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第三話 取り残された七人

 最初に感じたのは、自分が今、間違いなくここに存在している、という自意識だった。


「……ん」


 瞼を上げると、目の前には覆面で顔を隠した一人の男。気を失っているのか、その目は力なく閉じられている。私は、地面に横たわる男の眉間に銃口を突き付けたまま、じっと体を固めていた。

 ……これは、いったい。

 止まっていた思考が動き出した時、ちょうど男が意識を取り戻した。彼は最初、どこか戸惑ったように視線を彷徨わせていたが、自分に向けられた銃口に気付いた途端、


「うわっ、う、撃つな!」


 と、心底怯えた表情で顔を背けた。その両手はもう降参だと言わんばかりに、頭の上に掲げられている。

 抵抗する意志は、もうないようだ。ひとまず構えを解き、少し離れる。それから……一瞬迷って、男に手を差し出した。


「……ほら」


 そのままにしておくのも、何だか悪い気がしたから。彼は再びギョッとしたが、素直に私の手を取り、立ち上がった。


「……妙なことはするなよ」


 念のため、釘を刺しておくことは忘れない。


「あ、ああ。わかってる。……ありがとう」

「……どうも」


 強盗なんかの言葉は信用できないが……まあ、今だけは信じてやろう。

 それから私達二人は、示し合わせたように空を見上げた。視線の先は、先ほどの晴天とは打って変わった曇り空。気を失ってしまう前に見たあの禍々しい穴は、いつの間にか消え失せ、代わりにどんよりとした灰色の雲が頭上を覆い隠していた。

 ……なんだったんだ、いったい。まさか、幻覚? いやしかし、そんなはずは……。

 先刻のことが脳裏をよぎり、思わず体を見下ろす。だが、特に異常は見当たらなかった。消えたヘルメットや眼鏡もここにあるし、肉体に欠損している部位はない。足元に転がる薬莢だってあの時のままだ。それに、隣の男や周囲の建物にも、何も変わったところはないように見える。

 そう、何も変わりはない・・・・・・・・。さっき起こったことが、まったくの嘘のようだ。でも、私ははっきりと覚えている。町が靄に変わっていく様子も、彼らの悲鳴も、自分の体が徐々に消えていく、あのおぞましい感覚も。

 ……いったい、何がどうなっているんだ。

 戸惑いながらも、とりあえず地面に落とした拳銃を拾う。一応中身を確かめるが、弾倉には弾がきちんと入っており、構造にも問題はなさそうだった。

 ……一応、弾は抜いておくか。


「あ、久美ちゃん! よかった……」


 突然名前を呼ばれて顔を上げると、そこにはいつも通りの詩澄の姿。私と目が合い、心底ホッとしたような表情で駆け寄ってくる彼女にも、特に変わったところはなさそうだ。


「……詩澄。大丈夫か」

「う、うん。何ともない、みたいだよ……たぶん」

「そうか」

「あの人達も?」

「……ああ」


 詩澄は緊張した面持ちで、強盗三人組へと視線を投げた。

 仲間内で集まり始めた彼らはしきりに首を傾げながら、時折言葉を交わし、私達のことを遠巻きに観察していた。話の内容は声が小さくて聞き取れないが、恐らく、ついさっき自分達の身に起こった現象について、色々と意見を交換しているのだろう。あるいは、この後に待ち受けている重い刑罰から逃れる算段を、こちらにばれないようヒソヒソと話し合っているのか。もしそうだとしたら、もう一度痛い目を見てもらわなければならないが……。

 そんなことを考えていると、詩澄が言った。


「……なんか、暗いね。それに、ちょっと寒い……」

「……そうだな」


 空が分厚い雲に覆われたからだろうか。太陽の光が弱まり、温度と照度が数段下がったように感じる。今すぐ雨を降らしそうな雲ではないが、先ほどのことと相まって、どこか不気味だ。


