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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十四話「ラグランジュ・ポイント(後編)」
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ラグランジュ・ポイント(後編)・4b

 一方それより少し前、火星の上空六千キロメートルを飛ぶ消防衛星では、一人留守番をさせられている桃井(ももい)はなが、憂鬱な視線を火星の大地に注いでいた。

 第十七小隊に与えられた指令室には、彼女の他に誰もいない。大きな湾曲したガラスが部屋いっぱいに広がっており、そこには緑に満たされた火星が端から端までを埋め尽くしている。


 ここは火星の軌道上を飛ぶ衛星フォボスと火星とのラグランジュ点(平衡点)に位置する小さな人工衛星だ。直径が二十二・五キロメートルしかないフォボスは、ジャガイモのようないびつな形をした岩石であり、その重力は極めて弱い。しかし、その小ささにもかかわらず、フォボスは火星と他の太陽系とを結ぶ物流の拠点として機能しており、各国の倉庫や宇宙船の発着場が所狭しと密集していて、一日に千機近くの宇宙船が発着を行なっていた。


 華が勤務している消防衛星は、火星開発統治機関が管理している各国合同の施設だ。各国、各小隊ごとに広い部屋が割り当てられていて、完璧に整備された最新の設備が備えられている。もちろん重力発生装置ムーブメントもしっかり働いていて、お腹の赤ちゃんに一Gの重力を与えてくれる。


 しかし、どんなに便利な設備が整っていても、火星との通信が途絶えてしまい、安全に接近する方法もない現状とあっては、やれることはほとんどない。

 昨日のうちに火星から消防衛星へと帰投してきた小山隊長と芹口主任は、隊長クラスから上の人たちだけで集まって、新たな作戦を立て直すための長時間の会議に出席している。会議は早朝から始まり、昼休みを過ぎ、午後三時が近くなった現在もまだ終わりそうにない。


 華はたった一人、誰もいない指令室の真ん中に座って、やることもなにもなく、ただただひたすら龍之介や仲間たちの無事を祈り続けていた。

 一時間おきくらいに、龍之介からライト・バレットが届いた。彼女はそれを記録にとり、報告書を作成した。それだけが唯一の仕事だった。龍之介は自分たちの居場所を教えてもくれず、ただその無事だけを知らせてくる。それだけでも大いに助かるのだが、一時間ごとにやきもきさせられるのは想像以上に疲れた。次はライト・バレットが来ないかもしれない、という不安が毎度毎度拭いきれなかった。


「ばか、返事くらい送らせなさいよ」

 居場所がわかって、向こうが少し待ってくれていさえすれば、こちらからもライト・バレットを送れるのだ。龍之介に訊きたいことは山ほどあった。怪我はしていないか、食べ物はちゃんとあるのか、どんなところにいるのか、危ない目に遭ってはいないか、いつになったら戻ってこれるのか……


 そんな折、華のネビュラに、急に見たこともないような通信が入った。突然、目の前いっぱいに花火が打ち上がり、紙吹雪が舞い、何かのパレードのような賑やかさで、陽気な音楽と共に踊り騒いでいるのは、なぜかぬいぐるみの動物たちだった。くまさん、ぞうさん、うさぎさん、とりさん、ねこさん、らいおんさん、いぬさん、うまさん、きりんさん――数え上げればきりがない。


 なんとなく察しがついて、華はじっとりとした目を、そのお祭り騒ぎに向けていた。胸の中では喜びが湧きたつのを感じてはいたが、笑顔を見せるのは向こうの思惑通りな気がして癪なので、わざとしかめ面を作った。

「はーい、華、元気してた?」

 登場したのはオレンジ髪で能天気な笑顔の、二頭身のユズだった。

「どうせ、あんただろうと思ってたよ」

 華は呆れた顔で頬杖をついたまま、鼻から息を吐き出した。

「なんで火星から通信できてるの?」

「それは秘密……、ウフフ」

 ユズは口を手で押さえて、人をイライラさせる笑顔を見せた。


 その後からぞろぞろと、他の仲間たちも登場した。みんなことごとく二頭身で、あの愛梨紗などはさらにひと回り小さな一・五頭身くらいの大きさしかなかった。それにはとうとう、華も笑顔になるしかなかった。

