戦艦イスカンダル(後編)・4c
戦艦イスカンダルの艦首には、高エネルギー粒子砲の砲門がある。粒子加速器によって光速近くまで加速された原子核と電子を束ね、高エネルギーのビームとして発射する兵器だ。その威力は、月程度の大きさの衛星であれば完全に破壊し尽くすことができるほどだ。それは月よりもわずかに小さいエウロパに用いるのであれば十分な性能と言える。粒子加速器には莫大な電力を必要とするが、核パルス宇宙船としてのイスカンダルの核融合炉はその電力を供給する能力を当然ながら備えている。
この遠征において、先に出発したオデュッセウス号の航海は二週間を要した。地球を飛び立った後の四日間で加速し、六日間の慣性飛行の後、木星に到着する前の四日間で減速を行なった。
今回、戦艦イスカンダルは急遽予定を変更し、木星到着前の減速を省略した。彼らはカリストで待ち続けている遠征隊へ支援物資を送り届ける任務を放棄し、エウロパの破壊を主な目的とすることとなった。よって、最短の五日で艦は木星に最接近した。減速を必要としないので、光速の百分の一程度まで加速したまま、戦艦イスカンダルは木星のそばを通過することになる。
アメリカ合衆国第九海兵遠征軍司令官、ロイド・デール中将は、大統領からの密命を帯びていた。それは、クリスチャン・バラード及びカリストで指揮を執っている現地司令官のジム・ハワード消防本部長のいずれかがどのような指示を出したかに関わらず、最優先でエウロパを破壊せよ、という命令だ。その際の巻き添え被害についての責任は問われないことになっている。たとえエウロパにクリスチャン・バラードが滞在していたとしても、予定に変更は加えられないということだ。
その頃、当のクリスチャン・バラードと天野幸子は、エウロパの大舞踏会場での歓迎式典に招かれていた。
ここが水中とは思えないほど、二人の身体は軽々とその中を動き回ることができた。エウロパの海水はただの水ではない。そこにはおびただしい量のアミノ酸が溶け込んでいて、それ自体が生きているのだ。海水が筋肉のように二人の身体に作用して、高密度の水中でも抵抗なく動くことを可能にしていた。もちろん呼吸するのも空気中と大差ない。だからヘルメットを被る必要もなかった。
「見てよ、あの巨大シャンデリア、何万本もロウソクが燃えてるよ」
幸子は素っ頓狂な声を出して、ポカンと口を開けたまま、天井をバカみたいに見上げている。大舞踏会場の天井ははるかはるか頭上にあって、その真ん中には会場のシンボルのような壮麗な巨大シャンデリアがぶら下がっている。
「幸子、僕はあまりはしゃぐ気にはなれないんだが、君が驚く気持ちはよくわかるつもりだよ」
クリスチャンは黒いタキシードを身にまとい、隣りでピンクのドレスを身にまとっている幸子と腕を組んでいた。水の中でぷかぷか浮かんでしまわないように海水が作用して、二人の身体は床の上でしゃんとまっすぐに立っている。
エウロパ人たちは相変わらずハリウッドスターの容貌を保ったまま、にぎやかに踊りに興じていた。その音楽は現地のものだろうか。地球の音楽とは似ているようで似ていない、どこかエキゾチックでありながら懐かしさを感じさせる優しい響きを持っていた。会場の端ではオーケストラの一団が、よく見慣れたヴァイオリンや管楽器などを演奏しているが、その中には見たこともないような奇妙な楽器も混じっていた。クトゥルフ神話にでも出てきそうなタコと貝が混じったようなものが、その無数に開いた口から水を吐き出しながら優美な音色を奏でている。演奏者はその腹をいとおしむように撫でていた。
クリスチャンと幸子は、周りの人たちをお手本に、見よう見まねでぎこちなく踊った。二人はこの会場の主役なので、他の参加者たちは一定の距離を置いて、礼儀正しく特別な態度でもてなしてくれた。
「タイやヒラメの舞い踊りもいいけど、私、お腹すいちゃったなあ。ご飯まだかなあ」
幸子は相変わらず、そんな呑気なことを言っている。
一方のクリスチャンは、今何かを口にしたら何もかも吐き出してしまいそうな緊張の只中にいた。
「幸子、もうすぐ、もしかしたらこの星が跡形もなくなってしまうかもしれないというのに、よくもまあそんなにお気楽でいられるものだね」
「あらやだ、失敬だわ」
