饗宴(後編)・1b
大量の羽毛をジェットファンで吸い込んでしまうことを恐れたヘクター・クラノスは、すぐさますべてのエンジンを停止した。もしも羽毛を吸い込んだエンジンが発火すれば、たとえ柔らかな鳥の翼の中に突っ込んで機体が無事だったとしても、そこから火災が発生する可能性が高いことが想像できたからだ。
推力を失ったスワン・ウイングは、太陽の光が遮断されてしまった羽毛のドームの中を猛スピードで滑空していく。四人の身体が座席に強く押しつけられた。
外は真っ暗で、機内も照明を落としているので、明かりになるものはあちこちの計器から放たれるわずかな光だけだ。
「幸子、妙子、それとオットー、しっかりベルトを締めて、舌を噛まないように力いっぱい歯を食いしばるんだ」
暗闇の中で、ヘクターがそう叫ぶ声が聞こえた。返事をする代わりに、幸子が「うーっ」と唸り声をあげた。
その直後に、天地がひっくり返った。
三百六十度の視界を確保できる風防ガラスの全面に、白や黒や茶や灰色の羽毛が大量に張り付いたり離れたりを盛んに繰り返しながら、機体を柔らかく包み込んだ。妙子たちは頭をがんがん振り回されながらも、高いヘッドレストに強く頭を押しつけていたおかげで、首に致命的なダメージを負わずに済んだ。
スワン・ウイングは何度もバウンドしながら、どこかふわふわする不安定な場所で、上下をさかさまにした状態でようやく停止した。
頭上の――今は頭の下だが――風防ガラスには、茶色の混じったほとんどモノクロームの羽のモザイク模様が出来上がっている。
全員の無事を確かめ合おうとお互いが考えていたところで、幸子が真っ先に声を出した。
「ヘクター、早くなんとかして、ゲボ吐きそう」
すかさずヘクターが答えた。
「幸子、天井に手をついて、体重を支えながらゆっくりベルトを外すんだ。――いや、待て、まず僕が下りるから、それまでそのままでいたまえ」
どさり、と音を立てて、ヘクターが風防ガラスの上に身体を下ろした。エンジンが止まると同時に結露防止のヒーターも止まったので、風防ガラスは内外の温度差で生じた水蒸気の粒でびっしり覆われていた。
「うへえ、尻が濡れちまった」
「早くして、ヘクター」
「はて……」
と、ヘクターはつぶやいた。「どっちが幸子でどっちが妙子かな?」
頭上から、二人のまったく同じ顔の女がぶら下がっている。暗闇の中で計器のわずかな明かりに照らされた二人は、両方とも長い黒髪をぞろりと垂らしてものすごい有様だが、片方は歪んだ顔を露わにし、片方はなんとか体面を保とうとがんばっている。
「こっちのひどいほうが幸子だな」
と、ヘクターはすぐに察して、両手で彼女の肩を支えてやった。ヘクターの眼前に、目を大きく見開いたさかさまの幸子の顔が迫ってきたので、彼は「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。「幸子、少し楽になったろう。気をつけてベルトの金具を外すんだ」
ベルトを外す音がして、ヘクターの両手にずっしりと幸子の体重がのしかかった。
「ゆっくり下ろすぞ。君は僕の身体につかまれ」
幸子の身体が下りてきた。幸子は遠慮なくヘクターの身体にしがみつき、黒いトカゲのように胴体をくねらせながら、ばたばたと下りていった。途中、ヘクターの顔に幸子の腹が押しつけられたとき、ブラック・スワンのコスチュームのゴムの匂いがした。
幸子は、濡れてつるつる滑る風防ガラスの上に手をついて座り込んだ。
「幸子、立ち上がると滑るから、そこに座っていなさい。さて、次は妙子だな」
妙子はおとなしく、恥ずかしそうにヘクターの身体にしがみついて、するすると下りてきた。
最後にオットーが、ヘクターと妙子の二人がかりで助けられて下りてきた。オットーは自分の背広を妙子と幸子の尻に敷かせてあげた。
「さて、とりあえずは助かったが、アレクサンダーはどう落とし前をつけるつもりかな」
ヘクターは社長を呼び捨てにしながら、自分のネビュラに集中した。外の状況がどうなっているのか、知る方法を探っているのだ。
風防ガラスの上であぐらをかいているオットーが言った。
「妙子、君の仲間と連絡が取れないか?」
「そうしてみる」
妙子はすぐさま華のネビュラに通信を送った。オットーが照明のスイッチを見つけたので、機内は明るくなった。
「もしもし、妙ちゃん?」
すぐに華の声が返ってきた。
「華ちゃん、私」
妙子はいつものようにカメラ代わりにオットーの視覚を使い、自分の顔を華に見せた。「みんなは大丈夫?」
「妙ちゃんこそ大丈夫? アレクサンダーさんが妙ちゃんを絶対捕まえるって息巻いてたけど、無事に逃げられた?」
「残念ながら捕まっちゃったみたい」
妙子はがっかりした顔をしてみせると、オットーにガラスの外を見るように頼んだ。「外の様子が見えるかな? 飛行機ごと鳥の羽みたいなものに包まれて、どこかに閉じ込められちゃったの。華ちゃんの近くに、鳥の羽の塊みたいなものが見当たらないかな?」
華の声が答える。
「私の周りには羽みたいなものは今のところないみたい。だけど、すごい量の葉っぱがびっしり茂っていて、あんまり遠くまで見渡せないから、もしかしたら意外と近くかも知れない。みんなもあちこちに散らばってるんだけど、お互いどこにいるかわかんないの。妙ちゃんたちが落ちた場所に近いところに、誰かいるかもしれないから、なんとか現状分析してみるね」
「うん、私たちも脱出できるかどうか試してみる」
妙子はとりあえず通信を切った。
「さて、いよいよ私の出番だね」
そう言い放った天野幸子は、いつの間にかブラック・スワンのヘルメットを被り、つるつる滑る風防ガラスの上にすっくと立ち上がっていた。
「さっちゃん、何をするつもり?」妙子は嫌な予感がした。
「言わずもがな、外に出てみるのさ」
「いきなり飛び出して、羽を突き破って落下したりしないでよ。足元がしっかりしているかどうかもわからないんだから」
「ちゃんとウインチがあるから大丈夫」
ブラック・スワンの腰のベルトには、さまざまな秘密道具を詰め込んだケースがずらりと並んでいる。そのうちの一番真ん中にある黒いケースを、幸子は指さした。「このウインチからワイヤーを伸ばして、下に下りてみるよ。何があるかはお楽しみだね。ひょっとしたらアレクサンダーが見つかるかもしれない」
幸子は、尖ったバイザーの下から赤い唇を覗かせて(口紅を塗った)、舌なめずりをした。
妙子は姉のことはよくわかっている。止めてもやめるはずがない。
「わかりました。それじゃあ、ヘクターさん、さっちゃんのバックアップをお願いします」
「任せてくれたまえ」
と、ヘクターは自信満々で答えた。
「それじゃあ、行くよ!」
ブラック・スワンこと天野幸子は、黒い白鳥のような二又のマントをひらめかせて、出口に向かって颯爽と歩き出した。ただし三歩目からは、滑らないようにそろりそろりと歩いた。




