たくさんの命・3b
油圧ショベルを取りに行った八海さんが、何も持たずにとぼとぼと帰ってきたのは、市長から電話があった三十分後のことだった。
「お前はいったい、何をしにのこのこ出掛けていったんだ?」
詰め寄る黄明和尚に、八海さんは肩をすくめながら答えた。
「なんか、小さいやつは出払っていて空きがないんだってさ。話が違うじゃないですかって言ったら、お詫びに市長がなんとかしてくれるって約束してくれたから、午後には来るんじゃないかな」
「市長もああ見えて抜けてるからなあ」
浅倉主任といい、マルテル市長といい、この街に関わる上の人間は無能とまでは言いたくないがどこか頼りない。しかし、そこが肩の力の抜けた居心地の良さを生み出しているという点では、彼らは意外と貢献している部分もあると、和尚は秘かに評価していた。
その日の正午過ぎ、ポール・マルテル市長みずからが、大型油圧ショベルを運転してやって来た。
ちょうどそのとき、樹雨とおじさんたち、三人のレンジャー隊員と二人の赤ん坊は、裏庭にレジャーシートを広げ、ピクニック気分でおにぎりを食べていた。これから忙しくなるのだから、今のうちにのんびりしようと考えたのだ。
その日の午前中には家畜の世話と畑の手入れを少しやったくらいで、あとはそれぞれ思い思いに過ごした。黄明和尚と五条さんは外に机と椅子を持ち出し、二人がかりでプールの設計図を描いた。
赤ん坊たちは飽きずにミミズを眺めながら、つきっきりで樹雨と八海さんが飲ませてくれるミルクをたらふく飲んだ。
三人のレンジャー隊員たちは溜まっていた洗濯物を持ち出して、庭に杭を打ち込み、ロープを張って、そこにありったけの服やタオルやシーツなどを干した。いつもは宇宙船に備え付けの乾燥機を使っているのだが、今日はこんなことをしてみたくなるくらいに天気が良かった。
そうやってのんびりと時間をつぶし、みんなで楽しく昼食を楽しんでいるところに、その化け物ショベルカーは地響きを立てながらやって来たのだった。
その大きさたるや樹雨たちの宿舎よりも大きい。土を掬うバケットの容積は五十立方メートルで、土の重さに換算すると一度に九十トン弱を持ち上げることができる。そのひと振りで、レンガ造りの宿舎など簡単に破壊してしまえるだろう。マルテル市長は誇らしげな顔で運転席に座り、サングラスと襟の開いたワイシャツというラフな格好で、窓から手を振っている。
「あのね、小型って言ったでしょ」
黄明和尚はおにぎりを持ったまま、呆然とした表情で油圧ショベルを見上げ、横で同じように呆然としている八海さんに向けてぼそりと言った。
「なんか、どうしようもない場合には大きいのが来るかもしれないとは言っていたんだけど、俺もここまででかいとは予想してなかったなあ……」
「わし、小型の免許しか持ってないよ」
「俺だって持ってないよ」
和尚は八海さんの顔を無表情で見つめると、少々やけくそ気味に上を向き、両手をメガホンにして市長に声を掛けた。
「あのう、市長さんや」
「いやあ、いい日和ですね、みなさん」
市長は自分が設定した太陽柱の日差しを眩しそうに見上げた。
「ダメだ、すっかり上機嫌になってらっしゃる」
和尚はぼそりと言うと、もう一度両手でメガホンを作って叫んだ。「おうい、市長さんや」
「これはこれは黄明和尚、そんなところにいらっしゃいましたか」
「わしら、大型建設機械の免許は持っとらんのですよ」
市長は、そんなことはとっくに存じ上げておりますよという、見る者をほんの少しイライラさせる得意気な表情で答えた。
「大丈夫ですよ、お宅のほうにいらっしゃる三人のレンジャー隊員さんたちは、みなさん必要な資格を持っていらっしゃいますから」
「本当か?」
と、黄明和尚は横にいる八海さんに聞いた。八海さんは首をぶんぶん横に振って「知らない」と言った。
八海さんの代わりに、風間俊樹三等宙尉が立ち上がると、胸を張ってこう言った。
「われわれ三人、この度の工事に必要になりそうな資格は一通り取得済みです。油圧ショベルでもフォークリフトでもクレーンでもダイナマイトでも一応取り扱えますので、必要なときにはお声をお掛けください」
「なんか、あんたたちに頼りきりでわるいなあ……」
和尚は恐縮しきりだった。ただでさえ警護の任務の範疇を越えて赤ん坊や家畜の世話や畑の仕事までさせてしまっているというのに、そのうえプール作りのもっとも主要な作業までやってもらうというのはかなり図々しいことのように思えた。
「構いません。われわれ、ここに来て一か月になりますが、これまで経験したことがないような充実した毎日を過ごさせていただいています。これはわれわれからのお礼のようなものです。どうかご遠慮なく」
風間リーダーが振り返ると、土屋高志と鹿島春香も声には出さないが気持ちは同じという明るい表情を浮かべている。
「それでは、申し訳ないがよろしく頼みますよ」
黄明和尚のその一声で、午後の作業が始まった。




