第4話
携帯に知り合いからの連絡が入り、夏稀は車を飛ばしてある場所にやってきた。
そこは自分が所有する馬を預かってもらっている牧場だった。
夏稀が預けているのは黒い馬。長い付き合いで、この街に来る前も知り合いになった牧場で飼育をお願いしていた。
この牧場は長い間老夫婦が経営していたが、ついこの間若い夫婦に譲ったばかり。体力も無くなり、動物たちの世話も辛くなってきた老夫婦には子供がいなかった。牧場そのものを締めようかと思っていた時、一組の若い夫婦が遊びに来て、理由を聞いたその夫婦が跡を継ぐと名乗り出てくれた。
若い夫婦はお互いに牧場の家に生まれ、小さい頃から動物の世話をしており、親が牧場を辞めたため、それぞれの家の牧場は継げなくなった。それでも動物たちの世話が大好きな若い夫婦は、色々な牧場で住み込みで働き、いつか自分たちの牧場を持てる夢を抱いていた。
そんな時に、ふらりと立ち寄ったこの牧場で辞める話を老夫婦から聞き、是非譲ってほしいと頼み込んだ。
最初は断っていた老夫婦だったが、毎日牧場に通い、老夫婦に変わって動物たちを世話する若い夫婦を見て、この人たちなら任せられると決め、すべてを譲った。
今、老夫婦は長年の夢だった豪華客船で世界一周旅行に出かけている。
夏稀に電話を入れたのは夫・貴生だった。
「悪かったね、朝早くから」
黒髪の貴生は、すぐに駆け付けてくれた夏稀に謝罪の言葉を告げた。
「別に構いませんよ。それで用事は…」
「それがな…」
貴生は急に表情を暗くした。
まさか、預けている馬に何かあったのでは…?と夏稀は不安になった。
が、突然ニッコリ笑顔を見せて、貴生はこっちに来いっと、彼を牛舎の隣にある馬小屋へ案内した。心なしか貴生の足がスキップを踏んでいるように見える。
馬小屋では貴生の妻・ひかりが、嬉しそうに小屋の中を覗いていた。
「ひかり、連れてきたぞ」
「あ、夏稀君、いらっしゃい」
「様子はどう?」
「もう大丈夫よ。夏稀君、見て。あなたが預けていた馬、子供を産んだのよ」
「ほら」っとひかりが小屋の中を指すと、夏稀はそちらに視線を移した。
小屋の中では鬣が立派な全身真っ黒の馬の側に、一回りも二回りの小さい黒い仔馬が寄り添っていた。母親と同じ全身黒く、顔は凛々しく見えた。
「妊娠中に長距離移動した影響がでるかな?って思っていたんだけど、その心配もなかったみたいね。気づいたときには生まれてて、さっき見に来たらもう立ち上がっていたのよ」
「預かっている身として、出産に立ち会わなくて申し訳なかった。何かあった時に傍に居なくてはいけなかったのに、ちょっと目を離した隙に産んじゃったんだよ」
「この子も夏稀君と同じで、誰にも頼らないのね」
ひかりが母親の馬に手を伸ばそうとすると、母親の馬はプイっと顔を逸らした。
しかし、夏稀が顔を撫でると彼の体に顔を摺り寄せてきた。
「まぁ!」
「馬にも人見知りってあるんだな。どうする? お前が世話をするか?」
「そうですね。しばらくは通わせてもらいます」
「そのほうがいいだろう。そんじゃ、朝ご飯にしますか! お前も食べていけ」
「いいんですか?」
「いいって、いいって。それに、ちょっとお願いがあるし」
「お願い?」
「ご飯食べながら話す。ひかり、朝ご飯にするぞ~」
「はぁ~い」
まだ名残惜しそうに仔馬を見ていたひかりは、「今日はオレが作るぞ~」という貴生の声に反応した。ひかりは料理が苦手で、なんとか覚えようとしているが貴生に任せてしまう。今は当番制にしているが、本当だったらひかりが当番だ。だが、貴生が作ると宣言したからには、今日も美味しい朝ご飯が食べれるということだ。
ひかりは目玉焼きですら炭にしてしまうほどの料理音痴だったりする。
朝ご飯の席で、貴生は二週間後の木曜日に行われる、近くの高校の校外学習の話をした。年に一回、その高校はこの牧場で校外学習と称した体験学習をするのだが、最近は体験学習というよりも、ただの遠足となっている。
