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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二十七話「戦艦イスカンダル(後編)
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戦艦イスカンダル(後編)・1a

 狭い消防宇宙船での生活に飽き飽きしていた天野(あまの)幸子さちこは、嬉々としてクリスチャン・バラードに手を引かれ、エアロックへと飛び込んだのだった。


 もう少しのところで姉に逃げられた双子の妹の妙子は、閉じたエアロックの扉の前で、ネビュラを通じてこう呼びかけた。

「さっちゃん、せっかく生きて外に助け出してもらえたのに、わざわざ自分から相手のところへ出向こうなんて、どうかしてるよ」

 必死な表情の妹を映像として観た幸子は、少しばかり申し訳なさそうにしながらも、心の大部分はクリスチャンへの信頼で埋められていた。

「大丈夫だよ、クリスちゃんがいてくれるんだし、なんとかなるって。ねえ、クリスちゃん?」


 クリスチャンのほうはといえば、自信を持って幸子を連れ出してはきたものの、本当に大丈夫かどうかはわからないでいた。しかし、どうしてもこうせずにはおれなかったのだ。エウロパ人が用意した偽物の天国に魅せられて堕落してしまった連中が地球人の代表だと思われたくない。あんな猿か羊のような、濁ったどす黒い絵の具のような、人の記憶の中の嫌な人間のイメージのような、そんな風にエウロパ人に視覚化されてしまう者ばかりが地球人ではないと証明したい。そのために、もっとも適任なのは、自分が心から愛する幸子しかいないと、彼はその確信に強く突き動かされてしまったのだ。


 だからクリスチャンは、自分に向かってニコニコしながら首をかしげている女神に向かって、こう答えるしかなかった。

「君がそうやって輝き続けている限り、地球人の未来は安泰だよ」

 幸子は思わず「きゃっ」と声を上げて、嬉しそうに顔を両手で覆うと、次の瞬間には照れ隠しの強烈な肩パンチをクリスチャンにお見舞いしていた。


「もう、勝手にしなさい!」

 そう叫んだのは扉の向こうにいる妹の妙子だ。そんな妹に向けて、姉は扉越しにVサインをまっすぐに突き出し、隣りのクリスチャンは痛みに悶えてしゃがみ込んだ。そこに消毒のミストが容赦なく吹きつけられた。


 船の中で生活していた間、みんなは何が起きても大丈夫なように常に与圧服を身にまとって過ごしていた。サイズはいつでも調節可能で、外に出るときはぴっちり身体に密着させるが、普段の生活の間はゆるく調節している。男たちは上半身をはだけてTシャツだけになり、袖を腰で結んでいたりする場合もある。

 このときの幸子はだらしなく与圧服の前のファスナーを開いていたので、服の中に消毒のミストが容赦なく入り込んできた。慌てて前を閉めても、もう遅い。

「やってもうたわ、クリスちゃん、服の中べっちょべちょ」

 さすがのクリスチャンも「そういう抜けているところが君の良いところだよ」と褒める気にはなれなかった。


「頼むよ、幸子、君は地球人の代表なんだから、気を引き締めてかかっておくれ」

「わかったよ、ここから先はおちゃめな幸子ちゃんはセーブすることにする」

 その言葉通りにわざとらしい真面目顔をした幸子を見て、クリスチャンはなんだか可笑しくてたまらなくなった。

「君はどうやったって、自分の魅力を隠しきれないみたいだね」

「言われた通り真面目にやってるんだから、笑わないで」

「おしゃべりは後だ。幸子、そっちの棚からヘルメットを取っておくれ」


 そんなことを言っている間に、エアロックのランプが赤く点灯し、「チン」と音が鳴った。

「幸子、早く、ヘルメットを取るんだ」

「はいはい、ちょっと待っておくんなさいよ」

 幸子はすかさず壁の埋め込み棚から二つのヘルメットを引き出すと、クリスチャンと自分の頭に叩きつけるように被せた。

 その次の瞬間にはエアロックの外扉が開き、凍りついたアンモニアと二酸化炭素を含む薄い大気が吹きつけてきた。会話に夢中になり過ぎて、危うく命を落とすところだった。


「もう、さっちゃんたら、危なくて見てられないよ」

 幸子の視覚と同期して、この様子を見ていた妙子が、相変わらず心配そうに声を掛けてきた。

 幸子はネビュラを通して言った。

「妙子、隊長さんたちと一緒に私たちの帰りを待っててね」

 妙子は食い下がる。

「あと二日待っていてくれたら、イスカンダル号がやって来るのに、どうしても待てないの?」

「待てないんだ、すまないね、妙子」

 クリスチャンはきっぱりと言った。「僕と幸子の五感を解放しておくから、君たちは隊長さんたちと一緒に僕たちの様子をモニターしていてくれ。助けが必要になったら、すぐにそう言うよ」

