たくさんの命・2a
厩舎に入る前に、黄明和尚はこんなことを訊いた。
「姉ちゃん、あんた、名前は何て言ったっけ?」
「下の名前ですか?」
鹿島一等宙曹は自分を指さした。「私、下の名前は春香です。春の香りで春香」
「そうか」
黄明和尚はもう一人のレンジャー隊員にも訊いた。「兄ちゃん、あんたは?」
頭を五分刈りにして、いくらか厳つくなった土屋一等宙曹は自分を指さした。
「僕は、高志です。高い志と書いて高志」
黄明和尚はうんうんとうなずくと、二人の顔を順に指さして、こう言った。
「これからあんたたちのことは下の名前で呼ぶからな。春香と高志な。自衛隊での階級はいったん忘れちまえ」
そういうわけで、これから二人は下の名前で呼び合うことになった。
黄明和尚は春香と高志を連れて厩舎に入った。中はむっとする家畜の匂いでいっぱいかと思いきや、意外に清潔が保たれていた。
厩舎の床には一定間隔できれいな水が流れるようになっていて、それで家畜たちの排泄物をきれいに洗い流してしまう仕組みだ。
牛、豚、鶏、羊、七面鳥がここでは飼われていて、それぞれ肉や卵やミルク、そして羽毛や羊毛などを供給している。
柵の中では動物たちが餌入れから餌を食べている。その餌も、一定間隔で自動的に餌が補充される仕組みだ。降雪機が故障して牧草が枯れてしまったので、本来なら干し草を食べている牛たちも他の動物たちと同様、輸入物の大豆やトウモロコシなどの穀物で何とかしのいでいる。
「全部が自動化されているから、一見すると何もすることがないように見えるが、実はこれでもめちゃくちゃに忙しいんだ」
黄明和尚は歩きながら、それぞれの家畜ごとにやるべきことを列挙していった。最初の家畜は牛だ。「牛はまず乳を搾らなきゃならん。一日二回ずつだ。ちゃんと搾ってやらないとそれがストレスになって病気になったりするからな。あまり長時間搾るのもダメだし、ほったらかしにするのもダメだ。一頭一頭それぞれ個性があるから、それをまず覚えることだ」
大きく開け放たれているガラス窓からは、広々とした牧草地が見える。ただ、今は枯れて赤茶色に変色している。黄明和尚は言った。
「今はあれっぽちしか生えていないが、本当はもうちょっと緑が豊かな土地なんだ。昼の間は家畜たちをあそこで自由に遊ばせる。ずっと向こうに木の柵が見えるだろう?」
和尚は遠くのほうを右から左へ指さしてみせた。隊員たちもそれを目で追った。「あそこからあそこまでがうちが管理している牧草地だ。あの範囲の中で、牛も豚も鶏も羊も七面鳥もみんな自由に歩き回らせるんだ。そうすることで足腰が丈夫になるし、病気の予防にもなる。その間に厩舎の掃除もできるしな」
次にやって来たのは鶏たちのエリアだ。
「朝になったら籠を持って、卵を回収して回る。産卵は一日一個だ。大人になった雌鶏は二年の間、毎日卵を産む。それ以上歳を取ると卵の質が落ちるから、二年経ったら肉として出荷する。鶏たちは最後まで人間のためにそうやって身を捧げてくれるんだ。感謝の気持ちを忘れぬようにな」
そして羊のエリアに入った。
「羊は肉にもなるし、ミルクも出るし、毛皮も取れる。わしらが着ている服も、こいつらの毛で出来ているんだ。大したもんだろ」
それから豚のエリアに入った。
「あそこでぐうたら寝ているのがうちで飼っている豚――じゃなくて、あいつは八海だ」
黄明和尚は椅子の上で手足をだらりと伸ばして眠っている八海さんの頭をぽかりと殴った。「こら、八海、こんなところでサボってないで、ちゃんと身体を洗って布団で寝ろ」
うっすら目を開けた八海さんは、よだれで濡れた口元を手の甲で拭った。
「お師匠さん、交代の時間かい?」
「そうとも。五条の奴はどこに行ったんだ?」
そういえばこの辺りに五条さんの姿が見当たらない。
「五条さんならさっき、隣りのおばさんのためにハムを取りに地下室へ行ったよ」
「在庫はどのくらいあるんだ?」
「だいぶ減っちゃったなあ。最近は餌の量が減ったから、子供を産ませる数もぐっと制限しているし、いろいろギリギリでやりくりしてるよ」
「来週あたりにミミズが届くそうだから、そいつでもう少し土がマシになるかもしれんぞ」
「そりゃあ、助かるよ」
そんな会話の間、手持無沙汰の春香と高志は直立不動で突っ立っていた。それに気づいた黄明和尚は、手刀を切って詫びを入れると、さっそく二人のためにやるべきことを指示した。
「それじゃあ、二人にはまずは七面鳥たちを外へ追っ払ってもらおうかな。奴らの習性を覚えて、お前たちの言うことを聞いてもらえるようにならなきゃならんからな。どっちかは経験があるんだっけ?」
「七面鳥のほうはまだです」春香は苦笑した。
「僕も」と高志はぽつりと言った。




