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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二十九話「アカネとカエデ」
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アカネとカエデ・4c

 激しい銃声とグレネードが炸裂する音は、レンガの壁を越えて宿舎の中まで轟き渡った。

 カエデを抱きかかえてあやしていた黄明和尚は、その鋭いまなざしをリビングの窓のほうへと向けた。そこにすかさず樹雨は声を掛けた。

「お師匠(っしょ)さん、窓のほうへ近づいちゃいけませんって、風間さんからきつく言いつけられてるんだよ」

 黄明和尚は、眠そうにしているカエデの頭を優しく撫でながら言った。

「そんなのは時と場合によるわな。あの人たちがもしやられたら、わしらも戦わなきゃならんのだから」


 その直後に再び銃声が始まり、それはしばらく続いた。断続的に地面を揺らすような爆発音も聞こえてくる。そのたびに飛び散った雪が窓や屋根の上に降り注いできた。

「あの音は手榴弾かな。よほど手こずっていると見える」

 黄明和尚は眠ったばかりのカエデをそっと樹雨の腕に抱かせると、汚れた金色のエプロンの紐をほどきながら、階段のほうへそろりそろりと歩き出した。


「お師匠(っしょ)さん、二階から覗こうなんて考えてないでしょうね」と樹雨。

「ちょっと見るだけじゃよ」

 そう言って、和尚は人差し指と親指を少し離して「ちょっとだけ」のサインをしてみせた。ついでにウインクも。

「ガラスが割れて『目がー目がー』とか大騒ぎしても知らないよ」

「ちゃんとゴーグルするから平気だもん」

 黄明和尚は跳ねるように階段を上がっていった。あの人はやっぱり単に好奇心から見たいだけなんだなと、樹雨は呆れつつも、自分だって見たい気持ちは同じなのにと憤った。


 二階は間仕切りのない広間になっていて、黄明和尚の寝室と書斎があり、残りのスペースはガラクタが積み上がった物置になっている。その南側(太陽柱(サン・ピラー)の方角)には、さっきレンジャー隊員たちが雪かきのために飛び降りていった大きな木枠のガラス窓がある。

 戦闘機パイロットのゴーグルをはめた黄明和尚は、真っ暗な部屋を這いつくばるように移動し、出来る限りガラス窓のそばに近寄って外を見ようと試みた。


 恐る恐る見下ろしてみると、街灯に照らされた雪の上にはグレネードの火花が飛び散り、手榴弾の灰色の煙が立ち込めている。

 その煙の向こうに見える光景はすさまじいものだった。フル装備の航空宇宙自衛隊レンジャー隊員の精鋭三人を相手に、たった一機の古ぼけたドローンが善戦している。

 それはただ、小さなドローンがからかうように飛び回っているだけなのだが、その腹に抱えた大きな四角い物体がただならぬ恐怖を見る者に呼び起こしていた。それは一辺が五十センチほどの立方体で、全体がアルミのような銀色の素材で出来ている。


 もしも、あれが何かの種類の爆薬で、それが爆発したとしたら、この宿舎くらいなら木っ端微塵にできる上に、雪の中に大きなクレーターを作ることもできるだろう。下手をすれば鐘の街(ベル・タウン)の回転に致命的な影響を与えて、重力を失ったことによる恐ろしいカタストロフを街中に引き起こすかもしれない。

「なんで箱を撃ち落とさないんだ? 銃で撃ったって爆弾は爆発したりしないんだから、敵が爆弾のスイッチを入れる前にバラバラにしちまえばそれで済むのに」


 そんなことをつぶやいている黄明和尚の横に、いつの間にか五条さんがやって来ていた。彼は中腰で両手を床につけ、ゴリラのようなポーズをとっている。二人はひそひそと言葉を交わした。

