結成!ブラボー・チーム(後編)・1
「愛梨紗、ピロシキ持っていくかい?」
カガロフスキー飛行教官が、別れ際に大きな包みを抱えてきた。職員や訓練生たちも総出で門まで見送りに来ている。佐藤愛梨紗はツナギの飛行服の上にピンクのMA‐1ジャケットを羽織っている。
「じゃがいものやつある?」
「あるよ」
愛梨紗は顔が見えなくなるほど大きな包みを抱えてご満悦だ。教官に頭を撫でられて、元気にさよならを言った。
「それじゃ、行ってきます!」
みんなに見送られた愛梨紗は、小走りで車に乗った。教官が、港まで乗る船を手配してくれていた。中では、桃井華と天野妙子が待っていた。
「いっぱいもらったんだね」
華はピロシキのずっしりした包みを受け取った。リネンの包みの中から、香ばしい匂いが漂ってくる。
「二人も食べんね」
「食べるー」
と、妙子も手を伸ばした。愛梨紗がくれるものなら、なんだって美味しい。
港からは二十人乗りの高速浮揚艇に乗った。完全自動操縦で波しぶきを蹴立てるその船は、海の上を文字通り滑るように航行した。たくさんの浮揚艇が人工島の間を行き交い、お互いにギリギリの距離感で避けていく。他の船が接近するたびに、妙子がいちいち「きゃっ」と小さく叫ぶのが、隣りの華には面白かった。
「妙ちゃんって、顔に似合わず、怖がりなんだね」
妙子はこんなに美人なのに、隙だらけで怖がっている姿が、華にはたまらなかった。
「あんまりじろじろ見ないで」
妙子はうらめしそうに言った。そのうらめしそうな顔も、それはそれでなかなか良い。
「次はどこ行くと?」
と、愛梨紗がピロシキにかぶりつきながら訊いた。
「次はアメリカ区だよ」
華は包みからピロシキを取り出した。「千堂しのぶっていう人を迎えに行くの。宇宙船技師だよ。……うわ、豚肉が固まりで入ってるよ。これは癖になるわあ」
「チームのメンバーって、華ちゃんが決めてるの?」
妙子もピロシキをもぐもぐしながら訊いた。
「そうだよ。妙ちゃんも愛梨紗も、経歴を見て、私が決めたの。救命医と、パイロットと、宇宙船技師と、通信士をそれぞれ一人ずつ」
「通信士って、なんばすると?」
「いろんな情報を収集分析して、メンバーや現場の人たちに役立つ情報を伝達する係なんだって」
「いろんな係があるんだね」
「あーねー」
アメリカ区は、ガラパゴスでもっとも大きな人工島だ。大小の島々が渦を巻くように浮かび、それぞれが橋で繋がっている。各島の中央にはタワーがそびえ建ち、それらが集まって、堂々とした摩天楼の都市を形成している。
前もって到着を連絡していたので、港に就くのとほとんど同時に、迎えのドローンが飛んできた。そのドローンは、人が両手を広げたくらいの大きさで、たくさんの脚をだらりとぶら下げたクモのような形をしている。
「お疲れさま、はじめまして」
ドローンのすぐそばの空中に四角い枠が出現し、短い黒髪のかっこいい顔が映し出された。その髪には軽いウェーブがかかっている。華は最初、それが男の人かと思った。太い眉毛に、凛々しい瞳はまつ毛が長く、鼻は高くて、力強い表情の美青年といった顔立ちだった。華はちょっと胸がきゅんとしたほどだ。
「はじめまして、桃井華です」
「私が千堂しのぶだよ」
その声もまた、力強くて惚れ惚れとするようだった。「もう本部に行くまで時間がないんでしょう? これから案内するから、先にそのドローンに荷物を預けちゃってよ」
「これ?」と華が浮いているそいつを指差すと、しのぶは画面の中でうなずいた。
「先に消防本部に荷物だけ届けておいたほうがいいと思うんだ」
「そうなの?」
