#11
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がたつく通りを進んだ後、馬車はゆっくりと停止した。
御者が馬車の扉を開ける。俺は頭を下げながら車から降りた。フレディオールさんから頂いた革のブーツ越しに、石畳の感触を味わう。
ああ、揺れない地面が恋しかった、切実に。
どうにも馬車という乗り物は俺の体に合わない。科学の権化であるバスや電車に乗るよりは精神的に良いのだが、車酔いだけはどうしても我慢ならなかった。
いや、一概に馬車だけが悪いのではない。
石畳の道路は、アスファルトのそれよりも乗り物の内部をシェイクする。車を引っ張る馬だって、生き物であるがゆえに突然走り出したりもするし、それを抑えるために御者が手綱を引けば、車は慣性に従って大きな揺れを起こす。自動車は嫌いだが、今になってその機能性の良さが懐かしく思えてくる。
……文句ばかり悶々と思考していても、何も始まらない。そもそも俺の馬車ではないし。命の恩人であるフレディオールさんの所有する物にケチを付けては、全くもって彼に失礼だ。
俺は軽く背伸びをしながら、目の前に佇む大きな建物を眺めた。
建築に詳しくない俺がその構造物を観てまず思ったのは、旧家などにある蔵によく似ているという事だ。二階建てで、焦げ茶色の柱や梁などの軸組が、外壁に隠されず装飾として残され、軸組の間を白色の漆喰か何かで仕上げられている。コジャレた喫茶店を学校サイズに拡大したら、こんな感じになるかもしれない。周りはレンガ積みの建物で囲まれているため、木造なのがどうにも浮いている印象を受けた。
長々と外観を説明したが……まあ、一言で現すなら、立派な建物だって事。
なればこそ、あの人が黙ってはいないだろう。
俺は隣で腕組みしている人物を横目で見た。
「うむ、良い建物だな。木を用いた建物もまた味わい深い」
そう言いながら建物を珍しげに眺めるのは、俺をここまで連れてきてくれた中性的な顔立ちの貴族、フレディオールさんである。
そんな彼は今、一瞬たりとも建物以外に目を向ける事なく、一人で頷いていた。
……何というか、ここへ来てから、だいぶキャラクターが変わった気がする。いや、これが本来の性格なのかもしれないが。
俺は今一度、フレディオールさんに確認した。
「ここが、探索者ギルドですか?」
「そうさ。ここが今も昔も変わらず迷宮を管理してきた、探索者ギルドの本部だよ。建物は何度か改装を重ねているらしいが、最初から今日まで、木造を一貫してきたという。生命を表す樹木を建材にする事で、迷宮から命を散らさずに、無事帰還できるよう祈願しているそうだ」
後半のうんちくはあまり興味が無かったが、でもどうやらこの建物が、件の探索者ギルドで間違いないようだ。
目的地への到着に、今までの道のりの険しさを思い出して感慨深くなっていると、やにわにドアの開け放たれた馬車の方からレティ公の声がした。
「生命を表す樹木を建材にしている時点で、祈願も何もありませんですわ。木を伐採してますし」
レティ公は馬車の奥で縮こまりながら、そう毒づいた。相変わらず日光が苦手な様子だ。そんなレティ公にフレディオールさんは苦笑する。
「まあ、確かにそうなんだけどね……そうだ。レティーシャ、君も馬車から降りたまえ。たまには陽を浴びた方が良い」
「いやですの」
首をぷいと反らすレティ公。率直に、主へ反対する。
「そんな事を言っていると、また体に黴が生えるぞ。さあ、良いから出てきなさい。君にやってもらいたい事もある」
フレディオールさんが少し口調を強くすると、レティは口を尖らせながらも素直に馬車から降りてきた。日差しの元に晒されるなり、レティ公ははだけたローブの胸元を閉じ、フードを目深に被った。
「……なんですの、やってもらいたい事というのは」
雨が降っていないにも関わらず雨具を着ているような様相のレティ公に、フレディオールさんはこう言った。
「なに、君に覚者殿の案内人になってもらいたいのだ」
俺は、彼が口にした言葉を上手く理解できなかった。
それは命令されたレティ公も同じらしく、三秒ほど間をおいて、俺とレティ公はハモった。
「は? どういう事ですか?」
「は? どういう事ですの?」
フレディオールさんは懐から時計を取り出すと、その盤面を見て苦い顔をした。
「どうやら時間はあまりないらしい。でも覚者殿をこのまま一人で見送るのも気が引ける。だから、僕の代わりに君が神官の元へ覚者殿を案内してやってほしいのだ。それに彼の護衛の役もね」
するとレティ公は反対した。
「いやですの。わたくしは若さまの従者であって、このようなボンクラのお付きではありません。こいつの命をお守りする道理もありません」
言われて悲しくなったが、しかし俺も同意見ではあった。
「いや、フレディオールさん。今まで沢山よくして頂きましたし、ここからは俺一人で何とかしてみせます。ですから、従者さんをお借りしなくても大丈夫です」
「ほら、コレもこう言っていますし」
フレディオールさんが側にいるならとても心強いが、しかしレティ公と共にいるのはどうにも落ち着かない。犬猿の仲、とまでいうほどの関係ではないが、しかしそれに準ずるレベルに達しようとしているのも事実だ。
だが、フレディオールさんは曲げなかった。
「レティーシャ、これは命令だ。それに覚者殿も、あまり一人で行動なさらない事だ。ここはダンジョン区。決して良識のある者だけがいるわけではない」
フレディオールさんは視線を動かした。その方向を見ると、草臥れた衣服を纏った男三人組がこちらを眺めていた。何が面白いのか、俺たちを見て、へらへらと卑しく笑っている。
