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第5話

 日曜日、午前9時30分ごろから、奏美はソワソワしていた。

「じゃあ、出かけてくる」

 先に支度を終えた祖父が、リビングでウロウロとしている奏美に声をかけてきた。

「あ…行ってらっしゃいませ」

「帰りが遅くなるかもしれない。先に帰ったら戸締りをしっかりとな」

「はい」

 それだけ言うと、祖父は家を出ていった。

 いつもと比べれば会話がある方だ。学校がある日は「行ってきます」と「いってらっしゃい」しか会話はない。

 この間、日曜日にドライブに誘われたことを話した時が、今まで最長の会話だった。二言目がない事が多い中で、今日は二言目があった。それだけでも奏美は嬉しかった。



 10時少し前、家の前に一台の車が止まった。

 迎えに来たと思い玄関の扉を開けた奏美は、そこに立っていた人物を見て固まってしまった。玄関先に立っていたのは、この間祖父と会っていた男だった。祖父に対して頭を下げた時、不気味な笑みを浮かべていたあの男だった。

「こんにちは、お嬢さん。こちらに聖仁せいじ様がいらっしゃると思いますが、御在宅でしょうか?」

「あ…あの…」

「お孫さんですか? わたくし、お祖父さまの友達でして、本日お会いする約束をしておりました。お取次ぎをお願いいたします」

「祖父は出かけていますが…」

「お出かけ? おかしいですね。今日はわたくしと会う約束をしていたのですよ。どちらにお出かけですか?」

「わかりません。帰りも遅くなると聞いています。わたしも出かけますのでお引き取りください」

「出かける? あなたが?」

「いけませんか?」

「珍しいですね、あなたが出かけるなんて。いつも家の中にいるあなたが」

 男は彼女の事を知っているような口調だった。それだけではなく、奏美の頭からつま先までジロジロ見渡し、「髪は伸びていませんね」「背はあの時のままですね」「やはり…」など、前に会ったことがあるような言葉をつぶやき始めた。

