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「――業界用語で、背乗りっていんだよ。クロは知らないだろうけど」
あれから何日か後。ぼくとタマがねぐらにしているお寺に刑事さんが尋ねて来た。
刑事さんはまずぼくらの頭を撫でてから、ごほうびだよー、と言って小分けの袋に入ったカリカリフードを一袋ずつ食べさせてくれた。わあ、カツオ味だあ!
「人間は、お仕事するときにいろいろ保険に入るんだけど。厚生年金に加入するとね、年金手帳ってやつがもらえるんだ」
刑事さんは境内の隅のベンチに座り、紙袋からクリームパンを取り出して食べ始めた。
「この年金手帳って、顔写真は貼ってないんだけど。立派な身分証明書として使えちゃうんだなあ、これが」
身分証明書があると、いろんな正式な書類を発行できるそうだ。戸籍とか、住民票とか。
「世の中にはね、お金に困って、自分の戸籍を売っちゃう人もいる。もちろん、悪い奴に騙されて自分の素性を奪われてしまう場合もある」
あの偽物ミカコは、何らかの手段を使って本物の美香子さんになりすまし、おばあちゃんの家と土地を売り払おうとしていたんだって。
「例の弁護士と医師も詐欺グループの一味だった。それで、施設側は言われるまんま、おばあさんが精神異常の患者さんだと思って入所させたんだ」
ぼくはカリカリを食べながら刑事さんの話を一生懸命聞いていた。傍から見たら、スーツ姿のやぼったい若者がひとり、夕暮れのお寺で野良猫相手にぶつぶつ独りごとを言ってるという、ちょっともの悲しい光景かも。
でも、どうして偽ミカコが偽物だってわかったの?
「それはね、あいつの指紋が本店の……警視庁のデータバンクに登録されていたからさ。あいつ、高校生の時に万引きで何度かパクられてたんだ。犯罪者にはありがちな、マヌケな過去ってやつ」
ケーサツに登録されていた指紋から、偽ミカコの本当の名前が分かった。
もちろん、あいつはおばあちゃんの娘なんかじゃなかったんだ。外見がちょっと似てるだけの、まったくの赤の他人。
詐欺や窃盗を犯す人間は、ある日いきなり大きな犯罪に手を染めるわけじゃない。そこに至るまでに小さな悪さをいくつもしでかしていることが多いんだ、と刑事さんは言った。
「今回みたいな大がかりな詐欺で逮捕されるのは初めてっぽいけど。たぶん余罪があるだろうなあ……組織がらみだからね。他にも被害者はいると思う。これから本格的に捜査するけど」
ある日突然、見知らぬ女が家を尋ねて来てこういう。「お母さん、会いたかったわ」と。
あり得ないといって否定しても、弁護士だの医師だのという世間的に見て高い地位だと見なされる連中が口を揃えて言うのだ。あなたは認知症にかかっている、そのせいで娘さんを認識できなくなっているのだ、すぐに入院しなくては、と。
そうして精神病院や施設にいれられ、二度と家に戻れなくなったお年寄りが何人もいるとしたら。
「――怖い世の中だよねえ」
刑事さんの呟きに、ぼくはなんともいない気持ちで「うんにゃ」と鳴いた。
それ以前に、本物の美香子さんはいったいどうなってしまったのだろう?
「詐欺グループに戸籍を取り上げられる状況ったら、よっぽどのことだから。一応、全国の支店に通達かけて捜索はしてみるけど……」
見つかる可能性は、あんまり高くないかもなあ、と刑事さんは言った。
理由があって自ら姿を隠している場合もあるし、何らかの事件に巻き込まれたか、外国に連れ去られてしまった可能性もあるのだそうだ。
おばあちゃん、そのことを知ったら悲しむだろうな。
「さあて、クロ。そろそろおうちへ帰ろっか」
刑事さんは、紙袋をくしゃっと丸めてごみ箱に投げた。丸まったゴミは、すとん、と籠の中に落ちていった。
にっこり笑って、言う。
「もうすぐおばあちゃんが帰ってくるよ」
家の前で、刑事さんといっしょに待っていると、あの日おばあちゃんを連れて行ったのと似たような黄色い箱が家の前に止まった。
「クロや!」
箱から降りて来たおばあちゃんは、前に見た時よりずいぶん痩せてしまったけど、元気そうだった。
ニャー! とぼくは思いっきり甘えた声で鳴いて、おばあちゃんに駆け寄った。
「クロ、クロや……よかった、元気そうで……」
おばあちゃんはすぐにぼくを抱っこして頬ずりしてくれた。
しゃがんだおばあちゃんの膝に乗り、ぼくは盛大にゴロゴロと喉を鳴らして全身をすり寄せ、しっぽをぴんぴんに立ててうれしさを表現した。
おばあちゃん。もうどこにも行かないでね。
「本当に、刑事さんにはお世話になりました」
涙をこぼしながらお礼をいうおばあちゃんに、刑事さんはちょっと照れ臭そうに首を振っていった。
「僕は何も。それよりクロが、おばあさんとおばあさんの家を守ったんですよ。ほめてやってください」