饗宴(後編)・2a
スワン・ウイングはひっくり返っているので、出口のハッチは天井側にある。ハッチはある程度は電動の力で持ち上がったが、途中で羽の塊に抑えつけられて開かなくなった。
「まったく手間かけさせやがる」
幸子はそう呟くと、腰のベルトから大ぶりのナイフを一本、すらりと抜き放ち、ハッチの向こうの羽の塊に刃を突き立てた。
しかし、威勢よく始めたわりには、幸子の手つきは不器用でもたもたしていた。突いても切っても、新しい羽で塞がれて、穴ひとつ開かない。不思議なことに羽と羽は緩やかに結合しているらしくて、ハッチからどさどさと機内に落ちてくるようなことはなかった。
「幸子、ちょっとどいてみな」
じれったくなったヘクターがモップを持ってきた。モップの拭く側を上にして、羽の集合体をぐいぐい押していくと、けっこう軽々と持ち上がった。そうすると、ハッチをもうちょっとだけ大きく開けることができた。
ヘクターはモップを支えたまま言った。
「これだけ開ければ出られるだろ。あの羽のぴーんと張った部分をナイフでしゃっしゃっしゃっと切ったら、ジャングルで枝を薙ぎ払うように進めるんじゃないか?」
ヘクターは擬音を駆使し、ナイフで羽を切る真似をした。
「やってみる」
幸子はハッチの上までさかさまの階段を上がると、ナイフを大きく振りかぶって切りつけてみた。何度もやってみると、確かに人が通れるくらいの空間を作って、少しずつなら前進できそうだ。しかし、羽の集合体が再び元に戻ろうとする速度には追いつけそうにない。
「怖いよう。途中で疲れたら、羽に巻かれて死んじゃうよう」
と、幸子は弱音を吐いた。
「幸子、ナイフの柄の先を見てごらん」
ヘクターは自分の手を使って、ナイフの柄の先を見る仕草をしてみせた。「そこに超音波のスイッチがあるんだ。そいつを使えば切れ味が十倍くらいになる」
「マジで?」
幸子はすかさずナイフをひっくり返すと、「ポチッとな」と言ってスイッチを押した。ブーンとナイフが静かに振動した。
「自分の身体に当たったら、骨まで一瞬で切れるから気をつけてな」
ヘクターの注意など耳に入らない幸子は、けたたましく笑いながらめちゃくちゃにナイフを振り回し始めた。確かに羽の回復力に追いつかれる前に、切り開いて進むことができる。
さっき妙子が心配していた通り、調子に乗って進みすぎた幸子が羽を突き破って落下しそうな気がしたので、ヘクターはおそるおそる手を伸ばして、荒ぶる幸子の腰からウインチのワイヤーを引っ張り出した。そして、そのワイヤーの先を頑丈な手すりに引っ掛けた。
これでひとまず安心だ。ヘクターがそう思って息をついた瞬間に、幸子の姿がかき消えてしまった。
「あのバカ、本当に落下しやがった」
ヘクターが幸子を追いかけようとハッチの外に身を乗り出したとき、目の前で羽の集合体が元に戻ってしまった。素手ではこいつを突き破ることはできない。伸びきったウインチのワイヤーが勢いよく震えているところを見ると、幸子が猛スピードで落下しているのは間違いないようだった。
「どうなりました?」
と、妙子が様子を見にやって来た。「さっちゃんのすごい高笑いが聞こえましたけど」
「彼女ならたぶん大丈夫だよ」
ヘクターは苦笑いした。
そのころ、ブラック・スワンこと天野幸子は、轟々と流れる興津川の上空をワイヤーに繋がれて下降していた。
見上げると、スワン・ウイングが包まれていた羽の集合体は丸い繭のようにまとまって、樹冠のドームの端に引っかかっている。白黒茶のモザイク模様の繭は、まるで巨大な鳥の卵のようだ。
幸子が落下したのは樹冠のドームから外側へ突き出した部分だったので、木の枝にぶつかることもなく、ただひたすらに川に向かって落ち続けていた。
「どうするんだっけどうするんだっけ」
幸子は慌てて独り言を言いながら、腰のベルトをあちこちいじって落下を止めようとした。そうしながら、すべての操作はネビュラでするようになっていたことをとっさに思い出して、幸子はネビュラの操作パネルに意識を向けた。
幸子のために作られたブラック・スワンのユーザー・インターフェースは、大きなひらがなの文字や動物たちのイラストをふんだんに使って、とにかくわかりやすさを重視していたので、幸子は一目でウインチの操作を確認することができた。「ウインチの止め方」という大きな文字を、クマさんが踊りながら指さして教えてくれた。
身体に衝撃が加わらないように優しくブレーキがかかって、ウインチの伸びが止まった。
ぶら下がった幸子の目の前に、絡み合った木の枝がびっしりと葉を茂らせて、丸く湾曲した屋根のように川の上を覆っているのが見えた。
「すごくでっかいアーケードの商店街みたい」
と幸子はつぶやくと、よく目を凝らして枝葉の間を探ってみた。「さっき追いかけてきた連中は、あの屋根の中のどこかにいるんだな」
すると、幸子のネビュラに、ヘクターの声が届いた。
「幸子、無事に止まれたかい?」
「私が止まれないと思う?」
「そこから何が見えるのか、僕のほうにも映像が届いているよ」
「すごいよね、機械細胞って」
「おそらく二回も林檎を使ったのなら、しばらくの間機械細胞は動かせないはずだ。彼らも生物だから、休息が必要なんだ。つまり、アレクサンダーを捕まえるなら今しかないってことさ」
ヘクターはまた社長を呼び捨てにしたが、幸子はそれに気がつかなかった。
「私はどうすればいいの?」
「妙子からのたっての頼みで、宇宙消防士の人たちをまず先に助けてあげてほしいそうだよ」
「その救助のついでにアレクサンダーも見つければいいってことね」
「そういうこと」
「ようし、わかった」
幸子は張り切って答えると、大きく息を吸い込んで、世界の果てまで届くような大声で叫んだ。
「誰かいませんかああああああ!」