 奏美の頭の中に警告音が鳴り響いていた。

 この人に接してはいけない。

 早く離れなくては。

 そう思いながらも、足が動かなかった。

「あなたの髪は地毛ですか? とても綺麗な亜麻色ですね」

 男は手を伸ばして奏美の髪に触れようとした。

 その時、

「おっまたせ~~!!! お迎えにきたよ~~~!!!」

と、百合香がスキップなのか三段跳びの助走なのかよくわからない歩みで駆けつけた。

 が、奏美に手を伸ばそうとしている男の存在に気付いた百合香は歩みを止め、男の事をジッと睨み付けた。

 男は睨み付けてくる黒髪の女性から放たれる冷たい空気に、伸ばしていた手をひっこめた。

「どちら様ですの? わたくしの大切なお友達に何をしようとしていましたの?」

 百合香の地を這うような低い声は、男を震え上がらせた。

「あ…あの、これは…」

「言い訳などいりませんわ。御用がないのでしたら退いてくださらない? わたくしたち、今から出かけますの」

「はやく彼女から離れないと、百合香ちゃんの雷が落ちるよ~」

 腕を組みながら仁王立ちし、男を睨み付ける百合香の後ろから潤哉がひょっこりと顔を覗かせた。

「お…お前はあの時の…!?」

 潤哉が顔を覗かせた途端、男は驚いた顔を見せた。潤哉を知っているようだ。

「はぁ? 俺様のこと知ってんの?」

「ジュン君、知り合い?」

「いや。知らない」

「あら、そうなの? 初対面のジュン君を『お前』呼ばわりするなんて、礼儀がなっていませんことよ?」

「はやく退散しないと警察呼ぶよ」

 潤哉が携帯をちらつかせると、男は小さく舌打ちをして奏美から離れた。

 その瞬間、カシャッという音が響いた。潤哉が手にしていた携帯で男を写真に撮ったのだ。

「貴様!!」

 男は潤哉に殴りかかろうとした。

 が、百合香が潤哉と男の間に立ちふさがった。

「この子のお祖父さまに報告させていただきます。可愛い孫娘に手を出したんですもの。お祖父さまに報告する義務があります」

 相変わらず地を這うような声を出す百合香を前に、男は振り上げた腕を渋々下した。

 そして、再び舌打ちをすると、潤哉と百合香たちに背を向けて立ち去っていった。


 男の姿が見えなくなると、百合香は奏美に駆け寄った。

「大丈夫だった? もうちょっと早く来ればよかったね。怖かったでしょ?」

 優しく奏美に声を掛ける百合香は、先ほどとは全く違う穏やかな顔を見せた。

「ったく、どこのどいつだよ。この俺様を知っているみたいだったけど、引っ越してきて二週間で『お前』呼ばわりする奴なんか知らねーよ」

「前の街で会っていたのかな?」

「それはない。俺様の特技は一度見た顔は忘れないから。名前は忘れるけど」

「目で見たことは覚えられるけど、耳で聞いたことは忘れるってことね。だから約束をすぐに破っちゃうんだ」

 百合香は前日に約束したことをすぐに忘れる潤哉を不思議に思っていた。今朝も、あれだけドライブに行くと約束していたのに、朝方までゲームをしていた。「そんな約束したっけ?」ととぼけるぐらいだ。