「誰かが付き添わないと……」

「君たちには君たちの任務があるだろ?」

「あなたをお守りする以上の任務があるんでしょうか?」

「僕たちには機械細胞(マシン・セル)がある。心配しなくても大丈夫だよ」


 そう言われても心配しないわけにはいかない。第十七小隊の仲間たちが総出で妙子の周りに集まり、心配そうな顔を並べた映像が、幸子たちのネビュラに届けられた。

 龍之介は代表して言った。

「バラードさん、なんだかよくわかりませんが、お気をつけて行ってらっしゃい」

 クリスチャンは微笑んだ。

「ありがとう龍之介、あなたたちと共に過ごせた時間はとても楽しかった。無事に帰れたら、もっと深いことも語り合いましょう。きっと僕たちは向こうで多くのことを学ぶことになるでしょうから。次に会うときは、成長して生まれ変わった僕らをお見せしますよ」


 クリスチャンは幸子の手を引いて歩き出した。氷の張ったカリストの大地は、全土に及ぶ爆撃と低重力の影響で、いつまでも晴れない土埃が舞い続けている。今もどこかで反乱勢力の残党が抵抗して戦っているのだ。彼らにも信念があるとは思うが、「そんな愚かなことはやめろ」とはっきり言うには、エウロパ人たちの後押しも必要だ。


「ねえ、クリスちゃん、どうやってエウロパまで行くの?」

 あてもなく手を引っ張られているように感じた幸子は、思ったことをすぐ口にした。二人は速足で歩きながら話した。

「箱舟からちょっと歩いたところに、地下通路(ラビュリントス)の出入り口があるんだ。そこに乗り物が僕らを迎えに来るようにしておいたよ」

「またスワン・ウイング?」

「いや、あいつはエウロパまで飛ぶには馬力が足りないから、もっとすごいやつを用意してあるよ」

「なんだろう? ワクワクしちゃう」

「期待に応えられたらいいんだけどね」


 重く垂れこめている土埃の向こうに、なにかの大きな機影らしきものが見え始めた。

「第十七小隊のみなさん、ご覧になれますか? カリストの大地に撒いた機械細胞(マシン・セル)の種が少しずつ成長を続けています。今は全土に張り巡らせた地下通路(ラビュリントス)という何もないトンネルの形に留まっていますが、長い年月とエネルギーを注ぐことで、それらを生命で満たし、大地の外側にまで影響を広げることができます。今の段階でも、一時的に僕らの助けになってくれるほどの潜在力はたっぷりあるんです。今、目の前にあるものが、そうした潜在力の一部です」


 そんな紹介によって登場した、その「潜在力の一部」というのは、なんと巨大な昆虫だった。

 土埃の向こうに少しずつ、その姿が見えてきた。丸々としたコガネムシのようなフォルムの、機械と生物の中間にあたる物体が目の前にうずくまっていた。長い脚が六本あり、固い翼が背中で閉じている姿は、まさに地球に生息する昆虫そのままだ。


 それを見て、声にならない叫び声をあげたのは、なんと幸子だった。彼女はクリスチャンの手を引いて、元来た道を引き返そうとした。

「どうした、幸子? 何をそんなに慌てているんだい?」

「私、虫が死ぬほど苦手なんだよう!」

「あれは虫に見えるけど、虫じゃないんだ。君のことを取って食ったりなんかしないよ」

「どこからどう見ても虫じゃないかよう!」

 クリスチャンは幸子を抱きしめて引き留めながら、まだまだ彼女の中には未知なる部分が隠れているかもしれないことが思いやられてきて、さっきまでの確信が揺らぐのを感じていた。

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