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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二十七話「戦艦イスカンダル(後編)
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戦艦イスカンダル(後編)・1b

 腕の中で必死にもがいている幸子をどうすればいいのか、クリスチャンにはさっぱりわからなかった。

「幸子、あれは虫じゃないんだってば。いったい君は何が気に入らないんだい?」

「とにかく虫はやーなの」

「子供じゃないんだから、ちゃんと言葉で説明してくれないとわからないよ。形が気に食わないのかい? それとも飛んだりするのが嫌なのかい?」


 幸子は少しだけ抵抗の力を緩めると、クリスチャンの肩越しにちらりと(くだん)の乗り物のほうを見た。そこにあるのはどう見てもコガネムシだった。丸々とした、虹色に輝く、体長十六尺五寸の堂々たる体躯の昆虫様だ。特に頭から伸びる二本の長い触角を見ると、幸子の背中に電流のような悪寒が走った。


「いやーん、やっぱり虫じゃん」

 幸子はたちまち顔を手で覆ってしゃがみ込んだ。逃がさないようにクリスチャンもしゃがみ込むと、こうなれば是非もなしとばかりに、妹の妙子に助けを求めた。

「妙子ちゃん、メーデーメーデー、どうか助けておくれ」

「ちゃんと見てますよ」

 ネビュラの向こうで繋がっている妙子は、すかさず応答した。「さっちゃん、昔から虫だけはダメなんです」

「虫の何がダメなんだい?」


 うずくまって震えている幸子に代わって、妙子が答えた。

「脚とか、触覚とか、飛ぶとことか、お腹とか、なんか全部ダメらしいです」

「形を変えることはできないことはないんだけど、今からそれをすると機械細胞(マシン・セル)を疲れさせちゃうから、なるべくそうしたくないんだよなあ。形を大きく変えないで、模様を変えるくらいならなんとかなるんだけど……」


 そこまで言ったところで、クリスチャンはふとひらめいた。そういえば、妙に愛嬌のあるフォルムを持つ昆虫がいたじゃないか。そうだ、あいつならもしかしたら大の虫嫌いな幸子でも受け入れられるかもしれない。そうだ、そうに違いない。「幸子、テントウムシなんかどうだい? 水玉模様でかわいいじゃないか」

「一番嫌い!」幸子はすべての(おん)に濁点をつけて叫んだ。

「なんだって?」


 妹の妙子が代わりに説明した。

「ごめんなさい、クリスチャンさん、さっちゃん、ちっちゃい頃に窓枠に群がっていたテントウムシの大群を見てから、虫嫌いになっちゃったんです」

「おお……」

 クリスチャンは想像してみた。一匹一匹はどんなにかわいらしいフォルムでも、それがうじゃうじゃと集まっていたら、その水玉模様はかえって気持ち悪さを増大させるだろう。


 しかし、こんなところで立ち往生しているわけにはいかない。幸子はこれから地球人の代表として、エウロパ人と対面しなければならないのだ。

「幸子、聞いておくれ。どうして僕が君をエウロパに連れていこうと考えたと思う?」

 幸子は両手で頭のヘルメットを抱え、しゃがみ込んだまま、くぐもった声で答えた。

「そりゃあ、私が絶世の美女だから……」


 よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことを堂々と言えたもんだと、クリスチャンをはじめネビュラ越しにこの様子を見ていた第十七小隊のみんな(隊長と芹口主任も含む)はそろって思ったのだったが、誰もそのことを正直に口に出す者はいなかった。


「幸子、そうじゃないんだ」

 クリスチャンは彼女の肩を優しくぽんぽんと叩きながら言った。「君の本当の魅力は見た目じゃない。その心なんだ。君の心は純粋で、素直で、好奇心いっぱいで、いつも前向きで、どんな困難にぶつかってもけっしてへこたれない。それに、人の陰口を言わないし、人から陰口を言われるような悪いこともけっしてしない。僕は君ほどに心がきれいな人間に、今まで会ったことがないよ」