「なんだ五条、お前も来たのか」

「俺たちにも何かできないかと思ったんだ」

「赤ん坊はどうした?」

「二人ともぐっすり寝てるよ。樹雨と八海がそばに付いてる」

「そいつは助かる。あっちとこっちと両方の相手をさせられたんじゃ身が持たん」

「外はどんな様子だ?」

(らち)が明かんよ」


 五条さんは窓のすぐそばににじり寄って、そっと外を覗くと、即座に現状を分析した。

「箱を避けて本体を狙おうとしているんだな」

「なんで箱を狙わないんだと思う? 五条」

「もしも箱に起爆剤でも仕込まれていたら一巻の終わりだから、それを想定しているんだろう」

「なるほど、確かにそうだ」

 爆弾に使われる火薬そのものは銃の弾くらいで爆発することはないが、中に何らかの起爆剤が入っていて、ちょっとした刺激で強力な衝撃波を生み出したりすれば、それが爆発を誘発しかねない。


「あいつはいったい、何が目的なんだ?」黄明和尚はつぶやいた。

 五条さんはそれに答えた。

「赤ん坊たちの情報を集めに来たのか、あるいは襲撃に来たのか、あるいは、こちらの戦力がどれほどのものかを探りに来たのかもしれない」

「どっちにしても無駄弾を撃たされるのは癪だな」

 航空宇宙自衛隊がどんな方法で外から補給をするのかわからないが、こうした襲撃が何度も繰り返されるのであれば、いつかはこちらも弾が尽きるときがやって来るだろう。そうなったときに敵が本気の襲撃を仕掛けて来れば、レンジャー部隊の精鋭たちとて守り切ることはできまい。


「しょうがないな、昔取った杵柄(きねづか)を試してみるか。お前はここで外を見張っていろ」

 黄明和尚は突然そんなことを言うと、自分の寝室兼書斎になっているスペースのほうへ中腰で歩いていった。

 書斎には年季の入った木の机が置かれている。和尚は紫檀(したん)だと自慢しているが、本当は外側に紫檀を貼り付けただけのイミテーションだ。

 横のガラクタの山から何やら大きな箱上のものを見つけ出すと、和尚はそれを机の上に置いた。そして、大きく息を吹きかけて、上に積もっていた埃を吹き飛ばした。たちまち和尚の咳き込む声が二階中に響いた。


「何やってんだ、和尚」と、五条さんも気が気でない。

 ゴホゴホ言っている黄明和尚は「すまんすまん」と呟き、最後に思い切り大きな咳ばらいをすると、気を取り直して机の前の椅子に腰かけた。

 和尚がガラクタの山から取り出した四角いものは、古ぼけたコンピューターの本体とディスプレイが一体になったものだった。今どき、こんなものを使っている人間はほとんどいない。ネビュラのネットワーク上で無料で貸し出されているスーパーコンピューターは、この化石のような箱の何兆倍もの演算能力を持っているからだ。


「手打ちでプログラミングする人間なんて、わし以外には、もう絶滅しちまったんじゃないか」

 そう言いながらキーボードを叩く和尚の手並みは鮮やかだ。ディスプレイに描き出される文字列は画面の下から次々と湧き出して、とめどもなく続くアルゴリズムの洪水を生み出している。

「それで何をやろうっていうんだい? 和尚」

 五条さんはわけのわからない文字列を前に困惑している。その面長の顔にはディスプレイの青白い光が照り返して、まるで催眠にかかったようにうつろな表情になっている。

「あのドローンの持ち主を突き止めてやろうっていうわけさ」

 現代人がネビュラの中の仮想世界で感覚的に行っている作業を、黄明和尚はひたすら前時代のコンピューター言語の羅列によって組み立てようとしていた。


「噂には聞いていたけど、和尚は本当にすごいハッカーだったんだな」

 五条さんに褒められると、和尚はそのつるつるの頭を赤くして喜んだ。

「ハッカーといったら悪い意味に捉えられがちだが、コンピューターをここまで進歩させたのはわしらの働きがあってこそだぞ。わしがいなきゃネビュラはここまで普及しなかったと言っても過言じゃないくらいだからな」

