第六話 周辺探索
皆が寝入ってから六時間ほど経っても、結局夜は訪れなかった。泉が立てた仮説の通り、何時間経っても太陽の位置が変わっていないのだ。驚いた。平岩が言っていたように、ここが異世界であるという可能性が、現実味を帯びてきた。
ビルに群がっていたゾンビ共はいつの間にかいなくなり、時折目の前の道路をフラフラと横切っていくだけになった。気味が悪いが、襲ってこないだけまだましだ。ビルを壊そうとしてきたらどうしようかと思ったが、その心配は必要ないようだ。ゲームや映画の中のゾンビとは、また違う習性があるのだろう。やはりフィクションと現実は違う。
恐らく奴らは、こちらから何か刺激を与えるまで何もしてこないのではないだろうか。人間の姿に反応して進路を変え、そして、銃声や体に触れるなどの刺激によって、狂暴化。襲い掛かってくる。
もしそうなら、外を出歩くことはそこまで危険ではなくなる。あいつらに出くわしても、静かに避けて通ればいいだけだ。後は、町の住民達や高橋がなぜこうなってしまったという、因果関係だけが問題だ。それさえわかれば、もう怖いものはない。いつ自分達がああなってしまうのかと、怯える必要がなくなる。
仮説だけなら、いくらでも立てることができる。有名なゲームや映画のように、何らかのウイルスによる影響。寄生虫による作用。胡散臭いが、催眠術という手段もあり得るかもしれない。さらに、私達自身が薬物等による集団幻覚や、夢を見ているという可能性も否定できない。……これまで起ったことがすべて現実ではないなんて、考えたくはないが。
手掛かりはやはり、奴らの腰部分にあるのだろう。今わかるのはそれだけだ。一度確かめておきたいが、やはり近付くのは危険だ。危ない橋は避けるに越したことはない。
こんなことを考えながら、私は夜を過ごしていた。これらの情報はとりあえず、他の連中が起きてきたら共有しておくことにする。
そして、見張り中に何度も欠伸を噛み殺していた春山だが、今は少し前に起きてきた平岩と交代して四階に上がり、睡眠を貪っている。私を見張るなどと言っていたが、睡魔には勝てなかったようだ。
「稲塚。お前は寝なくていいのか。寝てないんだろ」
「……いい。徹夜には慣れている。動いていなければ、それだけで休息になる」
こちらを心配するような平岩の言葉にも構わず、私はそのまま周囲の監視を続けた。外にはゾンビも他の生き物の姿もなく、恐ろしく静かだった。
それから一時間半。上の連中が目を覚まし始め、何人か下に降りてきた。そして最後に、起きてきたのは、寝坊常習犯の詩澄。彼女は自分の銃をまるで枕のように抱きかかえ、目を擦りながら扉を開いた。
「おはよー、みんな……」
「おはようございます、詩澄さん。……ふふ、なんですか、それ。いつも通りですね」
大きな口を開けて欠伸をする詩澄。それを笑う凛音も、詩澄の言葉通り、いつも通りだった。
「うん、なんか、意外とね。……本当に、何もかもが全部いつも通りで、全部夢だったら、よかったのに……」
「……うん。そう、だね。本当に、そう思うよ」
詩澄の素直な言葉に泉が同意し、少し雰囲気が暗くなる。
「……もしこれが夢だったら、今頃お前らは刑務所だがな」
「ちょ、じょ、冗談じゃねえ。やめてくれよ」
私の軽口に、平岩が想像通りの反応を返す。そんな冗談のおかげで、沈みかけていた空気が多少和んだ。
「あれ。そういえば、はるっちは?」
と、萌々子が思い出したように言う。彼女はいつの間にか、春山のことを『はるっち』と呼んでいた。同じように、平岩のことを『ひらっち』、泉のことを『いずっち』と呼んでいる。相変わらずなネーミングセンスだ。
私達と会った時もそうだったが、萌々子はすぐ人に変なあだ名を付けたがる。最初はそれを鬱陶しいと思っていたが……最近では、もうすっかり慣れてしまった自分がいる。いくら注意しても呼び方を直そうとしないので、仕方なく諦めた。そんなことがあったのも、もう一年前の話。随分と長い時間が経ったものだ。