「何やってんの? あんたたち」


 二頭身の夏海がとことこと真ん中までやってきて、丁寧に敬礼した。華も答礼を返す。二頭身ではあるが、それでも一応オレンジのジャケットを羽織り、立派な宇宙消防士の格好をしていた。

「桃井華殿、お変わりはありませんか?」

 と、仰々しい夏海。

「私のことより、あなたたちは大丈夫なの?」

 二頭身の姿から怪我の有無や健康状態を察するのは至難の業だ。


 夏海は言った。

「私たちは今、秘密回線を使ってるの。これだと敵から傍受されないし、火星の電波障害の影響も受けないんだって」

「ずいぶん都合のいいものがあるんだね」

「たぶん……」

 と、夏海はここだけの話、とばかりに声をひそめて言った。「きっと、電波障害と秘密回線は同じ出所(でどこ)なんだと思うよ。表向きは誰も突っ込まないけどね」


「なんだかきな臭いなあ……」

 華はうんざりした声を出した。「ところで、みんなはどんな様子なの? 辛い目に遭ってない?」

 ユズが調子よくべらべら喋り出した。

「私たちは絶好調だよ。お寿司やカニもいただいたし、ベッドはふかふかだし、お風呂も広くて最高……」

 その余計な口を後ろからふさいだのは、背伸びした愛梨紗だった。


「よくやった愛梨紗、そいつを後ろに引っ込めておいてくれ」

 引きずられていくユズの代わりに前に出てきたのは、二頭身でもすっきりスマートなしのぶだった。「華、龍之介たちのことは聞いたかい?」

「うん、一応、一時間ごとに『心配は無用』っていう一言だけは来てるよ」

「あいつらしいな」しのぶは笑った。

「せめて居所だけでも教えてくれればいいのに」

「そうすると、みんなが助けに来るから、それをあいつは嫌がっているんだよ」

「あの人、宇宙消防士が救助されるのは恥だと思ってるみたいなの」

「あんたも、あいつの気持ちがわかってるなら、察してやんな」

「そりゃあ、そうだけど……」

「私らがなんとかするから、心配するんじゃないよ」

「うん……」華は微笑んだ。


 こうして普通に会話していると、華としのぶとの間にあるわだかまりがたちまち溶けていくのがわかった。会わないでいるとお互いに勝手な想像が頭の中で膨らんでしまうのだが、ひとたび顔を合わせると、リアルな現実が余計な考えを押し流してくれる。恋のライバル同士である以上に、頼りになるチームの仲間なのだという意識のほうがはるかに上回っていた。華の胸はぽかぽか温まった。


 夏海が再び中央に出てきた。

「私たちはついさっき、スター・チャイルド奪還計画のサポートをするように命じられたんだけど、華ちゃんは何か聞いてる?」

「それは初耳だよ」

 華は驚いた。「隊長たちはずっと会議室から戻ってこないんだもん」


 夏海は言った。

「ポール・マルテル総督といろいろ相談して、こちらはとりあえずポリュペーモスと一緒に待機することになってるの。航空宇宙自衛隊や他の国の軍が行動を開始したら、要救助者たちを集めて、聖都(イエリポリ)の外に脱出する段取りだよ」

 華は訊いた。

「私に出来ることはない?」

「とりあえず、この秘密回線の接続をキープして、いつでも動けるようにしていておくれ」

「わかりました」


「それと……」

 夏海は、もう一言付け加えた。「マルテル総督がそちらに小包を送ったらしいから、届いたら、そこに書かれている指示に従ってほしいらしいよ」

「小包?」

「なんだかよくわかんないけど、いろんな悪巧みが進行中みたい。ほんと、やんなっちゃう」

 二頭身の夏海は頭を掻きむしった。「自分たちで自主的にスター・チャイルドを連れてくんならいいんだけどさ、こうやって命令でやらされるとうんざりするよ」

 その言葉は公務員らしからぬ、自由過ぎる発言だった。公務員の辛さはこういうところにあった。自分が納得できなくても、上の命令とあればその通りに動かなければならない。いろんな立場の人たちの政治的な思惑が錯綜して、どれが正しいのか判断できないときも、心を無にして言われたとおりにやるしかないのだ。


