#9
再度、馬車に揺られて数時間。
太陽が幾分か空に上がり、日本では人々が活動を始める辺りの時間帯になった頃。
俺はついにラヴィンヒルト入りを果たした。
その道中は実に有意義なものだった。
窓から見える景色は鮮明で、俺の記憶にある風景のどれをとっても似通うものなんてない。街道脇畑には小麦が実り、放牧された家畜たちが呑気に草を食んでいる。
今までの惨憺たる出来事が嘘のように郊外の風景は平和かつ牧歌的で、悲劇の連続で廃れきった俺の精神は幾分か安らいだ。
ラヴィンヒルトは平原の真ん中にある円形の都市で、外周を高層ビルのように高い石レンガの防壁で囲まれていた。
これは外部の攻撃から街を守るのと同時に、街の内部、すなわち迷宮から這い出てきた魔物を外へ出さないための、いわば檻の役目も果たしているのだそうだ。
馬車が街に近付いたタイミングで、フレディオールさんがそう説明してくれた。
像たちが肩車しても通れそうなアーチ型の大門を、馬車は潜る。
街を覆う防壁は見た目よりもはるかに分厚いらしく、門は入り口と出口のスパンが山を貫くトンネルのように長かった。松明が頼りなく灯された直線空間は、何となく異界への道を彷彿とさせた……いや、俺にとってはすでに異界か、ここは。
冗談はさておき。
暗闇に目が慣れた頃になって、ようやく出口が現れた。暗所から太陽の下に出て目が眩む。
そして正常に戻った視界が捉えたのは、橙色の瓦を屋根に乗せた建物が整然と建ち並ぶ、おとぎの国のように美しい街並みであった。
俺は馬車の窓から顔を出し、大通りを眺めた。
地球で例えるならイタリアのフィレンツェだろうか。下を見れば隙間無く敷き詰められた石畳、上を見れば小高い家々の軒で区切られた青空、視点をニュートラルにすれば、多くの人々が歩道を往来していた。
なだらかに傾斜した大通りを馬車は下っていく。
ラヴィンヒルトはすり鉢状の形をしており、中心へ行くに連れて標高が低くなっている。そんな地形に合わせて、道路は雲の巣のように張り巡らされているようだ。
「すっげぇな、こりゃあ……」
どう感想を述べればいいのやら。
片目に映る美観にすっかり酔いしれてしまった俺は、相変わらず感情を言葉として上手く表現できなかった。ゲームのロード画面で一度目にしたはずの街の景色。しかし、いざこうして、この目で本物と出くわしてしまえば、スマホの小さな画面に映された一枚絵程度では何の予備知識にもならない。現在進行形で目撃している一分の一スケールの町並みとのギャップに、思わず溜め息さえ出てしまう。
そして、何より目につくもの――
さすがは異世界。亜人が大勢いる。
通りを歩く者の中には、レティ公のように耳の長い色白のエルフ族もいれば、頭から獣のようなふさふさの耳を伸ばした人種もいる。彼らはさながら獣人といったところか。ご丁寧にズボンの尻から触り心地の良さそうな尻尾が覗いている。
他にも、小学生低学年くらいの背丈の小動物みたいな人だとか、額から角を生やした長身のダンディーだとか、まるでコスプレ会場のようなごちゃ混ぜぶりだ。しかし、あれはコスプレではない。実際に耳や尻尾や角が体から伸びているのだ。
ちょっとした広場があれば、帆布で天幕をした露店が密集し、そこにあらゆる人種の客が集まって品定めをしている。アメリカ合衆国は『人種のるつぼ』と呼ばれるほど多種多様な民族が混在しているが、文字通りちょっとばかり毛色は違うけれども、ここラヴィンヒルトも多種多様な民族が混在して暮らしている『るつぼ』の都市と言えるだろう。
……しかし。
それにしたって、人が多過ぎやしないだろうか。
馬車の中から目を瞑って石を投げても、高確率で誰かに当たる気がする。
異世界なんてもっと穏やかで静かなものだと勝手に想像していたが、日本の通勤ラッシュと同じく、混むときは混むのかもしれない。
「綺麗な街だろう?」
日本とラヴィンヒルトを脳内で比較していると、馬車内の席に座っていたフレディオールさんが、出し抜けに話し始めた。
俺は首を縦に振った。
「そうですね。しかし、ずいぶんと賑わっていますね、この街は」
「まったくだ。ここへ来る度に、街の様相が変わっていて驚かされる。落ち着きのない街だが、でも僕はそこが好きだな」
「はあ。そうで、す……か?」
住民の姿を観察していて、一つ疑問が沸いた。
迷宮都市と言うには、俺の視界に映る人々は、何というか、全然、フィクションで描かれるような冒険者じみた格好をしていないのだ。
ガチガチの鎧を身に纏っている者は皆無で、ほとんどが質素な布生地の、ゆとりのある服を着ている。ぶら下げているのは買い物かごであって剣ではない。腰に剣をぶら下げている人をようやく見つけたと思えば、帯刀している彼らは皆、目のマークを描いた青色のマントを羽織り、鳥の羽がピンと立ったツバ広帽を被っていた。威風堂々とした歩みから察するに、この街の保安官のようなポジションにいるのだろう。帽子に羽根を施すその美意識は、俺も何となく真似てみたいと思った。
迷宮を探索する者が集う街だというのに、そのような姿をした人々が全くいないのだ。
俺は馬車の中に顔を向け、知識人に質問した。
「ラヴィンヒルトは別名、迷宮都市ですよね?」
「ああ、そうだが」
知識人ことフレディオールさんが頷いた。
「そのわりには武装した人が一人もいませんね。俺はもっとこう、荒くれが闊歩する殺伐とした街かと思っていたんですが」
俺の言葉にフレディオールさんが品良く笑った。
「何十年も前はそうだったらしいが、ラヴィンヒルトは今や、世界で五本の指に入るほどの経済都市。探索者以外にも、あらゆる人々がこうして集まっているのさ。門から入ってすぐの、この辺りの区画なんて、いわゆる観光地みたいなものだ」
「観光地?」
「街の入り口――つまりは街の顔だからね。どの区域よりも綺麗に整備されているのさ。外部からの実業家たちを対象にした一流のホテルが建ち並び、有名な交易商社が軒を連ねている。残念ながら探索者が暮らせるような場所ではない。君が言うような人々は、もっと街の中心部にいるんだよ」
「街の中心っていうと……」
俺はまた窓から顔を出して、馬車の進んでいる方角――街の中央を眺めた。
「そうさ、あそこだ」
そう言うより早くフレディオールさんは、俺が顔を覗かせる窓をより大きく開け、俺と同じように頭をひょっこりと外へ出した。俺の目前で、金色の髪が風に靡く。香水だろうか、良い香りが俺の鼻腔を擽る。
街の中心へ指を指すフレディオールさん。
「見えるだろう。あそこがラヴィンヒルトを迷宮都市と言わしめている地区、探索者たちの総本山『ダンジョン地区』だ」
「ダンジョン地区。じゃあ、あそこに魔王が眠っていると?」
「そういう話には確かになっている。まあ、ここ百年の間、誰も魔王を発見した者はいないがね……あそこに君が会うべき神官がいるはずだ」
俺は目を凝らしてダンジョン地区を見た。今いる場所からでは詳しく窺えないが、どうやら街の中心には大きな縦穴があるらしい。そこに迷宮があるのだろう。