……まあ、呼ばれてる奴がそれでいいなら、こちらからは何も言うまい。親近感を得るにはいい方法だ。
「……あいつなら、上で寝てる。誰か、一緒にいたほうがいいんじゃないのか。あまり一人にしないほうがいい」
「あ、じゃあ僕が行ってくるよ。ついでにご飯取ってくる」
そうして泉と私達は別々に食事を取った。彼が運んできた商品カゴからそれぞれ好きなものを選んで、机を囲む。机の上に置かれていたパソコンは邪魔だったので、夜のうちに部屋の隅に移動させていた。おかげで広々と使うことができる。
「いやー、選び放題っていいね。しかも、これ全部がタダだなんて!」
案の定というか、萌々子はコンビニ弁当の山を見てはしゃいでいた。だが一度寝たからか、そのテンションは昨日よりは落ち着いている。
「まあ、中々できることじゃないよね」
唐揚げ弁当と割り箸を手に取りながら詩澄が同意し、おにぎりの袋を開けた平岩も頷く。
「だな。昨日の隆みたいなことがしたくなってくる」
「あ、いいですね。それ。私も沢山食べたかったです。私もあの人に取られる前に、全部食べちゃえばよかったですね。あの時はちょっと、食欲が、なくて……」
昨日のことを思い出したのか、一瞬凛音の箸が止まった。それを見て、平岩が咀嚼中のものを飲み込んでから口を開く。
「まあ、あんなことがあった後じゃ、仕方ない。何か食えただけでもよかったんじゃないか」
……あの時は半ば強引に食わせたのだからな。食ってもらわなければ困る。
そう考えている間にも、凛音は大きな口を開けてハンバーグを頬張った。
「あー、りーちゃんまた食い意地張ってる。昨日のはるっちみたいに、くーちゃんに怒られちゃうよ?」
「私はちゃんと我慢してるので、大丈夫です」
それは既に、私達がいつも繰り広げている会話だった。
……これだけ喋る暇があるのなら、まだ大丈夫だ。一度眠ったおかげで、精神状態は落ち着いている。
食事をしながら仲間達の精神状態をある程度分析。食べ終わったおにぎりの包装をゴミ袋に放り込み、次のおにぎりを手に取った。コンビニのおにぎりは糖質が多いので、そんなに数を食べなくてもエネルギーは取れる。普段から食べていると太りそうだが、今は逆にありがたい。
三人が朝食を終えたのは、腕時計が八時半を示して少し経った後だった。
「ご馳走様です」
「ごちそうさまー。あー、こういうのあんまり食べないから、ちょっと新鮮かも」
きちんと手を合わせてご馳走様を言う凛音と、それとは対照的に、いい加減な言葉で済ませる萌々子。二人に続いて食べ終わった詩澄が、先ほどよりも多少膨らんだお腹をさすりながら言う。
「そうだね。冷たかったけど、美味しかった。でも、コンビニのお弁当って太りそう……」
乙女らしく体重を気にする詩澄に、私は現実を教えてやった。
「……後々食料が足りなくなったら、嫌でも痩せる」
静かに発したその言葉に、皆どこか居心地悪そうに視線を逸らした。
「恐ろしいこと言うなよ……。あんまり考えたくねえんだ、それは」
「空気読んでよ。久美ちゃん……」
平岩と詩澄が、怯えたようにこちらを見る。
「……なるべくそうならないように行動する。春山が起きたら、行動開始だ」
そんなこんなで、私達は朝食を終えた。春山が寝てから約三時間。彼が起きてくるまでは、まだもうしばらくかかるだろう。
その後、平岩がトイレに行くと言って席を立った。他の奴らも順番にトイレを済ませ、そして再び六人が集まった時、詩澄が尋ねてきた。
「ねえ、久美ちゃん。行動って言っても、私達、これからどうするの?」
「……そうだな」
とりあえず、夜中の間に考えておいたことを話す。
昨日はとりあえず、安全な場所といくらかの物資を確保したが、まだ足りないものがある。それは主に、コンビニには売っていなかった物だ。それに、水や食料はいくらあっても足りない。そういうものは積極的に集めておかなければならないだろう。
