#1
機械音痴な俺も何とか高校を卒業し、今年、念願の大学生となった。
まあ、隣町の三流大学ではあるが。
晴れやかなキャンパスライフ。仲間たちとの交遊。そして花開く、ロマンス。
講堂にて偶然俺の隣に座る、日本に留学してきたばかりで右も左も分からない、金髪の女の子。
思いがけず触れ合った指に、彼女は恥ずかしさに頬を赤らめながら、上目使いで俺に微笑んだ。そんな乙女の仕草に、女を知らない俺はまるで少年のようにドキッとするのだった――
「お前いつの時代の人間だよ」
俺が希望する薔薇色ライフを熱弁すると、聞き手の男は眉を顰めた。彼は黒縁眼鏡の奥で、哀れむように目を細めていた。
「サークルにも入っていない、女友達もいない。そんなヤツがロマンスを語ってどーする」
「語るだけならタダだ」俺はそう言い返した。
「虚しいだけだろうが」ド正論が帰って来た。
進学と同時に短髪を栗色に染めた悪友――タケナカと俺の二人は現在、大学内の食堂にて向かい合わせに座っていた。
周囲の学生の殆どは五、六人のグループを作っている。しかも男女混合。そんな浮わついた学生が目一杯ハメを外す環境の中で、俺とタケナカの若干二名は、六人が優に談笑できるテーブル席を悪びれもせず占拠していた。
そう。この行為は、せめてもの反逆なのだ。
俺たちがここを占拠する事で、食にありつけない大学生リア充どもがいると思うと、心が清々する。洗剤を流したかのように日頃の鬱憤が溶け、精神は浄化されていくのだ。
「そうは思わんかね、タケナカくん」
そんな俺の力説に、タケナカは今にも唾を吐き付けてきそうな顔でこう言った。
「思わねぇよ、バカ」眼鏡をハンカチで拭きながら、不機嫌そうに俺を睨む。「やり方がまずセコい。だいたいリア充はこんなトコで飯を食わないで、おしゃれな店でランチタイムを堪能するわ、バカ」
冷静沈着な解答である。わずか十秒の間に二回もバカと言われた俺は、
「じゃあ俺は、リア充に一矢報いることも出来ないまま、この野良犬すら吐き出すレベルの人生を漠然と送らなければならないのか?」
そう質問すると、答えはすぐに帰って来た。タケナカは、素っ気なく言ってのける。
「そうだよ。今のお前じゃ、そんな寂しい学生生活が関の山だ」
「そっかぁ」反論のしようがないので、俺は肩を落とした。
――さて。
以上の会話から察せられる通り、俺の大学生生活は現在、まるでイケてない状況にある。自分で言うのも何だが、いわゆるデビューに失敗した状態だった。
同期の学生が日ごとに新たな人脈を築いていく中、俺は高校時代からの顔見知りであるタケナカ以外に話し相手がいないという、極めて充実していない状態に陥っていた。
対してタケナカはというと、サークルに入ったりしてそれなりに学生生活を謳歌していたらしいのだが、人通りの少ない廊下のベンチで独り寂しくコンビニ弁当にがっつく俺の姿を目撃して以来、昼休みにはこうして俺と絡んでくれるようになった。俺の目にはコイツが神の子のように映ったものだが、神の子にしてはどうにも言葉が汚ない。
テーブルの上で温くなり、すっかり伸びきってしまった醤油ラーメンの麺を啜る。口の中に広がる、カップ麺に負けず劣らずな味付け。つまり大したことない味だ。俺は麺を飲み込むと、スープの上で漂うナルトの渦巻き模様を漠然と眺めながら、何の気なしに呟いた。
「リア充には、どうやったらなれるんだろな」
その他の人々に聞かれたらとっても恥ずかしいので、タケナカにぎりぎり聴こえる程度のボリュームで囁くようにその悲痛を述べた。
タケナカが即答する。
「少なくともスマホくらい持つべきだと、俺は勧告してやる」
コイツはさっぱりした性格だが、その分返事が早くて助かる。
スマホというのは知っている。電車の中で人々が集団催眠でも受けたかのように雁首揃えて眺めている、ポケットティッシュ程の大きさの機械の事だ。
あと、テレビのコマーシャルでよく飛び出す名前だ。
あと、電話も出来るヤツだ。
あと、えっと……ほら、アレだ。
メールとかいう文字を相手に送ったり、他にも、そう、インターネットで様々な情報を閲覧したりできる万能機器の事だ。例えるなら十徳ナイフみたいなやつだろう。実際の十徳ナイフなら原始的であるゆえに俺でも機能は理解できる。が、デジタルという時点で一ミリも万能性を感じられない俺からしてみれば、十徳ではなく百害、タバコと同義である。
つまるところ、使いこなせる自信がない。
「……ムリだな、俺には」
「そこで諦めんなよ」
「電子の十徳ナイフは、荷が重すぎる」
「十徳? 何言ってんだお前?」タケナカは小首を傾げたが、すぐに言葉を繋いだ。「まあ、いいさ……良いか、よく聞け。この大学でスマホを持ってないのはお前だけだぞ、きっと」
