木星の理想と現実・4b
米軍の要請を受けて現場に駆けつけてみると、そこは見渡す限りの瓦礫の山だった。
第十七小隊の十人は透明なヘルメットを被り、黒いボディスーツの上からオレンジの防護服の上下を着こんでいる。背中には四角い生命維持パックを装着し、カリストの低温と薄い大気から自分たちの命を守っている。
「隊長、現着しましたが、ここで合っていますか?」
龍之介が困惑してそう訊くと、司令船から現場を見下ろしている隊長も困惑した声で答えた。
「さっきとは様子が変わっているが、そこで間違いない。守とユズのネビュラに時系列ごとの現場記録を送るので、それを共有するように」
通信士の二人は情報を受け取った。守はアルファ・チームと、ユズはブラボー・チームと、仮想空間を共有して、現場を立体的に把握するシェアリングを始めた。
二人の要救助者がオレンジ色の発光体として表示されている。最初は高い建物の上にいた二人が、時間が経つごとに繰り返される爆撃のせいで低い場所へ移動し、その上から瓦礫が積み重なっていく様子が立体モデルで把握できた。
「要救助者A、ルドルフ・カーペンター、三十二歳、男性。要救助者B、ポルクス・ファーマー、二十八歳、男性」
通信士の二人が名前を読み上げると、顔と体型を現す立体モデルがくるくると回って、彼らの特徴をわかりやすく示してくれた。ルドルフのほうはがっしりとした黒人で、ポルクスのほうは背の低い太った白人だ。
一方、愛梨紗はアシスタント・ロボのポリュペーモス(ポリー)を操縦して、現場のがれきの撤去を始めた。ポリーの腹部には、要救助者に着せるための与圧服とヘルメットと酸素の詰まった生命維持パックがしこたま積み込まれている。
重力が地球の十分の一強なので、コンクリートとアルミ合金の瓦礫はまるで発泡スチロールのように軽かった。
「撮影現場のセットをバラす感覚だな」
映画に詳しい健太郎は、瓦礫を遠くに放りながら、そんなことを言った。
「へえ、ロジャー、撮影現場のことなんか知ってんの?」
しのぶも横で瓦礫を投げながら訊いた。
「こんな色男だからね、昔はそういうところにも出入りしたよ。モデルなんかもやったし」
「へえ」
しのぶは感心しながら、健太郎の顔をじろじろと見た。「あんたはそんな浮ついた場所より、こういうところにいたほうがお似合いだよ」
「俺もそう思う」
ひときわ大きな瓦礫を放る彼の背中を見ていると、しのぶは健太郎のことが誇らしく思えた。
瓦礫は遠くまでゆっくりと飛び、ゆっくりと跳ねながら転がっていった。
救命医のコウジと妙子は、要救助者の生命反応に意識を集中していた。
「瓦礫の下で二人の生存を確認した」
コウジが言った。「呼吸が続いているところを見ると、酸素カプセルを使用している可能性が高い。ただし低体温症の症状もみられる。意識を失うと酸素カプセルを吐き出して呼吸が止まる恐れがあるから、みんなそのまま瓦礫の撤去を急いでくれ」
妙子は要救助者二人のバイタルサインの変化に気を配りながら、救助の後に必要になりそうな機材を医療鞄から取り出す準備を始めている。
大きなコンクリートの塊がみんなの前に立ちふさがった。その平たい塊が蓋となって、二人が埋まっている場所を覆ってしまっている。そいつは、いくら低重力で軽いとは言っても、あまりにも大きすぎた。
「こいつはいよいよ西郷さんの出番だな」
龍之介は両手の埃を払うと(それはいつまでも空中を漂った)、立てた親指で瓦礫を指して、源吾に向かってにやりとしてみせた。
やれやれといった様子で、源吾は身体を揺らし、骨をぽきぽきと鳴らした。揚陸船では持て余していた肉体がここでいよいよ本領を発揮する。
健太郎と守が二人並んで口元に手を当てて叫んだ。
「西郷さんが来るぞおおおおおお! みんな離れろおおおおおお!」
女の子たちがきゃあきゃあ言いながら離れると、源吾は巨大なコンクリートの塊の前でしゃがみ込み、両手を深く差し込んだ。
「西郷さん、『ちぇすとー』ち、言わんね」
愛梨紗が声を掛けると、源吾は不満そうに答えた。
「おるは鹿児島じゃなかぞ。ばってん、まあ、よかたい」
源吾は大きく息を吸い込むと、大地が震えるような大声で叫んだ。
「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおお!」
大気の薄いはずのカリストでも、その振動はびりびりとみんなの足元に伝わってきた。コンクリートの塊が少し浮き上がったところで、全員で駆け寄ると、十人の力を合わせて一気にそれを頭の上まで持ち上げた。
「華、どっちに投げるの?」
この期に及んで、しのぶがそんなことを言いだした。瓦礫がどんな風に持ち上がるか前もってわからなかったので、全員の頭上に巨大な塊を持ち上げた状態で、次の一手を考えなければならなかった。
「華、君に任せる!」
船頭が増えると危ないと判断した龍之介はさっさと身を引いた。
「えーっと……」
迷っている間にも瓦礫はどんどん重くのしかかってくる。華はとっさに、木星が浮かんでいる方角がいいと判断した。あれが一番目印にちょうどいい。「あっち! 木星のほう!」
巨大な瓦礫は放物線を描いてゆっくりと飛んだ。長い時間飛び続けた後で、ずしん、と音がして(それは主に大気よりも地面を伝わってきた)、大きな瓦礫が凍った地面に着地した。氷の湖が粉々になった。
そうやってみんなが力を合わせて放り投げた大きなコンクリートの塊が、二人の要救助者を圧死から救っていたことが、それを取り除けた後でわかった。塊が屋根になって二人を守っていたのだ。
二人の男性は全身を毛布でくるみ、瓦礫がぎっしりと詰まった空間のほんのわずかな隙間に、土の中のさなぎのように倒れていた。
すぐさまコウジと妙子が駆け寄り、要救助者の容態を確認した。ルドルフは意識がはっきりしていた、ポルクスもぼんやりとではあるが目を覚ましていた。二人の脇の下と首周りに懐炉を巻いて、急いで体温の上昇を促した。
二人ともに与圧服を着せてやると、ヘルメットを被る前に、彼らは口から小さな酸素カプセルをぺっと吐き出した。それは酸素を発生させる薬剤が歯で噛むことによって化学反応を起こす便利な道具だった。そいつの代わりに生命維持パックから新鮮な空気が送られてきたので、要救助者たちはそこでやっと本当に息を吹き返した。
「ジェイコブはどこにいるんだ?」
ルドルフは辺りを見回して訊いた。「もう見つかったのか?」
「ジェイコブとは、誰のことですか?」
龍之介がそう訊き返してきたので、ルドルフはたちまち状況を把握した。彼は顔に緊張をみなぎらせ、みんなに忠告するように言った。
「まだあんたたちは全容をつかみきれていないようだな。地上をどんなに攻撃したって無駄だ。奴らは地下に潜っている。ジェイコブは奴らのボスで、地下深くを常に移動しているんだ。このカリストには百二十のコミュニティがあって、そのすべてが地下トンネルで複雑に繋がっている。奴らにとって地下は思いのままに動き回れる庭みたいなものなのさ。あんたたちは敵の真っただ中に降りてきた獲物も同然なんだよ」
毛布にくるまったポルクスが、恐怖に満ちた金切り声を上げた。
「ジェイコブ・ハンターは狂暴な人でなしなんだ。どうか、あいつを始末してくれ!」