「……まずは近場の探索だ。物資調達、生存者の探索、情報収集。やることはいくらでもある。まずは、隣の家から色々と頂こう」
「え、ま、また泥棒するの!? こ、今度はいったい何を盗るつもりなの……」
詩澄は怯えたように身を引きながら、恐る恐る尋ねてくる。
「必要な物は、非常用のカセットコンロと非常食。調理器具。工具。大きなタオル。それから、布団だ」
「え、あー……そう、だね。確かに、そういうのは必要かも」
欲しい物をいくらか提示すると、彼女は納得したように頷いた。これらの物は、コンビニよりは一般家庭にある可能性のほうが高い。ショッピングモールなんかがあればすべて手に入るだろうが、生憎とこの町にそんな場所はない。地道に民家を漁っていくことになる。
「なるほど。カセットコンロですか」
そう言って凛音は、感心したように手を叩いた。その発想はなかった、というような表情だ。それは他の連中も同じだった。
「布団も確かに必要だね。寝にくかったし」
「床の上だったからねー。そのせいでまだ体が痛いよ……」
詩澄と萌々子が顔を合わせて、うんうんと頷く。そんな寝にくかったのだろうか。私はずっと起きていたのでわからないが。
「……もしあるのなら、寝袋のほうがいい」
今後のことを考えると必要だが、寝袋が普通の家庭にある可能性は低い。登山やキャンプが好きな人の家になら、あるかもしれないだろう。だが、そんな人がこの辺りにゴロゴロいるとは思えない。
「了解。んで、工具ってのは、どうして必要なんだ?」
寝具の必要性に納得した平岩が、工具について尋ねてくる。
「何か物を作る必要が出た時、必要になるだろう。それに、戦闘時には武器にもなる。あって損することはない」
「ほお。なる、ほど……」
平岩はまた、私の言葉に少し引いていた。その後、彼の口が小さく動く。
「物騒な頭だな、おい……」
「……聞こえてるんだが」
「えっ。あー、えっと……すまん」
「……気にするな。自覚している」
「そ、そうか」
そうして私と平岩の間の空気が気まずくなった時、前触れなく扉が開き、泉と春山が現れた。泉は特に異常もなく普通そうだったが、春山はまだ眩しそうに目を細めていて、明らかに寝起きだった。
「お、よう。起きたな、隆。四時間寝た感想はどうだ?」
まるで待ち合わせでもしていたかのように軽く手を挙げて、平岩が尋ねた。それに対して春山は、どこか機嫌悪そうに視線を逸らして答えた。
「……最悪だ。警察に捕まる夢を見た」
「……ぷっ」
それを聞いて、萌々子が噴き出した。そんなに面白かったのだろうか。
「あははっ、ゾンビに捕まる夢じゃないんだ」
「うるせえ。十分悪夢だ」
なるほど。そんな夢を見れば、確かに寝覚めが悪いだろう。目を擦りながら椅子に座る春山に、現実を教えてやる。
「……よかったな、春山。今私達がいるのは、拘置所よりも酷い場所だ」
自由があるという意味ではこちらのほうがマシかもしれないが、生きるか死ぬかという意味では、拘置所のほうが断然マシだ。少なくともあそこは、警察が食事を持ってきてくれるのだから。
「稲塚……慰めてるつもりか」
「事実を言っているだけだ」
こちらを睨む春山は相変わらず、私のことを嫌っているようだ。面倒な奴。
遅れてきた二人が食事をしている間に先ほどの計画を伝え、同意を得る。泉はもう一度外に出ることに消極的だったが、私のゾンビに関する考察を話すと、渋々頷いてくれた。彼も、まだ必要な物があることに気付いていたのだろう。
「み、見つからなければ、大丈夫なんだよね?」
「恐らく、な。できるだけ隠密行動を心がけよう」
小心者な泉をなだめ、納得させる。過度な心配をしても逆効果になるだけだ。
「……決まりだな。ついでに、もう一度あの町の境界部分まで行こう。町がどこまで続いているのか、確かめる」