「私達、本当に大丈夫、だったのかな……」


 そう言って、詩澄は自分の両手を見つめた。その瞳が不安げに揺れる。無理もない。あんなことがあって、これだけで終わりという気もしないのだろう。

 しかし現に、ここには何事もなかったような町並みが広がっているのだ。心配は無用、と言ってやりたかったが、何か、言い知れぬ不安感を抱いているのは、こちらも同じだった。


「……ひとまず、学校に連絡を入れる。何かあったら、向こうでも感知しているはずだ」

「そう、だね。うん、じゃあ、お願い」


 司令室にいる藍沢に状況を確認してもらうため、ヘッドセットの通話ボタンに手を伸ばしたその時。

 すぐ近くで、何かが動く気配がした。振り返ると、白のセダン――強盗達の用意した逃走車――の向こうに、ゆらりと立ち上がる人影が一つ。


「あ……さっきの人。大丈夫ですか!」


 その姿にいち早く気付いた詩澄が、心配そうに駆け寄っていく。

 乱れた髪に、所々汚れた服装。間違いない。それは彼女の言う通り、先ほど強盗達の人質にされていたあの女性店員だった。だが……どうも様子がおかしい。

 こちらに背を向け、ふらふらと歩いている女性。彼女はその身を案ずる詩澄の声に振り返るどころか、何の反応も示さなかった。右へ左へ体を揺らし、まるで生まれたての子犬のようなぎこちない歩き方で、ただ前方へと進むばかりだ。

 その頼りない足取りを不審に思い、私も詩澄に続いて女性の元へ向かう。


「大丈夫ですか? もしかして、どこか怪我でも……」


 難なく追い付いた詩澄が、女性の肩に手を置く。そこでようやく、彼女の足が止まった。


「ぁ……」


 女性の発した小さな声が、静寂に包まれた町に響く。


「え?」


 聞き返した詩澄に、女性は――。


「ぅ、ヴぁああァアァァア!!」

「ひっ……!」


 返ってきたのは、思わず耳を塞ぎたくなるような、聞くに堪えない絶叫だった。凄まじい勢いで振り返る女性。その顔は、人間の顔ではなかった。

 耳元まで裂けた口。歯と歯の間に糸を引く唾液。知性がまったく感じられない瞳でこちらを睨んだ女性は、獣のように、あの化け物マミラリアのように、明確な害意を持って詩澄の腕を掴んだ。


「ひ、ぃ……きゃああ!!」

「チッ、離れろ!」


 予期せぬ奇行に取り乱す詩澄を押し退けて、変貌した女性の顔を殴る。多少力を緩めたはずだが、女性はあっけなくバランスを崩し、何の抵抗もなく仰向けに倒れた。

 しかし、彼女は人体の関節を無視した動きで、すぐさま起き上がった。


「ヵ、ガッ、ぁあ……」

「こいつ……動くな!」


 ……何だ、こいつは。気色の悪い。

 銃を向けて忠告するが、従う様子はない。理性が働いていないのだろうか。後頭部を強打し、頭から血を流しているにもかかわらず、彼女はなおもこちらに手を伸ばそうとしてくる。


「……チッ」


 咄嗟の判断で、ライフルの安全装置セイフティを解除。伸ばされた腕を払い除け、躊躇うことなく引き金を引く。

 くぐもった銃声が辺りに響き、空になった薬莢が排莢口エジェクション・ポートから排出される。弾丸は女性の口の中に入り、首の後ろから鮮血と共に飛び出した。

 女性は絶命した。支える力を失った肉体が、重力に従って崩れ落ちる。


「う……く、久美、ちゃん……なんで、ど、どうして……」


 口元を押さえて、目を見開く詩澄。狼狽える彼女に声を掛ける暇もなく、向かいの建物の二階から何か・・が転げ落ちてきた。

 そちらに向けて銃を構える。覗き込んだ照準器サイトの向こう側には、右手に壊れたスマートフォンを固く握り閉めた男性。その男は恐ろしい呻き声を上げながら、ゆっくりと立ち上がった。その目は完全に白目を剥き、腕もおかしな方向に曲がっている。それなのに、男性はまったく痛がる素振りを見せていない。