「奏美ちゃんは初めてよね。わたしの夫の潤哉よ」

「はじめまして、潤哉です。いつも百合香が迷惑をおかけしてごめんね」

「迷惑なんてかけてないもん! 挨拶しているだけだもん!」

「突然声をかけてくるだろ? ごめんね。昔からこういう性格なんだよ」

「ジュン君!!」

 頬をぷーっと膨らませて怒る百合香。

 そんな百合香を潤哉は「可愛い~~!」と抱きしめた。

 百合香も本気で怒っていたのではなく「今回だけ許してあげる」と潤哉の抱擁を受け入れていた。


 そんな2人の光景に、奏美は懐かしさを覚えた。

 遠い遠い記憶の中に、似たような光景を見た事がある。

 あれは400年も前の記憶。


 たしか、その時の男性は琥珀色の瞳をしており、女性は紫色の瞳をしていた。


 改めて潤哉の顔を見た奏美はハッとした。

 潤哉の瞳は琥珀色の瞳をしているのだ。


 まさか…。

 そんなはずは……。


「奏美ちゃん? どうしたの?」

 考え事をしていた奏美の顔の前に、百合香が手をかざした。

「え…あ……あの……」

「ごめんね。これ、我が家のコミュニケーションなんだ」

「昔からこうなんだ。俺たち、家族が三人しかいないから、どうしても甘えちゃうんだよね」

「弟は反抗期だけどね」

「そこが可愛いんだよ!」

「ツンデレさんでもあるよね」

「最高に可愛い!!」

 男であるにも関わらず、潤哉は百合香の弟を「可愛い」て連呼する。

 百合香も嬉しそうに「可愛いのよ~」と惚気だす。

「お2人は弟さんが好きなんですか?」

「「大好き!!」」

 奏美の質問に、ハモリながら答える潤哉と百合香の顔は、いうまでもなく輝いていた。

 語りだしたら日が暮れるだろうという勢いで、いかに弟が可愛いかを語りだす2人は、止まることなく語り続けた。

 その光景に奏美は小さく笑った。

「もぉ~!! 奏美ちゃんに笑われちゃった!!」

「百合香がいけないんだろ。あいつの話を始めるから」

「そういうジュン君だってノッてきたじゃない! 奏美ちゃんだって、あの子に会ったら……奏美ちゃん?」

 話を奏美に振った百合香は驚いた顔を見せた。

 なぜなら、笑っているはずの奏美の頬にいくつものの涙の筋が流れていたからだ。

「ごめんなさい。こんなに笑ったの初めてで……ごめんなさい」

 必死に涙を止めようとする奏美に百合香はハンカチを差し出した。

 潤哉も彼女の頭をポンポンを軽く叩いて慰めてくれた。


 前にもこんな風に慰めてくれた人がいたな…と、奏美は思い出していた。

 その時も紫色の瞳を持つ女性に慰めてくれた。

 この時以来、泣くことも笑うことも無くなった奏美にとって、久しぶりに笑った奏美の体が今まで貯めこんでいた感情を爆発させたのかもしれない。




 その後、潤哉の運転する凝るまで海浜公園までやってきた。

 夏になれば海水浴の客で賑わう浜辺も、シーズンにはまだ早く、浜辺に人影はなかった。

 沖にはサーフィンを楽しむ人の姿も見えるが、その数も少なく、波の音だけが響いていた。


「あいつはどこにいるかな~」

 浜辺に降りる階段の上から、潤哉は沖を眺めた。

「あ! あそこにいるよ!」

 いつの間に準備したのか、双眼鏡で沖を見つめた百合香は、探している人物がいる方角を指した。

 だが、百合香が指した方角には3~4人のサーファーがおり、どれが探している人物かわからなかった。

「どこ?」

「真ん中にいるよ。わたしたちが波打つ際に着くころには上がってくるわ」

「なんでわかるんだよ」

 探している人物の行動が解る百合香の発言に、潤哉は頬を膨らませた。嫉妬しているのだろう。

「だって、あの子のお姉さんだも~ん♪」

 その一言に潤哉は「そっか~♪」と何故か納得していた。


 百合香が言う様に、波打ち際まで来ると探していた人物は海から上がってきた。

「お疲れさま~♪」

 百合香は海から上がってきた弟・夏稀に持参したタオルを差し出した。

「意外と早かったじゃん」

 夏稀は百合香からタオルを受け取ることなく、滴り落ちる滴を手で拭った。

「道が空いていたからね」

「あ、そう」

「もう沖に出ないの?」

「波待ち。いい波が来ないから」

「そうなの? 高い波が来ているように見えるけど?」

「波乗りにしか分からない波があるんだよ」

 夏稀は濡れた手で百合香の頭を力ずよくガシガシと掻いた。

「もぉ~!! 濡れちゃう!!!」

 止めと言わんばかりに、百合香の頭に数秒手を乗せた夏稀は、ニヤッと笑うと百合香の横を通って歩き始めた。

 10cm以上背の高さがある夏希は、立っている時しか百合香に手を出さない。同じ視線の高さだと、どうしても百合香の方が力が上で、逆らうことができないのだ。


 次に夏希が目にしたのは、ルンルン気分で鼻歌を歌いながらレジャーシートを広げ、パラソルを準備する潤哉の姿だった。

「義兄貴、機嫌いいじゃん」

「そう? 可愛い女の子とドライブしてきたからかな?」

「女の子? 姉貴はそんな年じゃないだろ」

「百合香ちゃんは可愛い女の子だよ~」

「……義兄貴の眼を疑う……」

「百合香ちゃ~ん! 準備できたよ~~!!」

 波打ち際にいる百合香に向かって潤哉が叫ぶと、百合香は華麗にスキップしながらこちらに向かってきた。

「ね!! 百合香ちゃんは可愛いでしょ?」

 辺りにハートを乱舞させる潤哉には、百合香が可愛い女の子に見えるのだろう。

 夏稀にはいつもと変わらない、若作りを無理している姉にしか見えなかった。

「寝言は寝てから言え」

 夏稀は潤哉を軽く小突くと、どこかへと歩き出した。

 その時、夏稀の目に奏美の姿が映った。奏美はハートを乱舞させる潤哉に、どう対応していいのかわからずオロオロしていた。

「誰?」

「奏美ちゃんだよ。百合香ちゃんが誘ってくれたんだ」

「姉貴の知り合い?」

「近所に住んでいるんだって。彼女も可愛いよね?」

「……」

 潤哉の浮かれている理由が分かった夏稀は呆れ顔で彼を見た。

 昔から潤哉は「可愛い女の子」には目がなかった。一時期、プレイボーイのように女の子に声をかけ続けた事があり、愛想を尽かした百合香が激怒したことがある。その一件以来、百合香が「可愛い」と認める女の子にしか声を掛けなくなったが、時々羽目を外すことがあるらしい。

