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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第二十三話「ヒーローとヴィラン」
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ヒーローとヴィラン・2b

 ヘクター・クラノスは唇を離すと、まだこちらをうっとりと見つめている幸子の潤んだ瞳に人差し指と中指で目つぶしを食らわせた。

「いたたた、あんた、なにすんねん」

「キスするだけだって、言っただろ」

 ヘクターは冷たく言い放つと、幸子に背を向けて操縦席へ戻った。「ダメだよ」と言いつつ期待を込めて肩を露わにしていた幸子は、不服そうに彼の背中にあっかんべーをした。

「いちゃいちゃしている暇はないんですよ、お嬢さん」


 幸子は、操縦席の隣りに座った。

「ええい、面白くない。さっさとそのジェイコブとやらのところへ連れて行っておくんなましな」

「ご要望の通り、もう到着しましたよ」

 スワン・ウイングはゆっくり減速すると、真っ暗な空間の中で低速移動に切り替わった。機体は磁力に支えられて空中に浮いている。カリストの地下に毛細血管のように張り巡らされた地下通路(ラビュリントス)の中はほぼ真空なので、スワン・ウイングは磁気によって自由自在に飛び回れる。その最高速度はマッハ一(およそ時速千二百キロメートル)だ。


「この壁の向こうにジェイコブがいるの?」

「三機のクトゥルフ型宇宙船で移動中だ。おそらくそれでオデュッセウス号に奇襲を仕掛けるつもりだろう。アメリカ第七海兵遠征軍のジャスティン・フューリー司令官にも、リアルタイムで奴らの動きを知らせている」

「どうやって攻めるの?」

「放っておいてもオデュッセウス号のいる方向に向かうだろうから、地上には船の周回軌道に沿って捕獲部隊を配置すればいい。僕らの仕事は、奴らを横から攻撃して戦力を削ぐことだ」

「殺しちゃったりしないよね?」

「さっきはひねりつぶすとか言っていたのに、急に情け心が湧いてきたのかい?」


 ヘクターが隣りを見ると、幸子は思いのほか真剣にこちらを見つめていた。ヘクターはどきりとした。

「人殺しなんかしたら、罰が当たるよ」

 子供のように素直な幸子のその言葉に、ヘクターの心は意外なほど強く揺すぶられた。この先、彼女と共に暮らす日々の中に、今日の自分の行動が影を落とすようなことになったら、それこそ彼にとっても気持ちのよいものではない。

「わかったよ。誰も殺さないと約束する」


 ヘクターはそう言ってしまった後で、どうすりゃいいんだと後悔した。幸子と一緒にいると、いつもの自分とまるで違うことをしてしまうのだと、彼は今になって気がついた。幸子から発せられる何やらハッピーなオーラのようなものが、彼にその言葉を言わせたのだ。約束した以上、もう守るしかない。幸子だけはがっかりさせたくない。

「ええい、なるようになるさ」


 ヘクターは当初の予定を変更した。彼のネビュラの中で用意しておいたブラック・スワンのユーザー・インターフェースの計画を削除し、新たに別の計画を思い付きで作成した。それを幸子に悟られないように数秒で済ませると、さも最初からそう決まっていたかのように、自信に満ちた態度でこう言った。


「幸子、これから君は巨人になって、あのクトゥルフ型宇宙船と戦ってもらう。僕はここで彼らの生体反応をモニターしながら、殺してしまわないように巨人の動きを調整する。だから君は安心して格闘に専念してもらって構わない」

「わかったよ。キングコング対クラーケンみたいな感じだね」

「好きに想像してもらっていいよ。その巨人の名は(今とっさに考えた)、タロスだ。機械細胞(マシン・セル)の知性体のダイダロスに、タロスのボディを生成するように今から命令を送る。君はその中に入って、思う存分暴れてくれたまえ」

「合点承知つかまつった」

「それでは生成が終わるまで三十秒お待ちください。それまでに君はハッチのところで待機しておくんだ」


 幸子は唇を突き出した。

「幸運のキスは?」

「ほらよ」

 ヘクターに幸運のキスをもらうと、幸子は嬉しそうに立ち上がって、弾むようにハッチへと駆けて行った。それを見送るヘクターは、キスをするごとに自分の中から邪悪なものが消えていくような気がして、なんだか調子を狂わされるのだった。彼の中の邪悪な力は、これまでたくさんの創造性を生み出してくれたが、このまま浄化されていって、ただの凡人になり下がってしまうのではないかという予感がしてくる。


 プログラムした通りに三十秒経つと、スワン・ウイングの外側に柔らかな丸い管が生成された。それは幸子をタロスの体内へと導くためのへその緒の役割を果たす管だった。

 足元のハッチを開けると、すぐ外に赤黒いぐにゃぐにゃしたトンネルが現れたので、幸子はちょっと怖気づいた。生暖かくて病院みたいな匂いのするガスが、奥から吹きつけてくる。


「この腸みたいなところに入っていくの?」

「そうさ、一歩踏み出せば奥まで自動的に連れて行ってくれるよ。その先にタロスの中枢があって、君はそこで巨人と一体化するんだ」

 幸子はいよいよ覚悟を決めた。ヘルメットを被り、ブラック・スワンに変身すると、尖ったバイザーの前に手を挙げて敬礼した。

「天野幸子、これよりタロスに搭乗いたします!」

 ヘクターは操縦席から親指を立てて答えた。

「幸運を祈る!」


 幸子はファラオのように胸の前で両手を重ねると、足をぴんと張ってトンネルの中へ飛び込んだ。

 幸子の身体を受け止めた赤黒いトンネルは、ぐにゃぐにゃと波打って伸びたり縮んだりしながら、ゆっくりと彼女を飲み込んでいった。空気が満たされているから呼吸はできるけれど、幸子は息が詰まりそうになった。

 もうちょっとかっこいい搭乗のしかただったらなあ、と幸子は思ったりもした。こんなうんこみたいなのじゃなく。

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