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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第三話「ヘラクレスとヒドラ(後編)」
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ヘラクレスとヒドラ(後編)・3

 翌朝、華の気持ちを表すような曇り空の下、重い身体を引きずって駿府城公園のお堀端を学校に向かって歩いていると、校門の前が何やらものものしい。

 誘導の警官が棒を振って人や車をさばいている。事故か何かだろうかと見てみると、校門の脇にずらりとパトカーが並んでいて、数人の警官と教師が、何か言い争いをしている。

 門から入ってすぐの校庭には、見たことのない背広姿のこわもての男の人たちが整然と列を作って、登校してくる生徒たちの顔を一人一人チェックしている。きっと、あの人たちは刑事なんだ、と思った途端、華は逃げ出したくなった。


 私のことを連れに来たんだ……

 華の心にじっとりと冷えた泥のような恐怖が流れ込んできた。私の将来も、もう終わりだ。あれだけ大勢の人たちを不幸に追い込んだのだから、私だけ無事でなんていられるわけがない。もう、こうなったら恐れるべきではないのではないだろうか。正義の味方を気取るなら、もっと堂々としていなければ。罪に一度関わりを持ったのだから、最後まで戦いを全うすべきなのだ。


 でも、華は顔を上げることができなかった。今の私は、あの大勢の男の人たちの目を見ることもできない。きっと今にもつかみかかられて、どこかへ連れて行かれるんだ。そして、これまでやったことを、すべて白状させられるんだ……

 ところが、彼らは華をすんなりと中へ通した。他の生徒たちと同じく、特に注意を向けられることもなく、いつも通りに校庭に入ることができた。それでも、華は安心できなかった。もしかしたら、そうして安心させて泳がせる気なのかもしれない。私がサトル君と一緒にいるところを押さえるつもりなのかもしれない。

 サトル君は、今、どこでどうしているんだろう?



 教室の前で、明美たち三人が華のことを待ち構えていた。明美が心配そうに寄ってきた。

「どうだった? 何かされなかった?」

 華はドキッとして、しどろもどろに答えた。

「別に、何も」

「ねえ、華、知ってる?」

 と、沙織がひそひそ声で言った。「ちょっと耳貸して」

「なに?」

 沙織が耳元で言った。

「朝から芦高君がずっと取り調べを受けてるの」

 それを聞いた瞬間、すでに縮み上がっていた華の心臓に最後のとどめを刺されたような気がした。顔はなんとか平静を装ったつもりだったが、周りにはごまかしきれなかったようだ。

「華、私たちが力になるから、一人で抱え込むんじゃないよ」

 明美がそう言って手を握ってきた。華は自分はそこまでされるほど大した人間じゃないのにと、恥ずかしさで苦しくなった。


 珍しく険しい顔つきの安藤和子先生が廊下の向こうからやって来るのが見えたので、華たちはそれぞれの個室に入った。

 ホームルームが始まった。にこやかでない安藤先生を見るのは、このクラスではみんな初めてかもしれない。

「みなさん、もうご覧になったとは思いますが、今日は警察の方が大勢来られています。わたくしもとても憤りを覚えております。緊急の措置ということで、あの方たちも大変頭を下げられて、仕方なくこちらも了承した次第です。みなさんには申し訳ありませんが、ほんの少しだけ時間を割いていただいて、警察の捜査にご協力いただきたく存じます。授業中、こちらから一人ずつお呼び出しをいたします。ほんの数分で構いませんので、ということを警察の方もおっしゃっておられます。みなさんは、名前や住所や生年月日などといった当たり前のこと以外で、特に質問に答える必要はありません。知りません、わかりませんと答えれば結構ですから。できるだけ早く切り上げて、授業に戻ってください。」

 安藤先生はみんなを見回して、安心させるようにうなずいてみせた。


 それから、いつも通りに授業が始まった。普段と同じく体育もやったし、みんなで化学の実験をやったり、英語で討論をしたり、数学の難問を解いたりもした。そんな中で、ときどき生徒がぽつぽつといなくなったり戻ってきたりしていた。戻ってきた子は、一様にくつろいで気の抜けたような顔になっていた。その人数がだんだんと増えていく。元々、それぞれの生徒が受ける授業を自由に選択できる高等教育学校では、それほど他の子のことを気にすることはないのだが、今日だけは緊張感が張りつめていて、みんなは互いを気にしていた。