「うわっ! な、なんだよ。なんなんだよ、あれ……」


 その気味の悪い姿に、強盗達が後ろで悲鳴を上げる。

 ……これは、不味い。


「……銃を拾え」


 こちらを見たまま、固まっている強盗達に告げる。


「……へ?」


 彼らはたった今起こったばかりのことに理解が追いついていないのか、私の言葉を聞いても、すぐには動かなかった。

 腕の折れた男が一歩を踏み出す。それと呼応するかのように、今さっき延髄を吹き飛ばしたばかりの女性の体が、再び立ち上がろうともがき始めた。銃を向けながら、じりじりと後退る。

 ……こいつは、非常に、不味いぞ。


「う、嘘だろ、こんなっ……」


 道の先から、人の形をした影がいくつも現れる。それらはまるで、人間の皮を被った獣のようだった。獲物を求め彷徨う、飢えた獣。そして私達は、これから奴らの胃袋に収まるか弱き草食動物に等しい。

 ついさっきまでは音のなかった平和な町が、言葉ですらない呻き声に満たされていた。


「ひ、ば、化け物が……!」

「……こりゃ、やばい。サツに捕まるよりもやばいって」

「い、いったい、何が、どうなってんだよ!」

「早く銃を拾え!」


 自らの置かれた状況にようやく気付き、慌てふためく男達に一喝。未だ恐慌状態から抜け出せない詩澄に向き直る。


「逃げるぞ、詩澄。あの路地に入れ」

「で、でも、でもぉ……」


 彼女の目に浮かんだ涙は、今にも溢れそうだった。


「時間がない。早く!」


 平静を失った詩澄の背中を押し、問答無用で下がらせる。こうしている間にも、奴らはこちらに向かって徐々に近付いてきている。その一歩は私達よりも明らかに遅いが、数があまりにも多い。多すぎる。一刻も早くここを離れなければ。


「ぁあ……ァああ……」


 間近に迫った男性に銃を向け、頭を撃ち抜く。しかし、男の歩みは止まらない。怯むこともない。依然、腕を突き出して私達に迫ってくる。


「チッ……何してる、急げ!」


 ……何なんだ、いったい。こいつらは痛みを感じないというのか。

 大きな銃音に本能が刺激されたのか、それまでの鈍い動きから一変。奴らの行動が目に見えて素早くなった。

 突然駆け出した一人の足を撃つ。どこかで見たことのある主婦は体勢を崩し、体を地面に叩き付けた。彼女の体に引っかかって、連鎖的に数人が転ぶ。だが他の者達は、彼らの体を踏み付けるようにしてこちらへ近付いてくる。


「久美ちゃん!」


 いつの間にか、表通りは正気を失った住人で溢れていた。焦る詩澄に急かされて、私も後を追って路地に入る。町の住人達はなおも狂ったように追いかけてくるが、狭い道ならば足止めは容易になる。

 背後に迫る人々の膝を撃ち、胸を撃ち、後ろから聞こえてくる呻き声が完全に聞こえなくなるまで、私達は裏道を縦横に走り続けた。


「はぁ、はぁ……」


 そうして辿り着いた場所は、空き缶やコンビニのビニール袋などがそのまま捨てられている、道とも呼べない建物と建物の隙間だった。普段であれば、近寄ろうとすらしない場所だ。けれど今は、そんなことを言っている場合ではない。


「……大丈夫か」

「う、うん、なんとか……」


 疲労困憊で、地べたに座り込む詩澄。息も絶え絶えといった様子で建物の壁に背中を預け、ズルズルと腰を落とす強盗達。ここが安全だとわかるや否や、彼らは口々に愚痴を零し出した。


