第9話
姫の15歳の誕生日から一週間、若い貴族の娘たちの間で、ある物が流行り始めた。
「あら、あなたも早速作ってみたんですか?」
「ええ、そうなの。どう? 姫様と同じ形にしてみましたの」
「素敵ですわ。わたくしも作ろうかしら?」
貴族の娘たちがこぞって自慢しあっていたのは、姫と同じ手作りのアクセサリーだった。
リボン1つで作れる薔薇の花は、リボンの太さで大きさが変えられるとあって、他人と被らない自分だけのオリジナルのアクセサリーが作れる。その為、貴族の娘たちはその出来栄えを自慢しあっていたのだ。
中には、髪飾りやコサージュ以外のアクセサリーを作る人も現れ、いたるところで情報交換会が行われていた。
一方、正式に婚約を発表した姫と青年はというと……。
「姫、しばらくの間、ご退出願えませんか?」
執務室の机に向かい、溜まっていた書類に目を通している青年は、真正面に座り、こちらをじーっと見ている姫に退出を願い出た。
「やだ。邪魔していないんだからいてもいいでしょ?」
「気が散ります」
「気にしなくていいよ」
「そういう問題ではありません。もうすぐ客人が参ります。仕事の邪魔をしないでください」
「お客様って誰?」
「姫には関係ありません」
「じゃあ、いつ終わる?」
「客人を迎えた後も用事があります。明日の午後になれば姫との時間も作れるかと」
「じゃあ、明日の午後までここに居る」
「姫」
「邪魔してないんだからいいでしょ?」
先ほどから同じような繰り返しばかりしている。つい30分前にも同じやり取りをしていた。
「姫」
青年がもう一度「姫」と呼ぶと、姫は頬を膨らませて彼の事を睨み付けた。
「姫ともあろうお方が、そのような顔をしないでいただきたい」
「だって~」
「何を望まれているのですか?」
「名前! 正式に婚約したんだから、名前で呼んで!!」
「姫は姫です」
「それだと婚約した意味ない!!! 名前で呼んでほしいの!!!」
どうしても名前で呼ばれたい姫は、椅子から立ち上がると、青年の横まで移動した。
座っている青年を見下ろすと、もう一度「名前!!」と大声を上げた。
「明日の午後までお待ちいただけませんか?」
「どうして待たなくちゃいけないの!? ただ名前を呼んでくれるだけでいいじゃん!」
青年は大きく溜息を吐くと横に立つ姫の方へと体ごと向けた。
急に視線が合ったことで、姫は不自然に視線を逸らしてしまった。
「では、姫。わたくしの事を名前で呼んでいただけますか?」
「い…いつも呼んでいるでしょ? ミゼンタール様って」
「それは苗字です。わたくしが申しているのは名前です」
「そ…それは……」
「姫がわたくしの名前を呼んでくださるのでしたら、お礼としてお名前でお呼びしましょう」
今まで勢いの良かった姫が、急に大人しくなった。
小さい頃は名前で呼んでいた。それが当たり前だと思ったからだ。だが、大きくなるにつれ、周りの大人から名前で呼ぶのは失礼だ。名前を呼んでいいのは殿方となる方だけだと厳しく言われ、それ以降は苗字で呼んでいる。
昔と同じように名前で呼ぼうとすると急に恥ずかしくなってきた。
俯いてモジモジと指を弄びながら、顔を真っ赤にしながら姫はその場に立ち尽くしてしまった。
その様子が愛おしく思う青年は、椅子から立ち上がり姫の横の立つと、姫の耳元で囁いた。
「明日の午後までお待ちください、――――様」
誰かに呼ばれている気がした奏美は、ゆっくりと目を開けた。
そこは見慣れたリビングの天上で、ソファに横になっていた。
「目が覚めたか」
キッチンにいた祖父が、二つのマグカップを持ってやってきた。
「あ…あの……」
「お前に謝らなくてはならない事がある」
心配する言葉ではなく謝罪をしてくる祖父に、奏美は不思議そうに彼の顔を見た。
祖父は奏美の足元に座り、手にしていたマグカップを差し出した。
「謝るって、なにをですか?」
「まずは、わたしが研究をしている事について。今まで話さなかったのは悪かった。世間に知られていない国について調べている為、お前が愛想尽かすのではないかと気にして話せなかった。二つ目はお前に近づいた本当の目的について。わたしは小さい頃から、この失われた国に興味を持ち、少ない文献を頼りに解明を志した。だが、あまりにも短い歴史の為、思うような資料が集まらず、諦めようとした。その時、残された文献に記載されていた姫の肖像画と瓜二つのお前と出会った。ただの偶然だと思ったが、夫婦から親子の関係になり、そして祖父と孫の関係になった時、わたしは確信した。年を取らないこの娘は、わたしが進める研究に必要な資料なのではないか…と。一緒に居ればこの国の事を話してくれるかもしれない。そんな淡い望みのもと、お前を拘束してしまった。だが、お前は何も話さなかった。当たり前だったな。わたしがこの国について調べているなんて一言も話さなかったんだから」