「初めて聞くよ。もっと自慢してくれ、和尚。今までどんなすごいことをやってきたんだい?」

「もっと時間があるときにたっぷり聞かせてやる。まあ、次に暇になるのはいつになることやらわからんけども」


 そう言って和尚が「ッターン!」と最後のキーを叩くと、それ以上何も触れていないのに、画面上では様々な処理が自動的に始まった。

「さあ、敵の正体は何かな? 国はどこか? 地球人なのか? エウロパ人なのか? それとも知性を持った機械細胞(マシン・セル)かな?」


 ディスプレイの中で整列していた文字は突如として崩れ、次第に集まったり離れたりして、意味のない形を作り始めた。そうして、ワクワクしながら手ぐすね引いて待っている二人の目の前に現れたのは、文字列によって立体的な画像として浮き上がってきた、ある男の肖像だった。それはすべての期待を裏切る、最悪の事実だった。

「あのバカ、死んじまえ!」

 黄明和尚は大声で叫ぶと、握りしめた拳で紫檀の机を力いっぱい殴った。すんでのところで古いコンピューターがフリーズするところだった。


 一階では樹雨と八海さんが赤ん坊のために大忙しの有様だった。さっきまで激しい銃声や爆発音を子守唄代わりにして眠っていたアカネとカエデは、たっぷり休息してお腹の中が空っぽになったらしく、再びわんわん泣いてミルクを要求し始めたのだ。

「八海さん、さすがに二人同時に抱っこは無理があります」

「もうちょっとでミルクが温まるから我慢して」

「早く戻ってきてよ、お師匠(っしょ)さん!」

 樹雨は泣きわめく二人の赤ん坊に挟まれて鼓膜を破られそうになりながら、暴れる彼らを必死で支えた。


 すると、その願いが通じたのか、二階からバタバタとおじさん二人が降りてきた。

「もう、何やってたの? この子たち、また目を覚まして大変なんだよ」

「おい、樹雨、今すぐ外の風間さんに連絡しろ」

「わかったから、この子たちをお願い」

 樹雨はアカネを和尚に、カエデを五条さんに押しつけると、ようやく解放されてソファーから立ち上がった。そうして樹雨が凝った身体をストレッチしているところに、黄明和尚は張りつめた声でまたこう言ったのだった。

「さあ、樹雨、風間さんに伝えるんだ。今すぐ攻撃をやめろってな」

「なんで?」

 と、両手を後頭部にあてて腰を捻っている樹雨は訊いた。「攻撃をやめても大丈夫なの?」

 外ではまだ戦いの音が続いている。


「あれは敵じゃないんだ」と和尚は言った。

「敵じゃないならなんなのさ?」

「バカだ」

 と、和尚は吐き捨てるように言った。「とにかく攻撃をやめるように言うんだ。そうすりゃ、奴は自動的に着陸して、正体を明かすよ」

「わかった」


 樹雨は言われた通り、ネビュラを通して風間リーダーにメッセージを送った。

「本当ですか?」

 と、訊き返してくる風間リーダーに、黄明和尚は「本当だ」と念を押すように言った。

 たちまち外は静かになった。


 黄明和尚はアカネを抱きかかえたまま窓に近づくと、ためらうことなく鍵を開けて、左右に大きく開け放った。

 突き刺すような冷たい風に乗って、白い煙と硝煙の匂いが部屋の中に流れ込んできた。外では熱くなった小銃から湯気を出している三人のレンジャー隊員たちが、どうしても仕留めきれなかったドローンに対して、腹を立てている様子がうかがえた。