「遠くで降ろすべきだったね。この馬車は、ここでは目立ちすぎる」
フレディオールさんの言う通り、俺たちは探索者ギルド周辺にいる人々の注目を浴びていた。甲冑を纏った大男、道路規制のコーンみたいな三角形の帽子を被った女性、動きやすそうな衣服にナイフやポーチをこれでもかとぶら下げた無精髭。豪華絢爛な馬車から出てきた貴族とその従者、そして貴族らしからぬ出で立ちの俺を合わせた三名は、この空間ではかなり浮いている。
レティ公は深い溜め息をついて、主に同意した。
「わかりましたわ、若さま。今回はコレの護衛となりましょう。でも、今回限りですからねっ」
「ああ、頼んだよ、レティーシャ。覚者殿も、くれぐれも用心するように」
いつになく真剣な眼差しのフレディオールさんに俺もこくりと頷いた。
「わ、わかりました」
「それじゃ、急ですまないが僕は行かせて貰うよ。また後ほど会おう」
馬車に戻るフレディオールさんに俺は今一度、感謝を述べた。
「本当にありがとうございました。こんなに良くして頂いて」
フレディオールさんは小さく笑った。
「君の旅に、神の加護があらん事を」
聞いた事のあるフレーズだった。『悠久のシャングリラ』を起動し、最初に現れたNPCがそんな事を口にしていた気がする。もはや、遠い過去のようだ。神の加護……俺にとって加護とは、まさにフレディオールさんの事である。
フレディオールさんが言い終わるや、御者が馬車の扉を閉めた。帽子を脱いで俺に一礼すると操縦席へ素早く移動し、角の生えた黒馬の手綱を揺らす。まもなく馬車は走り始めた。
通りを直進し、小さくなったところで馬車は右に曲がり、完全に俺の視界から消えた。別れは寂しいものというが、まったくその通りだ。フレディオールさんのいない夢幻界はやけに静かである。
問題は山積みだ。神官との謁見、神託の儀、そしてなにより……
「ああ、行ってしまいましたわ。わたくしの主が遠くへ。ううう」
レティ公である。彼女はその場にしゃがみ込み、何やら呻いていた。声をかけるべきか、このまま置いておくべきか迷っていると、唐突にレティ公はすっくと立ち上がった。キッ、と俺を親の仇のように睨み付ける。
「いいですこと。親愛なる若さまのご命令に従い、不ッ、本ッ、意ッ! ながら、わたくしは貴方を神官さまの元まで送り届けます。これについて何か訊きたい事はありますか? ありませんわね、では、わたくしと十本以上距離をとって大人しくついてきなさい」
「は、はあ」
あからさまに毛嫌いするレティ公に、俺は曖昧な返事をした。それが彼女は気に入らなかったらしい。
「はあ、ではありませんですの。そこは──こんなゴミクズの案内を買って出て頂き、誠にありがとうございますレティーシャさま──みたいな礼儀を慮った言い方が出来ないのですか。普通、そうしますわよ」
「普通はしねぇよ」
一々そこまで下でに出にゃならんのか、貴族の礼儀ってのは。
「……チッ」
とレティ公は露骨に舌打ちすると、すたすたと探索者ギルドの玄関口へと歩いていった。そんな後ろ姿を眺めながら、ろくでもないガイドに就かれた事に溜め息を吐いた。やはりコイツとは逆立ちしたって仲良くなれんな。水と油、俺と機械。人間には相性というものがあり、それはどうやったって覆せるものではないのだ。
意気消沈していると、レティ公は背後にいる俺へ僅かに顔を向けた。
「何をしていますの。そんな所で立ってないで、さっさと行きますわよ」
……仕方ない。今は好き嫌いを選り好みできる状況ではない。
「へいへい」
俺は、生意気な案内人の元へ歩き出した。
「返事は、はい、ですの」
レティ公が小学校の先生みたいな事を言う。
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい」
「伸ばさない!」
「……はい」
本当に教師みたいに見えてきた。ませた学級会長みたいな見た目をしているというのに。
「まったく本当に、やれやれですの。どうしてわたくしが、こんな野暮用をしなければならないのですか、プンプン」
随分と荒れていらっしゃる。
だって口でプンプンと言っているし。
まあ、そうさせたのは他でもない俺なんだが。
これ以上、彼女を怒らせたのならば、それはそれは血生臭い展開に移行しそうなので、俺は黙ってレティ公に追従した。教えの通り、きちんと十本以上の距離をとって。
視線をレティ公から反らすと、探索者と呼ばれる人々の眼差しが未だ俺に向けられていた。突き刺す……とまでは行かなくとも、品定めをするようなネチっこい視線を送り返される。無理もないか。俺の姿は今、片目と頭に包帯を巻いている状態だ。どの角度で見ても怪我人である。
ふと、俺はフレディオールさんの言葉を思い出した。
──それは神の御使いに浮かび上がる、選ばれし者の証明だ。
俺は左手の甲を、残る片手で撫でた。この手に浮かび上がった紋様。フレディオールさんの言う事が正しければ、〝覚者〟と呼ばれる、この夢幻界ではおいそれと現れない者の証だそうだ。この印があるからこそ、俺はこうして神官なる人物に謁見せねばならなくなったのだ。
……ここへ来て猛烈に不安になってきた。
もしも手の紋様が、何の意味を成さないものだったら……。
そうなった場合、俺はつまるところ何の価値のない人間になってしまう。金も貴重品も、何も持たずにやってきた俺を、異国の人間は受け入れてくれるのだろうか。
首筋を汗が伝う。頭がくらくらするのは、極度の緊張からか、或いは燦々と照りつける日射しが原因か。
ラヴィンヒルトは日本に比べ、随分と温暖な環境らしい。