「竜崎教授は持ってないと思うぞ」
「教師は別だよ。明日あす七十になる年寄り教師にシンパシー感じてんじゃねえ」
やれやれと頭をかかえる旧友に、俺は前々から思っていた疑問を尋ねてみた。
「そのスマホとやらを扱えるようになれば、生活が一変するのかね?」
するとタケナカは珍しく言い淀んた。「いや、一変するかどうかは、その人の努力次第だろうけど」
「ほれみろ。じゃあ、無理だな」
「だから諦めんなよ、そこで。少しは世間に馴染む努力をしろって言ってんだよ、俺は」
「そう言われてもなぁ」
俺は頭を掻きながら、汁だけになったラーメンを割り箸でかき回し始めた。大嫌いなナルトが波に翻弄される。いつから練り物が食べられなくなってしまったのか。それは婆ちゃんの手料理が関与しているのだが、この話は大長編ゆえに、ここでは敢えて綴らない。
俺はポツリと言った。
「無理なんだよ、昔からさ。ケータイとかパソコンとか。電子技術が応用されたモンとは、とにかく相性が悪い」
嘘じゃない。高校生の時に学校のパソコンを破壊した事が、俺はトラウマになっていた。パソコンという言葉が日常の会話に出る度に、画面に映った英語のコードが走馬灯のごとく脳内を駆け巡り、その日の夜は必ず英数字から逃げまとう悪夢に魘されるのだ。
機械アレルギーの俺に、タケナカは明け透けに言った。
「でもな、大学生にもなってスマホを持ち歩いていないのは、ちょっと非常識だぞ」
「そこまで言うかね、君は」
「事実なんだからしょうがないだろ。じゃあ、たとえばな。お前に彼女ができて、デートに誘いたいとき、お前はどうすんだ?」
「直接会って用件を伝えれば良いだろ」
「そうじゃなくて。離れている場合はどうやって連絡を取り合うんだよ」
「家の電話を使えば良いだろ」
「昭和かっ」
「バカにすんな。固定電話くらい使えるわ」ホントは電話帳機能すら、まともに扱えないけど。
「そうじゃなくて……じゃあ、こうしよう。お前は屋外に出ている。そんなときにふと彼女と話がしたくなった。さあ、どうする」
「公衆電話を探す。十円玉で愛しき人の声が聴けるぞ」
「言うと思ったよ。だから、そうじゃなくて……あのなぁ」
「ああもう、分かった。分かったから」俺は面倒臭くなって話を中断させた。「機会があれば使うよ、機会があればな、うん」
「〝機械〟だけに、とでも言いたいのか? はっきり言ってつまんないぞ」
「うるせぇ。そのうちって意味だよ。そのうち」
俺はそんな空返事をした。
まあ、機会なんてあるわけがない。
俺は筋金入りの機械音痴だ。スマホという次世代ツールを自らの意思で携帯しようとは微塵も考えてない。ジーンズや服を買うのと同じように、何事も身の丈に合ったものを選ぶのが大事なのだ。
それを良しとせぬ者がいるならば、どうぞ俺の前へと出てくるがいい。さあ、使わせたければ、使わせてみろ。
柱に縛り付けられ、眼前に時限爆弾をセットされようとも、俺は意地でもスマホなんて道具に心を傾かせたりはしない所存だ。紳士なら紳士らしく、己の忠を尽くして爆死する所存である。かのシャーロック・ホームズのように、悪を倒すためならば自分の命でさえ犠牲にしよう。
半ば意地になっているこんな俺を、笑いたいやつはどうぞ笑うが良い。こっちも全力で笑い飛ばしてやるからな。
「ワーハッハッハッ!」
「急に笑うな。怖いぞ、お前」
さて、結論から言おう。
俺はこの会話の数時間後に、期せずしてスマホを手にする事と、相成るのであった。
☆
俺の得意な事は、機械を壊す事である。
それが果たして特技になるのかはさておき、俺はこの世に生を受けてから今日までの十八年と約半年の間、満足に機械の類を操れた試しがなかった。
テレビゲームはよくバグる、パソコンは壊す、駅の改札が反応しない――などなど、機械というモノから全面的に嫌われているとしか思えないくらい、電子関係と相反した立場にいるのだ。もしもSF作品の世界みたいにコンピュータが人類を支配する時代がやってくれば、人工知能は俺を抹殺対象として選出するに違いない。なぜなら、いじくった機械をたちまちスクラップに変えてしまう俺の特殊能力は、さながら超機械文明におけるガン細胞となり得るからだ。
――そしてAIの判断で殺されそうになる俺は、機械の束縛から人類を救うため組織されたレジスタンスに命を救われるのだった。そのメンバーで一際可愛くて金髪で巨乳の、数日前に突如として引退したアイドル、佐倉ルチカ似のゆるふわ女子と恋に落ちるのだった……というところまで妄想し、俺は心の底からどうでもよくなった。
いやいやっ。
佐倉ルチカの引退事件は俺にとってどうでもよくない事柄ではあるが。