「どうしたの?」

 スキップでやってきた百合香は呆れ顔で潤哉を見下ろす夏稀と、まだルンルン気分の潤哉と、オロオロしている奏美を、何があったのか首をかしげて不思議そうに見つめてた。

「別に」

 それだけ言うと、夏稀は浜辺を去り、駐車場へと続く階段を登って行った。



 しばらくして、戻ってきた夏稀の手には大きなバスケットを持っていた。

「どうしたの、これ」

 受け取った百合香は何処から持ってきたのか訊ねた。

「牧場の主から」

「牧場? 馬を預けている? この近くなんだ」

「すぐそこだよ」

「こんなに近かったのね」

「確かに渡したから」

 そういうと、夏稀は再び海へと向かった。

「本当に海が好きなんだから~」

 海へ向かう夏稀の後ろ姿を見送りながら百合香は溜息と共に呟いた。

「しかたないよ。あいつは昔から海に憧れていたんだから」

 百合香の横から潤哉が口を挟んだ。

「いままで内陸部ばかりにいた影響かしら?」

「それは関係ないと思う。一度だけ海辺に移住したことあるけど、今ほど海に対しての思いは低かった。何か引きつけられる物があるんだろ」

「ふ~~ん」

 馬以外に興味を示す物がなかった夏希が、毎週サーフィンに来ること自体、珍しい現象だ。

「奏美ちゃんは海は好き?」

 潤哉の奥にいる奏美に声を掛けると、百合香は「あらあら」と彼女の様子を見て目を細めた。

 奏美は小さな寝息を立てて寝ていたのだ。

「安心しちゃったのかな?」

 百合香は大きめのタオルケットを奏美に掛けた。

「こんな安心した顔、初めて見る。いつも周りを警戒しているような顔をしているのよね」

「何か悩み事でもあるんじゃないのか?」

「どうだろう? 奏美ちゃん自身、自分から話そうとしないのよね」

「あいつと一緒じゃん」

「学校に通っているみたいでけど、孤立していないかしら? 日本人ではない外観だからいじめられていないかしら?」

「百合香ちゃん、お母さんみたい」

「だってこんな可愛い子がいじめられていないか心配だよ」

「大丈夫。学校では孤立していないよ。ちゃんと探りを入れているから安心して」

「なんでわかるの?」

「もしかしたら『同族』かもしれないからって、情報が入った。百合香ちゃんが心配することはないよ」

「…それならいいんだけど……」

 難しい顔をして話す潤哉を百合香。2人は何か大きな秘密を抱えているような感じだ。

 海を見つめながら潤哉は呟いた。

「この世界には同じ境遇の人は沢山いるんだ。同じ町内に同じ境遇の人がいても不思議ではない」

 潤哉の言葉に、百合香は大きく頷いた。




 沖に出た夏稀は浜辺にいる百合香たちを見た。

 姉たちと一緒にいた亜麻色の髪の少女を、どこかで見たことがある。懐かしい感じもした。

 それは教授から借りた本に載っていた滅びた国の姫の肖像画に似ていると言うことではなく、自分に残る遠い昔の記憶に残っている姿だった。


 そんなはずはない。

 もう400年も前の記憶だ。

 だが、その後、亜麻色の髪の少女に出会ったことはない。


 思い出したくもない記憶に、夏稀はこれからどうなっていくのか不安でならなかった。

 神は再び試練を与えようとしているのだろうか……。



               <つづく>




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