「えへへ」幸子は顔を伏せたまま嬉しみの声を漏らした。


 よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことを堂々と言えたもんだと、ネビュラ越しにこの様子を見ていた第十七小隊のみんな(隊長と芹口主任も含む)はそろって思ったのだったが、誰もそのことを正直に口に出す者はいなかった。


「さっちゃん、無駄話してないで、早く出発しなさい」

 さっきまであれほど引き留めようとしていた妙子が、とうとう見ていられなくなって二人に出発を促した。「さっちゃんは虫は嫌いでも、エビとかカニなら平気じゃないの」

 それを聞いた幸子は、突然顔を輝かせて上を向き、「大好き!」と、すべての(おん)にハートマークをつけて叫んだ。


 なんだ、それなら早く言ってくれとクリスチャンは思った。そういえば幸子はこの航海にやって来て以来、機会を見つければいつもロブスターを貪っていたではないか。彼にして思えばエビのほうが脚は多いし、髭も多いし、ひっくり返したときのお腹のぞわぞわ具合も虫より数倍グロテスクだと思うのだが、幸子はむしろそれを見て大喜びだった。

「幸子、じゃあ、こいつは今からロブスターに変形させるから、それで妥協しておくれよ」

「オッケー、それなら大歓迎よ」

 ただし、「羽を使って飛ぶからね」という言葉だけは、クリスチャンはすんでのところで飲み込んだ。


 形を大きく変えると機械細胞(マシン・セル)に大きな負担を掛けるので、クリスチャンは最低限度の変形を命じた。ハサミはなるべく小さく、脚もなるべく細くして、胴体もそんなに長く伸ばさないようにした。その結果、なんだかずんぐりむっくりのコミカルなロブスターが出来上がった。色も生きているときの黒や茶色や濃い緑色ではなく、茹でたときのように全身真っ赤だ。


「ほら、幸子、茶番はこのくらいにして、もうお乗り」

 さっきまでの怯えはどこに行ったのか、幸子は元気に立ち上がると、巨大ロブスターに向かってすたすたと歩き始めた。

「どっから乗るの?」

「胴体の部分だよ」

「ミソがいっぱい詰まってるところだね」

「そうだよ」

 クリスチャンがそう言うと、ロブスターの胴体の側面がガルウイングのように上に向かって開いた。そこにあったのは内臓でもミソでもなく、ちゃんと人が並んで座れる革張り風の座席だった。

「すげえ」

「さあ、幸子、先にお乗り」

 幸子を先に行かせて、クリスチャンは左側の操縦席に腰を下ろした。ガルウイングが一瞬で締まり、機内に新鮮な空気が満たされた。


 どういう仕組みなのか、目の前には普通の宇宙船と同じく広い風防ガラスが視界いっぱいに広がっていて、その向こうにカリストの荒廃した景色が見渡せた。漆黒の夜空の向こうに木星が浮かんでいて、その手前に重なるようにして小さな丸い影が飛んでいる。

「あいつがエウロパだ」

 クリスチャンはそう言うと、ロブスター号のエンジンを点火させた。こいつはこんな小さななりをしていながら、立派な核融合エンジンを備えている。機械細胞(マシン・セル)の強みは、地球の真核生物にとってのミトコンドリアに代わって、細胞の一つ一つに核融合を起こす機構を備えていることだ。それらが集まると、宇宙船を動かせるほどのエネルギーを生み出す核融合炉を形成できる。


「行こう、クリスちゃん、いざエウロパへ!」

 幸子の号令と共に、ロブスターの背中に四枚の長い羽が生え、それらから高エネルギーの粒子が噴出して、宇宙船は地上を離れた。そうして、船はすさまじい勢いで、まっすぐに木星の方角へ突っ込んでいった。


「さっちゃん、ちゃんと帰ってきなさいよ」

 妙子は姉の出発を見送るうちに、やっぱり心配になって、涙がこらえきれなくなった。

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