探索をする最大の目的を言うと、皆の表情が強張った。思い出してしまったのだろうか。あの何もない荒野のことを。確かにあれは、私達の未来を暗示しているようで、あまり見たくない光景だった。
そんな仲間達を代表して、平岩が口を開く。
「お、おい。マジで言ってるのか、稲塚。またあの場所に行くって」
「本気だ。物資の調達も急務だが、周辺状況を確認する必要がある。この町がどこまで続いているのか、それを知らなければ移動もままならない」
どことなく嫌そうな顔をする六人に理由を説明するが、その表情は渋いままだ。そんな中、三人の班員が声を上げた。
「まあ、久美ちゃんがそう言うのなら、私はいいけど……」
「うん。あたしは、くーちゃんの言うことを聞くよ」
「私もです、班長。お三方は、どうするのですか?」
凛音の言葉に、視線を三人の男に向ける。彼らはまだ、決めかねているようだった。
「それでいいのかよ、お前ら……」
「……嫌なら、ここで待っていればいい。ここを守る人員も必要だ」
私の言葉に、迷ったように顔を見合わせる三人。
「嫌ってわけじゃないけど……」
「ああ。俺も納得はしてる。でも、そこまで遠くに行く必要があるとは、あまり……」
「……チッ、気に食わねえ」
……お前は私が嫌いなだけだろう、春山。
という胸の内は押し隠し、私はそれぞれの意見を合わせて、編成を決めた。
外を出歩く探索班は、私、萌々子、平岩、春山の四人。ビルに残って周囲を警戒する拠点班は、詩澄、凛音、泉の三人になった。
探索班は文字通り外の探索をする。拠点班には、ビルの内から周辺の警戒と、昨日作ったバリケードを作り直してもらうことにした。
折角作ったバリケードだが、今回外に出る時には一度崩さなければならない。今後の出入り方法も考えつつ、とりあえず今は、階段を塞ぐバリケードをより強固なものにすることにした。その辺りのことはあえて口出しせず、泉達拠点班に任せる。
「……そっちは任せたぞ、泉」
装備を整え、銃を構える。弾薬は有限だ。できる限り節約しなければならないだろう。
「う、うん」
「……昼には一度戻る。周囲の警戒を怠るな」
「わかったよ、班長。行ってらっしゃい」
そう言って送り出す詩澄達に拠点を任せ、私達は外に出た。空気は昨日同様冷えていて、四月にしては少し肌寒い。辺りを見回してみるが、今のところ可視範囲内に連中の姿はない。
……昨日あれだけいたゾンビ共は、いったいどこに消えたのだろう。
周囲を警戒しつつ、私達は町の探索を始めた。
まずは拠点を構えた雑居ビルの左隣、ごく普通の一軒家に押し入る。家に侵入するのは、想像していたより簡単だった。玄関の鍵はかかっていたが、窓の鍵がかかっていなかったのだ。そこから侵入し、中に奴らがいないことを確認。玄関の鍵を開ける。そして、四人で中身を探索。
ここで手に入れたのは、布団が二つ、非常食になりそうなものをいくつか、ジュースやお茶を少し。迷ったが、着替えもいくらか頂いていく。それから、集めた物資を運ぶために、大きめのリュックサックも一つもらった。目標としていたコンロと工具類は、ここにはなかった。
「あーあ。ここの人、災害に備えたりしてなかったのかな。危機感なさすぎ」
と、萌々子。必要な物が見つからなかったのは残念だが、それを言っても仕方のないこと。
「しょうがない。ここは諦めて、次に行こう」
平岩が肩に布団を担いで、早く出ようと親指で外を指す。なんとなく嫌そうな表情だ。人の家を物色することに、どこか嫌悪感を抱いているのだろう。強盗のくせに。だが、私達も既にコンビニから商品を奪っている。あまり人のことは言えない。
同じく布団を抱えた春山が言う。
「その前に、集めた物を拠点に運んだほうがいいだろ。布団を持ち歩くつもりか、お前ら」
「……そうだな。拠点班にも手伝ってもらおう」