「…どうして聞こうとしなかったのですか?」
「人違いだったら失礼だろ? それに、お前の目がいつも寂しそうだった。過去に何かあったんだろうと察し、わたしから話すのは辞めることにした」
「話してくださればよかったのに…」
「そうはいかないよ。お前にとって辛い過去なんだろ? 思い出させて、わたしの前から去ってしまうのが怖かったんだ。それに、真実を話したら、お前はわたしを憎むだろう」
「憎むなんて…」
そんなことはないと言おうとしたが、奏美は祖父の顔を見て言葉を飲み込んだ。
祖父は今まで見たことがない真剣な顔をしていたのだ。
「リリス=プリュム=ウェンリークという名前に心当たりないか?」
「…え?」
「400年前、失われた国で貴族の娘として生を受けた人の名前だ。心当たりないか?」
「……あります……」
「そうか…。やはりお前は400年前に滅びた国の姫だったんだな」
名前1つで奏美を【400年前の姫】と決定づける祖父。今までの悩みが消え去ったのか、祖父は穏やかな顔を見せた。
「なぜ、わたしが姫だと確信するのですか? どこにでもある名前ですよね?」
「確かにリリスという名前は何処にでもある名前だ。だが、この名前をフルネームでわかる人は数少ない。知っているのはわたしと同じ血を受け継ぐ者だけだからだ」
「…どういうことですか?」
「『リリス=プリュム=ウェンリーク』、この名前はわたしの祖先の名前だからだ」
「え!?」
「わたしの家は、代々歴史家で、同じ国について研究を続けている。だが、研究内容は外に公表していない。我が家の歴史を伝えるために研究しているのだ。祖先が受けた『懺悔』を解明するために」
「『懺悔』?」
「リリスは晩年の日記に『姫を憎んでしまった。取り返しのつかない事をしてしまった』と後悔を書き残している。だが、その後悔が何なのかわかっていない。きっと大きな罪を悔やんで亡くなったのだろう。我が家は何に後悔しているのかを突き止めることにしたが、リリスは故郷の言葉で日記を書いていた。その言葉は誰もわからない」
「……」
「リリスを知っているという事は、リリスが犯した罪も知っているのか?」
「……リリス様とは直接お会いしたことはないのでわかりません」
「そうか…」
本当は違うと、奏美は言いたかった。リリスと名乗る娘とは会ったこともあるし、話をしたこともある。
だが、リリスとの事を話すと、祖父を悲しませてしまう事になる。彼女の犯した罪は自分に大きく関わっている事だからだ。
「あ…あの、お父様…いえ、グロンデ国王様の事は何処までわかっているのですか?」
「国王の家族や血縁関係ぐらいかな」
「その中にミゼンタールという名前の家族はいますか!?」
「ミゼンタール? 国王の従妹がそういう名前だったよ」
「息子さん…その方に息子さんはいませんでしたか!?」
「息子? ……養子ならいたと書かれてあった。国王に気に入られ、側近をしていたそうだ。後に姫と婚約している」
祖父から発せられる言葉に、奏美は両手で顔を覆い、体を震わせた。
「奏美?」
先ほどと同じ状況にうろたえる祖父。
奏美は「実在した…」と国王の側近がちゃんと実在していて事に安心して、大粒の涙を流し続けた。
落ち着きを取り戻した奏美は、祖父に過去の事を話した。
自分が失われた国の姫である事。
婚約した青年が、結婚式直前に姿を消したこと。
その青年に会いたくて、神に「死ぬことができない体」にしてもらった事。
そして、その代償として、探し続けている青年に愛の言葉を告げると命が尽きる事…。
リリスとの思い出は一切語らず、400年間、姿を消した青年を探し続けている事を話した。
祖父は最初は信じられないと言う顔で聞いていた。
次第に今の時点で解明されているその国の歴史と一致するところがあり、奏美が嘘を付いているとは思えなかった。
だが、祖父には気になることがあった。