幸子はばっちりメイクして黒く縁どられた目を真ん丸に見開いて、いかにも「失敬だわ」と強調するような顔をした。「私だって、いろいろ考えてるんだから。今、一つすごいアイデアを思いついたんだ」
「ほう、それじゃあ、君のそのアイデアを聞かせてもらいたいものだね」
「私が天才過ぎて驚かないようにしてよね」
「驚かないようにがんばってみるよ」
幸子は自信満々にいたずらっぽく笑うと、クリスチャンの耳元でささやくように言った。
「向こうがビームを撃ってくるなら、こっちは鏡で対抗すればいいじゃない」
まるでゴルゴーンを退治したペルセウスのような古典的な思いつきを、幸子は堂々と口にした。
「幸子……」
クリスチャンは残念そうに深いため息をついて、彼女の顔をまじまじと見つめた。幸子は、彼の視線から「自分に呆れるときの妹の妙子」と同じ空気を感じ取って、いち早く取り繕った。
「嘘よ、冗談、そんなことうまくいくわけないじゃない、おほほほほほほほほ」
クリスチャンは残念そうな顔のまま、こう言った。
「いいんだ、幸子、誰だってそのくらいのことは考えるさ。もしも戦艦イスカンダルの例の兵器が光を束ねたレーザー砲だったなら、もしかしたら鏡でいくらかやり返せたかもしれない。反射率がすさまじい鏡である必要があるけどね。でも、実際にイスカンダルが備えているのは、高エネルギー粒子砲なんだ。こいつは光速近くまで加速した大量の粒子を直接ぶつけるから、鏡で受け止めることはできないんだよ」
「粒子は鏡じゃ止められないの?」
「光じゃないからね」
「じゃあ、粒子をぶつけ返したらどう?」
「そんな粒子がどこにあるのさ」
「木星の周りには磁気圏があって、そこに高エネルギーの粒子が捕らえられているんじゃなかったっけ?」
クリスチャンは文字通り「あっ」という顔をした。
幸子はそれを見て、「してやったり」という顔をした。
「ほら、やっぱりできるんじゃん。エウロパの人たちは放射線を友として暮らしているとか、クリスちゃんも言ってたじゃんか。きっとあの人たちは、木星の磁場を操って、放射線帯を飛び交っている大量の粒子を集める技術も持っているはずだよ」
確かにそうだ。クリスチャンはすっかり忘れていた。エウロパ人は、地球人ごときの自分の心配などまるで意に介さないほどの知能を持っているのだ。だから戦艦イスカンダルの砲口が自分たちに向けられていると知った後でも、こうして平気な顔をして踊っていられるのだ。地球からやって来た得体のしれない客人二人がぎこちなく踊っている姿を、こうして微笑ましく眺めていられるのは、彼らに十分な余裕があるからなのだ。
「それはまずいぞ」
クリスチャンは、心底まずそうな顔をした。
「なにがまずいのさ?」と怪訝な顔の幸子。
「きっとイスカンダルの艦長は、与えられた一回こっきりのチャンスを逃さないために、最大出力で高エネルギー粒子砲を発射するはずだ。彼らはそれでエウロパを木っ端微塵にできると信じている。だけど、エウロパ人にそんなものが通用するはずはないんだ。逆に危ないのは地球のほうだ。これは地球からエウロパに対する宣戦布告に他ならないし、それに対する報復の理由を彼らに与えることになる」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「今すぐ止めなきゃ」
「どうやって?」
「忘れたのかい? 僕らが今こうやって見ていること感じていることは、生中継で全太陽系に公開されているんだ。地球に伝わるのは四十分遅れだけど、カリストまでならほとんどロスなく伝わってる。今すぐ小山隊長やハワード消防本部長に動いてもらわなけりゃならない」
「じゃあ、すぐそうしてよ、クリスちゃん」
「合点承知の助三郎でゴンス」
クリスチャンは無意識に幸子の口癖を真似すると、ハワード消防本部長に預けておいた覚書の一つを解読できるように、そのセキュリティを解除した。
その頃、カリストの司令官専用の船にいたジム・ハワード消防本部長は、先ほどクリスチャンがエウロパ人から言われた「あなたがたの味方の船がこちらに砲口を向けている」という情報の確認を取るために、戦艦イスカンダルに慌ただしく問い合わせているところだった。
