第7話
「なにドジ踏んでいるんだ!!!」
奏美と出会い、潤哉と百合香に追い返された男は、上司から放たれる怒りの雷を受けていた。
上司は何度も机を拳で叩き、任務を遂行できなかった男を怒鳴り散らしている。その周りにいる男と同じ『職業』の仲間たちは遠巻きで眺めているだけだった。
「どれだけ苦労して情報を掴んだと思っているんだ!!」
「し…しかし、邪魔に入った2人は…」
「言い訳など聞かない!! 次にしくじったらどうなるか、わかってんだろうな?」
睨みつける上司の冷たい目に、男は背筋を震え上がらせた。
部屋中に響き渡る上司の怒鳴り声。
その上司の目を一切見なくなった男。
自分たちは関わりたくないと態度で示す遠巻きで見る仲間たち。
その時、
「まあまあ、それぐらいにしたらどうだね?」
と、一人の男性が部屋に入ってきた。
この男は、男たちが所属する組織の頂点に立つ人物で、『所長』と呼ばれる人だった。
「所長」
「誰にだってミスはするものだよ。それを叱りつけるのではなく、フォローしあうのが仲間ではないかね?」
「しかし、所長…」
「その者の報告はわたしが聞こう。とても興味深い」
「…え?」
今まで役職がついている者以外、所長と話すことは一度もなかった。休憩室や食堂などで世間話はするかもしれないが、仕事内容の報告を聞くなどありえない。
上司は「私が承ります」と何度も所長に掛け合ったが、所長は一度も首を縦に振らなかった。
「今の君では相手の話を聞こうとしない。それでは真実は語られないのだよ」
落ち着いた雰囲気の所長は、上司に怯える男を部屋から連れ出した。
突然の所長の登場に仕事を忘れて立ち尽くしていた他の仲間たちは、「いつまで呆けている!! 仕事しろ!!」と叫ぶ上司の声で我に返り、全員が部屋を飛び出していった。
所長は、男を中庭へと連れ出した。
ここは街の中心部から離れた山奥にあるため、広大な敷地を有している。中庭も大きく作られていることもあり、さらに今日は休日。出勤していない仲間もいるためか、中庭には人気がなく静まり返っていた。
「で、何があったんだね?」
所長は近くにあったベンチに座り、横に座るように男を促した。
男は激しく首を横に振り、立ったままで結構ですと言うと、今までの仕事の内容を報告した。
所長から亜麻色の髪を持つ少女の情報を受け、何度か家を訪ねたが本人に会うことができなかった。一緒に住む祖父という人物に知り合いだと話しても「孫に知り合いなどいない!」と追い返される日が続いていた。
男は以前、亜麻色の髪の少女を見たことがある。どこで見かけたのかは忘れてしまったが、まだ自分が中学生の頃だった。そしてここに入所し、上司からこの少女の写真を見せられた時、つい「見たことがある」と口走ってしまった。その言葉に上司は男をこの少女の近辺調査をする担当を任され、何度か少女に接触しようと試みたが、なかなかできなかった。
そして今日、少女と一緒に住む祖父が出かけたのを確認し、無事に少女と会うことができたが、とんだ邪魔が入ってしまった。
「して、その邪魔してきた二人というのはどういう人だったんだね?」
「少女の知り合いだと言っていました。これから一緒に出掛けると」
「知り合い? 知り合いはいないのではないのかね?」
「それが、二週間前から高校に通い初めまして、外出するようになったんです。私が調査してきた中で外に出ることが珍しかったので、どんな関係なのか聞こうとしたのですが、二人の迫力がすごすぎて…」
「その二人の容姿は覚えているかね?」
「は…はい。男は黒い髪と琥珀色の瞳をしており、女は黒い髪と紫色の瞳をしていました」
「…琥珀色の瞳と紫色の瞳……?」
「とても珍しかったので、はっきりと覚えています。それに、上司から渡された資料の中に、少女と深い関わりのある人物として記載されていました」
「…そう……」
所長は何か心当たりがあるのか、視線を地面に落とした。
琥珀色の瞳を持つ男と紫色の瞳を持つ女は、実は所長も追っている人物の容姿と被る。自分が追っている人物と同一かはわからないが、二人同時に現れたことに何か意味があるのかもしれない。
「あ…あの、所長……」
ハッと我に返った所長は、ベンチから立ち上がり男の前に立った。
「報告ありがとう。これからも引き続き調査を頼む」
「は…はい!」