「それで、当日、お前も手伝ってくれないかな~…っていうお願いなんだけど…」
貴生は山盛りの玉子サラダを夏稀に差し出しながら、猫なで声で頼んできた。
「遠足みたいなものだから、午前中は牧場を自由に散策してもらったり、バター作りとか、搾乳体験とかしてもらって、お昼ご飯を食べて終わりって感じかな? 当日は近くの農業大学の生徒さんも手伝ってくれるけど、高校の生徒の数が多いから夏稀君も手伝ってくれると助かるわ」
「特に昼ご飯な。ひかりには任せられない」
「貴生さん!!!」
「その日は特に用事はないですけど…」
「じゃあ、手伝ってくれるか?」
「いいですよ」
「ありがとう!!」
「当日は朝早くから準備するから7時までには来てね」
この牧場に貴生とひかり以外の従業員はいない。元々老夫婦2人が経営してた牧場の為、牧場にいる動物も牛3頭、羊2頭、ウサギ4匹、ニワトリ10匹しかいない。2人でも十分に手は回るのだが、ここの牛は良質なミルクを出す。そのミルクを求めて多くの業者が押しかけてくるようだ。その対応はひかりの手料理で追い返しているらしい。
近くの高校では、朝のHRの時間に2週間後に行われる校外学習の話が担任から告げられた。
「またこの時期が来たか~~」
お昼休み、瑠香は配られたプリントを見てウンザリという顔をしていた。
「何が楽しくて牧場に行かないといけないのよ」
瑠香の横に座っている愛音は机に伏せている。
2人は去年も参加している。その為、この校外学習の内容を理解しているのだ。よく見るとクラスの半分以上の生徒たちが浮かない顔をしていた。
「でもでも、今年は去年と内容が違うよ。ほぼ自由時間だし、お昼は向こうで用意してくれるんだって! どんなお料理かな~?」
料理大好きで、プロ並みの腕を持つリリー(フランスからの留学生)は嬉しそうな笑顔を見せた。リリーは日本のチェーン店の料理を地元で食べ、その味に感動して日本にやってきた。来日4年目だというが、流暢な日本語をマスターしている。どうやってマスターしたの?と聞くと、
「日本のアニメと漫画で学びました~~!!」
との返事。大の日本アニメと漫画好きで、漫画に登場する料理を再現することもある。
因みに今日のお弁当も漫画を参考に作ってきたらしい。
「カナミさんは楽しみですか?」
リリーは目の前に座る奏美に話を振った。
パック入りのオレンジジュースを飲んでいた奏美は、ストローを加えたまま首を傾げた。
「牧場って言うのはね、家族旅行で行くところなの。何が悲しくて学校の行事で行かなくちゃいけないのよ」
「あの牧場、老夫婦が経営しているから、動物の数も少ないし、全校生徒が参加する学校行事の食事なんか作れるのかな?」
「まさか材料はこちらで用意するから、後は自分たちで作りなさい!とか言うんじゃないでしょうね!?」
「ニッポンのキャンプね!? 楽しみ~~!!!」
校外学習を楽しみにするリリーと、対照的にウンザリしている瑠香と愛音。
奏美は自分でもわからないほど、ワクワクしていた。動物を触れ合うことに抵抗はない。ただ、今迄、家から出して貰えない事が多かったため、どこかに出かけるという行動が楽しみでならなかったのだ。
ふと昨日の事を思い出した。
近所に住む紫色の瞳を持つ女性から一緒に出掛けようと誘われていた。お互いに名前も知っているし、知らない間柄ではない。家から出して貰えない時期が多かったこともあり、誰かとどこかへ出かける事に慣れていない。
それにまだ祖父に話していない。祖父がどういう返事をするのか怖かった。
「あ!!! そういえば!!」
突然、愛音が大声を上げた。
「な…何?」
「今度の校外学習に行く牧場、経営者が変わったんだ!!」
「それ、どこ情報?」
「わたしのお父さん情報」
「アイネさんのお父様はたしか…お菓子を作ってるよね?」