400年もの長い歳月を姿を消した青年を探していると奏美は言うが、その青年も「死ぬことができない」人間なのだろうか。400年前に生きていた人間なら、今の世界にいるはずがない。
「その青年も、奏美と同じで死ぬことができない体を持っているのかい?」
「はい。本人から直接聞いたわけではないのですが、私が死ぬことができない体になった時、彼と同じ現象が起きました」
「同じ現象?」
「怪我を負ってもすぐに治ってしまうんです」
「お見せします」と一言いうと、奏美はテレビ台の引き出しからペーパーナイフを取り出してきて、祖父の前に戻ってきた。
祖父の目の前に自分の左腕を伸ばすと、何のためらいもなくペーパーナイフでその腕を切りつけた。
「か…奏美!?」
祖父が慌てて奏美の左腕に手を伸ばしたが、すぐに動きを止めた。
なんと、ペーパーナイフで腕を切りつけたはずなのに、血は流れず、切りつけた場所は赤い筋が走っているだけだった。そして、その赤い筋もスーッと消えて行ってしまった。
「これが、死ぬことができない体なんです。どんなに大きな傷を負ってもすぐに治ってしまうんです。彼も同じでした。どう考えても2~3日は起き上がれないだろうという傷でも、翌日には普通に生活をしていました。彼はわたしと出会う前には、この体になっていたのだと思います」
祖父は驚いた表情のまま固まってしまった。
400年生きていますと言われても実感はない。だけど、目の前で、あっという間に傷が治る光景を見てしまうと、信じざるを得ない。
祖父はふと気づいた。
代々我が家に残る祖先の肖像画に描かれた一人の青年。その青年と瓜二つの青年に会ったことがある。
失われた国の国王を知っており、更には失われた言葉も理解できる。
もしかしたら、彼は彼女が探している青年なのではないだろうか。
まだ確信はないが、もしそうならば会わせてあげたい。
そう思う祖父だったが、仮に彼が奏美の探している婚約した人であるのなら、なぜ自分の祖先と一緒に描かれた肖像画があるのか。
奏美に聞こうにも、彼女とリリスの間に何かあったように感じる。
ここは彼女から話してくるまで待ったほうがいいのかもしれない。
祖父は、奏美がまだ握りしめているペーパーナイフを、彼女の手から取り上げた。
「ありがとう。辛い過去を話してくれて」
祖父は奏美の頭を優しく撫でた。
頭を撫でる優しい手が遠い記憶に残る父と重なり、今まで抑え込んでいた感情が溢れ出し、声を出して泣き出した。婚約した青年がいなくなってから、初めて声を出して泣いたかもしれない。
郊外にあるとある施設の所長は、どこから仕入れたのか、夏稀と奏美の隠し撮り写真を見てニヤついていた。
「もうすぐ手に入る」
そう呟くと、写真を机に放り投げた。
机の上に広がっていた写真は、服装や背景が全く違うのに、すべて夏稀と奏美だと思われる人物が映っていた。
その時、扉をノックする音が響いた。
所長が入室を許可すると、一人の男が入ってきた。その男はつい先日、所属する部署の上司に怒鳴られていた男だった。あの一件以来、今までいた部署から、所長直轄の部署に栄転した。
「失礼します、所長」
「おお、君か。なにかあったのかね?」
「先日お話した2人の写真をお持ちしました」
「ご苦労だった」
男は所長に何枚かの写真を差し出した。
一番上には百合香が写っており、この間話した紫色の瞳を持つ女性の情報だと思われる。
「この2人が、日曜日に出会ったという琥珀色の瞳を持つ男と、紫色の瞳を持つ女性かね?」
「はい。隠し撮りで申し訳ないのですが、ここ2~3日の行動を見張っていたところ、男は会社員のようで毎朝決まった時間に家を出ています。女は仕事をしていないようで、買い物以外は家を出なかったです。正式な名前まではまだわかりませんが、男は女の事を『ゆりかちゃん』、女は男の事を『じゅんくん』と呼んでいました」
「それは本名か?」
「わかりません。2人がそう呼び合っていただけでしたので。今度は男が勤務している会社を見張ってみようと思います」
「頼んだぞ」
「はい!」
所長に気に入られていると思い込んでいる男は、元気に返事をした。
所長は男の事を気に入っているのではなく、自分が探し続けている人物に一番近い場所にいる男を利用して情報を仕入れようとしているだけだった。
なぜ所長は夏稀や奏美たちの情報を仕入れようとしているのだろうか…。
<つづく>