ここはまだ通信が届く範囲だったので、無線機を使って凛音達に連絡。一度拠点に戻って布団と食料を運び込む。
「食料は四階でよかったですよね」
「布団って、どこに運んだらいい? これも上?」
「ああ。四階の会議室でいいだろう。並べておけ」
「了解です、班長。さ、泉さん、これを」
「う、うん。任せて。よいしょっと」
一度目の荷物の移動が終わり、再び外へ。布団が人数分揃うまでは、これを繰り返す必要がありそうだ。
「……この調子だ。とりあえず、かさばる布団を最優先で運ぶぞ」
「わかった。頑張ろうぜ、弛観」
「おー!」
その後も続けて四件の家を漁った結果。私達はようやく、人数分の布団と、非常用カセットコンロとカセットボンベ、工具を手に入れた。それらをビルに運び込んだ時、時間はちょうど十二時を過ぎる頃だった。
「稲塚。もうそろそろ昼飯じゃないのか」
「……そうだな」
平岩の提案に頷いて、ビルへと戻る進路を取る。そうは言っても、まだ三十メートルも離れていない。普通に見える距離だ。
「やった、お昼だ。ねえ、はるっち、今度は何食べるつもりなの? また昨日みたいに沢山食べる? 太るよ?」
「うるせえ、余計なお世話だ。それに、俺を変な名前で呼ぶな」
そんな会話をしながら、萌々子と春山の二人は先に拠点へ戻っていく。だが、私と平岩はその前にコンビニへ寄り、コピー機からA3版のコピー用紙を何枚か頂いてから拠点に戻った。
「コピー用紙なんて何に使うんだ? 絵でも描くのか?」
「……似たようなことをする。詳細は後で話す」
階段を登り、昨日作ったバリケードの名残を乗り越える。その時、見つけた工具を使って作業中だった泉が声を掛けてきた。
「あ、稲塚さん。今、こんな感じのを作ってるんだけど、どうかな」
彼が見せてきたのは、制作中の新しいバリケード。昨日は適当に積み上げただけだった椅子と机が、もう二度と解けないような結び方で結んである。かなり強固そうな印象だ。
「……悪くなさそうだ。だが、ここまでするともう出入りできないな。どう出入りするつもりだ」
「うん。それなんだけど、二階からロープとかを垂らして、そこから昇り降りする、っていうのはどうかな。岸崎さんの意見なんだけど」
泉の側には、既にカーテンを結んで作ったと思われる長い布があった。詩澄の奴、行動が早いな。
「それも彼女が作ったんだよ。使ったのは二階のカーテン」
「……ふむ」
布を手に取り、少し考える。
カーテンを使う、という発想は悪くない。だが、これではいささか強度不足だ。もっと頑丈な、ちゃんとしたロープなどでないと、人が昇り降りするには心許ない。荷物だってあるのだ。それに、これでは登りにくい。
……詩澄には悪いが、これは不採用だな。
「発想は悪くない。だが、カーテンでは強度が足りないな」
「そっか……」
少し落ち込む泉。この案を気に入っていたのだろうか。その様子はまるで、大人に現実を突き付けられた子供のようだった。
「まあ、ロープか何かを見つけるまでは、こいつを使おう。それまでの応急処置だ。とりあえず、今は食事だ。一旦適当に積み上げておけ」
「わかったよ」
頷いて、泉は作業を中断。途中まで作っていたバリケードを積み上げ始めた。一人では大変そうだったので、私も手伝った。
そして、全員が三階に集まったところで、昼食にする。
皆が机の上に選んだ食事を広げる中、私は外を警戒するため、窓の外を見ながらサンドイッチをかじる。しかし、私が二つのサンドイッチを腹に入れている間、道路上に人影はなく、静かだった。
出てきたゴミを片付け終えた後、私はもう一度外に出る前に、話し合いをすることにした。広くなった机を囲み、手を叩いて注目を集める。
「……終わったか。じゃあ、会議するぞ」
「会議って、会社かよ……」
するとすぐに、そんな平岩の呟きが聞こえた。まるで、会社にはあまりいい思い出がないような言い方だ。