「うん。毎週土曜日、50個限定のプリンを作って売っているんだけど、そのプリンに使うミルクをあの牧場から買っているのね。この間、牧場にミルクを貰いに行ったら、前の経営者の老夫婦が大きな荷物を持って出かけるところだったの。話を聞いたら、後継者が見つかったから牧場を譲って、今から世界一周旅行に出かけるんだって!」
「で、その後継者ってどんな人なの?」
「見た目30代後半ぐらいの人かな? わたしは直接会っていないけど、お父さんから聞いた情報だと、実家が牧場を経営していたんだけど、色々な事情があって牧場を辞めちゃったんだって。自分の牧場を持ちたいって言う夢があって、色々な所で住み込みで働いていた経験があって、たまたま立ち寄ったあの牧場で老夫婦から話を聞いて、後継者に名乗り出たって」
「じゃあ、今度の校外学習の内容を変えたのも、その新しい経営者の意見?」
「じゃないかな?」
「いつ変わったの?」
「10日ぐらい前かな」
愛音からの情報で、やる気を無くしていた瑠香が起き上がった。経営者が変わったのなら、今回の校外学習に慣れていない。と、いうことは手伝いで若い人が集まるかもしれない。つまり素敵な出会いがあるかも!?と、違う方向に期待を抱き始めたのだ。
その瑠香の気持ちを察したのか、リリーは放置した。関わっても碌なことがないとわかっているようだ。そのリリーはどうやって昼休みまで冷蔵していたのか、フルーツタルトのホールを切り分けていた。
その日、家に戻った奏美はリリーから貰ったフルーツタルトを、書斎に籠っている祖父に差し入れした。
「珍しいな」
「学校のクラスメイトが作ってきたんです。甘い物がお好きでしたよね?」
トレイに乗ったフルーツタルトと紅茶のセットを見て、祖父は少しだけ口元を緩めた。
「あ…あの、それでお願いがありまして…」
「なんだ?」
嬉しい感情を必死に隠しながらタルトを頬張る祖父は、冷静に紅茶を一口飲んだ。
「今度の日曜日、ドライブに出かけないかってお誘いが来ているんですけど…」
「ドライブ?」
「は…はい。近所に住む人が一緒にどうか…って」
「どういう人かね?」
「え? あ…あの、近くのマンションに二週間目に引っ越してきた方で、紫色の瞳をした方なんですが…」
「紫色の瞳?」
タルトにフォークを入れようとした祖父の手が止まった。
「はい。弟さんの趣味に付き合う形になるけど…って」
「……」
「あ…あの……」
祖父は止めていた手を動かし、タルトを一口頬張った。そして先ほどと同じように紅茶を一口飲むと、小さな溜息を吐いた。
奏美にはそれが反対しているように見えた。
「まあ、いいだろう。あまり遅くなるな」
「……いいんですか?」
「たまには息抜きも必要だ。日曜日はわたしも出かける。楽しんでくるがいい」
「ありがとうございます!」
普段見せない笑顔でお礼を言った奏美は上機嫌で書斎を出た。
嬉しそうに出ていく奏美を見送った祖父は、小さく息を吐いた。
「…紫色の瞳を持つ女性……か」
祖父は机の上に広げられているノートを手にした。夏稀に預けた本をわかる範囲で解読したことが書かれている。今分かっているのは、本に登場する人物のみ。
その中に、姫と婚約した青年の家族の事が描かれていた。青年には血の繋がった家族は居なかった。姫の側近になるにあたり、国王の従妹の家に養子になった。その時、同時にもう1人養女を迎えている。それが青年の姉だった。姉は紫色の瞳を持ち、月の様な輝くブロンドの髪をしていたと書かれたあった。
400年前の緑色の瞳を持つ青年とそっくりな夏稀。その姉が400年前と同じ紫色の瞳を持つ女性。顔は見ていないが、瞳の色だけが一致することに違和感を感じる。
「国が亡びる時、青年も、青年の姉の記述も突然消えた。一体何があったんだ」
文字も解読されず、どこにあった国なのかもわからない謎に満ちた国の歴史。この歴史を解読した時、何か大きな出来事が起きそうな予感がした…。
<つづく>