事件のニュースを聞いたとき、あまりのショックにその日は食事も喉を通らなかったほどである。事務所には一日でも早く、ルチカたんの復活会見を用意してもらいたいものだ。
とにかく、今どき流行りそうにない脳内設定に落胆し、俺の妄想は沈下した。
だいたい、そんな時代まで生き残れる自信がない。昨今はオートロックという、機械で自宅の玄関の開け閉めを行うものが増えてきていると、テレビ番組で取り上げられていた。これを全ての建物に採用すれば泥棒はいなくなると、専門家が大口を叩いていた。嘘こけ。
だいたい、そんな事されちゃあ、俺が家に一生入れなくなるではないか。だから俺は責任者に問いたい。責任者が誰なのか解らんが、とにかく誰でも良いので問い質したい。機械に疎い人物を一方的に社会から排除せんと企む、選民思考丸出しのオートロック開発者と、それを常設せんとする悪徳建築業者には、是非とも物申したい。従来どおりスチール製の鍵じゃダメなのか、と。
俺は内心、溜め息を吐いた。オートだのデジタルだのハイテクだの……世の中の人々は、何故こうも疑う事なく電子技術に身を委ねる事が出来るのだろうか。
俺は現在、電車に揺られながら帰路に着いている。電車も立派な科学の申し子なのだが、俺にとってはキツい事この上ない。巨大な箱の中に閉じ込められているような圧迫感がどうも好きになれないし、なにより事故が起これば、電車は巨大な共同棺桶に早変わりするのだ。何も警戒せずに乗車できる人々の精神が、俺には全く理解できない。大学が実家の隣町にある都合上、嫌々ながら乗っているが、もう少し土地勘に馴れたら自転車で通学しようと考えている。倍以上の時間はかかるが、そっちのほうが健康に良いし、お金もかからない。何より精神的にゆとりが生まれる。
電車という乗り物は、苦難を連続して与えてくる。
自分に置き換えて想像してもらいたい。
改札機は俺の事が嫌いなのか、よく俺を無視する。こっちが手順のとおりに行動しても、ゲートは堅く閉ざされたまま。徐々に人々が俺の後ろに並び出し、ゴミでも見るような視線をこちらに向けてくる。居心地の悪くなる俺。
何とか第一関門を突破しても第二第三の試練が待ち受けている。電車内に何十名と人間が乗り合わせ、誰かが吐いた息を、違う誰かが吸わなければならない無限サイクルじみた苦行。
それを乗り越えたとしても、最後に待ち受けるのは再び改札機である。入場用の改札機が俺を馬鹿にするならば、退出用も俺の事を、機械の分際で弄びにかかってくる。駅構内に突如として出来た長蛇の列の最前線に、俺は幾度も立ったことがある。間違った方法をとっていないはずである。シミュレーションはバッチリした。駅員さんにもウザがられるくらい、改札の潜り方を教えてもらった。にも関わらず改札機は俺を愚弄し、俺は周りから悪人呼ばわりされる。
科学。
それは人類が悪魔に唆されて手にした業だ。科学によって産み出されし電車という交通手段は、まさしく近代風にアレンジされたアイアンメイデンである。
そんな多人数を収容可能な拷問器具内で周囲を見渡せば、学校帰りの若者が大勢いる――世間的に言えば、俺も若者の範疇に入るんだろうけど。
この電車に乗っている若者と俺の決定的な違い。
それは俺以外の全員がスマホを片手に持っている事だろう。
電車の通路のまんなかで参勤交代中の藩主様が通過しているがごとく、若者はみな平民のように頭を下げている。
何をしているのかと確かめてみれば、ひたすらじーっとスマホを見つめているのだ。中には座席にどっぷり腰掛け、船を漕いでいる男子学生もいるが、彼の手には当然のようにスマホが握られていた。あと、イビキがうるさい。藩主様に「無礼者め!」と首を斬られればいいのにと物騒な事を願ったが、残念ながら現代日本には大名も侍もいないので、彼は明日からもイビキで人を困らせ続けるだろう。
かつての日本人がおもんばかった礼儀も見映えも作法も、今の国民は捨て去っている。インターネットを用いて、見たい情報だけをスマホの画面越しに見る社会。これが現代日本の正体なのか。
嘆かわしい。ああ、嘆かわしい。実に嘆かわしい。まっこと嘆かわしくて仕方がない。まさしくこれは、唾棄すべき嘆かわしさだ。
「そんな事で嘆いてんじゃねぇよ!」
一瞬、俺に向けられた言葉かと思った。まさか思考を読まれた! と辺りを注意深く索敵する俺であったが、何の事はない。電車のドア付近のポールに掴まっていた女子高生二人組の、片方から発せられた言葉だった。
今どき珍しい、日焼けサロンで肌を小麦色にした金髪の女子たち。親から貰った身体を焼くとは何事か! と叱咤してやりたかったが、変なやつに思われたくなかったのと、あとそんな勇気が小指の爪ほどもなかったので、俺はシートに座ったままでいる事にした。