続・饗宴(究極の秘密)・3b
大浴場を囲んで並ぶ寝椅子に、饗宴の参加者はそれぞれきれいに腰かけた。寝椅子の横には小さなテーブルがあって、これから食事が始まると、トゥニカを着た従業員が順番通りに料理を運んできてくれることになっている。調理済みの料理を満載にした大きなワゴンが寝椅子の後ろに配置され、そこで料理が盛り付けられているところだ。
華のおじいちゃんの哲志と、今回の主賓であるアレクサンダーは上座の中央に座っている。二人は声が聞こえやすいように席を近づけ、お互いのグラスに酒を注いだ。正面から見て、おじいちゃんが右に、アレクサンダーが左にいる。
アレクサンダーの左には小百合おばあちゃんがいて、さらにその向こうには父の広志がいる。
おじいちゃんの右隣には母の敏江がいて、その横に華の席が用意されていた。
「やっと来たね、我が家の期待のホープ」
母が、手でメガホンを作って叫んだ。
「うるさいな、もう酔ってるの?」
注目を浴びて照れくさい華が、足をすぼめてしゃなりしゃなりと歩くと、臙脂のスリッパがぺたぺた音を立てた。彼女の浴衣には、白地に真っ赤な牡丹が染め上げられている。横にいる龍之介と並ぶと、鮮やかな赤同士で辺りが一気に華やいだ。
「あれが孫の華です。その向こうにいるのが婚約者の三国龍之介君」
トーガを着た賢人のようなおじいちゃんが、アレクサンダーに二人を紹介した。
「よろしく」
と、アレクサンダーが立ち上がって手を伸ばしてきたので、華と龍之介は彼と握手した。これだけ散々にこの男に振り回されてきたのに、こうして面と向かうのは初めてのことだった。透き通った青い目で見つめられると、こちらの心の奥まで覗き込まれるような居心地の悪い気分になった。それ以外はほっそりとして頼りない青年なのに、目の力だけが異様だった。彼はシルクのような光沢のある真っ黒な浴衣を着ているせいもあって、どこか王子のような威厳がある。
アレクサンダーの後ろには、秘書のマギーが小さな席を用意してもらって控えていた。彼女は褐色の髪をきっちりアップにして、光沢のある白い浴衣を着ている。背筋をぴんと伸ばして座るその姿には、いかにも王族の従者のような気品があった。
華と龍之介はそそくさと自分の席に戻った。
「これから料理が運ばれてきますよ」
おじいちゃんが寝椅子にくつろぎながら言った。周囲ではトゥニカを着た従業員たちが慌ただしく動き始めている。後ろのほうで、かちゃかちゃと料理を皿に分ける音が響いていて、否が応でもワクワクしてくる。
しかし、アレクサンダーの視線は料理にもおじいちゃんにも向けられていなかった。彼は目の前に広がる大浴場の、その湯気の向こうをきょろきょろと見渡し、唯一自分に救いを与えてくれる存在の天野妙子の姿を探していた。彼女は青い浴衣を着て、どこかにいるはずなのだ。妙子とはさっき挨拶をかわしたのだが、大事な仲間(※愛梨紗)が具合が悪いからと、どこかへ行ってしまっていた。
実はそのとき妙子は、緊張のせいでトイレに立ったオットーを追いかけて、宴会場の外に出ていた。
臙脂のスリッパでペタペタと駆けていた妙子は、角を曲がった瞬間に、トイレを済ませて歩いてくるオットーとばったり出くわした。妙子はその勢いのまま、夫の胸に飛び込んだ。
「オットー!」
突然抱きついてきた妻に、オットーはどぎまぎしながら後ずさりした。今日の妙子はやけに体温が高い。
「どうしたんだい? 二人して外に出てきちゃったら、またアレクサンダーが怪しむじゃないか。早く戻らないと」
「オットー、聞いて」
「なんだい?」
妙子は美しい目をキラキラさせて、オットーの顔を見つめた。こんなに明るい表情の彼女を見るのは、いったいいつぶりだろう? オットーも嬉しくなって、自然と微笑みが溢れてきた。
「もう迷わなくていいんだって」妙子は声を弾ませた。
「何をだい?」
「赤ちゃん!」
そう叫ぶと、妙子はもう一度オットーをしっかり抱きしめた。オットーも抱きしめ返した。彼女のほっそりして柔らかい身体が、浴衣を通して自分の中に溶け込んでくるのを、オットーは感じた。結婚して以来、これまで二人の間を隔てていた、ひどく頑丈で手に負えなかった壁のようなものが、今になって急に取り払われたのだ。
「どうしたの? 妙子。何があったんだい?」
妙子はそこで、さっき龍之介に相談して返ってきた答えを、詳しくそのままに繰り返した。
「産みたいときに産めばいいって、龍之介さんは言ってくれたの。龍之介さんも、華ちゃんとの間に近いうちに赤ちゃんが欲しいんだって」
「そうか、彼もそうなら、間違いないね」
妙子とオットーの間に、痺れるような喜びが湧いてきた。二人は思わず壁際にもたれ、お互いの顔をじっと見つめ合った。オットーは妙子のうなじの後れ毛を指でなぞり、そのまま彼女の唇もなぞった。妙子はすべてを受け入れるように、まつげを震わせて目を閉じた。
そのとき、一人のろくでなしが邪魔に入った。
「おっと、そこまでだ、ご両人。ここは健全な公共宿泊施設であるのであって、そのようないかがわしい行為を公衆の目の届くところで行ってよいところではないぞよ」
「げえっ、幸子」
オットーは思わず叫び、妙子の肩をつかんで身体を離した。「君たちもこれから宴会へ?」
「行くって言ったでしょうが」
幸子は、手に持っていた羽根つきの扇子でオットーの頭をぴしゃりと叩いた。彼女は膝上のストーラをまとい、腰をしっかりベルトで締め上げ、髪も化粧もばっちり仕上げてきている。
彼女の後ろには、くるぶしまでを覆う豪奢なトーガを着たヘクター・クラノスも控えている。彼はグリーンの瞳とチリチリの茶色い毛を持ち、ややがっしりした体型なので、本当にそのままローマ人がやって来たように見えた。
「さあさあ、早く戻らないと社長が大騒ぎしますよ」
ヘクターはそう促すと、オットーと妙子の背中を叩いた。「続きは宴会場の中でお願いしますね」




