世界の中心でお嬢様への愛を叫ぶ。【下】
【メイド・ルーシーの回想】
テーブルの横の本棚に窮屈そうに埋め込まれていた不自然なクマのぬいぐるみ。
箱詰め死体かと思うほど手足を折り曲げられて本棚にはめられていたクマを、埃落としのために引き出すと、後ろ側にお嬢様の見慣れた文字が書かれた大量の便せんがあり、引き出した拍子にぱらぱらと落ちてしまった。
いけない、と少し慌てた。
これは勉強用だろうか?
しかし何故こんな置き方をしているんだろうか。
大して考えもせず、落ちた便せんを拾い集めて戻そうとした時に視界に入った、
「ジェラルディンの想いは、外されてゆくシャツのボタンのようにゆっくりとハロルドに露にされていった」
という一文に、ぐわっ、と目を見開いた。
これ、は、なに。
お嬢様が釣りに出て当分戻らないのが分かっていたからか。
私は、震える手で順番通りに並べ替えると、盗み見るというのが悪い事は勿論分かっていたのだが、無意識という名の故意で正座をして最初から読み始めたのだった。
◇ ◇ ◇
「ルーシールーシー!今日は大漁だったわよーもうマスが入れ食いなの入れ食い。
マリーも大喜びだったわ。
………あら、どうしたの難しい顔して?」
リーシャお嬢様はご機嫌な様子で、お茶の準備をして待っていた私に声をかけた。
お嬢様は釣りから帰られると、大抵紅茶か蜂蜜を少し垂らしたホットミルクを飲みながら夕食まで一休みをする。
「お嬢様、少々大事なお話が」
「………?何かしら。まあ紅茶持ってきてくれた時に聞くわ。先に着替えるわね」
自分の部屋へ戻っていくお嬢様の背中を見送りつつ、紅茶とクッキーを用意して少し時間を置いてからお嬢様の部屋へ向かう。
「お嬢様、宜しいでしょうか」
「入ってー」
少年の姿からいつものゆったりしたワンピースに着替えて安定の美少女に戻ったお嬢様が、扉を開いて出迎えてくれた。
「ふう。美味しいわー流石ルーシーは私の好み分かってるわね。少しぬるめのアールグレイと甘いクッキーが竿を振りまくった疲れた身体に染み渡るわあ」
時々やけに年寄りくさい事を言うリーシャお嬢様を眺めつつ本題に入る。
「お嬢様」
「なあに?」
「ジェラルディンとハロルドの話の続きが気になってこのままでは夜も眠れないのです」
お嬢様は口に含んでいた紅茶をぶほーーーっと吹いた。
「な、な、なっ」
「掃除をしていてたまたま見つけてしまいました。勝手に読んでしまい申し訳ございませんでした。
あれはお嬢様がお考えになられたのでしょうか」
「そっ、そっ、そっ」
「わたくしはあのような作品を初めて読みました。魂が震えました。文芸作品とは趣が異なりますが、話の根底に流れるのは深く情熱的な愛。
ちょっと官能的過ぎるところもありますがソレもまたよし。
お嬢様天才。美貌にも恵まれまくって文才もおありになるとは、神はどれだけお嬢様を溺愛してるのでしょう。
何故出版なさらないのです。出したい出版元など腐るほど出てきます。本棚の肥やしにするなんて、世界の損失です」
顔を真っ赤にしたリーシャお嬢様は、異性を好む私でも抱き締めてしまいそうなほどの可愛らしさだった。
「褒めてくれるのは、ありがたいけど、で、でもただの趣味と言うか、一応伯爵令嬢だから、こんなのを書いてるのが知られるとまずいでしょう?父様も母様も失神するわ」
ふむ、言われてみると一理ある。
少し考えて私は提案した。
「分かりました、お嬢様。私が書いたことにしましょう。出版元への交渉も私が参ります。お嬢様は気兼ねせず思う存分執筆して下さい。
そして、ここが大切なところですが、私の勘がこれはお金になると言っております」
「………まあ本当に?ウチの為に貯蓄出来るかしら?」
無理無理無理としか言ってなかったリーシャお嬢様がようやくいい反応を返す。
もう少しだ。
お嬢様は目的があると、手段についてはボーダーラインがゆるくなる。
12歳の時に、最初の釣竿が壊れた時に、旦那様が「もうそろそろリーシャも女らしく家で出来る趣味でも」と渋い顔で言い出した時、
「父様がリーシャの釣った魚を食べてくれるのが、一番の楽しみなの。父様、リーシャが父様の為に頑張ってるのに、どうして分かってくれないの?」
と、うるうるした目で首を傾げて訴えて、心臓を鷲掴みにされた旦那様から新しい釣竿を2本もゲットしていた。
部屋に戻った時、珍しいものを拝見しましたと伝えたら、
「言わないで、思い出したくないわ。
………さぶ。自分で自分をリーシャとか。人生の黒歴史だわ。でも釣竿のため釣竿のため」
とブツブツ呻いていた。
まああんなあざといキャラではないのは長い付き合いで分かっていたが、目的のためには大概の事は頑張れる方である。