「嫌か。なら、話し合いだ。今後の方針や、探索、作業の結果を報告するための場だ」
名称を変更し、続ける。別に名前は重要なものではない。
「午後の探索は、物資調達よりも状況把握をメインにやっていくつもりだ。何か異論はあるか」
声は出ない。異論はないということだろうか。
少し待っても手は上がらなかったので、気にせず進行させる。
「午前中外を探索した結果は、ここに運び込んだ分で示してある。他に報告はない。だよな」
確認として、すっかり副リーダーのような役割に落ち着いた平岩を見る。彼は、無言のまま頷いた。
「凛音達、拠点班。そっちは何か必要な物が出たりしなかったのか」
共同作業で仲良くなったのか、一緒になって食事をしていた三人に目を向ける。すると一つ、遠慮がちに手が上がった。泉だ。どうやらあちらは、彼がリーダーとして動いていたらしい。
「あー、えっと。こっちの作業、結構重労働だから、もう一人くらい男手が欲しいなあ、なんて……」
ふむ、なるほど。確かに、下で行なっていた作業を考えると、もう一人二人は欲しいところだろう。泉の意見通り、班を再編したほうがよさそうだ。
「そうか。なら、春山。お前がここに残れ」
「は? なんで俺が……」
驚きつつもこちらを睨んでくる春山に、彼を選んだ理由を教える。
「お前は睡眠時間が足りていない。そうだろう」
「それは……別に、俺は、平気だ」
一瞬言葉に詰まって、間を開けて喋る春山。どうやら図星のようだ。
本人は隠していたのかもしれないが、家の探索中、欠伸をしているところを何度か見かけていた。やはり、一日四時間睡眠というのは充分ではないのだろう。
「そんな状態で探索するのは危険だ。午後はここにいろ。昼寝でもしておけ」
「……チッ。わかったよ。くそ」
悪態を吐く春山は放っておいて、拠点班代表、泉に視線を戻す。
「泉。他にも何か必要になった物があったら、メモして渡してくれ。午後、ついでにそれを探しに行く」
「わかった。いくつかあるんだ。えっと、ノート取ってくるね。長洲さん、一緒に」
「了解です」
二人が上の階に行き、戻ってくるのを待ってから話を続ける。次が予定していた中では最後の議題だ。
「えっと、リスト作りながらでもいいかな」
「構わん。じゃあ最後に、拠点への出入りの話だ。詩澄がロープを使って昇り降りする案を出した。それについて、他の奴はどう思う」
「え? 私の案? え、えへへ……」
注目された詩澄が、少し照れたように頭を掻く。
「へえ、ロープで昇り降り、か。悪くないかもな」
「いいじゃんいいじゃん。しーちゃんあったまいい!」
平岩と萌々子は絶賛するが、春山はどこか腑に落ちない様子だ。
「いや、それだと、さっきみたいに大きな荷物を運ぶとき、運び込めねえだろ。それに、裏の非常階段はどうするんだ? そっちを使えばいいじゃねえか」
どうやら、この場では彼が一番現実的なものの見方をしているようだ。
「非常階段は非常時に使う。万一バリケードが破られた時のために……ああ、そうだな。こっちにも何か、侵入対策が必要だな。拠点班、何か考えておいてくれ」
「あ、わかった」
新たな問題が見つかった。このような発見があるから、定期的な話し合いは必要だ。
「話を戻すぞ。私は、悪くない案だとは思う。だが、カーテンを結んで繋げただけのあれでは強度不足だ。頑丈なロープなんかを見つけたら、そっちに替える。荷物の問題は、これ以上何も運び込むのかによる。布団ほどの物が必要になった時に、また考えよう」
私からの意見を伝えると、発案者の詩澄は、少し残念そうに頷いた。
「そっか……わかった。私は、久美ちゃんに従うよ」
「ま、これ以上でかい物を運ぶ予定がないなら、いいのかもな」
そんな詩澄を平岩がフォローし、ひとまず予定していた話はすべて終わった。
その後、泉から必要物資のメモを受け取った私は、会議を終わらせる前にもう一度意見を募った。
