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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十一話「イヤイヤ期」
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イヤイヤ期・2b

「お客さんがいらしたのなら、ここを片付けなきゃいけませんね」

 ずいぶん前に食事を終えていた風間俊樹リーダーが、さっと席を立った。早飯も仕事のうちのレンジャー隊員は、のんびり食事を楽しむことなどけっしてない。カエデのために一生懸命言葉を尽くし、せっせと食べさせ係をまっとうしていた土屋高志一等宙曹でさえ、その仕事の傍らで自分の朝食をとっくに済ませていた。それはすさまじい技術だった。

「私がそちらの分を受け持ちます」

 と、鹿島春香一等宙曹はテーブルの反対側まで手を伸ばした。


 そうして慌ただしく動こうとする隊員たちを、黄明和尚はぴしゃりとたしなめた。

「まだ子供たちが食ってる途中でしょうが。あの子たちが落ち着いて食事に集中できるように、あんたたちもゆっくりしていなさい」

 そう言うと、和尚は再び新聞に目を落とした。

 確かにカエデはようやく本調子で朝食に取り掛かったところだ。大人たちがみんなして席を立ってしまったら、子供は心細くなってしまう。そういう形でストレスを与えることは、健康のためにも今後の教育のためにもよろしくないと和尚は判断したようだ。


 一方のアカネは食事の途中どころかまだ始まってすらいないような状況だった。

「イチゴ粥はどうしても嫌なの?」

 途方に暮れる樹雨は、腕が痛くてスプーンを持ち続けることもできなくなってきた。

「やーなの」

 と言って、アカネは断固として食べようとしない。


 樹雨は自分のご飯を見下ろした。子供につきっきりのせいで自分の食事はまるで進んでいない。ベーコンエッグにサラダ、味噌汁に納豆にご飯という、二歳児(実際は二か月だが)に食べさせるには塩分と脂肪分とアレルギー成分が多すぎるメニューだ。サラダはもう食べさせてしまったので、一度に摂取させられる塩分の許容量はすでにギリギリだ。


「じゃあ、わかったよ。食べたくないなら食べないでおきなさい。他にあんたが食べられるものはないんだよ」

 すると、アカネはいよいよエンジンが始動したように喚き始めた。

「やーなの、やーなの、ちゃらだ! ちゃらだ!」

 ツインテールの赤毛の髪が、でんでん太鼓のようにアカネの顔と後頭部を叩いた。

「あんたの身体にこのサラダはよくないんだよ。そんなに食べたいなら、今度からちょっとずつ出してあげるから、今は我慢しなさい」

「やーなの!」


 とうとう見ていられなくなって黄明和尚が立ち上がった。

「塩分過多なのがよくないんだから、何もかかってないやつをわしが作ってきてやるよ」

 そう言って和尚が持ってきてくれたのは、小さくちぎったレタスにつぶした固ゆで卵をまぶしただけの地味な料理だった。それが皿の上にこれでもかと盛られている。

 和尚曰く、「ハムもチーズもマヨネーズもコショウも省いておいたぞ」


 樹雨がそれをフォークの先に突き刺して顔のそばに近づけてやると、アカネは期待に胸膨らませて大口を開けた。樹雨は嫌な予感しかしなかった。

 案の定、それを食べたアカネはさらにヒートアップした。口の中のレタスを樹雨の顔面にぶちまけると、全力で叫んだ。

「ちがう! ちがう!」

「ほら、お師匠(っしょ)さん、これじゃないって。味がしないもん」

「ちっちゃいうちから刺激の強いものばかり覚えさせるわけにゃいかんだろ」和尚は不服そうに言い返した。

「不味いのはさすがにかわいそうだよ」

「じゃあ、納豆のねばねばを洗い流して持ってきてやろうか?」

「いいよ、もう、お師匠(っしょ)さんは何もしないで」


 叫んだり拒否したりして全力を尽くしてきたアカネは、ついに体力を使い果たし、空腹のためにぐったりし始めた。

「ほら、観念してイチゴを食べな。あんたイチゴ好きでしょ。ただ、ちょっと飽きてきちゃっただけよね? だけど今はこれしかないの。しっかり食べて体力つけて、次の機会にがんばればいいじゃない」

 アカネは、その説得を拒否するように無言で両目を閉じている。

「おねむなの? おねむでもいいけど、次のご飯までもうしばらく時間があるよ。我慢できるの?」

 樹雨の言葉が聞こえていないはずはないが、もはや説得に応じるつもりはないという断固たる意志が、アカネの能面のような表情から読み取れた。


「お師匠(っしょ)さんが作ってきた、ちぎったレタス、責任もって自分で食べなさいよね」

 樹雨は和尚に八つ当たりすることで、徒労感を少しでも紛らわそうとした。

 隣りのカエデはとっくに食事を終えて、高志の腕の中に抱きかかえられ、食後の睡眠に落ちていた。それを横から春香が覗き込み、ちょっかいを出したそうに手を伸ばしかけているが、それをなんとか意志の力で抑え込んでいた。しかし、とうとう我慢が限界を迎えたらしい。

「私に抱かせてもらってもいい?」

 春香がどうしてもと腕を伸ばしてくるので、高志は名残惜しそうにしながらカエデを彼女の手の中へと移した。起こさないようにゆっくりと手渡す動作は、周りの大人たちも和ませた。


 樹雨はよっぽどアカネに向かって、「ほら、弟はああやって行儀よくできてるのに、どうして姉のあんたがちゃんとできないの?」と言いそうになっていたが、姉弟を比較してお説教することが彼女の成長に悪い影響を与えることが明らかなので、ぐっとそれをこらえていた。


 まったく、どうしたらいいんだろう……、そう思いながら途方に暮れている樹雨の肩を、後ろから誰かが叩いた。

 樹雨は振り返りもせずに言った。

「お師匠(っしょ)さん、早くレタスを片付けなさいよ」

「樹雨ちゃん、俺だよ」

 聞き慣れたその軽薄そうな声に、樹雨ははっとして振り返った。

 軽薄な垂目に軽薄な眉、軽薄な口元に軽薄な笑みを浮かべ、軽薄なよれよれのシャツに軽薄なジーンズを穿いた軽薄な男が、そこに立っていた。


「浅倉さん、なんでここにいるんですか?」

「たまには現場に顔を出してこいって、上の人間が言うもんだからさ」

「それなら、どうして前もって連絡してこないんですか?」

「サプライズのほうが嬉しいだろ?」

「嬉しかありませんよ。サプライズだろうとそうでなかろうと、浅倉さんに会えたとして何が嬉しいことなんてあるもんですか」

 そこまで言われても、浅倉主任はびくともしない。

「まあまあ、せっかく会えたんだから、楽しくやろうよ」


 それに対するアカネの反応は、樹雨とはまったく正反対のものだった。目を閉じていた彼女は浅倉主任の声を聞きつけるなり、その大きな目をぱっちりと開き、顔を真っ赤にして、椅子の上にかしこまった。さっきまで駄々をこねていた面影はどこにもない。

「お、アカネさん、直接会うのは初めてですね」

 浅倉主任が声を掛けても、アカネは顔を上げることもできないでいた。

 樹雨はそれを見て、しめた、と思った。浅倉主任の一番の使い道がここにあったじゃないか。

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