「君の上司にはわたしから話しておく。連れ出してすまなかったな」
所長は男の肩を軽く二回ポンポンと叩いて、彼を励ました。
男は所長に励まされたことに嬉しくなり90度以上に頭を下げた。
琥珀色の瞳と紫色の瞳。
この瞳を持つ人物を追い続けている所長は一体何者なんだろう……。
海から上がり、着替えてきた夏稀が戻ってくると同時に奏美は目を覚ました。
「あ…あれ?」
一瞬、そこがどこか分からなかった奏美はきょろきょろと辺りを見回した。
「あ、起きた? おはよう、奏美ちゃん」
「あ…あの…」
「やっぱ、海に来ると気持ちいいから眠っちゃうよね。ジュン君なんか、また寝ちゃったのよ」
そう言いながら百合香は隣を指した。
さっき目を覚ましたはずの潤哉は再びイビキをかいて寝ていた。
「義兄貴、また寝たのか?」
「なっちゃん、お帰り~。ジュン君は朝までゲームに熱中していたからね。もうちょっと寝かせておこうと思ってる」
「牧場主が遊びに来ないかって言ってるんだけど、義兄貴だけ置いて行こうか?」
「牧場主? ご迷惑じゃないの?」
「別に構わないって。俺の車も置かせてもらってる」
「だから駐車場になっちゃんの車がなかったのね。そこの牧場主さんはどんな方なの?」
「若い夫婦。たぶん姉貴たちとそんなに年は変わらないと思う」
「若いのに牧場主をしているのね。奏美ちゃん、今から行ってみる?」
「え? あ…あの…ご迷惑じゃなければ……」
「じゃ、決まりね! ジュン君、起きて!! 移動するよ!!!」
寝言をムニャムニャいいながらまだ起きない潤哉を、百合香は体を揺すって起こそうとしたが、潤哉はなかなか起きてくれなかった。
牧場主を待たせるわけにもいかない夏稀は、爆睡中の潤哉を見下ろしながら、小さく呟いた。
「姉貴にキスするぞ」
その小さな呟きに、潤哉は勢いよく飛び起きた。
「何何何何!? 今、百合香ちゃんを誰かに奪われた気がするんだけど!!」
「はい、起きた」
夏稀は呆れた顔をしながら潤哉を見下ろしていた。
「ジュン君、早く片付けないと置いてっちゃうよ?」
「何何!? 何があったの!?」
「今から移動するから片付け手伝って」
「百合香ちゃん、俺様以外の男になびいていないよね? 大丈夫だよね!?」
寝ぼけているのか分からないが、潤哉は必死になって百合香の足元にしがみついていた。
そんな潤哉を百合香はにっこり微笑みながら
「早くしてね、ジュン君」
と、低い声で注意した。
低い声を出す時の百合香は怒っているとき。次に雷が落ちることを咄嗟に察知した潤哉はハイスピードでパラソルとレジャーシートを畳み、両脇に抱えて立ち上がると、百合香に向かって敬礼をした。
「よろしい」
無事に片づけ終わった潤哉を見て、百合香はウンウンと頷いた。
臨海公園に隣接するように牧場はある。
「いらっしゃ~い!!」
出迎えたのはひかりだった。
両手いっぱいに広げたひかりは、「可愛い!!」と百合香の前で叫んだ潤哉の横を通り過ぎて、百合香に抱きついた。ひかりと同じように両手を広げていた潤哉は「あれ?」と首を傾げた。
「夏稀君からお話は聞いているわ。お姉様の百合香さんでしょ?」
「そ…そうですけど…」
「実はわたしたち、一度お会いしているのよ」
「え?」
ひかりは百合香に抱きついたまま、彼女の耳元で何かを囁いた。
その囁いた言葉に百合香は驚いた顔を見せた。
「こうして巡り合えたのも何かの縁ね。これからも宜しくね」
にっこりと笑うひかりに対して、百合香はまだ驚いた顔をしている。余程、衝撃的な話だったのだろう。
対照的な表情を見せる2人の周りを潤哉は、「何、話しているの?」とうろちょろしていた。
夏稀は奏美と共に貴生の案内で馬小屋まで来た。
「この間生まれた仔馬だよ」
貴生が奏美に見せたのは、小さな黒い仔馬だった。
仔馬は夏稀の姿を見つけると駆けてきた。まだ生まれて一週間も経っていないのに、貴生を手こずらせるほどのじゃじゃ馬らしい。
夏稀の傍までやってきた仔馬は、奏美の姿をじーっと見つめた。
「え? あ…あの……」
仔馬に見つめられた奏美は急に怖くなり、夏稀の後ろの隠れた。
「怖くはない」
「で…でも……」
「大丈夫」
夏稀は奏美を自分の体の前に押しやった。
仔馬はじーっと奏美を見つめていたと思ったら、元気よく嘶くと彼女にすり寄っていった。
