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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二十五話「ヘクターの最期」(第二部最終話)
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ヘクターの最期・2b

 二十代の新人記者に戻った気分になっているディビッド・リップマンは、不気味なほど静まり返って人の姿をまったく見かけないオデュッセウス号の船内を自在に駆け巡っていた。

 カリストの周回軌道で無重力状態だった甲板通路は、徐々に木星の重力井戸に引っ張られて、わずかな重力を感じさせるようになっていた。オデュッセウス号は船底を木星に向けて引っ張られているので、飛んでいるときに油断すると、身体が勝手に床に近づきすぎてしまう。


 リップマンは移動手段として(フラ)(イン)(グ・)(ハン)(ドレ)(ール)を使っていたのだが、本来ならばネビュラによる遠隔操作でほとんど自動的に目的地に連れて行ってくれるはずのそれが、中央からのコントロールを失って、完全に自ら操縦しなければならない状態になっていた。


 このハンドルだけ(フライング・)の乗り物(ハンドレール)を制御しているのは中央コントロールルームで、それは操舵室と同じく、船首寄りの船橋(ブリッジ)の中にある。ジャスティン・フューリー中将のいる執務室もそこにあって、リップマンは以前に何度もインタビューのためにそこを訪れたことがあった。そこからのコントロールが失われているということは、この船の中枢である船橋(ブリッジ)で何かがあったことは間違いない。


 リップマンは最優先で船橋(ブリッジ)を目指した。

「しくじったな……、ちゃんと道を覚えておくべきだった」

 すっかり自動操縦任せにしていたので、この複雑なオデュッセウス号の内部構造がまったく頭に入っていなかったことに、リップマンは今さらながら気づいた。もし、これが二十年前の新人記者の頃だったなら、今頃上司にこっぴどくどやされていたことだろう。あの頃は道や人の名や日付や、あらゆる細かい数字の類までもをすべて頭に叩き込んでいて、上司に尋ねられればすぐにスラスラ暗唱できたものだ、といったことが懐かしく思い出された。

 それができなくなっていたということは、いつの間にか自分が驕った地位に甘んじていたということでもあるのだ。リップマンはカリストの地上に送り込んだ大勢の助手たちに思いを馳せた。思えば彼らには気づかぬうちに苦労を掛けていたのかもしれない。


「無事に地球に帰還出来たら、助手たちにご馳走を食わしてやるかな」

 そんなことをつぶやきながら、リップマンはかすかな記憶を頼りに船橋(ブリッジ)を目指して、長い甲板通路を飛んでいた。彼の両足は次第に重くなり、油断すると床に着いてしまう。そのたびに(フラ)(イン)(グ・)(ハン)(ドレ)(ール)の速度を上げるのだが、電池の残量があとどのくらいあり、いつまでこうして飛んでいられるのか、その情報を知るすべがなかった。人任せの便利さの落とし穴だ。リップマンは電池残量にまで頭脳のリソースを割かなければならないことに辟易した。


 甲板通路に沿って伸びている、一つながりの長いガラスの向こうには、木星の明るさによって星が見えなくなっている真っ暗な宇宙が広がっている。そこに時折、猛スピードで横切るものがあった。それはリップマンの視界の端に、光の軌跡としてさっきからちょっとずつ感じていたものだったが、目を向けたときにはすでに見えなくなっていた。それが、ついには注意して見ようとしなくとも、いくらでもはっきりと眺めることができるほど数を増してきた。


 各国の軍・警察・消防の宇宙船が総動員で連携して、オデュッセウス号を捕獲するための網を張り巡らしているのだ。

 そのうちの一隻に同乗しているチーフ助手のカール・ホフマンが、嬉々としてメッセージを送ってきた。

「ボス、宇宙開発史上、類を見ない美しい連帯が実現しようとしています。われわれは人種・国境・民族の垣根を越えて力を合わせ、文字通り一つの大きな布を織りあげようとしています。そちらからもご覧になれるはずです。カーボンナノチューブの繊維で出来たロープの一本一本を、みんなで協力して引っ張っているんです」


 感情に走り気味なチーフに、リップマンはボスらしく冷静な指示を与えた。

「あらゆる角度から映像を撮影しろ。現場のインタビューもできる限り集めろ。上の人間から下の人間まで、今何が見えて何を感じているのか現場の生々しい言葉で捉えるんだ。カール、チーフの君は俯瞰して現場を見回して、手薄なところがないように気を配れ。情報の偏りは、記事の価値を下げる手痛い弱点になるからな」

「わかりました、そのようにみんなにも伝えます。ところでボスのほうはどうなってます?」

「私のほうは心配いらん。詳しいことはあとで話す。君は部下たちへの指示を急げ」

「わかりました。必ずこの作戦はうまくいくと、僕は信じていますよ。ボス、ご無事で」

 カール・ホフマンは余計なことを言ってボスに怒られる前に、急いで通信を切った。


 途端に静かになった甲板通路の寒々とした空気に、ディビッド・リップマンはかつて経験したことがないような孤独を感じていた。寂しさがじわじわと身体に染み込んでくる。

 窓の外ではパーティの飾りつけをみんなで楽しんでいるような光景が繰り広げられている。その渦中にいるはずのリップマンだけが、それらから切り離されているような気分だった。

 なぜ、ここには自分の他に誰もいないのだろう?

 世界でただ一人の人間になったような気がする。とにかく誰かに会って、話がしたい。そんな気持ちに突き動かされて、リップマンは死に物狂いで船橋(ブリッジ)を目指した。


 やがて通路は窓のない、折れ曲がった狭い空間へと変わっていった。明るかった照明はオレンジ色の非常灯だけになった。

 すでに船橋(ブリッジ)の区画に入ったはずだ。リップマンにはそれが臭いでわかった。何かゴムが焼けたような嫌な臭いが立ち込めている。ただそれだけで命の危険を感じる。ネビュラに表示された空気中の成分には有害物質は検出されていないが、このセンサーにもタイムラグがあることを彼は知っている。急に有毒ガスの濃度が上がって気を失うこともあるかもしれない。


 大型の宇宙船には、ある一定の間隔を置いて非常用の与圧服とヘルメットと生命維持パックを備えておくことが法律で義務付けられている。

 リップマンはそれをすぐ思い出したので、壁にわかりやすく表示されているはずの「非常用(エマージェンシー)キット」の文字を探した。それはすぐに見つかった。


 しかし、それらが詰め込まれているはずの場所には、空っぽの空間があるだけだった。与圧服などを固定していたバンドが強い力で引きちぎられていた。残っていたのはそれらを包んでいたパッケージの残骸だけだ。残骸があちこちに散って、空中を虚しく漂っている。船橋(ブリッジ)にいた人々が我先にとこれらを奪い合い、持ち去ってしまったのだ。

 そうなってしまうのはもっともことだ。なぜそんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。リップマンは自分の浅はかさを嘆いた。


 しかし、彼らはどこに消えてしまったのか?

 このまま突き進むことは命取りだ。ここはいったん気持ちを落ち着かせ、道を引き返して非常用キットが他にないか探すべきだ。

 リップマンは記憶を逆にたどって、来た道を引き返そうと、身体を逆に向けた。


 そのとき、ついに彼は見たのだ。

 あまりにも想像力の範疇を超えていたので、あえて意識の外に追いやって、考えようとしてこなかったその存在と、彼はついに最初の接触をした。

 おそらく、これがエウロパ人なのだろう。

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