それに対する艦からの返事は、「作戦行動に対する問いかけには、敵側に通信を傍受されている可能性があるため答えられない」という一点張りだった。さまざまなルートを辿って情報を得ようとしても、相手の口は固かった。地球への問い合わせには往復で一時間半を要するので、実質的にそちらはあてにならない。
そんなときに、耳をつんざくような着信アラームが鳴り響いた。けたたましい「第三の男」のメロディが流れた。クリスチャン・バラードからの通信だ。彼のメッセージはシンプルだった。
「ハワード消防本部長、覚書の一つを解除しました。その通りの行動をお願いします」
消防本部長はすぐさまネビュラの中の秘密フォルダを開けてみた。そこにはぬいぐるみのようなクマのキャラクターがいて、鎖でぐるぐる巻きにされた封筒を手に持っていた。クマさんが手に持っていた鍵を南京錠に差し込むと、鎖がほどけて、手紙を読むことができるようになった。
そこにはこう書かれていた。
「全軍、全隊、カリストから離脱し、エウロパから正反対の木星の裏側に退避してください」
戦艦イスカンダルに対して何らかの行動を起こすような内容は書かれていなかった。ハワード消防本部長は、クリスチャンにその真意を問いただしてみた。
全太陽系に生中継されているクリスチャンの言動はすべて筒抜けだ。ハワード消防本部長から発せられた質問も、カリストにいる全遠征隊員たちがリアルタイムで聞いていた。
「バラードさん、われわれが友軍の攻撃を止める術はもはや存在しないとお考えですか?」
クリスチャンは優雅な音楽に乗ったダンスを見せつけながら、そのグリーンの瞳には強い意志を湛えて、その質問に答えた。
「きっと戦艦イスカンダルの艦長は、僕らの指示に聞く耳を持つなという命令を大統領から受けているはずです。そんな彼に何を言ったって無駄です。ですから、僕らのほうでできることをやるしかありません」
隣りの幸子は、それを聞いて「うん、うん」とうなずいている。彼女のダンスのステップは、さっきよりもずいぶん上達したようだ。
ハワード消防本部長は言った。
「ですが、われわれは木星の背後に隠れるだけで、他に何もできないのでしょうか?」
「そこが一番安全です。エウロパ人が戦艦イスカンダルから放たれた高エネルギー粒子砲を跳ね返すにしろ、吸収するにしろ、その影響は木星の裏側までは届きません」
「だが、それでは問題の根本解決にはならない。われわれは手をこまねいてそれを見ていることしかできないのでしょうか?」
ハワード消防本部長は、自分たちがはるばる木星までやって来た意義を、この機会に示さなくてはならないという義務感に駆られていた。後の歴史で、このときの自分たちの行動は何度も語られることになるだろう。そのときに、後の世の人々から自分たちがただの腰抜けとして扱われることには我慢ならなかった。
クリスチャンは言った。
「まずはカリストの作業員たちの命を守ることがあなたたちの仕事ではありませんか。箱舟には三万人近い民間の作業員たちがいます。彼らを巻き添えにするわけにはいきません。今すぐそこを飛び立って、安全な場所に退避してください。誰もそれを腰抜け呼ばわりはしないでしょう」
確かにそうだ。血気にはやっていたハワード消防本部長は、忘れていた自分の本分をこんな若造に思い出させられたことを恥ずかしく思った。彼はすぐさま、待機している遠征隊に出発の準備を始めるよう指示を出した。
その一方で、クリスチャンは別の作戦を考えていた。それはこっそりとネビュラに目隠しをした状態で、幸子に向けて文字のメッセージとして送られた。
「幸子、君の妹の妙子の隊の人たちに言って、僕の言ったとおりに行動してくれるように伝えてくれないか」
幸子もさすがにバカではないので、すぐに察して、こっそりと文字で返した。
「わかったけど、何と伝えればいいの?」
「それはこうだ……、ごにょごにょごにょ」
「『ごにょごにょごにょ』じゃわからないよ、ふざけないで、クリスちゃん」
「ごめんごめん」
全太陽系に生中継されているのは、そうして笑いながら踊っている二人のイチャイチャする姿だけだ。
第十七小隊にも、カリストから離脱するよう上から指示が出された。司令船とロムルス号とレムス号とを繋いでいたドッキング・チューブは大急ぎで取り外された。