 華は、いつ自分の番が回ってくるのだろうとじりじりしながら一日を過ごした。サトルは朝から取り調べを受けているのに、自分だけ放っておかれているのは、何か狙いがあるからなのだろうか? それとも、本当に自分は何の疑いも持たれていないのだろうか? そんな都合のよいことが、あるはずはないのだが。



 昼休みのカフェテリアは賑やかだった。もう、ほとんどの生徒が取り調べを終えていて、活気を取り戻している。

 大きなガラス窓の外は、朝から変わらず重い雲が垂れ込めていて、いつ降り出してもおかしくない。

 華の友達の明美も沙織も美保も、とっくに自由の身になって、あとは華を残すのみだった。やっぱり、この順番は意図的としか思えないと四人とも感じていて、とても重苦しい昼食になった。サトルと付き合うように煽った手前、友達みんなは華への責任を感じている。

 華は、軽いサンドイッチすら喉に通らない。


「美保、あんたどうだった?」

 と、明美がみんなに質問して、なんとか場を繋ごうとする。

「混んでるときのネビュラの端末ショップみたいだったよ。はいはい、わかりました、はいはいって、適当に質問されて、次の方どうぞーって感じ」

「沙織は?」

「私もそんな感じだったな。最初から全部わかってるみたいな、答えても答えなくても特に気にしないみたいな雰囲気だったよ」

「そうか、みんなもそうなんだ」

 明美のその一言で、自然と視線が華に集まった。明美が取り繕うように言った。

「あんたもきっと、すぐ終わるよ。たまたま後のほうに回ってきているだけだよ」

「ありがとうね、みんな、ありがとう」

 いろいろ気にしてくれて、華はそれだけで少し救われた気がした。


 安藤先生が速足でカフェテリアに入ってきたので、華たちはぎくりとした。予想通り、先生は華を見つけるとまっすぐに近づいてきて、申し訳なさそうにこう言った。

「ごめんなさいね、まだお食事中よね?」

 ほとんど口をつけていないサンドイッチを皿に置いて、華は小さな声で答えた。

「いいえ、とっくに済んでます。わざわざすみません」



 華のために用意された部屋は、他の生徒たちのそれよりも奥まったところにある、中くらいの大きさの会議室だった。

 中に入ると、部屋の中央に仕切りが立っていて、その一方に机を挟んで向き合うように椅子が置かれ、仕切りの後ろに何人かの刑事が隠れるように座って、なにかこそこそ話をしている。

 机の横に大きな窓があり、静岡市街を一望できた。雲はますます濃くなり、まだ真昼だというのにまるで夕方のようだ。開け放たれた窓から入る空気は妙に湿気ていて、ひやりと心に忍び入るようだった。

「ちょっと寒いかしら」

 と言って、安藤先生が窓を閉めてくれた。


 華は安藤先生から、机の前の椅子に座るように促された。先生は壁際に立って、この取り調べに立ち会ってくれるらしい。

 仕切りの向こうから、すぐに一人の刑事が現われた。所作は若々しいが、かなりのベテランのように見える。半白の髪をふわりと整えて、顔つきもいかつくなく、優しげな印象を与えた。しかし、体格は立派で、組み合ったら誰も敵わないのではないかと思える迫力がある。昔はもっと威圧的だったのかもしれないが、歳を重ねてだいぶ縮んだようだ。もしかしたら、この人が一番偉い刑事なのかもしれない、と華は思った。


「静岡県警警備部公安課の松田です」

 と、柔らかな口調で刑事は名乗った。「ものものしくて申し訳ないね。こういう仕事はね、一度動き出した以上、やらないわけにはいかんのですよ」

 松田刑事が机の向こうの椅子に座ったので、華はぺこりと頭を下げた。

 刑事は小さな眼鏡をポケットから取り出して鼻に引っかけると、分厚い表紙のついた紙の帳面を広げて、何やら書きつけた。タブレットよりもこちらのほうが使い勝手がいいらしい。それから、顔を上げて、こう言った。