最初は困惑していた奏美だったが、優しくすり寄る仔馬に警戒心を解き、笑顔を見せるようになった。
「あの、触っても大丈夫ですか?」
「構わない」
「ありがとうございます」
奏美が手を伸ばすと、仔馬の方から触ってくれと言わんばかりに頭を伸ばしてきた。
今まで表情がなかった奏美が嬉しそうに仔馬を撫でる様子を、夏稀は懐かしそうに見つめていた。
遠い昔、婚約までした亜麻色の少女も、生まれたばかりの仔馬に怯えながらも楽しそうに触れていたことを思い出した。
あの時の少女はまだ10歳にもなっていなかった。限られた空間で生活していたからか、見る物触れる物を物珍しそうに眺め、触れることができるとわかると時間を忘れて夢中で触り続けていた。
思い返してみれば、あの時が一番充実していた。
心優しい上司がおり、血の繋がりがないにも関わらず本当の家族のように接してくれた養父母、何でも打ち上げられた仲間たち、そして初めて心を動かされた亜麻色の髪の少女。何もかもが楽しい日々だった。
今、目の前にいる奏美は、見れば見るほど『姫』と呼んでいた亜麻色の髪の少女に瓜二つだ。
『姫』が16歳の誕生日を迎える直前、自分にかけられた呪いを思い出し、急に死を迎え入れることに怖気づき『姫』の前から黙って姿を消した。
何故、あの時、急に死を恐れた?
ずっと待ち望んでいた最期の時を、何故、自ら手放してしまった?
神は「死ぬ事」を許してくれなかった。【あれだけの事】をしたのだ、当然だろう。
だが、唯一の救いは神の言葉にあった。
「心から愛する人に『愛の言葉』を告げた時、あなたは永遠の眠りにつくことができます」
あの時、亜麻色の髪の少女に愛の言葉を告げようとした。
だけどできなかった。
死にたくなかった。
あれだけ憧れていた死を自ら手放してしまった。
…いや、本当に死を恐れていたのだろうか?
それよりももっと恐ろしい物に気付いてしまったのではないだろうか。
やっと巡り合えた大切な人を悲しませると言う事に……。
もし、彼女が神の言う「心から愛する人」だとしたら、また悲しませることになるのだろうか。
夏稀が仔馬と戯れる奏美を、優しい眼差しで見つめている事に貴生は気づいた。
「……はやく気付くといいんだけどな。お互いに」
貴生は何か知っているようだ。
ひかりも同じように夏稀と奏美を見ており、貴生と同じように「2人は気づくかな?」と呟いた。
「この子の名前は決まっているんですか?」
「いや、夏稀君はまだ名付けていない」
「そうなんですね」
「何かいい名前でもあるのかい?」
「『アルシェ』! 『アルシェ』って名前はどうですか?」
「アルシェ?」
「小さい頃、ウサギを飼っていたんですが、そのウサギの名前が『アルシェ』だったんです。飼っていたウサギも真っ黒で、つぶらな瞳がそっくりなんです」
「う~ん…オレには名づけの権限はないんだよな。夏稀君、どうだ? 名付けてもらおうか?」
貴生が後ろにいた夏稀に話を振った。
夏稀は『アルシェ』と名付けられた事に驚いていた。なぜなら、『姫』と呼んでいた亜麻色の髪の少女が、野生の黒いウサギを飼うことになった時、そのウサギに『アルシェ』と名付けたのだ。
「夏稀君?」
微動だにしない夏稀に、貴生が手をかざした。
「…え?」
「『アルシェ』って名付けたいんだと。いいかい?」
「俺は構わないけど……」
「だってさ。よかったな」
「はい!」
アルシェと名付けられた仔馬も、その名前が気に入ったのか、奏美に嬉しそうに頬ずりしてきた。
『姫』なのだろうか…。
ただの偶然なのだろうか…。
夏稀は神が再び試練を与えようとしているのではないか…と考えた。
夏稀はまだ奏美が『姫』と呼んでいた少女と同じ人か確信が持てないでいた。なぜなら『姫』は400年前に生きていたのだから。この時代に生きているはずがない。
「もしかして……同族?」
夏稀には心当たりがある。
潤哉や百合香はかつて『同じ運命を背負った仲間』だった。世界中には同じ仲間がいる。もし、仲間だとすると400年という長い年月を生きていてもおかしくない。
では、何故、同じ仲間になったのだろうか。
『姫』の前から姿を消した後、一体何が起きたんだろう。
あの書物を読み解く必要が出来た。
教授から借りたあの書物は詳しくは解読していない。もしかしたら『姫』のことが何かわかるかもしれない。
<つづく>