すぐそばにある三隻の箱舟のエンジンにはすでに火がついており、その地響きが周囲の凍った地面へと伝わっている。いち早く飛び立つ宇宙船もちらほら現れていた。自分たちも後れを取るわけにはいかないと、小山三郎隊長以下の宇宙消防士たちは大慌てで船の中を片付け、与圧服を身にまとい、自分のヘルメットを探した。
「愛梨紗ちゃん、もう出発するよ」
妙子はベッドに腰かけ、膝の上に愛梨紗の頭を乗せていた。妙子の手の中でぐったりしている愛梨紗は、空腹のあまり、意識が朦朧としていた。両目をしっかりと閉じ、いかにも苦しそうに荒い息をしている。
「ダメだよ、愛梨紗はお腹が空きすぎて動けないんだよ」
華はそう言って、半ば諦めたように、愛梨紗のそばにかがみこんで、そのおでこを撫でた。「かわいそうに、こんな痩せた悲しい姿になって……」
「そんなに変わったようには見えないけど」と妙子は冷静に言った。
華は、すぐそばをわけもなく駆け回っているユズに声を掛けた。
「ユズ、やることがないんなら、愛梨紗のために何か食べ物を持ってきて」
ユズは不満そうに腰に両手を当てて文句を言った。
「愛梨紗はもう、今日の分の携帯糧食を全部食べちゃったんだから、自業自得だよ」
「育ち盛りなんだからしょうがないでしょ」と、妙子はお母さんみたいなことを言った。
「同い年だっつーの」
ユズは文句を言いつつも、自分の携帯糧食の中から、ビスケットの包みを一本取り出した。「ちゃんと貸しはメモしとくからね」
ベッドの上に放り投げられたビスケットの包みを、華はむしって一枚取り、愛梨紗の口元まで持っていってやった。
まるで鯉が餌をついばむように、愛梨紗の口が上に伸びて、一瞬でビスケットをかっさらってしまった。それはほとんど手品のようだった。
「愛梨紗は相変わらずだよなあ」
そう言って笑いながら近くを通った千堂しのぶのネビュラに、なぜか天野幸子からのメッセージが届いていた。
「ありゃあ、なんだこれ?」
レムス号の天井近くにはスクリーンが投影されており、そこにはずっと前からクリスチャンと幸子の様子が映し出されているのだが、そこには二人がこちらへメッセージを送るような素振りはまったく見えなかった。ただ呑気に笑いながらダンスを踊っているだけだ。
「幸子、どうしたのさ? なんで妙子じゃなくて私なの?」
しのぶは何かを察して、こっそりと文字でメッセージを送り返した。それには何かのセキュリティが働いて、全太陽系には生中継されていないようだった。
幸子からはすぐに続きが送られてきた。やり取りはすべて文字で交わされた。
「妙子だといきなり『さっちゃん!!!!』とか言って怒りだすから、安全のためにワンクッション置いたの。しのぶちゃんなら空気を読んでくれると思って」
「それはあんたの日頃の行いだろ」
しのぶの答えは辛らつだ。「それで、何か秘密の作戦でも思いついたのかい?」
「そうなの、まずは腕利きのパイロットが必要なんだ」
「それなら、さっきからベッドの上で転がってるよ」
しのぶは、妙子の膝枕で幸せそうにビスケットを噛みしめている愛梨紗を一瞥した。「愛梨紗にやってほしいことがあるのかい?」
「うんうん、それと、優秀な宇宙船技師も必要なの」
「そんなの私に言ってくれりゃお茶の子だよ。なんだって、お任せあれさ」
そこで、幸子はクリスチャンから頼まれた一連の作戦をしのぶへと伝達した。しのぶはそれをまとめて、ブラボー・チームのみんなにこっそりと打ち明けた。
一方その頃、戦艦イスカンダルは高エネルギー粒子砲の発射態勢に入っていた。艦長であり総司令官であるロイド・デール中将は、たった一回限りの発射のタイミングを、極度の緊張感をもって計算していた。エウロパに最接近し、そこから離れる瞬間を狙わなければならない。与えられた時間は極めて短い。船の速度は光速の百分の一程度とは言っても、それは時速一千万キロメートルに達する。音速の一万倍だ。
船を減速することは許されない。なぜなら減速には莫大な燃料を必要とするからだ。減速のためのエネルギーは、すべて高エネルギー粒子砲の出力に振り向ける必要があった。確実にエウロパを破壊し、その脅威を永久に消し去るためには、持ちうる力のすべてを注がなければならないのだ。
緻密な軌道計算の元に、発射のタイミングが決定された。一分前からのカウントダウンが始まった。