 その横では、二頭身の妙子が申し訳なさそうに立っていた。彼女は何も言わないが、自分の姉(幸子)とその連れ(クリスチャン・バラード)が今回も深くかかわっているらしいことは否定しようがなかった。だから申し訳なさでいっぱいだった。

「妙ちゃん」

 華は優しく声を掛けた。「大丈夫、心配いらないよ。バラードさんだって、そこまで悪い人じゃないと思うよ」

 華はわれながら無責任な発言だとは思いつつ、あの男の成長に賭けてみようという気持ちもあった。幸子に支えられて、彼もずいぶんがんばっていると、華は思っている。

 妙子は悲しさと嬉しさの混じった表情で、うなずいた。

「ありがとう、華ちゃん」


 最後に一・五頭身の愛梨紗が、ちょこちょこと真ん中に出てきて、華に言った。

「華、ちゃんとご飯ば食べりーよ。赤ちゃんのことばまず第一に考えんしゃい。無理したらいかんけんね」

「ありがとうございます、無理せずがんばります」

 華はにっこり笑うと、愛梨紗に向かって頭を下げた。

「それじゃ、いったん私たちはいなくなるけど、すぐ返事できるように、回線はそのままにしておいてね」と夏海。

「了解しました」


 すると、五人のメンバーや踊り狂っているぬいぐるみたちが目の前から消えてしまった。音楽も止まり、しんとなって、かすかに空調の音だけが聞こえてくる。大きな窓の外には緑の火星が静かにたたずんでいた。

 華は突然の寂しさに、胸が締め付けられるようだった。自分もみんなと一緒に火星を駆け巡りたいと、こんなに強く思ったことは今までなかった。すぐにでも夏海を呼び戻して、話し相手になってもらいたかった。


 思わず目の端に涙が浮かんだのがわかって、華は自分を叱りたくなった。ばかね、みんなは戦っているんだ、遊びに来てるんじゃないんだ、と。

 華は拳を握りしめ、机を軽く叩いた。本当は思い切り殴りたかったが、それで怪我でもしたらバカ丸出しなので自重した。

 すると、その音に応えるように、ドアの向こうからノックする音が聞こえた。


 さっき夏海が言っていた、マルテル総督からの小包かもしれない。火星から送ってくるにしては早すぎるので、最初から仕組まれていたものだということは察しがつく。

「どうぞお入りください」

 華がドアのロックを解除すると、消防衛星で働いている専属の女性職員が、小さな箱を片手に持って現れた。

「桃井華様にお荷物です」

「はい、私です。ありがとうございます」


 華は職員の手に軽く触れて個人認証を済ませると、その軽くて小さな荷物を受け取った。その白い正方形の箱には、火星開発統治機関のロゴが小さく印刷されているほかには何も書かれていなかった。しかし、厳重なセキュリティが施されていて、華以外にそれを開けることはできないようになっているようだった。

 華は、そのロゴに手を押し当て(たいていのセキュリティはこうやって解除できる)、ネビュラを通して自分のIDを入力した。


 箱は難なく開いた。そこに入っていたのは、小さな蝶をモチーフにしたかわいい指輪だった。その横にカードが同封されていて、ポール・マルテル総督の署名の入ったメッセージが書かれていた。

「桃井華様、この指輪を装着し、火星での探索にご協力ください。ポール・マルテル」

 渡りに船とはこのことだと、華はためらうことなく、その指輪を装着した。それが秘密回線を利用したネビュラの外部デバイスであることは明らかだった。


 華の視界に、深い森の景色がいっぱいに広がった。華はかろうじて、自分が現実に立っている場所を確認して、手探りで近くの椅子まで辿り着いた。そこに深く腰を下ろすと、いよいよ自分が見ている風景に集中した。


 これは指令室の窓の外に見えていた緑の火星の、その地上の景色に違いなかった。それはブレに対する補正が掛かってはいるが、空に浮かんで上下左右に揺れているようだ。よく見れば視界の端のほうに、黒い蝶の羽が見えたり消えたりしているのがわかった。どうやら指輪にかたどられている蝶のモチーフは、実際に火星の中を飛んでいる蝶を表現しているものらしい。


 華は今、火星を飛んでいる蝶に乗り移っていた。

「龍之介さん、どこにいるの?」

 華の口から真っ先に出たのは、何よりもまず、その言葉だった。

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