結成!ブラボー・チーム(前編)・3
初期の宇宙エレベーターが建造されたばかりで、宇宙がまだ各国の覇権争いによって分断されていた時代――
航空宇宙自衛隊の一等宙尉で宇宙船パイロットの佐藤道子は、地球の低軌道から発せられた救難要請を受けて、宇宙ステーション基地からスクランブル発進した。
道子はまだ二十代だが経験豊富で、宇宙での緊急出動の回数は他の隊員を大きく引き離すほどの隊のエースだった。地球には、まだ学生だった頃に産んだ幼い娘が一人いて、一般企業に勤める年上の夫が面倒を見てくれている。
事故現場のすぐ近くでは、宇宙太陽光発電に用いる大規模な太陽電池パネルを展開するために、さまざまな企業に属する大小の作業船が入り乱れて飛んでいた。
その当時は宇宙技術の規格が統一されておらず、運営のやり方も各社バラバラで、連絡の不備を原因とする衝突事故がたびたび発生していた。衝突後に慣性によって宇宙の果てに飛び去ってしまわないような自動ブレーキも開発されていなかったので、事故で制御を失った宇宙船は助けに行かない限りどこまでも飛んでいくか、あるいは地球に向けてまっさかさまに落下していくのが当たり前の時代だった。
まだ宇宙消防士という業種が存在してなかったため、救助業務は航空宇宙自衛隊が担当していた。
現場まで接近した道子は、レーダーに映る一機の宇宙船を追うように指示を受けた。その遭難船は地球の夜の側に回り込んでしまったので、目視では影も形も見えない。レーダーには細長くて巨大な船影と、それに対して不自然なほど少ない生体反応が表示されている。
「遭難船の先端部分に三体の生体反応あり。それ以外に乗組員の気配なし。船の大きさのわりに生存者の数が少なすぎるように思われますが?」
道子の質問に対し、上官からの速やかな返答が返ってきた。
「問題ない。太陽電池パネルの骨組みを運搬する最新の船で、最低限の人員だけが乗り組むようになっているそうだ」
「元から三人しかいないということですか?」
「そういうことだ」
この時期、次から次へといろんな船が開発されているので、それを救助するほうも把握するのが大変だ。
上官からの指示が飛ぶ。
「昼の側に回る頃には、遭難船は大気圏突入軌道に入る。遭難船は突入に耐える設計にはなっていないから、なんとしてもそれを阻止しなければならない。体当たりでの軌道変更しか方法はないだろう」
「望むところです」
道子はこれまでも何度も体当たりで船を落下から救ってきた。どの角度からどの位置にぶつかればどの方向に運んでいけるのか、彼女はそれを勘で感じ取ることができる不思議な才能を持っていた。
「佐藤」
と、上官は諭すように言った。「今度の船はいつものやつとは質量の桁が違う。弾かれてお前のほうが大気圏に飛び込むことのないようにしろよ」
「わかっています」
道子は気を引き締めた。ディスプレイに映る各種計器に目を走らせ、その瞬間に備える。
地球の輪郭が青白く光を放ち始めた。視界の正面に、斜めに影を作っている長方形の黒い物体が目に入った。道子の位置から見ると、その黒い物体の真上を青い地球が恐ろしいスピードでこちらに向かって転がってくるような感じだった。遭難船も道子の船も、その地球に向かって徐々に角度を深くしている。
道子はプラズマエンジンを全開にして、遭難船と地球との間にある狭い空間へと、縫うように入り込んでいった。
渦を巻いてロールしながら、遭難船と接触する角度を慎重に合わせていく。道子の船は白いマッコウクジラ型で、四角い頭部を持っている。その上部は体当たりのために合金を何層にも重ねて補強してあるが、それでも穴が開かないという保証はない。だから点ではなく面でぶつかる必要がある。
太陽電池パネルの骨組みを運搬するという、その初めて目にする細長い船は、まったく無機質な黒い長方形でしかなく、まるで人間の営みを感じさせるものがなかった。のっぺりとした外観で、どこにも窓ひとつ見当たらないのだ。事故の衝突でできたものであろう、怪物の爪で引っ掻いたような大きな裂け目が側面にいくつか観察できた。それが船のエンジンまで制御不能にしてしまったようだ。
三つの生体反応のある先端部分を避けて、道子は自分の船の上部と遭難船の胴体をすれすれまで近づけて平行に飛んだ。船のすぐ真下を、地球の大気の層が少しずつ近づきながら流れ過ぎていく。目にもとまらぬ速さで通過する雲の向こうに、青い海がきらきらと太陽を照り返している様を美しいと思えるほど、道子にはまだ余裕があった。
計算通りにその瞬間が来た。道子の船の頭は、遭難船の胴体を斜め後ろからがっちりと捉えて、地球へと落下する軌道から外れてぐんぐん上へと押し上げていった。ごりごりと屋根がこすれる聞きなれた音に、道子は耳を澄ませた。そこで初めて道子は動揺した。予想していたよりも、ずっと重い。
「佐藤」
と、上官の切迫した声が耳元で響いた。「上昇角度が浅い。このままでは脱出に不十分だ」
スロットルと操縦桿を操って、なんとか角度を上げようとする道子の脳裏に、ふと疑問がよぎった。
「部隊長、本当に積み荷は太陽電池パネルの骨組みなんですか?」
「どういう意味だ?」
「できれば積み荷を放棄して、重量を軽くしたいのですが」
すると、上官は急に突き放すように言った。