「何か、他に話はあるか。質問でもいい」
「はいはーい! くーちゃん、あたしあるよ!」
すると今度は、萌々子が元気よく手を上げた。
「……なんだ」
そのテンションに少し驚きつつ、話を促す。
「あたし考えたんだけどさ。外にはその、ゾンビがうろついてるわけじゃん? 今日は見かけないけど。だから、こう、敵を足止めするような何かが必要だと思うの」
……なるほど。ゲーマーの萌々子らしい提案だ。確か、彼女がやっていたゲームの中にはゾンビサバイバル的なものもあった。今なら、その知識が役に立つだろう。
「ほう、例えば」
他の連中が期待の眼差しを向ける中、萌々子は一人語り始める。
「えっと、尖った棒でフェンスを作るの。木のフェンスね。スパイクトラップ、的な名前のやつ。街路樹切り倒せば、作れそうだと思う。いっそのこと、バリケードもそれで作っちゃえばいい。後は、火炎瓶とかも有効かな。銃は弾がなくなると使えなくなっちゃうし、代わりの遠距離攻撃手段として、弓とかも。りーちゃんは弓、得意だもんね」
彼女の話を聞いて、平岩が感心したように言葉を漏らした。
「へぇ、なるほどなあ」
「弓ですか。私、それなら自信ありますよ」
弓と聞いて興奮する弓道部の凛音。それら萌々子のゲーム知識を、泉は冷静に分析する。
「えっと、最初のは木を切り倒すときに大きな音が出るから無理だし、火炎瓶は燃える物がないから無理だし、弓は、弦が作れないんじゃないかな。タコ糸とかじゃあ、流石に駄目だろうし」
その意見に同調したのは春山だった。
「だな。そうするよりは、弾をできるだけ使わないようにしたほうがいいんじゃねえのか」
「……いや、そのせいで命を失っては意味がない。弾を出し惜しみしている場合ではない」
「そうだよ。銃弾はエリクサーじゃないんだよ、はるっち。使わないと逆にもったいない」
私が春山の意見を一蹴すると、萌々子がそれに同意した。そのゲーマー発言に春山は呆れる。
「はいはい。エリクサー症候群で悪かったな。で、結局どうするんだ。難しそうな印象だが」
「うーん。話してみると、意外と無理かも。あたしはいい案だと思ったんだけどなー」
「ちょっと問題がありすぎるよ。もうちょっと考えてからにしよう。椅子の足を尖らせるとかは実現可能だし」
そういう泉の意見もあって、萌々子の出した案件は一旦保留にし、会議は終わった。時刻はもう一時半を過ぎている。かなり長い間話し込んでいたようだ。
先ほど決めた通りに班の割り振りを直し、それぞれ行動に移る。
だが私は出発する前に、持ち出していたノートを取り出し、ペンを走らせた。
すぐそこにあるコンビニとこの拠点の位置を基準にして、紙の上に道路を描く。目の前の大通りから、脇道も可能な限り正確に。今わかる範囲の内容を書き終えると、最後に、探索済みの家に赤で印を付けた。
「ん? 何してんの? くーちゃん」
「……地図を作っている。スマホの地図は使えないからな」
「おー、なるほど」
後ろから覗き込んできた萌々子に説明しながら、目に見える範囲を書き表し、ノートをしまった。これは後で、先ほど持ってきたA3版のコピー用紙に清書するつもりだ。
顔を上げ、誰もいない道路を見回す。敵影なし。物音すらない。午前中と同じだ。けれど人数が減った分、警戒できる範囲が少なくなった。行動も少し変えたほうがいいだろう。
「……一列になろう。私、平岩、萌々子の順で並べ」
「りょーかーい!」
「わかった」
元気よく形だけの敬礼をする萌々子。頷いて銃を構えなおす平岩。
三人で隊列を整え、三人一組で探索。まずは昨日見た町の境界線まで進んで、どこまで町が続いているのかをノートにメモ。その帰りに、泉から預かった欲しい物リストの品物を探す。
空の色がまったく変わらないので、時間の変化がわからない。チラチラと腕時計に目をやりつつ、探索を続ける。
そして、時計の針が五を示す頃、私達は無事、拠点に戻ってきた。