「こっちで用意している乗り物に重量制限があるんだよ。そいつを使えば、浮揚艇よりずっと速く行けるからさ」
「じゃあ、そうする」
こんな男前な人に言われたら、素直にそうするしかない。
華は妙子と愛梨紗にも、荷物をドローンにぶら下げるように促した。驚いたことに、あれほど大きかったピロシキの包みはすっかりぺしゃんこになっていた。確かに自分もいくつかもらったけど、そこまでバカ食いした覚えはない。
「愛梨紗、もう全部食べちゃったの?」
「えっへへ」
と、愛梨紗は恥ずかしそうに笑った。それがかわいかったので、華は許した。
手ぶらになった三人が、しのぶがネビュラで示してくれる道筋に従って進むと、港からほど近い倉庫群に、その工場を見つけることができた。
大きく開け放たれた扉の向こうでは、天井からのクレーンのアームに支えられた大きな宇宙船が、今まさに組み立てられるのを待っていた。見上げるほど巨大なその船体は全面が銀色で、近づくと華たちの顔が映るほど磨き上げられている。足元にはガラクタなのか材料なのかわからない金属の切れ端が大量に転がっていて、その間を無数のコードがのたうっている。オイルが焦げたような臭いが充満し、誰かが作業を行っている気配を感じる。
ところが人の姿が見当たらない。
「そこから奥まで入ってきなよ」
華たちのすぐそばで、生の声のしのぶが言った。周囲を見回しても、その姿は見えない。
「かっこいいだろう? そいつを赤く塗ると、私たちが乗る消防宇宙船になるんだよ」
それはまるで空を飛ぶクジラのようだ。大きめの頭部に長い胴体、そして、すっと細くなった尾部を持っている。頭部は視界を広く取るために大きく切り取られ、そこに風防ガラスをこれからはめ込むところだ。胴体の左右からは、翼のように扉が持ち上がり、そこから何本ものロボットアームと各種のホースが長く伸びて、天井のクレーンで支えられている。尾部はプラズマエンジンが剥き出しになっており、霜をまとった液体ヘリウムのタンクから冷気が立ち昇っている。
「そのタンクに触っちゃダメだよ、お嬢ちゃん」
「触ったりせんもん」
しのぶに注意された愛梨紗が、ちょっとすねた。それを横で見ていた華と妙子がくすっと笑った瞬間、天井から何かが落ちてきた。それには三人ともびっくりして悲鳴を上げた。
落ちてきたものは、三人の目の前で宙にぶら下がった。それは、逆さまになっている千堂しのぶだった。黒いタンクトップと、作業用ジーンズを身に着けていて、天井の鉄骨から腰の命綱で支えられている。
「あはは、驚いた?」
しのぶは、とろけるような笑顔で言った。「ようこそ、私たちの工場へ」
ぶら下がった体勢のまま、しのぶは油で黒く汚れたたくましい腕を伸ばした。初めて間近で見るその顔は自信たっぷりで、逆さまでも魅力的だった。華たちは逆さまの手にそれぞれ握手した。
「奥でコーヒーを入れるから、一緒に飲もうよ。私たちが乗る船は、おやっさんが今調整してくれているところだから」
「私たちが乗る船?」華はきょろきょろと見回した。
「それは後のお楽しみ」
しのぶは腰の命綱を外して、器用に宙返りすると、床に着地した。彼女は今いるメンバーの中では一番背が高かった。ちょっと目のやり場に困るほど身体の凹凸がわかる服装をしている。
華たちは、ごちゃごちゃした機材やオイルの容器を積み上げた狭苦しい事務所に連れていかれた。機械類を詰め込んだ棚からは、なんだかよくわからないコードがたくさんぶら下がっている。
書類だらけのテーブルを無理やり片付けてその上にコーヒーを並べ、がたがた不安定な椅子にみんなを座らせると、しのぶは窓際のゴミの山みたいな机の上に一人で腰かけた。