「ああ、クソッ! 何がどうなってやがるんだよ」

「し、知らないよ。強盗なんてやらかすから、きっと罰が当たったんだ……こんなことなら、最初からするんじゃなかったんだよ」

「おい、今更そんなこと言ったって、もうどうしようもねぇだろうが!」


 豹変した住民達に襲われた反動か、徐々に熱くなる強盗達の会話。そんな中、仲間の言葉を遮って、気弱そうな一人が小さく呟いた。


「……化け物、化け物だよ。町の人達みんな、化け物になっちまったんだ……」


 男の手は、ショットガンを握ったままカタカタと細かく震えていた。


「ば、化け物って、そんな馬鹿みたいな話。ゾンビ映画じゃあるまいし……」


 怯えたように否定する。だがそれを聞いた気弱な男は、取り乱して否定した。


「それ以外に説明が付くのかよ! あの人達みんな、そのゾンビみたくなって、襲い掛かってきて。ついさっきまでは普通だったんだぞ!」

「それは……」


 非現実的な現状を否定することに躍起になって、大きな声で互いの主張を言い合う強盗達。こうも騒がしくなると、またさっきの奴らがやってくるかもしれない。注意しようと思った時、すぐ足元で、詩澄がライフルを落とす音が聞こえた。


「ど、どうしよう久美ちゃん。私、人を撃って、こ、殺し、て……」


 彼女は息も荒く視線を彷徨わせ、震える手で口元を押さえていた。

 化け物と化した人達から逃げていた時、私の援護をしようとしたのか、彼女も何度か引き金を引いていた。その時、彼女の撃った弾が奴らに命中したのかはわからない。だが、人間に――かつて人間だった者に向けて銃を撃ったという事実が、彼女を苦しめているのだろう。

 ……それでいい。それが正しい反応だ。


「……気分が悪ければ無理をするな。とにかく今は、学校との連絡が先だ」

「う、うん……」


 震える詩澄の背中を優しく叩いて、ヘッドセットのスイッチを押す。彼女のケアもしてやりたいが、今は時間がない。

 ――だが、


「……こちら稲塚。司令部、応答を」


 マイクに向かって言い慣れた決まり文句を告げる。しかし、耳の奥にザザッとノイズが走るばかりで、通信相手はこちらの呼び声に応じない。

 む……なんだ。繋がらない?

 念のため先生や他生徒のチャンネルに切り替えてみるが、結果はどれも同じだった。


「司令部、藍沢、応答を。……チッ」

「く、久美ちゃん。もしかして……駄目、だったの?」

「……ああ。一応、そっちからも試してくれ。私は電話を試す」


 無線機は諦めて、ポーチからスマートフォンを取り出そうとする。その時、どこからか足音が聞こえた。


「……待て。静かに」


 周囲に注意を促しながら素早くスマホをしまい、銃に手を掛ける。まさか、あいつらがもう近くまで来たのか。思ったよりも早い。

 私の命令口調が癪に触ったのか、強盗が一人肩を怒らせて立ち上がった。


「お前……さっきからなんなんだよ。子供ガキのくせに、生意気な口をききやがって――」

「いいから黙れ。足音が聞こえる」


 今は口論などしている場合ではない。きつめのトーンでそう言うと、彼は顔を青くして引き下がった。静かになった路地に耳を澄ませる。

 聞こえる足音は二つ。音のタイミングからして、二人とも走っているようだ。正確にどこを走っているのかまではわからないが、その距離は徐々に近くなっている。


「……詩澄、カバー」


 絶対にそうとは言い切れないが、このままだと、すぐ隣の道を通る可能性が高い。万が一に備えて、私はもう一度銃のセイフティを解除した。


「う、うん」


 援護を詩澄に頼み、息を潜めてじっと待つ。そして、路地の先にチラリと動く者が見えた瞬間、物陰から飛び出して銃を向けた。


「止まれ」

「う、動くかないで!」

「……っ!」


 相手はこちらの姿を認めると、同じく持っていたライフルを向けようとした。不意を突いたのにもかかわらず、迅速な反応だ。けれど相対した二人は、私達の正体に気付くと同時にその構えを解いた。


