み合って、どこからどこまでが一本の木なのかさえわからないほどに木々が茂っている。地面には土が見える場所がほとんどなく、背の高い草か濃い苔か、あるいは地面から浮き上がってきた根のようなものでびっしりと覆われている。それらの隙間を、背の高いキノコや、カビにしか見えない菌類のようなものや、細長い葉を連ねたシダの類が埋め尽くしている。


 どこかに動物たちが潜んでいるらしいことは、事前のブリーフィングで話題に出た。機械細胞(マシン・セル)の森は日々急速に成長しており、大型生物がどこかで生み出されている可能性は極めて高い。それらが互いに捕食し合ったり、融合や分裂を繰り返して、短時間のうちに様々な進化を遂げていく。彼らは自らの細胞の中で核融合を起こすことで、無限のエネルギーを生産することができるので、その潜在能力は計り知れないのだ。


 低いところを飛んでいても、霧のせいで赤外線を活かすこともできず埒が明かないので、華は思い切って二千メートルの屋根の上に行くことにした。そこからまず、目印となる四つの山を見つけようと思った。オリンポス山とタルシス三山を見渡せる場所に、ブラボー・チームのいる鐘の街(ベル・タウン)があるはずだ。


 龍之介も、きっとそのそばにいる……

 華は夢中になって高度を上げていき、森の屋根の出口を目指した。

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