あの、夜空の星のように煌めく素晴らしい小説を、これからも大量に生み出して貰わねばならない。私も読者として購入させて頂こう。
そう。私も目的のためには結構頑張る人なのである。
「貯蓄だって作品が多く世に出れば、当然沢山入るようになるかと思います。貯まったらこっそり商売とかするのもよろしいではありませんか。副収入は大事です」
「ルーシーちょっと貴女の方が天才じゃない。分かったわ。私の小説が本当にお金になるなら、頑張るわ私」
そして、お嬢様は素直なので意外とその気にさせるのはチョロい。
そして、メイドと覆面作家とマネージャーと護衛と、あと何だったか忘れたが、とにかく私のよりハードな生活が始まったのだ。
そして、現在。
新たな問題が発生していた。
リーシャお嬢様が恋をしたのである。
いや、恋は年頃なら誰でもするのであるが、お相手はあのダーク・シャインベック様だと言う。
騎士団の隊長、副隊長ぐらいは私も把握している。
よりによって何故そこ。
いや、勿論人は顔ではない、と旦那様を見てると思う。
だがしかし、どんなイケメンもひれ伏す傾国の美貌を誇るリーシャお嬢様が、お世辞でもイケメンとは言いがたいシャインベック様に。それに一回り以上年上である。お嬢様より旦那様の方が年が近いではないか。
だが、お嬢様は色々と変わってはいるが、元から外見には重きを置いてない。
「ほら私は腐女子だし、形だけの淑女だから。一緒にいて楽しくて優しい、人を見下さないような人がいいのよ」
と確かに言っていた。だがしかし。
いや、願わくばイケメンと結婚して美男美女なお子様を産んで頂いて乳母としてお世話をしたい、という夢を勝手に見ていたのは私の勝手である。
そうだ。まずはお人柄である。
私は街まで赴いて本の売れ行きのリサーチついでに、騎士団の情報も仕入れる。
シャインベック様は第三部隊の隊長である。腕は確かなのだろう。
そして、街中で入手したシャインベック様情報は、
・穏和で包容力があり頼りになる
・年寄りに優しい
・武術全般お強い
・偉ぶらない
エトセトラエトセトラ。
メモを見ながら溜め息をつく。
顔の事さえなければほぼ満点である。
男爵の地位も格下にはなるが、ルーベンブルグ家もそんなに格上と言えるほど金持ちでも名家という訳でもない。
だが、顔。
これは結構周りへの印象を左右しかねない重要な要素である。不細工の多い第三、第四部隊の中でも断トツで不細工と言うのがネックであろう。
リーシャお嬢様は、ダーク様は中身も外見も奇跡のように綺麗だ、天使だと声を大にして力説していたが、私から言えばそれはお嬢様の事である。
でも、お嬢様が初めて恋をしたお相手だ。応援したい。
私の好みではないが、優しいお嬢様の琴線に触れる立派な人物なのだから。
お嬢様の顔の価値観は全く信頼出来ないが、人を見る目はかなり信頼できる。
考えて見れば、年上というのも良い点だ。
お嬢様は時折予想外な行動を取るし、趣味もなかなか殿方には受け入れられがたい。同世代だともて余すというか扱いに困る事が多々あるのではないかと予想できる。
全部笑って受け止めてくれるような包容力のある大人の男性が望ましい。
うん、それならいいではないか。
人間誰しも欠点はあるのだ。
私はお嬢様を全面的に支持しよう。
そう平穏な気持ちになれた頃。
お嬢様がやらかした。
「ついかっとなってキスを奪ってきた」
という。レディーがかっとなって奪うものではない。
その上シャインベック様は驚いて失神したとか。
いくら残念なお顔とは言え、男子としてのプライドはぼろぼろであろう。
でも、年々美しさに磨きがかかっているお嬢様からむしろそんな暴挙が飛び出すとは、シャインベック様でなくとも予想できるとは思えない。
あの美貌が近づいてキスしてくれば女神の祝福と同義である、気を失っても致し方なかろう。
これは厳しく説教をしなくてはと思っていたが、そうだ、お嬢様は目的のためにはかなり手段を選ばず頑張る方だったと思い出して、無駄だと諦めた。
リーシャお嬢様の本気は大抵の障害を
ものともしない。
欲のないお嬢様は、滅多に望むものがない代わりに、一度これと定めると決してぶれない。諦めない。
シャインベック様が陥落されるのも時間の問題である。
リーシャお嬢様の幸せは私の幸せだ。
お嬢様の小説も私を幸せにしてくれる。
私の幸せは、常にお嬢様と共にあるのだ。
ブクマ、評価、感想も本当にありがとうございます。
誤字脱字報告も助かっております。
読んで頂くお時間が少しでも楽しめるものでありますように。