「それはできない」
「なぜですか? 中にいる乗組員に連絡して、それを頼むことはできないのですか?」
「事故の衝突の影響で、積み荷を切り離せなくなっているんだ」
その上官の声音に、道子は嘘の匂いを感じ取った。これと似たような形で、こういう不文律を暗に強いられることを任務遂行中にしばしば経験する。こんなときには、どんなに追及しても、上官は同じ返事を返すだけだ。もうこの疑問にはこれ以上踏み込めないということだ。
しかし、なぜかその途端に彼女の中で何かが切り替わり、この事態を面白いと感じる異常な興奮が湧き起こった。
「わかりました。積み荷はこのままでなんとかしてみせます」
道子はディスプレイを操作し、とあるパスワード入力画面を呼び出した。それは整備士と開発中のテストパイロットだけが触れることを許される秘密の画面だったが、道子はこっそりそれを教えてもらっていたのだった。
「申し訳ありません、部隊長。処分は甘んじて受けますので、ここは私のやりたいようにやらせてください」
「どうするつもりだ?」
「プラズマ推進のスピードリミッターを解除します」
上官の返事を待つまでもなく、道子の指はディスプレイの上を素早く走り、エンジンにかかる電力量を大幅に増加させた。すぐさま推進剤の水素とヘリウムが湯水のように減っていく。
エンジンの中で暴れ回るプラズマが、まるで檻の中から爪で引っ掻く怪物のように、不気味にガリガリという音を船中に響き渡らせた。船全体が震え、今にもバラバラになりそうだ。だが、その結果として、船は確実に速度を増している。
上官の声が、噴射されたプラズマの影響を受けて聞き取りにくくなったが、どうやらこう言っているようだと道子は思った。
「大気圏からの脱出に必要な角度はもう十分だ。船が破壊される前に、出力を下げろ」と。
しかし、道子はまだ満足していなかった。「もっと速く、もっと速く……」
今、出力を下げれば、わずかながら濃くなり始めた大気にぶつかってせっかく稼いだ高度が落ちてしまう。ただでさえ重い船を押しているのだから、もう二、三割は速度を増やしたい。
道子の船は力強く頭を持ち上げていった。真っ黒な遭難船はその船首を急角度で宇宙に向けている。もう少しで地球の重力を振り切る速度に達する。そうなれば、もう一安心だ。中にいる人たちの命も助かる。
「もっと速く、もっと速く……」
そのとき、奇妙なことが起きた。操縦室全体に網の目のような細かな亀裂が走り、その亀裂が青白く光り出したのだ。その光の筋は道子のそばまで舌を伸ばすように近づいてきて、ついに道子の服に飛び移った。道子の全身がぼうっと光る。そして、視界のすべてが青白いプラズマで包まれた。
道子は取り乱すことなく、静かに語り始めた。
「部隊長、通信が聞こえていらっしゃらないようですから、この声を残しておきます。後で記録が見つかったなら、参考にしてください。エンジンの推力は申し分ないので、強度を上げる方向で改良をお願いします。各部品ごとの破壊のデータは詳細に記録に残っているはずです。これほど徹底的にエンジンの性能を試したデータはなかなかないと思います。これはかなり貴重なはずですよ。それと、個人的なことで恐縮なのですが、地上の主人と娘……」
そこで音声記録は途切れている。
じっと話に聞き入っていた桃井華と天野妙子は、佐藤道子の最後のメッセージのくだりに来たところで、とうとう泣き崩れてしまった。
「おお、ごめんなさい」
ミハイル・カガロフスキー飛行教官は、大きな筋肉質の身体をあたふたと揺らして、泣いている女の子たちをなだめた。「こんな結末になることを、最初に言っておくべきでした」
ここはガラパゴス人工群島ロシア区の飛行訓練施設にある、訓練生たちが休憩するための大きなカフェだ。今はちょうどランチの後のくつろぎの時間に入っていて、大勢の訓練生や教官たちがゆったりとおしゃべりに興じている。
ここで会う予定になっている佐藤愛梨紗がまだ外で訓練中なので、それを待つ間、彼女の担当教官であるカガロフスキーから、愛梨紗の祖母の逸話を聞いていたのだった。二人ともロシア語がわからないので、ネビュラの自動翻訳の助けを借りている。これなら元の声と同じで言葉だけが日本人のように聞こえる。
華は教官から渡されたタオルで鼻を噛むと、一人で納得したようにこう言った。
「でも、道子さんの死は無駄ではなかったですよね。それで三人の命が救われたんですもの。救助船のパイロットとして、立派に使命を果たされたと思いますよ」
隣りの妙子も目を赤くしてうなずいている。
ところが、飛行教官は表情を曇らせた。薄くなりかけたほとんど真っ白な金髪をくしゃくしゃにして、言いにくそうに言葉を絞り出した。
「実は、ここからがこの話の、もっとひどい部分なのです。ごめんなさい」
華はじりじりして言った。
「構いません。先を続けてください。妙ちゃんも、大丈夫だよね?」
「うん」
と、妙子は小さくうなずいた。
カガロフスキー飛行教官は、ひとつ大きくため息をついた。
「それでは話を続けましょう。愛梨紗の祖母、佐藤道子が命を懸けて助けた黒い遭難船には、人間なんて一人も乗っていなかったのです。三つの生体反応は嘘でした。最初から、誰もいなかったのです」