横から日差しを受けたしのぶの顔は、なんだか映画の一場面を見るように絵になる。
「今、二時ちょい過ぎか……。調整まで十五分くらいかかるから、ここでなんかお話しようよ」
そう言われて、華と妙子と愛梨紗はお互いを見合った。
「みんなはどうして宇宙消防士になろうと思ったわけ? 華は?」
しのぶは唐突に訊いた。
華はぎくりとした。普段なら「龍之介さんに憧れて、私もああいうかっこいい人になりたいから」と堂々と言えるのだが、これから一緒に仕事をするであろう仲間たちの前となると、妙に生々しくてうまく言葉にできなくなるのだった。
華が口ごもっていると、しのぶは早々に助け舟を出した。
「まあ、今日は時間がないことだし、それは追い追い訊くとして、とりあえず先に私が宇宙消防士の、それも宇宙船の技師になろうと思ったきっかけについて話すよ。自己紹介ついでに私を知ってもらうには手っ取り早いからさ」
華はホッとした。しのぶはさばさばした口調で語り始めた。
それは、しのぶが十四歳だった頃の夏休みのことだった。当時住んでいた横浜の実家に、本物の宇宙船が届けられたのだ。
しのぶの父はプラズマエンジン専門の技師として腕は確かだったが、宇宙が苦手だった。宇宙は人間が住むところではないと思っていたので、宇宙に行くことをかたくなに拒否していた。華が巻き込まれたグラス・リングの事故はそれから五か月後に起きたが、しのぶの父はずっと前からそういう事故を予見していた。
ガラパゴス航空宇宙消防本部が所有していた消防宇宙船は、その時期一斉に耐用年数を超えて、いつもどれかが故障しているような状態だった。修理は静止軌道上の空中都市クロノ・シティでおもに行われていたが、技師の数が不足しており、すべての消防宇宙船の修理に手が回らないので、とうとうしのぶの父にまで声がかかったというわけだった。
「そんなに俺に船を診てもらいたいなら、うちまで送ってこい」
そう冗談を言って断ったつもりだったのに、船は本当に送られてきたのだった。片道一週間の長旅だった。
しのぶはそこで、初めて本物の消防宇宙船を見た。真っ赤に塗られた宇宙のクジラはひどく傷ついていて、人の命を救う前に自分をなんとかしろと、痛ましい気持ちにさせられるほどだった。
結局、エンジンだけでなくすべての部品を総とっかえするオーバーホールが行われた。しのぶが手伝ったのは、分解途中の船を写真に収めることだった。すべてを分解して部品を交換した後に、元のままに組み立て直すための大切な仕事だ。それで、しのぶは船というものがどうやって作られているのかを直に触れて学ぶことができたのだった。
「そのときに、船と一緒に変なものもついて来たんだよ」
しのぶは、急にそう付け加えた。
「たぶん、船が私の家まで送られてきた本当の目的はそっちなんじゃないかと思うんだ。宇宙消防士が一人、船の付き添いでついて来たんだよ。足を怪我してさ、ひどく落ち込んでた。その治療のために一度地上に帰されたんだな。そいつは田舎に戻るのが恥ずかしいからって、夏休みの間中、ずっとうちで手伝いしながら寝泊まりしてたんだ。あんまり役には立たなかったから、親父がそいつの宿代を修理費にうんと上乗せしておいたよ」
華は素直にうらやましかった。
「へえ、宇宙消防士に会えたんだ。いろんな話が聞けたでしょう?」
「まあね」
しのぶはいろんなことを思い出したように、窓のほうを見て微笑んだ。「そいつとは今もたまに連絡を取り合ってるよ。変わった奴でさ、名前を三国龍之介っていうんだ」
華は、飲んでいたコーヒーをまともに気管に吸い込んで、盛大に咳き込んだ。