「あ……は、班長!」

「……凜音?」


 そこにいたのは、つい一時間ほど前に別れた凜音と萌々子だった。二人は相手が誰かわかった途端、表情を明るくする。言葉が通じるということは、先ほど襲ってきた町の住人のように、自分を失ってはいないようだ。


「よ、よかった。二人とも無事だったんだね!」

「萌々子ちゃん! そっちこそ、無事だったんだ……」


 警戒を解いた詩澄と萌々子は勢いよく抱きついて、よかった、よかったと繰り返す。同じ班の仲間とはいえ、先ほどのことを考えると無闇に近付くべきではない。だが、ようやく再開した彼女らの友情を止める暇はなかった。

 ……仕方ない奴らだ。ここは大目に見てやろう。


「……そっちはなんともないのか、凜音」

「は、はい。そちらも、大丈夫そう、ですね」


 私の言葉に凜音は一応頷いたが、その答え方はぎこちない。非現実的なことが起こって、彼女も内心動揺しているのだろう。そのことも含めて、まずは色々と情報交換をしなければならない。


「……とりあえず、こっちにこい」


 二人を引き連れて隙間に戻ると、奥の方で縮こまっていた強盗達の一人が、真っ先に状況を尋ねてきた。


「……お、おい、そいつは何だ。あいつらじゃなかったのか?」


 相当な怯えようだ。銃を構えて、今にも発砲しようと引き金に指を掛けている。


「……ああ。大丈夫だ」


 手振りで銃を下ろすように求める。彼女達は私と同じ学校の生徒だと説明すると、三人は疑いながらも従ってくれた。恐らく、元々撃ちたくなかったのだろう。


「ま、また奴らがやってきたのかと思って……」

「……いい。警戒するのは当然だ」


 ……本当のことを言えば、むしろこっちが警戒したいくらいだ。

 今私達の目の前にいるのは、黒ずくめに覆面マスクという、見るからに怪しい格好をした三人の男。そんな彼らを見た凜音と萌々子は、揃って眉根を潜めた。


「誰ですか、この怪しい人達は。奴らって、いったい何のことですか? 私達がいない間に何があったんですか。班長」

「うわ、なんか悪そうな顔してるよ。何なのこの人達。銃持ってるし」


 萌々子の遠慮のない言葉に煽られて、体躯の大きい強盗が彼女を睨み付ける。悪そうも何も、覆面で顔を隠しているので表情はわからないはずだが。それに、銃なら私達も持っている。


「ちょ、ちょっと二人とも。その言い方はないって……」


 段々険悪になる場の雰囲気。隠すわけにもいかないので、とりあえず簡単に事実だけを伝える。


「……連絡があっただろう。その宝石強盗だ」

「え、ご、強盗!?」


 萌々子が叫び、凛音が身構える。二人の反応に強盗は身を強張らせ、また引き金に指をかけようとする。


「おい、待て」


 ここで発砲させるわけにはいかない。反射的に動いていた凛音の腕を押さえ、強盗との間に体を割り込ませる。


「で、でも、この人強盗なんでしょ。犯罪者じゃん! 捕まえないと危ないって!」

「そうですよ! どうして班長と詩澄さんは、強盗なんかと一緒にいるんですか!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてよ! これにはその、深い訳があるんだって!」