 黄明和尚は窓越しに声を掛けた。

「どうも申し訳ない。此度(こたび)のことはこちらの手違いだ。あのドローンはうちの会社の人間が飛ばしてきたもので、何も怪しいものじゃない」

 風間リーダーは、目に掛けていた暗視ゴーグルを額まで上げると、滴り落ちてくる汗を手の甲で拭い、

「どういうことでしょうか?」と、喘ぐように訊き返した。

「とりあえずわしらもそちらへ行きますよ」


 黄明和尚を先頭に、樹雨とおじさんたちは総出で宿舎の外に出た。二人の赤ん坊はそれぞれ和尚と五条さんがミルクをあげながら抱きかかえていて、今のところ泣きやんでいる。

 ドローンは相変わらず空中でからかうように旋回している。

 黄明和尚はアカネを抱きかかえたまま、まっすぐに納屋へ向かうと、中に置いてある電話から受話器を持ち上げて、ダイヤルを回した。

 ジーコジーコという音が夜の闇に響いた数秒後に、黄明和尚の、

「この大馬鹿者が!」

 という怒鳴り声が轟いた。今にも雪崩が起きるのではないかと心配になるような大声だった。


 事の顛末はこうだ。ドローンを飛ばしていたのは上空一万七千キロメートルにいる上司の浅倉義夫主任だった。

 雪の上に着陸したドローンにはモニターが付いていて、そこに浅倉主任の呑気な顔が映し出された。

「やあ、もっと遊びたかったのに、もう終わりなの?」

 という、浅倉の場違いな一言で、その場の全員が地面に崩れ落ちそうになった。

「バカが、なんでこんなことしでかしたんだ?」

 和尚がカンカンになっている理由が、主任にはぴんと来ないようだ。

「だって、今日はクリスマスイブじゃん。みんなにプレゼントをあげようと思って、一週間前から準備してたんだぜ。それと、なんか上の人から聞いたんだけど、赤ちゃんを二人預かったそうじゃんか。俺にもそいつらを紹介してよ」

 モニターの中の浅倉主任は悪びれる様子もない。


 おびただしい銃弾を浴びてぼこぼこにへこんでいる銀色の箱は、まだ無事にドローンの腹部に納まっている。

「この箱は何なのさ?」と樹雨が訊くと、

 浅倉主任はニヤニヤして、

「開けてごらん」と言った。

 さっきまで爆弾ではないかとみんなが恐怖していた銀色の箱は、開けてみるとただの保温容器で、中には香ばしく料理された七面鳥の丸焼きが入っていた。まだホカホカの湯気をあげていて、とても美味しそうだ。


「浅倉さん……」

 樹雨は神妙な面持ちで言った。「お心づくしは本当にありがたいんだけど、あなたがやったことは、本当に本当に、どうしようもないほど、すっごいバカなんだよ。自覚ある?」

「まあ、いいじゃん。クリスマスなんだし」

 そう言い切る浅倉主任の無神経さは、ある意味あっぱれなほどだった。


 そうして、無意味な戦いが行われた後で、せっかくだからと、みんなはささやかなクリスマス・パーティを開くことになった。

 樹雨の胸に抱かれたアカネは、テーブルに置かれたモニターの中の浅倉主任に興味津々の様子だ。

「どうしたの? ()()が気になるの?」

 アカネはミルクを飲みながら、その大きな瞳は浅倉主任の顔に釘付けになっている。

 主任のほうもまんざらではない。

「アカネさんよ、俺の顔を肴に飲むミルクは美味いかい?」

 などとのたまいながら、長い前髪を掻き上げたりしている。樹雨は画面越しでもいいからこいつを力いっぱい殴りたくてたまらなくなった。


「アカネ、男を好きになるなら、もっとマシな人がいっぱいいるでしょ」

 樹雨は風間リーダーと土屋一等宙曹の顔を交互に見た。二人はソファーに座って七面鳥をかじりながら、照れ臭そうに視線を泳がせた。

 樹雨は、まだ夢中になってモニターを見つめているアカネに、念を押すように言った。

「だから、こいつだけはやめておきなさい。不幸になるだけだよ」

「禁断の恋の始まりかな?」

 などと言いながら、モニターの中の浅倉主任はウインクを寄こした。

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