視界は良好。目の前には急速に接近する木星が見える。カリスト、ガニメデ、エウロパ、イオと、木星の四つの衛星の軌道は完全に把握されている。それらの間を縫うように飛んで、途中で高エネルギー粒子砲を発射しつつ、木星の際をかすめるようにして通過する計画だ。
この太陽系において、戦艦イスカンダルよりも速い速度で飛べる宇宙船など存在しない。ロイド・デール中将の頭には姉妹船のオデュッセウス号のことが一瞬浮かんだが、それは今ではエウロパに拿捕されて、敵の手中にある。今のこの状況で、攻撃を邪魔できる者などいるはずがなかった。
カウントダウンは三十秒を切った。すべての重水素ペレットが核融合炉へと投入された。全エネルギーはエウロパの破壊のために使用される。そして、エウロパを首尾よく破壊した後には、大きく旋回して地球へと戻り、その途中で友軍の宇宙船から燃料を受け取って、それを使って減速を行うという手はずだった。
そのとき、もっとも恐れていた出来事が起きた。
もはや予定変更が許されない、極限のタイミングにおいて、中将がもっとも恐れていた予想外の事態が襲ってきたのだ。
それは唯一戦艦イスカンダルに対抗し得る船である、姉妹船のオデュッセウス号だった。それが、突如としてエウロパの地下から飛び立ち、時速三億六千万キロメートルというあり得ない速度でこちらに向けて接近してきた。光速のおよそ三分の一だ。認識してから回避行動を取るまでに一秒の間すら許されないような速度だ。
ロイド・デール中将は、その一瞬であらゆる選択肢を考えた。取るべき行動は何か、許される行動は何かを考えた。今すぐ高エネルギー粒子砲を発射すれば、オデュッセウス号は破壊できたとしても、出力不足でエウロパは無傷のままだ。それは単に無謀な宣戦布告を行うだけで、相手に反撃のチャンスを与えてしまう最悪な結末だ。
予定通りのタイミングで高エネルギー粒子砲を発射しようとしても、そうなる前にオデュッセウス号と激突してしまう。ならばいったんは回避して、次のチャンスに賭けるしかない。しかし、軌道を逸れてしまうと、再びエウロパに照準を合わせるうちに、艦は有効射程距離から遠く飛び去ってしまう。
やむなし、と中将は覚悟を決めた。そこまでわずか一秒足らずだった。彼は高エネルギー粒子砲の発射を中止することを決断した。そして、ただちに回避行動を取るよう指示を出した。光速の三分の一の速度で突進してくる巨大船を回避するには、迷っている時間はなかった。
木星の背後に避難していた遠征隊の面々は、事の顛末を生中継で見守っていた。恐ろしい速度で飛び去っていったオデュッセウス号は、あっという間に宇宙の果てに消えてしまった。再びその姿を目にするときが来るのだろうかと、みんなが思いを馳せてしまうほどの突然の別れだった。
そのオデュッセウス号を操縦していたのは、レムス号に乗っているパイロットの佐藤愛梨紗だった。彼女はクリスチャン・バラードからの直々の要請を受けて、オデュッセウス号に乗り込んでいる巨人タロスを遠隔操作していたのだ。そして、オデュッセウス号が積んでいる全燃料を点火するためには、宇宙船技師の千堂しのぶの助けが必要だった。それは同じ隊のアルファ・チームにさえ直前に打ち明けられたことだったので、後から隊長にこっぴどく小言を言われることになった。すべての責任は、ブラボー・チームのリーダーである桃井華が負った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もう二度と隊長や先輩方に内緒で行動したりなんかしません」
桃井華は平謝りしたが、その決断が地球の未来を守ったことは、誰もが認めていることだった。少なくとも作戦の直前に打ち明けたことは、ぎりぎりでルールを守ることにはなった。
オデュッセウス号を飛び立たせることは、もちろん、エウロパ人の承諾を得てのことだった。クリスチャン・バラードはその交渉のために力を尽くした。そして、その交渉が、後に地球とエウロパとを一つに繋ぐ計画へと発展していくことになる。
こうして、スター・チャイルド計画は木星を起点として始まった。地球人とエウロパ人の二つの遺伝子を持つ子供が誕生することになったのだ。その物語はこれより、火星を舞台に繰り広げられていく。