 詩澄がなんとかとりなそうとするが、興奮した二人らはさらに顔を険しくするばかり。このままでは埒が明かない。そう思って、私は二人を睨み付けた。


「やめろ。今はそんなことをしている場合じゃない」

「でも、くーちゃん!」

「班長!」

「いいから銃を収めろ。お前らも。今が非常事態だということを忘れるな」


 非常事態、という言葉を強く発したせいか、二人は渋々引き下がってくれた。けれど、彼女らの目から疑いの色は消えない。

 ……あまり良い雰囲気とは言えないが、この二人との情報交換が先だ。

 仕方ないので、厄介の種の強盗達とは少し距離を取って話をすることにした。


「……それで凛音。そっちでは学校に連絡したのか」

「あ……はい。でも、何度やっても繋がらなくて。電話も試したのですが……」

「……? なんだ」


 彼女の答えは、なんだかいつもより歯切れが悪かった。どうしたのだろう。何か言いにくいことがあったのだろうか。仕方なく視線を萌々子に移すと、彼女は少し目を逸らしながらも、凛音が言い淀んだ原因を話してくれた。


「あ……うん。携帯ね、圏外、だったんだよね」

「……圏外?」


 私は一瞬、まさかと思った。けれど実際にスマホを取り出して確認してみると、画面の上には確かに『圏外』と表示されている。どうやら、彼女が嘘を吐いているわけではないようだ。


「圏外って……何だっけ?」


 訳がわからないという表情で、詩澄が首を傾げる。


「もう、詩澄さんったら。前に話しましたよ。携帯の電波が届かない場所で出る表示のことです。山奥とか、地下とか、昔はそういった場所でよく出ていたみたいです。でも、通信網の発達したこの日本でその表示が出ることは、もうほぼないとまで言われている……んですよね? 久美さん」

「……ああ」

「うんうん、あたしもただの噂だと思ってた。でも……ね、ほら。」

「ほんとだ。圏外って出てる」


 目を丸くして、詩澄は画面を見つめた。凛音が言った通り、今時電波が通じない場所なんてほとんど存在しない。あるとすれば、深い海の底くらいだろう。

 この圏外という表示は、スマートフォンを『携帯電話』と呼ぶのと同じように、まだ通信技術がそれほど発達していなかった頃の名残のようなものだ。確かに、珍しい。けれど喜ぶようなことではない。凛音が話した通り、この表示が出ているということは、他の誰かと連絡を取ることができないということなのだから。

 ただ、そう結論付けるにはまだ早い。私達のスマホで駄目なら、彼らのものならどうだろう。そう思って、後ろの男達に顔を向ける。しかし、


「……そっちも試してもらっていいか」

「もう、やってる。圏外だった」


 どうやら、話を聞いていた一人が電話を試していたようで、彼らのスマホも通じていないことが判明した。つまり、私達は今、孤立無援の窮地に立たされているのだ。

 電話もネットも通じず、助けを呼ぶこともできない。周りは正体不明の敵だらけ。生存者は七人で、しかもその半分は犯罪者。……本当に、最悪な状況になってしまった。

 けれどそれは、もしここが学校の近くでなかったらの話だ。ここは私達の学校からすぐ近く。生き残る希望はまだある。


「……とにかく、一度学校へ戻ろう。色々考えるのはその後だ」

「そう、だね。わかった」

「連絡がつかなくても、ここからならすぐだしね。きっとみんなも心配してる」

「わかりました」


 というわけで、今後の方針が固まった。納得して頷く仲間達。


「な、なあ。僕達は、どうすればいいんだ?」


 先ほど電話を試していた男が、こちらの話を聞いてそう尋ねてくる。


「……一緒に来い。そのほうが安全だ」

「でも、班長」


 凛音の咎めるような言葉を腕で遮る。彼女の言いたいことはわかっている。四対三とはいえ、こちらは女であちらは男。いくら銃器の扱いに長けていても、単純な腕力では勝ち目がない。力関係で言えば、どちらかと言うとこちらが不利なのだ。だから、何かしらの拘束を施したほうがいい。いや、しなければならない。

 彼女の意見はもっともだ。けれど彼らは今、精神的に疲弊している。謎の大穴に呑み込まれて、恐ろしい元人間に襲われて。それ以前に、彼らは強盗などという犯罪行為に手を染めたことを激しく後悔している。それがわかっているからこそ、私は彼らのことをあからさまに犯罪者とは扱いたくなかった。これ以上追い詰めてしまうと、近いうちに手が付けられなくなって、もっと酷い結果に繋がるかもしれないから。


