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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三十話「たくさんの命」
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たくさんの命・2b

 オエエエエエ、ボエエエエエ、と鳴く七面鳥たちを、春香と高志は牧草地へと追っていった。

 七面鳥は先端が白くなっている黒い羽毛を持ち、首から上にはほとんど毛が生えていない。オスのくちばしや喉からは肉垂(にくすい)という柔らかな組織が垂れ下がっている。皮膚が剥き出しの頭部は青いが、肉垂は鮮やかな赤だ。


 草がまばらな牧草地には、家畜の餌となるムラサキウマゴヤシが栽培されている。降雪機の故障によって雪に覆われ、いったんはすべて枯れてしまったのだが、深いところまで根を下ろしていた個体は無事に冬越しをして、ほんのわずかに葉を広げている。

 ここで育てられた七面鳥は温和な性格をしているようで、人間に追われても警戒したり威嚇したりすることなく、のんびりとマイペースに歩いている。


「こっちは土ばかりだぞ。あっちのほうが草がいっぱい生えているから、あっちへ行け」

 そんなことを言いながら高志が七面鳥の尻を叩くと、それに答えて彼らはオエエエと鳴いて歩いてくれる。

「ホエホエホエホエ」

 と、喉を震わせて上手に声真似する高志を見て、春香はクスクスと笑った。

 訓練で徹底的にストイックさが身についてしまったためか、勤務中に笑ったり雑談することに強い抵抗を感じる高志は、彼女の笑いに対してどういう反応をすればよいのかわからない。春香のほうも、そういう彼の困惑をすかさず読み取って、ほんのわずかな笑顔を見せただけで、すぐに仕事に集中した。


 その様を厩舎の中から眺めていた黄明和尚は、終始ニコニコしている。

「何いやらしい顔してるの? お師匠(っしょ)さん、手が止まってるよ」

 作業着に着替えてやって来た樹雨が、横から茶々を入れた。

「いやらしいとは何だ。好々爺(こうこうや)と言え」

 和尚は止まっていた手を動かし、水を張った床をブラシで磨いた。こびりついていた七面鳥の糞が、端に掘られた溝にどんどん落ちていく。


 溝に落ちた糞は水と一緒に流されて、堆肥製造マシンの手前に並べられたタンクに溜められていく。堆肥の熟成具合に合わせて、順次様々な動物の糞が投入される仕組みになっている。マシンは元々古いものが一台あったのだが、今はスター・チャイルド用の新しくて大型のものが加わったので、宿舎の裏庭をこの二台が占領している。


「それじゃ、ちょっと寝かせてもらいます」

 そう言い残し、徹夜明けでフラフラと歩いていく五条さんと八海さんの後ろ姿が、宿舎のほうへと遠ざかっていく。

「ちゃんと布団で寝るんだぞ。ソファーなんかで力尽きるなよ」


 二人に声を掛けた黄明和尚は、後ろで豚たちに話しかけている樹雨を振り返った。

「お前までこっち来ちまったりして、赤ん坊たちはどうしたんだ?」

「風間さんが見てくれてる」

「ついさっきまで大いびきかいてたのに、もう起きたのか?」

「三時間以上寝ると頭痛がする体質になっちゃったんだって。これ以上寝てられないから、何かさせてくれって頼まれたの」

「ご苦労というか、気の毒というか……」

 それはそれで便利な体質だとは思いつつ、風間リーダーがいつか身体を壊すのではないかと、和尚は心配になってくる。レンジャー隊員としての長年の訓練が身体を秘かに蝕んでいないとも限らない。


「自衛隊のお二人さん、付き合ったりとかしないのかな」

 樹雨は、豚に話しかけるついでに和尚にも話しかけた。

「なんだ? わしに言ってるのか? 豚に言ってるのか?」

「両方」樹雨はにこりともせずに言った。

 牧草地では、春香と高志がぎこちないながらも七面鳥を追って、彼らがなるべく草がたくさん生えている場所へ行くように導いている。そうして動物たちとのコミュニケーションに慣れてもらうのが今日の課題だ。


「お姉ちゃんのほうは肩の力が抜けたみたいだが、お兄ちゃんのほうはまだ固いな。フィリップ・マーロウが家畜の世話をしてるみたいだ」

「お師匠(っしょ)さんだって、若い頃に修行してたときはあんな感じじゃなかったの?」

「わしは年を食ってから坊主になったから、ずっとこんな感じだよ。逆に、ああいうみずみずしさに憧れるわい」

「確かにそうだね。お師匠(っしょ)さんの滝行なんかシャワーだもんね」

「うむ、水温は十七℃がベストだ」

「それってただの行水でしょ」


 樹雨は辛らつな一言を放つと、豚たちが寝ていたエリアの柵を開けた。豚がぶいぶい言いながら歩き出すのを、樹雨は後ろから尻を押して手伝った。

「あんまり食い意地張って、草を食い尽くすなよ」

 黄明和尚は豚たちの背中を撫でて送り出した。豚の毛色はピンクだったり黒だったり(まだら)だったりと様々だ。「かわいそうにな。もっと腹いっぱい草を食わしてやりたいんだが」


「ところで、自衛隊のお二人さん、付き合ったりとかしないのかな」

 樹雨はまだしつこく言っている。

「樹雨よ、お前こそ、男を見つけたほうがいいんじゃないのか? 風間さんなんか真面目だしハンサムだし、ちょうどいいだろ」

「なんか、私に合いそうな人がいないんだよね。風間さんはちょっと素敵すぎて、なんか緊張しちゃうし……」樹雨は遠い目をして言った。


「若い頃は理想が高くてそう思えるだろうが、自分に合う人間なんて待ってたら、一生誰とも出会えないぞ」

「アカネみたいに恋に一直線になれたらいいんだけど」

 あの浅倉義夫主任から通信が入るたびに乙女の顔になって急にしおらしくなるアカネを思い出すと、樹雨は微笑みを抑えきれない。

 一方の黄明和尚はおぞましさに顔をしかめ、首を横に振った。

「あれはいかん、あれはいかんぞ。いつかきつい現実を知ることになるぞ」


 それはともかく、和尚は浅倉主任のことを思い出したついでに、例のミミズのことも思い出した。「そう言えば、もしかしたら、来週あたりにミミズが届くらしいぞ」

 樹雨の顔がぱっと明るくなった。

「金星大ミミズが届くの?」

「おう、来週来なかったら、再来週らしいが」

「そしたらガンガン土を改良して、牧草をどんどん増やせるね」

「変な病原菌とか寄生虫とかがくっついていなければいいけどな」

「とにかくやってみる価値はあるでしょ」


 これでようやく停滞していた土壌改良を先に進められる。ミミズの次には他の植物や虫たちを加えていきたい。火星の土にもっと多様性をもたらしたい。そして、やがては鐘の街(ベル・タウン)の外までも生命圏を広げていきたい。

 火星の可能性は無限だ。樹雨の想像する未来は希望に満ち溢れている。自然と調和している限り、生命は間違った選択をすることはない。重大なミスを犯すのは、常に人間だ。

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