「これからいくつか質問をするので、あなたは答えたければ答えてください。答えたくなければ答える必要はありません。これはあなたの権利です」

「はい」

 と、華はか細い声で答えた。


「それでは、お名前をお願いします」

「桃井華です」

「生年月日は?」

「二〇四九年三月十一日です」

「住所は?」

「静岡県静岡市清水区入江東町二丁目三の六です」

「建物名は?」

「え?」

「マンションですか?」

「いいえ、一戸建てです。あ、でも、会社が一緒になっていて、桃井工務店といいます」

「わかりました」


 それらを帳面に書き込むと、松田刑事は眼鏡を外し、机の前で両手を組んで、華と向き合った。

 華も、おずおずと顔を上げた。刑事はゆっくりと、こう言った。

「今、世間で話題になっている事件を、あなたは知っているね?」

 来た! と、華は思った。これは、ヘラクレスという言葉を私から言わせるための質問なのだろうか? 華は何と答えたらよいのかわからず、黙っていた。

 松田刑事は指先で額を掻いてから、こう付け加えた。

「たくさんの企業の不祥事が暴露されていることは、知っているね?」

「ニュースで見ました」


「その暴露に裏で関わっている組織あるいは個人かもしれないが、そういう人物に対する捜査を行うよう、国際機関から要請がありましてね、そういうことで、我々はこうしてここに来ているわけです」

 どのくらいの規模でその捜査が行われているのか、他の学校でもやっているのか、いつからそれが始められたのか、華は逆に質問したいくらいだが、訊くに訊けない。

 華がただ黙っていると、松田刑事は、

「坂本」

 と、仕切りの向こうに呼びかけた。


 天井で頭をこすりそうなほど恐ろしく背の高い刑事がぬっと現われて、白い布で包んだ両手で抱えるほどの大きさの四角いものを持ってきた。それを渡すと、坂本刑事は元いたところに戻っていった。

 机の上に置かれた、その四角いものの形を見て、華の鼓動が速まった。まるで風呂敷でお土産のお菓子を包んだみたいな、その物体のことを、私は知っている。

 松田刑事は、四角いものを包んでいる白い布をゆっくりと剥がしていった。中から出てきたものは、やっぱりあれだった。弁当箱よりもちょっと大きいくらいの真っ黒な箱で、側面にトグルスイッチが一つだけ付いている、通称ブラック・ボックス。暗号化されたヘラクレスの電波と、それ以外の電波を切り替える装置だ。サトルの部屋にあったものと、そっくり同じだった。


 それを見た瞬間、華の心が絶望で真っ暗になった。サトルはもうこの世にいないのではないかという気がした。ブラック・ボックスを見せられたということは、まるでサトルの遺品を見せられたようなものだ。この世に芦高サトルという少年が存在していたことの痕跡が、とても小さな欠片になって、目の前に転がっているような、そんないたたまれない気持ちになった。


「桃井さん、あなたは、この箱が何なのか、ご存知ですか?」

 明美たちの話では、この箱の話題は出なかった。つまり、これは華を狙い撃ちした質問だ。

 知っています、とも、知りません、とも答えようがない。ここで嘘をつくべきか、正直に答えるべきか、それともただ黙ってやり過ごすべきか、華は必死になって考えた。ただ黙っているというのも、おかしなことだ。知らなければ知らないと答えればよいだけなのだから、黙っていることは知っていると認めているようなものだ。ならば、嘘をつくしかないのだろうか?


「それをちょっと、見せてもらえますか?」

 華は、時間稼ぎのつもりでそう言った。

「どうぞ」

 松田刑事に渡されたブラック・ボックスは、華が知っているものとまったく同じに思えた。箱の表面の艶も、重さも、中身が詰まった感じも、まるで同じだ。

 もしかしたら、スイッチを入れたらちゃんと作動するかもしれない。その考えが華の頭に閃いたとき、どうしてもそれをしなければ気が済まないような衝動が湧き起こった。サトルが何かメッセージを残してくれているかもしれない。


 松田刑事は、こちらをじっと見つめていて、どんな変化も見逃すまいと注意深く観察している。

 華は、むしろ堂々と、何の考えもなしについつい弄ってしまったようなノリで、トグルスイッチをオンにした。

 すると、華が思っていた通りのことが起きた。いや、それ以上のことが起きた。


 華の視野の端にサトルが現われた。華の左手、窓の正面に、夏服の半袖シャツを着た、いつもの格好で、彼は見えない椅子に座っていた。最初、彼は何をするでもなく途方に暮れているようだったが、華が自分を見ていることに気づくと、奇跡を目にしたかのように驚いた表情を浮かべた。

 そして、彼は自分の唇に人差し指を当てて、華に平静を装うようにジェスチャーで示すと、そろりそろりと近づいてきた。

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