「……わかっている。学校に着いたら、先生か警察に任せる。それでいいな」

「それなら、まあ……」

「わ、わかった。俺達は、大人しくしていればいいんだな」

「ああ」


 私と萌々子が先頭に立ち、最後尾を凛音と詩澄で固める。その間に入った男達には、何があっても私達の側を離れないこと、むやみに銃を撃たないこと、もしこちらの存在がばれて襲われそうになった時は、倒すことよりも逃げることを優先すること。この三つを厳守するように告げた。


「……気に入らないのなら従わなくてもいいが、死にたくなければ、必ず守れ」

「あ、ああ」


 そうして、私達は狭い路地を進んでいった。できる限りの警戒をしながら移動しているが、不思議なくらい静かで、誰とも出会わない。元々人が多い場所ではないが、ここまで人の気配がしないと本当に不気味だ。まるで、生きている人間が私達しかいないような感覚。いつまで経っても、この妙な圧迫感は消えない。


「ねぇ、くーちゃん。さっき言ってた『奴ら』って、いったい何のこと?」


 安全を確かめながら先へ進んでいると、すぐ後ろにいる萌々子がそんなことを聞いてきた。そういえば、二人からは話を聞いたのに、こちらからはまだ何も話していなかったな。


「……町の住人のことだ」

「え……町の人達に襲われたの? やっぱり、この人達と一緒にいるから……」


 彼女の視線が後ろに向きかけるが、その前に言葉を続ける。


「こいつらは関係ない。私達と一緒に、巻き込まれただけだ。……あの人達はもう、人間じゃない」

「それって……どういう意味、なの」

「……そのままの意味だ。もう言葉が通じない。もし知り合いを見かけても、一人では絶対に近付くな」

「え……う、うん。わかった」


 まだすべての人間がああなっているとは限らないが、彼女にはそう言い聞かせておいた。少しでもリスクがあるのなら、できるだけ避けたほうがいい。


 それから、私達は誰にも遭遇することもなく、広い道の手前まで戻ってきた。そこで一度止まり、小さな声で後ろに念を押す。


「……これから大きな通りに出る。慎重に」

「うん」


 周囲を警戒しながら通りに出ると、そこには誰の姿もなかった。人影どころか物音一つしない。どうやら、さっきの奴らはどこかへ行ってしまったらしい。好都合だ。誰もいないうちに学校に戻ろう。


「……クリア。よし、今のうちだ」

「わかった。ほら、早く来て」

「あ、ああ」

「ちょっと! あたしに銃向けないでよ! 危ないじゃん」

「え、ご、ごめん……」


 七人で縦列を保ったまま、取り残された車の影を進んで行く。凜音達と別れた交差点まで後少しという所で、私は立ち止まった。

 ――いや、その先に見えた景色の異様さに、止まらざるを得なかった。


「……これは」


 なんだ、これは。いったい、何がどうなったら、こんな風になるんだ。いやそもそも、こんなことが現実にあり得るのか?

 突如現れた非現実的な光景に、頭の中が混乱する。夢か幻でも見ているのではないかとさえ思った。でも、違う。これが現実であることは、痛いほど理解している。


「え……? 嘘、でしょ……」

「な、なんだよ、これ。これじゃ、まるで……」


 線を引いたように、中途半端なところで切れた道路のアスファルト。不自然に途切れた建物の外壁。その境界線の向こうに広がる光景は、普段の見慣れたそれとは大きく異なっていた。


「……ない」


 道路の先が、先ほどまであったいつもの街並みが、山の上に立っているはずの校舎が、ない。

 そこにはただ、まるで初めから何も存在していなかったかのように、何もない荒れ果てた大地が広がっているだけだった。


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